11 仮面 刈谷かなえ視点 - 2
ふと、何かが結界を通り抜ける気配を感じる。
魔物かもしれない。私は警戒して物音を探った。
すると、何かの足音が、ベランダのほうから聞こえてきた。
私はおもむろに緑色の指輪をした右手を翳し、銃を顕現させて握り締める。
「あのー、お二人さん。お熱いところ、申し訳ないんだけどさ」
私はベランダに佇む人影を両目で射抜いた。
この強固な結界と空気を無視して闖入してくる愚か者は一人しか思いつかない。
「栗原美月。一体、何の用。誘拐? 窃盗? 放火? 今すぐ消えなさい」
「いやいや、そんなことしないってば」
「信用できないわね」
私は、コツコツと歩み寄る美月に向けて銃を構える。
ほづみはその銃を取り上げた。
「ちょ、ほづみ?」
「こら、かなえちゃん。こんな危ないものを人にむけたらだめだよ?」
「それは、そうだけど……。見なさい、ほづみ。彼女、変態よ」
「え? へんたい?」
目が慣れてくると、徐々に栗原美月の輪郭が浮かび上がる。そして、彼女は目に、白い翼が左右に広がった形をしたアイマスクをしていることがわかった。
栗原美月は、月明かりを背景に右手を高々と掲げ、奇妙なポーズを決める。
「ビューティフル・ムーン、見参!」
彼女は右手の人差し指に指輪をはめていた。指輪についた蒼い宝玉が月明かりを反射して、きらきらと輝いている。
私と同じだ。違うのは、宝玉の色だけ。私の宝玉は翠色である。
私は風の指輪、栗原美月は何の指輪だろうか。水か、氷か、はたまた海か何かだろうか。この指輪をしているということは、ルナークと取引をしたのだろう。
私は、ほづみを背中でかばうようにして、強く抱き締める。
「ほづみは渡さない」
ほづみは私の肩に頭をのせた。
変態美月の足音が背後から近づいてくる。
「美月ちゃん、その変な仮面、どうしたの?」
「ん? 百均で買ったんだ。どお?」
私が振り返ると、変態美月がのんきに立っていた。私の視線に気づいた変態は、決めポーズを繰り返す。目障りだ。
「あなたのような変態に、ほづみは、絶対、渡さない」
私が変態に叫ぶと、変態は肩を落とした。
「変態言うなよー。羽つき仮面、かっこいいと思ったのに」
「まったくもう。異空間から飛んできたのはわかったけれど、深夜に不法侵入してくるとは、いい度胸ね」
すると、美月は私を睥睨して、剣を突きつけた。
私は再び、拳銃を手元に召喚する。
「もう、美月ちゃん。剣なんか持ったら危ないよ?」
「いやー、ごめん、ほづみん。ちょっとだけだから」
不思議なことに、ほづみはまったく臆さない。私の銃で慣れてしまったの?
ほづみの言葉で気が緩んだ様子の美月は、言葉の棘を少し抑えた。
「あんたのせいで、ほづみんが不自由しているんだ」
「え? そうでもないよ。今のかなえちゃんは、とっても優しい子だよ」
「えっ、ほづみん?」
私は舌を出して美月をからかう。だが、美月は引き下がらない。
「それだけじゃない。あんたのせいで、この世界がだめになってしまう」
「どういうこと? 説明しなさい」
ほづみを抱き締める指先に力が入る。
美月は剣を構えたまま動こうとしない。
「あんた、ルナークって知ってる?」
「……ええ、まあ」
ほづみの杖は、ルナークの瞳が変化したものである。
私の願いを叶えたのも、記憶が正しければ、ルナークである。
「そのルナークから聴いたんだけど、あんたの身体の中にルナークの瞳があるっていうんだけどさ。まず、これは本当だよね。あたしの感覚はごまかせない」
「そうね。ほづみの身体を蝕み続けた危険物よ」
「えっ、そうなの?」
「うん、そうだよ。ルナークの瞳は、ほづみんを狂わせる原因なんだ」
美月はほづみが頷くのを確認して、眉尻を下げた。
「ええ、そうよ。だから私が呑み込んだの。おかげで、気が狂ってしまいそうだけれど」
私の言葉に、ほづみは少し身じろぎする。
「かなえちゃん、平気? こころが締め付けられたり、穴が開いてたりしない?」
「今はまだ、ほづみがいれば、平気よ」
「そっか。よかった」
ほづみは口では納得している。
でも、表情は、少し不安そうな陰りを見せていた。
私のこころがいつまで持つかはわからない。
今日もこっそりと抗鬱薬を呑んだ。
薬を呑んでからしばらくは気分が優れる。けれど、薬が切れてしまう、起き上がることさえ辛くなる。それに、あまり鬱が改善している気がしない。むしろ、悪化しているような気さえする。
考えてみれば当然か。医師は、薬を呑み続ければ良くなると言っていた。けれど、私の場合は、鬱病の原因が生物学の範疇を超えた、ルナークの瞳にあるのだから。それに、私はもとより人のこころを捨てた身よ。器は人間でも、こころまで同じとは限らないわ。
私は、言い知れない寂しさを胸の内に秘めながら、美月を見上げた。
「続けなさい」
「そいつから聞いたんだけど、あんたの身体から噴き出している呪いが、この世界の人々の命を削りはじめているんだって。ほづみん、学校の友達や家族、みんながみんな、あんたのせいで死んじゃうんだよ」
「美月ちゃん、何言ってるの? かなえちゃんは何も悪くないよ?」
ほづみは涙を堪えながら、必死で美月に訴えかける。
美月は剣を下ろして、私に頭を下げる。
「ごめん。でも、私にもそれが感じ取れる。本当だってわかってしまう。だから、近いうちに、あんたをこの剣で斬らなきゃならない。それがあたしの正義だから」
そう。そういうこと。
私はさしずめ、疫病なのだろう。人々にとって害悪でしかない。私が栗原美月に悪魔呼ばわりされるのも納得がいく。
私は立ち上がり、美月に歩み寄る。
「なんだよ?」
私は、ほづみに聞こえないよう、小声で美月に囁いた。
「栗原美月、あなたは、ほづみを守れるの? 私がいなくなっても、ほづみのこころを支えてあげられるの?」
「うん。なんとかしてみせるよ」
美月は神妙な面持ちで、力強く頷く。
私は小さく溜息を吐いた。
「わかったわ。栗原美月、今から一時間後に、一人で学校近くの公園に来なさい。そこで結界を貼って待つわ。ほづみには秘密にしておいて」
すると、美月は相好を崩して、私の肩を叩いた。
「ほーい。じゃあ、またね、かなえちゃん」
「ちょ、何よ、突然……」
私が文句を言う前に、美月は姿を消していた。
ほづみが心配そうに私の元へとやってくる。
「かなえちゃん?」
「ほづみ。今日はゆっくりと寝ましょう。なんだか疲れたわ」
私は月を眺めた。
本当に美月に任せていいのだろうか。
少し、心配になってきた。