四番勝負~血を呼ぶバラ
嵐は去ったものの、移香斎の心模様を反映するかのような
すっきりしない天気であった。
それと言うのも、嵐の夜の合戦の翌日、
十人の鎧武者の死体で、対馬の国は大騒ぎになった。
引き取り手は、来るはずがなかった・・・・・・。
役人が来て取り調べを受けるわ、見物客は押し寄せるわ、
移香斎は時の人となり、鶴姫宅は益々観光名所となった。
おまけに、人の口には、戸は立てられぬ。
鎧武者たちの身元と狙いを憶測し、噂が、噂を呼んだ。
その噂の中に出てくるある由緒正しく有名な流派は、
実は移香斎も見当をつけていた流派と同じであった。
移香斎は内心、どこの流派でも良かったが、
こう五月蝿くなるのは御免であった。
そんな時に限って、ややこしい来客がやって来る。
いかにも南蛮渡来の異装をまとった者である。
一見、男かと思ったが、女であった。
今でいう、男装女子である。
しかも、薔薇の花が咲いたかのように美しい。
見物客は、大喜びした。
「ごきげんよう、鶴姫。」
その客は、華麗に挨拶をした。
舞台女優のように、実に様になっておる。
『 こやつ、できる。』
移香斎は、油断できぬ敵とみなしたが、
いかなる武術を使うのか、皆目わからなかった。
「 この方は、フランスのある貴族の御令嬢。
正式名はよくわかりませんが、
ローズと 呼ばれております。
華麗な外見とは裏腹に性格は冷酷無比で、
しかも殿方には興味を示しませぬ。
以前から、私に言い寄っておりました。」
鶴姫から説明を聞いた移香斎が、
『 同性愛者とは実にもったいないことじゃ、私が・・・・』と
思った途端、鶴姫に物凄い目で睨まれた。
拳の一つも、飛んで来そうな気配であった。
『 私もまだまだ、心を読まれるようでは未熟じゃな。』と
苦笑いした。
そんな二人の様子に嫉妬するかのように、
ローズはツカツカとの庭の隅に生えている柿の木の下に
歩み寄った。
「 あの偉人さんは柿が珍しいんじゃろか。」
「 いやいや、木に登って、柿を投げるんじゃろ。」
「 それじゃあ、猿カニ合戦じゃねえか。」
人々は、面白がった。
まったく、能天気な極楽とんぼである。
嵐で家に閉じこもりであったから、娯楽に飢えている。
ロースは、懐から紐のような物を取り出すと、
いきなり見物客に向かって、放った。
「 スパーン! 」
今まで聞いたことのない大きな音がした。
鞭である。
室町時代の日本に当然サーカスはなく、
猛獣使いの鞭を見たことがなかった。
SMクラブも存在するはずがなく、
ましてや、現代の壇蜜の映画「甘い鞭」など
知る由もなかった見物客は、顔面蒼白で、
ちびりそうになった。
鞭を振り回して打つと言えば簡単に思えるが、
「しなる」武器は扱いにかなりの習熟を要する。
そのヘッドスピードは音速(およそ秒速340m)を超え、
大きな音が生じる。
これは、鞭の先が音速に達したために起こる空気を叩いている音で、
物体に当たって生じる音とは異なる。
そんな音速であるから、人間の皮膚を容易く切り裂く。
骨まで砕くこともできる。
また相手の手元を狙って武器を打ち落としたり、
直接絡め取って奪うこともできる。
もちろん手足を縛って捕らえることもできるし、
接近して束ねて殴ることもできるし、首を絞めるなど
用途は広い。
さらに相手からすれば攻撃がどこから襲ってくるか、
読みづらいため、防御も難しい、決して甘くない武器である。
ローズは、柿の木に向かうと、さっと鞭を、打った。
約6mの高い所になっている柿が一つだけ、
木端微塵に砕け散った。
並みならぬ技量の持ち主である。
見物客は、恐れおののいた。
何人か、ちびった者もいた。
鶴姫も、ローズの異名、ブラッディ・ローズの意味を
初めて理解した。
この鞭で打たれれば、ひとたまりもない。
血にまみれ、のたうちまわるしかない。
赤い返り血を浴びて、高らかに嘲笑するローズの姿を想像し、
愛しい人の身を案じた。
そんな中、移香斎だけは、違った。
新しい玩具を見つけたかのように、瞳をキラキラさせた。
ローズに近寄り、身振り手振りで、鞭を貸してくれるように頼んだ。
『 何だ、この和人は。 頭がオカシイのではないか。
ど素人ができるはずがない。
まあ、鶴姫の前で、恥をかくがよい。』
ロースは、内心馬鹿にしたが、笑顔で貸してくれた。
かなり、性格が悪い。
移香斎は、鞭を手に、柿の木に向かった。
同じように、約6mの高い所になっている柿に向かって鞭を打った。
柿に当たらなかった。
『 それ、見たことか。 この猿めが。』、
ローズが馬鹿にした瞬間、柿が二個同時に落ちてきた。
移香斎は、二個の柿がなっている枝を打ったのである。
それだけではなかった。
もう一度、鞭を打った。
何とあろうか、空中で、一度に二個の柿が砕け散った。
これには、見物客は湧いた。
「たまや~!」と叫ぶ者まで いた。
「 お前様、鞭を打ったことがあるのですか。」
興奮した鶴姫に、移香斎は、答えた。
「 いいや、今日が初めてじゃ。
まあ、もっとも我が国では武士の教養として
武芸十八般があっての、その中に鎖鎌術と
投げ縄などの捕り手術があるからの。
基本は、同じじゃ。」
あくまで、驕ることなく、涼しげである。
鶴姫は、もうたまらなく愛おしかった。
『 剣は、拳の延長なり。
武器と人が完全に一つになってこそ、
本物の技となる。 』
移香斎は、鵜戸明神の教えを思い出していた。
ロースは移香斎の技を見て、誇りを傷つけられて、
頭に血が上るような性格ではなかった。
活きのよい獲物を見つけた女豹のような
凄味のある笑みを浮かべた。
移香斎が血にまみれ、のたうちまわる様を想像して、
ゾクゾクしていた。
移香斎の命乞いをして、泣き叫ぶ鶴姫の様を想像して、
喜びにわなないた。
完全なSの性癖である。
ローズに鞭を返した移香斎は、木剣を構えた。
いつもの如く、八方目で穏剣の構えである。
何も知らない見物客には、こいつやる気あるんかいと
思ったであろう。
しかし、ローズは、この和人から、こちらのどんな攻撃にも
対応できる柔軟さと強靭さ感じとっていた。
それくらい読み取る技量はある。
慎重になり、もう一本、鞭を取り出した。
ローズは、双鞭術の使い手であった。
二本の鞭が生きているかのように移香斎を襲った。
交互に、音速で、あらゆる方向から、
脳天、首、肩、胴、腰、足、体中を襲った。
どこにせよ、移香斎とて人の子、生身の人間、
皮膚は裂かれ、骨は砕かれるであろう。
内臓破裂するかもしれぬ。
移香斎は、ヒョイ、ヒョイとかわし、あるいは木剣で
鞭の先端をすかしたり、弾いた。
楽しくて、たまらない。
木剣ともども首をからめとろうとする鞭を、
身をかがめながら、木剣を斜めにして、滑らし、かわした。
驚くべき動体視力であったが、移香斎にしてみれば、
あの人知を超えた敵に比べれば遅く、
技の「起こり」、ローズの狙いが容易に読めた。
後の世に、北斗神拳伝承者なるケンシロウが
ウイグルの双鞭の攻撃を見切り、蝶々結びにしたことは
誰も知る由はなかった。
ローズはあくまで強気に攻める。
双鞭の勢いが増々、激しくなる。
華麗に、美しく、舞っているかのようであった。
それは、破壊の女神・インドのシヴアを思わせた。
誰もが、移香斎が反撃の糸口を見つけられず、
血の雨が降るのも時間の問題であると思っていた。
移香斎だけは、早く必殺技を見せてくれと心待ちにしていた。
そんなことはつゆ知らず、ローズは、頃合い良しと考え、
必殺技を放った。
「 ベルサイユの赤い薔薇 !!」
右手の鞭を束ねて移香斎の上空に高く投げた。
大輪の薔薇が、宙に咲いたように見えた。
ジットしていれば、頭上に落ちてくるであろう。
かと言って、うかつに動けぬ。
一瞬、悩んだ瞬間、左手の鞭が毒蛇のように
まっすぐ首を狙って、飛んで来た。
それだけではない。
鞭の陰になるよう、右手でブーツに仕込んだナイフを
下手投げしたのである。
まさに、綺麗な薔薇には棘があるであった。
見物客は、ナイフが見えず、鞭にやられたと思った。
鶴姫は、ナイフにやられたと思った。
ローズも、勝利を確信した。
ところがどっこい、その瞬間、移香斎の姿が消えた。
すべての攻撃をかわしていた。
ナイフは、完全に鞭の陰になって見えなかったが、
この頃の移香斎は、敵の攻撃の前に白い光が
観えるようになっていた。
敵の思念が具現化したと言ようか、
それをかわせば実際の攻撃はかわせるのであった。
一瞬で、間合いを詰めた移香斎は、
木剣を、神速の勢いで振り下した。
木剣の刃筋は正確にローズのシャツと下着を捉えた。
肌を傷つけることのない尋常ならざる見切りであった。
ハラリとシャツと下着がはだけ、見事な胸が現れた。
「 うおお~!」
見物客が喜ぶ、喜ぶ。
「 キャアッ!」
ローズは、鞭を手放し、両手で胸を隠した。
やはり、女である。
その喉元にピタッと移香斎の木剣が、突きつけられた。
その瞳は決していやらしいものではなく、澄んでいた。
思わず惹きこまれるような瞳であった。
ローズは悟った。
『 この和人が、本気で木剣を振り下ろしていれば、
私の命はここに美しく散っていたでしょう。
これほどの達人は見たことがない。
鶴姫が愛しているのも、納得できる。
私の負けだわ。』
ローズは、素直に負けを表すような女ではなかった。
「Bravo!」(最高)
移香斎の首筋に抱きついた。
鶴姫に見せつけるかのように、胸を隠さず、
頬にキスをしたのである。
移香斎は、鶴姫の手前、困った顔をしたが、
満更でもなかった。
「うひょお~!」
見物客は、これから始まる恋の三角関係に
どよめくのであった。
空には、太陽が笑うかのように輝いていた。