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Mに幸あれ。  作者: 土田美嘉
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雌に禍あれ2


昨日、テニス部をやめてきました。はい。

一言で片づくわたしの薄っぺらい青春、笑いたくば笑えばいい。


自宅と学校の往復に彩られ、社会の歯車としていよいよ機能を開始したようです。

仮入部でしたから、お試しでしたから、後ろ髪引かれることなくラケットを捨てました。


「美嘉は、優しいから勝負ごとに向いてないよ。無理に誘ってごめんね」

竜ちゃんの気遣いに、わたしは額に青筋を浮かべました。果たして鏡で確認したわけではありませんが、小説のry


学校から帰ると、PS4のサッカーゲームに興じるだけのマシーンとなったわたしに、ある日母は危機感を抱いたらしく一枚のチラシを差し出しました。

「これ行ってみない?」


それは学習塾の案内でありました。全国展開もしていて、安心安全を謳った原発のように大きな塾でした。有名校に受かった功績を写真つきで恥ずかしげもなく載せる先輩方を軽蔑しながら、わたしは首を傾げて誤魔化すことに徹します。


でもわたしには、わかっていました。母が有無を言わせず塾通いを強制することを。

母も所詮雌です。禍あれ。


テニスに目覚めた竜ちゃんは、みるみる肌を小麦色に変色させていきました。まるで別の生き物です。日焼け止めを毎日わたしが塗ってあげてるのに、ビーチバレーの妖精のように黒い。まあ元がいいので慣れると味があります。


わたしは、予想通り塾通いの身分に落とされました。入塾試験の成績が箸にも棒にかからなかったため、断られると思っていたのですが、下から二番目のDクラスで励むことを許して頂けたのです。わーお、やっさしー。

はあ……、死ね。


塾の女子トイレにいた雌二匹に、男子と間違えられました。美嘉ちゃん格好いいから男子だと思ったーとか、誉めてるつもりか。喧嘩売ってんじゃねえよ。

メンズものの黒いカットソーにデニム、コンバースのハイカット、ニューエラのキャップを目深に被っていたので男子に見えたのかもしれません。


二人は違う学校の子たちでしたが、やけにわたしになれなれしく接してくるのです。これには参りました。

他校のわたしに分け隔てなく接してくれ、会話にまぜてくれます。底辺の涙ぐましい仲間意識とは実に厄介なものです。


初日はそんな二人と薄っぺらい友情を育んで終わりました。元よりやる気も熱意もないのです。竜ちゃんが羨ましい。打ち込めるものを見つけたのだから。


わたしの住む家は、築うん十年の戸建です。二階建てで、バーベキューのできるちょっとした庭なんかもあります。一度、BBQをしたら、隣の住民もやってきてタダ飯にありつこうとした時は、殴りたくなりました。もうやりたくないです。


塾から疲れて帰り、白い玄関のドアを開けると、家の中から大きな物音がしました。続いて怒鳴り声も聞こえます。

リビングのドアを開けて、わたしは身動きが取れなくなりました。


母が赤鬼のように歯をむき出しにし、フライパンを振りあげている所に出くわしたのです。

父は叱られた子供のように泣きべそをかきながら、手で頭を庇ってソファの陰に隠れようとしています。


あ、こいつ死んだな。映画なら鼻をほじりながら静観もできます。でも我が家のことですから、恐ろしさのあまりわたしは背中を向けていました。


 五


どこをどう歩いたのかわかりません。気づけば、シャッターの下りた近所のパン屋の前にわたしは立っていました。


そこには、アコースティックギターをかきならす、一人の若い雌がいました。流行のボブカットに、細くまっすぐ伸びた首筋と喉元は白さが際だっています。

曲はLOVE PSYCHEDELICO。曲名は知りませんが、本家と同様、意味は分からないけど何か耳障りのいい英語の歌詞をわめいております。


甘美な音律奏でる雌の唇が、キスする時のようにすぼめられたので、わたしは目を背けてしまいました。結構美形の雌ですが、クタクタの英字プリントのカットソーと、ダメージジーンズにVANSスニーカーといったわたしと似たり寄ったりの格好が目に付きます。


しばらくすると曲が終わり、阿呆のように立っていたわたしと、雌のミュージシャンはいよいよ対峙しなくてはならなくなりました。

「聞いてくれてありがとう」


掠れた声と共にわたしに頭を下げると、彼女はギターを仕舞って立ち去りました。

わたしは、興味引かれました。後を尾けます。

彼女は一件の真新しい外観のアパートの前で立ち止まりました。 

「どうして後を尾けてくるの?」

「歌の代金払ってないから、です」

女性は片手を振って、わたしを追い払おうとします。

「趣味みたいなものだからいらない」

「でも」


どうしてわたしは、この女性にお金を渡そうと必死なのでしょう。詰まるところわたしは、一人になるのが嫌だったのです。

「あれ? 君」 

女性はわたしの前髪をかきあげました。それから子犬を撫でるように髪をとかしてくれます。

「暗い所にいるから、男の子かと思った。女の子だ」


これには少しむっとします。日に何度も間違えられては女子の沽券に関わろうというものです。

「帰りなさい。遅い時間だから」 


彼女はわたしの怒りに無頓着です。その時、わたしのお腹がくすんと鳴りました。同時に家での騒動が思い出され、涙があふれてきました。

「え? え? どうしたの……」

女性は慌てふためきます。ざまあみろ。雌に禍あれ。


安っぽいファミリーレストランに、わたしは連れて行かれました。家族で一度来たことがありますが、あの時はなんて幸せだったんだろう。暢気に輸入肉のハンバーグを口にしていたわたしと、今では雲泥の差があります。


「何か食べよう。好きなの頼んで良いから」

テーブルにつくと、女性は早口で言って、見栄えだけはいいメニューを突き出してきます。

「ハンバーグセット……」

それだけ言うと、再びこみ上げる恐怖に耐えきれず、わたしは俯いて膝の上で拳を握りしめました。

「わかったそれにしよう」

女性は感情を伏せた声で肯定します。

ですが、彼女はオーダーしようとはしません。

「頼むの苦手なのよ。君だけで頼んで」

わたしは、ふいに笑い出しそうになりました。良い年をした大人が、オーダーを躊躇しているのは情けなく映りました。

「人に好みを知られるのが嫌いなの」


さぞ生きづらいでしょうね、こういう人は。社会の歯車になるのを拒否して、音楽で反抗しているのでしょうか。

わたしの疑問を感じ取ったのか、女性は大きく出ます。


「人の懐心配してる? 歌は趣味だって言ったでしょ。パフェでもなんでも頼みなさいよ、ほら!」

テーブルを騒々しく叩きます。急に直情的な雌の本性を表したのでびっくりしました。生理かよ。


わたしがハンバーグセットを頼むと、やっと椅子に深く座ってくれました。

女性は水を勢いよく飲み干し、息を整えています。

「それ食べたら帰りなね」

わたしは返事をしません。どうしたらこの雌と長い時間過ごせるかを考えていました。竜ちゃんに寄生したように、この雌に寄生するつもりでした。


「親と喧嘩した?」

わたしは、首を振ります。

「彼氏と? それとも友達?」

本当のことを話したかったけれど、会って数時間の雌に家庭問題を詮索されると、結構ムカつきます。あまり具体性の話ができないのが悔やまれました。


「お父さんと、お母さんが……」

でも結局、話さずにはいられなくて、雨だれ式にわたしの見たことを語りました。

「何だ。よくあることじゃん、それ」

女性はあっけらかんと、わたしの不安を払おうとします。

「でも怖かったし」

「浮気でもしたんじゃない。お父さん」

冗談混じりに言うことか。

よく知りもしない人に、お父さんを軽く扱われ黙っているわたしではありません。

「お父さん、そんなことしない」

「そうね。きっと勘違いだよ。家に帰ってごらん、もう収まってるだろうから」


女性はまた水に口をつけました。わたしは彼女のつやつやした唇に目を奪われました。歌っている時もそうでしたが、厚くって色っぽい唇です。

「何じろじろ人の顔見てるの?」

「いえ……」


この雌はわたしと一緒にいる時間を少しでも削ろうとしている。こっちだって少し落ち着いてきたからもう用済みだとふんぞり返ってやります。

「やっぱり君……」

女性は言いかけてやめました。

わたしには、彼女が何を言いたかったのか、何となくわかっていました。


家に帰ると、あれだけ散らかっていたリビングは研ぎすまされたように整頓され、返って違和感がありました。


両親は無言でテーブルを囲んでいます。

父は目元に絆創膏を張って、それでも無理に笑っているように見えました。


母は無表情のまま、わたしの帰りが遅いのをなじりました。塾の友達と夕食を済ませたことを伝えると、自分の部屋に逃げ込みました。

家を出る前より、静けさを取り戻した今の方が居心地が悪いのは何故でしょう。


きっと、母の雌全開の顔を見た後だからでしょう。嫉妬に狂った雌の顔がわたしにもはりついていると思うと、ひっぺがえして取り替えたくなります。

雌に禍あれ。

 

 六


竜ちゃん、帰ってきてください。

わたしはその一言がなかなか口に出せません。


テニス部の虜になった竜ちゃんは目を輝かせ、いかに先輩のボレーが素晴らしいかを語って聞かせてくるのでした。


新興宗教の信徒はあんな感じなのです。視野が狭くなるのです。


洋服を一緒に買いに行こうと誘っても、部活が忙しいと断られます。インスタも更新しなくなりました。フォロワーたちをどうするつもりなのでしょう。放置プレイ?


竜ちゃんがわたしに構わなくなったせいで、学校での立場も危うくなったではありませんか。女子のグループに混じるのは苦手です。


今更、男子と一緒にドッチボールをするわけにはいきません。教室は白か、黒どちらかしか選べないのです。 


塾に通っても身が入りません。先に待つ夏期講習に体を拘束されるのも憂鬱の種でした。

こんなことなら部活を辞めなければよかった。


そうこうするうち、期末テストに突入したのです。わたしは塾で詰め込んだにわか知識を披露し、まあまあの成績を収めました。


ところが部活馬鹿になった竜ちゃんの方が良い点数を取って表彰されたのです。これは許せません。LINE無視してやります。

 ……、嘘です。スタンプ押しまくりです。馬鹿みたいでしょ?

くそっ! 竜ちゃんのくせに、黒いくせに、テニスがうまくて、成績いいからって、調子のんな。可愛いけど。


やだよー、夏休みになって会えなくなるよって伝えたら

「離れた分だけ絆は深まるんよ」

思わせぶりな言葉で翻弄するのです。

あいつ、見透かしてんな。

わたしは、竜ちゃんの手のひらでころころ転がされる人生を歩む気がします。


「君は本当に竜ちゃんが好きでたまらないのね」

アコギを持った雌がわたしをからかいました。


夏期講習を終え、みみっちい塾の校舎を出て、通りを一つまたぐとパン屋さんがあって、店の前でライブをしている人とわたしは仲良しになっていました。一ヶ月くらい前、ご飯を奢ってもらった縁が続いています。


「いやいや、友達として好きだって話です」

わたしが否定すると、お見通しと言わんばかりに彼女は目を細めます。

「そういうことにしときましょうね。じゃ、今夜のラスト」


魔術のようにコードが編まれ、わたしを魅了します。

しっとりと胸に沁みいるバラードです。

欧陽菲菲のラブイズオーバーでした。知らねえよ、世代じゃないし。


八月の小うるさい夜は更けていきます。

わたしが塾から駆けつけてから、二曲か三曲弾くと彼女はいつもギターを仕舞います。


彼女は、ヒミコさん。武蔵野美術大学造形学部の学生らしいです。歌は気晴らし、趣味、娯楽と断言します。その割、素人のわたしにもわかるくら奏法は完璧だし、歌も少し掠れた声が耳に馴染みます。


「ニコニコ動画とかに上げたら金取れますよ」

「無理。身バレすんだろ。めんどくさい」

小鼻をふんと鳴らします。

ヒミコさんに、商売っ気は皆無です。そこが尖ったアーティストっぽくて魅力的でした。


小さい橋を渡っていると腹に響く音が辺りに轟きました。目を上げると、遠くで花火を上げているらしい。

「竜ちゃん、今頃浴衣デートかもね」


わたしは、歯ぎしりしていました。ヒミコさんは時々、意地悪です。それも意識しているからたちが悪い。

「そんなの聞いてないし」 

「わかんないよー、キスくらいならすぐにできるんだから、さ」


ヒミコさんは屈むと、わたしの唇に厚みのある唇を押し当ててきました。それから舌でさんざんわたしの唇をねぶったり、口の中にも押し入ってきて滅茶苦茶しました。あ、何かされてんなというのはわかりましたけど、反応できなかったです。


「こんな風にね」

解放されたわたしは、ヒミコさんを押し退けて一歩距離を取ります。


ヒミコさんは、急に我に返ったのか紅潮した顔を隠そうと手で覆いました。

「……、ごめん」

何で謝るんですか? ふざけんなよ。

わたしは、ヒミコさんを置いて走り出すと泣きながら家に帰りました。

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