6 セリアンスロープは踊り、会議は乱れる
セリアンスロープ編
満天の星の下、夜気に包まれ向きあう二つの人影がある。
「これからは、なかなか会えないかもしれない」
ブルラーグは、目の前の女性を抱きしめたい衝動にかられたが、それを無理やり抑えこんだ。
彼はいわゆるセリアンスロープという種族で、猫科の顔をしており、尾があり、腕や足にふさふさの毛が生えていた。
「そんなことないわ。仲良くやれるはずよ」
返事をした女性もセリアンスロープである。
ヴィムという。
彼女も彼と同じような容姿をしていたが、目の光と雰囲気はブルラーグに比べ格段にやわらかい。
また、女性らしい丸みを帯びたラインが、服の上から浮かびあがっていた。
「ああ、仲良くやっていけるはずだ。そのためにも、僕は絶対に成しとげなければならないんだ」
「何をするつもり?」
ヴィムの声は不安げだ。
祈るように、両手を重ねている。
「今の僕じゃ、皆に声が届かない」
「あなたは、まだ若いから……」
「ああ、僕たちは若い。だけど、いや、だからこそ、僕たちが動かなければならないんだ。今やらないと、このままじゃ僕たちは争うことになる」
「私たちがいっしょになることが、友好の証になるんじゃなかったの?」
「父たちはそのつもりだったようだけど、今となっては難しい。こうして二人で話すことさえ、嫌がる人もいる」
嫌がる、というのは、控えめな表現だった。
ヴィムに心配させないために、ブルラーグが言葉を選んだにすぎない。
ブルラーグは、南の部族であるズワールの人間だ。
ズワールでは、北の部族であるビラを滅ぼすべきだと、戦気を燃やす者たちも少なからずいた。
おそらく、彼女の属するビラの中にも好戦的な者たちはいるだろう。
彼らからすれば、こうして二人が秘密裏に会うこと自体、とても了承できないはずだ。
「いつまで、会えないの」
「わからない」
ブルラーグは正直に答えた。
彼女には、嘘をつきたくなかったのだ。
具体的な数字をあげることは、現状では不誠実につながる。
「一月の間に、大きく変わってしまったわ」
「そうだね」
一月前、彼と彼女は婚約者となった。
だが、一月後の今、婚約などなかったことにされている。
「――わかった。私はいつまででも待つから」
わずかな沈黙の後に、ヴィムは言葉をつむぎ、そして微笑んだ。
「二年後――ニ年後にもう一度二人で会おう。たとえ、状況が好転していなくとも、もう一度会って、その時二人の気持ちを確かめよう」
こんな約束はすべきではない、とブルラーグは思った。
だが、彼女の微笑を見て、口を開かずにはいられなかったのだ。
二人は会う場所を決めた。
「次に会う時は、私たちが家族になる時ね」
「……ああ、必ずそうなる」
困難であることはわかっていた。
だが、これこそが彼らの偽らざる本当の気持であったのだ。
「どうやら、ブルラーグは失敗したようだ」
皮肉に口を歪ませて、ジャグは楽しそうな口調で言った。
この場にいる誰よりも逞しい身体をもった男である。
ズワール(南のセリアンスロープ)では、セリアンスロープが長の家に集まっていた。
長の他には、長老たちが一〇人座っている。
「かもしれないな」
ズイラーグが冷静に答えた。
彼はズワールの長であり、ブルラーグの父であった。
皺が増え、筋肉の衰えに老いが見られるが、それでも充分、この場にいる人間を圧倒する威厳をそなえていた。
両部族の長の子たちの婚約が破棄されて、二年が経過しようとしていた。
ここ一年の間、ズワールでは、頻繁に会議が行われている。
ビラ(北のセリアンスロープ)と戦うのか、戦わないのか、というのが命題である。
戦うべきだ、という意見の急先鋒が、会議でもっとも大きな声をあげている若者、ジャグであった。
戦うべきではない、という意見をジャグと戦わせていたのが、長の息子であるブルラーグであった。
だが、ブルラーグの姿はこの場にない。
「かもしれない? 長と言えどもどうやら自分の息子にはあまいらしい」
挑発するように、ジャグが笑う。
「なるほど、あいつは失敗したのかもしれん」ズイラーグは泰然としている。「だが、あいつの失敗は、あいつに能力がなく、長の資格がないということを示しただけだ。おまえが喜ぶようなことではあるまい。あれがいないからといって、あれの意見が間違っていたことにはならないし、まして、おまえが長にふさわしいことにはならない。そうではないか?」
冷静にズイラーグが言い放った。早くもなく遅くもないその口調は、充分な説得力を持っていた。
憎々しげな眼で長を見ながら、ジャグが黙る。が、黙りこみはしなかった。
「ならば、俺が長であるにふさわしい功績をたてれば良いということだな」
「功績を立てれば、おまえを認める者も現れるだろう」
「俺が長になるのも、文句はないのだな」
「功績をあげることが、長になることに直結するわけではない。長になるための条件の一つを達成したというだけだ」
短絡的な若者を、長はたしなめた。
「しかし、長よ。この若者の言葉にも、一理あるのではないか。我らに何かもたらすことができるのなら、それは次代の長にふさわしい資質の一つであろう」
長老の一人の言葉に、ズイラーグの表情がやや動いた。
意外であったのだ。
ジャグは長にふさわしくないと、ズイラーグが思っているように、長老たちも同じ考えであろうと彼は考えていた。
基本的に、ことを荒だてることをさける節のある長老たちは、どんな功績をあげようと、性格に問題のあるジャグは選ばないと思っていたのだ。
なのに、長老の一人はジャグに機会を与えようとしている。
事なかれ主義の長老たちでさえ、今の状況に危機感を抱いているということかもしれない。
危機感を抱き意思を示すことは重要であり、意見を述べることは、歓迎するところだ。
だが、安易な解決法に飛びつくことはしてほしくない、と、長は考える。
長老たちの言動は、悪い方向に作用するかもしれない。
「――それで、おまえは何をするつもりだ?」
ズイラーグは、ジャグに先をうながした。
「ブルラーグと同じことをしてもいいが、俺は、魔族よりもまず、ビラのやつらをどうにかするべきだと思っている」
「……戦をするつもりか?」
「長は反対なのだろう?」
「――早計だ」
「ふん」ジャグが鼻で笑う。「戦をするつもりはない。だが、まあ、目に見える形で手柄を立てよう」
「おまえ一人の暴走で、皆を巻きこむようなことをするなよ」
「よほど、長は戦がしたくないらしい」嘲笑すると、ジャグは席を立った。「あいつらよりも先に俺たちの祖先はこの地に住んでいた。こちらの寛大さにつけこみ、あいつらは住む土地を勝手に増やし、そして、今ではこちらの言葉に耳を貸そうともしない。そういう卑しいやつらだ」
「おまえの見解は、一方的なものだ」
「あいつらよりも、俺たちは強い。そして、数もまさっている。あんたが、なぜ、戦うという決断をくださないのか、俺にはまったくわからん。あいつらがいなくなれば、食料の問題も解決する」
二年前に、やっかいな魔族が森の奥に棲むようになって、狩りがうまくいかなくなり、ある時期を境として食料がいっきに減った。
魔族におそれをなし、獣が逃げだしたというのが大きいだろう。
この問題を解決するために、ブルラーグは魔族を倒すことを提案したのである。
だが、すぐに、魔族討伐の旗をあげることはできなかった。
魔族の調査がなされたからだ。
魔族の調査は遅々として進ます、二年の月日が流れ、ようやくブルラーグは、魔族の討伐に出たのである。
だが、人数をさくことは許されなかった。
ビラを警戒してというのもあるが、もう一つ問題が生じていたからだ。
他の下位魔族の出現が増えたのである。
森の奥に棲んでいるような強い魔族ではないとはいえ、その存在はやはり脅威である。
村を無防備にするわけにはいかなかった。
結局、ブルラーグは一人で魔族退治を行うことになった。彼は、その功績によって、自分が次期長にふさわしいことを示すと宣言し、村を後にしたのである。
「彼が言うのも、もっともなことだと思うが?」長老の一人がさらにジャグを後押しする。「ブルラーグが失敗したというのなら、あの魔族を倒せる者は、ズワールにはいないということだろう。数をそろえられれば何とかなるかもしれんが、それでは、ビラに隙を見せることになる。いずれ、魔族も倒さなければならないが、まず、ビラを服従させてからのほうが安全であろう。ジャグの言うように、食料の問題にも光が射す」
「魔族を倒せる者がいないというのは、気にくわんが……」一瞬、ジャグの瞳が凶暴な光を帯びた。「長、俺を推す人間もぞんがいおるようだぞ」
勝ち誇るようにジャグが大声をあげて笑った。
長は、ジャグを後押しした長老の顔をうかがう。
その長老は、バーブグといい、魔族調査の責任者であった。
普段、あまり意見の言うことのない老人である。
長の視線に気がついているだろうに、バーブグは表情を動かすこともなく、反応をまったく示さなかった。
長には、バーブグの感情がまったく読みとれない。ズワールの未来に、黒雲がたちこめる気配を、長は感じた。
かろうじて保たれていたセリアンスロープの平和は、彼ら自身の剣ではなく、ある者たちの来訪によって、壊されることになる。