太鼓に願いを
【第43回フリーワンライ】
お題:
物語の中だけの存在
身空の夢
ことだま
フリーワンライ企画概要
http://privatter.net/p/271257
#深夜の真剣文字書き60分一本勝負
中年の男が一人、倉庫でガラクタを漁っていた。
肥満気味の体型でぴっちり張った衣服に汗など滲ませて、ひいふう息を上げながらやっているのは整理だった。
中年男の名は額田太郎といった。彼は事業に失敗し、多額の負債を抱え込んでしまって、先頃会社を畳んだところだった。資産を吐き出して負債に充てなければならず、倉庫整理もその一環だった。
倉庫はバブルの折に土地目当てで手に入れた物だったが、例によって例の如くバブル崩壊以後は毒にも薬にもならず、処分も転用も出来ないまま宙ぶらりんになっていた。
そんな文字通り死蔵であっても、固定資産は固定資産である。少しでも負債の足しになればと、今日は早朝から飯も入れずに作業し通しだった。
正午もとっくに過ぎ、流石にこれ以上は倒れかねないと、額田太郎は休憩を取ることにした。
運び出した木箱にどっかり腰を据えると、ペットボトルのキャップを切って一気に煽った。冷たい。冷やされた温度以上に冷たく感じる成分が、舌先を刺激して喉の奥へと滑り落ちる。体温が頭の方から冷えていくの感じる。勿論それは錯覚だったが、自動販売機で買ってきたワンコインの安物スポーツドリンクが、今は何よりもありがたく感じた。
いっそ、この癒やされ流される喉の渇きと一緒に、借金も消えてくれれば良いのにと思わずにいられなかった。
その不埒な思考が祟ったか、突如バキッ! と大きな音を立てて、中年男の体重を支えきれなくなった木箱の天板が割れた。
「うわっ!」
情けない悲鳴を上げて、木箱に額田太郎の尻が落ちる。罵詈雑言の間に舌打ちを挟みながら立ち上がると、木箱の角を蹴り飛ばした。自然、靴よりも硬い木箱の角で足を痛め、さらなる罵詈雑言を重ねる始末となった。
額田太郎は腹立ち紛れに木箱の中から適当なサイズの物を掴み上げ、今度はそれで木箱を殴りつけようとした。
ポコン
その時に間抜けな音を立てたのは、振りかぶった片手の先からだった。気勢を削がれた額田太郎が、改めて箱から掴んだ物を見ると、それは小な柄付きの太鼓だった。
「こりゃ懐かしいな」
思わず呟くのも当然で、それはでんでん太鼓だった。
触るのは何十年振りになるだろうか。昔、田舎に帰った時、小学生の自分に祖母が出してくれたのを思い出した。
手首を回すと、太鼓の側面に紐で結わえられた玉が「てん、てん」と軽快な音を鳴らせた。興が乗ってしばらく鳴らしていると、箱からはみ出した紙が目に入った。時代を経て古いくたびれた紙だ。どうにも気になって、引っ張り出して広げてみる。
『願い太鼓』
今手に持って弄んでいるでんでん太鼓とまったく同じ形の図版とともに、そんな一文が書かれていた。読んでみると、どうやらこの太鼓の使い方であるらしい。
(口に出した願いが叶う太鼓、か……)
もしも叶うなら事業失敗回避か、いやいや、それよりも唸るほどの金がいいか。
思わず真面目に考えてしまい、吹き出してしまった。くだらない。そんな物はお伽噺の中だけのことだ。子ども騙しの玩具に真剣になってどうするのか。
「願いねえ。そんなもの、叶うなら試してみたいもんだ」
照れ隠しでそう呟いた。
が、とはいえ……一度考えてしまったものは、やはり気になった。
(どうせ減るものじゃなし)
太鼓を鳴らすのと同じ気持ちで、童心に返って騙されてみるのも一興だ。どうせ明日から見たくもない現実を直視させられるのだから、少しぐらいは羽目を外したって構うまい。
(ええと? 太鼓を鳴らして、願いを口に出す、だったか?『ことだまがあなたのねがいをかなえます』、ねえ……)
スナップを利かせてリズム良く鳴らした。何も起こらなくても――起こらないに決まっているが――こうして子どものように振る舞えば、空しさも紛れることだろう。余計につらくなるかも知れないが。
ぽんぽこぺん
「願います、願います、この倉庫いっぱいに収まりきらないこの地上にあるありったけの金塊を出してください」
本当は現金の方が良かったが、それでは子どもの願いとしてはあまりにも生々し過ぎたのでやめた。実際の金塊などは処分するのに手間がかかって、労力とコネが必要になってしんどいだけだ。
ぽこぺんぽこぺん
でんでん太鼓だけが空しく鳴り響く。
「はーあ、馬鹿馬鹿し――!」
音もなく、というより、音を置き去りにするほどのその衝撃は、爆発と言って差し支えなかった。
吹き飛ばされた額田太郎は奇跡的に無傷だった。目を回しながら起き上がると、その上に大量の石ころが押し寄せてきた。
「なんだなんだなんだ!?」
悲鳴を上げて飛び上がる額田太郎が見たものは、前面が半壊した倉庫から止めどなく溢れてくる金色の洪水だった。陽光に照り光るそれは紛れもなく金塊の奔流だった。
瞬間的に察して手許の太鼓を見やる。でんでん太鼓もまた無事だった。
「ほ、本物だったのか……? やったぞ! 大金持ちだ!」
金塊の山を目前に、文字通りに目のくらんだ額田太郎。処分ルート云々や、こんなに大量の金をどこから手に入れたのかと間違いなく疑われるだろうが、それら懸念はひっくるめて全てどこかに流されてしまった。そういえばスポーツドリンクのボトルはどこへ行ったか、それも流されてしまったらしい。
浮かれて万歳していた額田太郎だったが、いつまでも鳴り止まない金塊のお互いにかち当たり擦れる音で、はっと現実に引き戻された。
自分は先程、何を願ってしまったのか。
『この地上にあるありったけの金塊』と言わなかったか。
もしそれが、ことだまの力によって言葉通りに叶ったとするなら。
十六万トン。以前に興味本位で調べた数字が脳裏に浮かび上がった。現在、地球上に存在する金の総量は十六万トンだ。
十六万トンもの質量がこのまま倉庫から垂れ流されたら一体どうなる?
気が付くと、いつの間にか胸の辺りまで金塊の波が押し寄せていた。いずれ一面金の海に埋め尽くされ、自分もまたその水底で窒息することだろう。
額田太郎は力の限りでんでん太鼓を振り回した。地割れの如き金塊の濁流音の中にあって、不思議と太鼓の音は響き渡った
べこんべこんべこんべこん
「わ、やめだ! やめろ! 止めろー!」
しかし、一向に金塊が止まる気配はなかった。
握りっぱなしだった説明書を開く。説明書きの最後に、「いちどねがったことはとりけせません」とあった。
金でもう喉元まで埋まりかけていた。
(そんな……もう駄目なのか……?)
絶望感に打ち拉がれる額田太郎の体が、金の渦へと沈んでいく。頭の上に捧げ持っていたでんでん太鼓まで金塊に埋まり、
ポコン
どういう具合か、金が太鼓に当たって間抜けな音を立てた。
それを聞いて、額田太郎は閉じかけていた目を見開いた。太陽の光が遮られ、もう真っ暗闇しか見えなくなっていた。
(いや、待て、待て待て待てよ。違う、願いは違うぞ)
意味はないかも知れないが、額田太郎は声も張り裂けんばかりに叫んだ。
「お試しは終わりだ! "試しに"は終わり!」
それこそ心の底からの願いだった。
突然全身を包んでいた圧迫感は消え去り、急激な光の洪水が目に飛び込んできて、額田太郎はまたしても目をくらませた。
今度の光は太陽の光だった。
街を飲み込みかけた金塊は綺麗さっぱり消えてなくなっていた。
でんでん太鼓は柄が根元から折れて壊れていた。どうやら力を失ったらしい。
残った物は価値のない土地とおんぼろの倉庫と、そこから運び出した得体の知れないガラクタだけだった。
大金持ちの願いはこの身には過ぎた夢だったのか。
額田太郎は消え去った金の圧迫感の代わりに、徒労感を背中に感じ、溜息とともに肩を落とした。
『太鼓に願いを』了
とんでもない願いをしてしっぺ返しを食らう的なアレ。ミダス王とか。