11 仮面 刈谷かなえ視点 - 3
その夜、私はほづみを一生分抱き締める気持ちで、横になる。
瞼を閉じると、ほづみがいなくなってしまいそうで、なかなか眠れない。
一瞬でも長く、ほづみを目に焼き付けておきたい。
魔物の身体は、多少、寝不足でも言うことを聞いてくれる。
私はほづみの胸に耳をあて、心臓の奏でる鼓動を聴いた。
この命が愛おしい。
ほづみが生きていてくれるなら、私は犠牲になっても構わない。
「ごめんね、ほづみ」
私はほづみのパジャマの第二ボタンが外れていることに気づく。
ほづみが起きないように、ボタンを元の位置に、そっとかけなおした。
私はベッドの近くに置いてある処方袋を手に取り、そっと立ち上がる。台所に向かい、ガラスのコップに一杯の水を注ぐ。
胸が苦しい。こころが破れてしまいそうだ。それだけではない。ほづみのことが愛おしい気持ちと、ほづみに嫉妬する気持ちがないまぜになって、次第にほづみが嫌いになっていくようで、嫌だった。いつの日か、我を忘れて、ほづみを殺してしまうかもしれない。あるいは、欲望に溺れて、ほづみに酷い仕打ちをしてしまうかもしれない。考えただけでも恐ろしい。経験したことがないはずなのに、鳥肌が立つ。
私は、水面に反射した自分の顔を覗いた。相変わらず元気のない、無愛想な表情だと思いつつ、抗鬱薬を飲み下す。
パジャマの左袖をまくる。収納棚から万能包丁を取り出し、右目を固くつむりながら、軽く左手首を切りつけた。鋭い痛みとともに、血が滲む。けれども、数秒後には、きれいに傷が塞がった。
私は我に返り、重々しい溜息をついた。ごめんなさい、栗原美月。私一人では自殺なんて無理よ。自分の身体を傷つける度に、手が震えてしまう。ぽろぽろと涙がこぼれ落ちてしまう。遺されたほづみが悲しむ姿を想像すると、胸が締め付けられて仕方がない。
けれど、少しずつ胸の痛みに慣れてきて、世界がどうなろうと構わないと思い始めている自分がいる。どうして他人のために私の命を犠牲にしなければならないのだろうか。たとえ世界が崩壊しようとも、ほづみ一人の命なら私の力で救うことができるかもしれない。……いいえ、だめよ。ほづみが何を思うか容易に想像がつく。何もない世界で過ごすことは、人間のほづみには耐えられないことだろう。私はほづみに恨まれたくない。
緩んだ蛇口から水滴がしたたり落ちている。蛇口をそっと開き、腕を濡らす。
私のこころはすでにかなり壊れてしまっている。どれほど私を痛めつけても、ほづみに対する罪は拭えない。どれほど私を死に近づけても、私のこころは苦痛を感じることを忘れたがっている。でも、だめよ。私はほづみを愛したまま、人間として一生を終えたい。だから、無理にでも、こころが痛みに慣れてしまわないように、身体より先にこころが死んでしまわないように、私は私を痛めつける。
私は、包丁を丁寧に洗って収納棚に戻す。クローゼットに向かい、制服を身に着けた。衣装に映る自分の姿を睨みつける。時計を見ると、予告した時間まで残り二十分を切っていた。
月明かりに照らされたほづみの布団がはだけていたので、そっと戻す。
待ってなさい、栗原美月。私は、今からあなたに殺してもらう。