4 記憶 刈谷かなえ視点 - 2
私の手でほづみを殺せと言った。皮肉なことに、ほづみを蘇らせた私が、ほづみたっての希望で、ほづみを殺さなくてはならない。
ほづみは苦しそうに笑っていた。私は、このまま世界が滅びてしまってもいいような気持ちになっていたが、ほづみの意思を尊重した。なるべく苦しまないように、ほづみの息の根を止めた。
その時の私は、とても酷い顔をしていたことだろう。その日は暴風雨だった。雨で涙をごまかすなんて考えはなくて、しきりに泣いた。泣いて、泣いて、泣き疲れて、抱きかかえていたほづみは、消えてしまった。
翌日、ほづみは、何事もなかったかのように登校した。
ほづみは、私の涙を覚えていなかった。
私だけが、ほづみのあの表情を覚えていた。
ほづみが死ぬ経験を何度も繰り返した。夢の中では、あの時の記憶がいつも再生される。睡眠薬なくして、夜は眠れなかった。酷いときは、無理を言って処方してもらった抗鬱薬を飲んで寝た。
理由はどうあれ、どれだけ手を尽くしても、ほづみは死んでしまう。
でも、ほづみはいつでも私の目の前に現れてくれた。
ほづみはいつでも私に笑いかけてくれた。
私を嫌うほづみは、一度たりとも見たことがなかった。
それも、私が望んだことなのかもしれない。
ついに耐え切れなくなった私は、愚かにも、辛い記憶を封じた。
けれども、何も変わっていない。記憶を封じたのも、現実逃避のための一時的なものだ。完全に忘れようとは思わなかった。ほづみとの大切な思い出をなかったことになんてできないから。
変わったことといえば、ほづみの両親が魔物に殺されたことと、ほづみが禍々しい杖を持たずに、私の家で寝転がっていることだろうか。
ほづみの両親は、私が作り出した仮初めの存在である。本当のほづみの両親は、私の記憶では、ほづみを虐待するような、かなりのクズだったはずである。
私は、ほづみと一緒にいたいがために、無意識に、使い魔である両親を殺したのかもしれない。それにしても、あんなに惨たらしい光景にすることはなかっただろうに。私はほづみを悲しませたくないのに。
そうとわかれば、今すぐにでもほづみの両親を復活させようか、どうしようか。復活させたとして、あの光景はなんだったのかということになる。それに、ほづみの本当の両親ではないことも気がかりだ。
私がほづみと一緒にいる口実がなくなってしまうが、そんなことはどこかに投げ捨ててしまえばいい。ほづみを悲しませたくはない。
けれど、ほづみが本当の両親ではないことを思い出してしまったら、私はほづみに何と言えばいいのだろう。
いけない。魔物とはいえ、まだ数年しか魔物として生きていない。
私のこころは、そんな重い決断がすぐにできるほど、成長していなかった。
思えば、ほづみが死に続けるのを見ながら、とうとう高校生にまでなってしまった。でも、このままほづみに地獄を見せ続けるわけにはいかない。
今は、何事も順調に進んでいる。ほづみは禍々しい杖を持っていない。あの杖はペンダントにして首にかけていたが、今のほづみはかけていない。そして、私に接触しているものの、ほづみは生きている。後は、全力でほづみを守りつつ、ほづみが禍々しい杖に手を出さないよう見張っていればよい。あの杖は、私には壊すことができなかった。触れただけで精気が吸い取られる、恐るべき杖だ。ほづみから引き離そうとしても、あの杖はほづみを蝕み続けた。ほづみが杖を手にした瞬間、私にはもう、どうすることもできない。だから、絶対に、ほづみにあの杖を持たせてはならない。
一つ、気がかりなのは、私の魔力、あるいは精気や生命力とも呼べる魂の源が、底を尽きそうになっていることである。半不死とはいえ、人を襲わずに生きていられる魔物ではない。魔物を殺して生命力を吸い上げているものの、魔力消費量のほうが多くなりがちなのが実情だ。このままでは、私は消えてしまうだろう。
はっ、まさか、そんな。私の呪いが薄まることで、私の願いの効力も薄まっているのだろうか。思い起こせば、私の魔力が薄まるに連れて、ほづみを死の運命から遠ざけていられる時間が長くなっている気がする。
だとしたら、今、うまく魔物の手や禍々しい杖からほづみを守れていることにも説明がつく。けれど、それだと、私の呪いが消えてしまったら、ほづみも消えてしまうのかもしれない。
ほづみが襲われたり、私が魔物になってしまったり、私の味覚や嗅覚が鈍ったり、そうしたことだけが呪いであってほしい。
きっと、私の希望的推測は当たっている気がする。
私が死に近づけば、ほづみは死から遠ざかる。
でも、ほづみを一人残して地獄に旅立つことは、辛い選択だった。
できることなら、ほづみの傍にいたい。
身勝手な願いだ。魔物にはふさわしいかもしれない。
私は自嘲気味に笑うと、着替えをバスケットに入れて風呂場に持ってきた。
ふと気分が悪くなり、洗面所で咳き込んだ。
「私も、もう長くない、か」
魔物の私にも、人間と同じ赤い血が流れている。脈もある。不思議な感覚だ。
私は、苦笑いしながら、ほづみに見られないうちに、洗面所に飛び散った血液をお湯で洗い流した。