32 ボルポロス公国
ボルポロス公国は、モーリス・ヴァン・ボルポロスを祖としている。
彼はパルロ国王の弟で、兄のため国のために貢献した男だった。最初にその働きが顕著に見えたのは、第二次人魔争覇、あるいは第二次人魔戦争と呼ばれる人類の存亡をかけた戦いの時である。
この戦いは、ヒューマン、エルフ、勇者、黄金竜などの活躍により人類の勝利に終わるのだが、戦いの爪痕は深く大きなものであった。パルロ国の消耗は激しく以前の繁栄を取りもどすことは、容易なことではないように思われた。
さらに、魔王と上位魔族を倒したとはいえ、魔族が全滅したわけではない。下位魔族は変わらずに存在していたのである。
魔族が南下し、魔族の支配領域が増加する可能性があった。
この時、モーリスが立ちあがった。
彼は現在のボルポロス公領におもむき、魔族の壁となることを申し出たのである。
王は承諾し、弟をボルポロスに派遣することを決定した。パルロ国からの援助は、金銭・人材共にほとんどなかった。
モーリスが訪れた時、その地は戦争によって荒廃しており人の存在がまったくない状態であった。
だが、女神ミルフディアの大神殿のみは整然と美しく、そこに存在していた。
モーリスは奇蹟と思えるその光景を目にし、魂を震えあがらせる。彼は大神殿を拠点として魔族に対抗し、町の整備を行っていった。
モーリスは半生をかけてこの大事業を成功させたのである。
王は、モーリスにボルポロス領を与え、ボルポロス公に叙勲した。また、貴族としてではなく、一つの国として独立を認めたのである。
ここにボルポロス公国が誕生することになった。
モーリス・ヴァン・ボルポロスは、評価と賞賛を受けるのに値する人物だ。彼の名は、歴史という書に永遠に刻まれることとなったのである。
だが、晩年の、この人の評判はあまりよくない。
欲望が顔をのぞかせ、我がままの手を各所に伸ばすようになったのだ。幸いだったのは、モーリスがすでに政治から身を引いていたことだろう。
その被害の多くは、彼の周囲の人間にのみ向けられたのである。
ただし、時には、パルロ国にモーリスの欲望の手が伸ばされたこともある。
パルロ国では、すでに新王が即位していた。
王自身は叔父にあたるモーリスに対して遠慮の必要を感じていなかったのだが、叔父の功績は確かなものであり、また、父からも叔父に手厚く接するようにと何度も求められたこともあり、強くでることができないでいたのだ。
モーリスの変化がもっとも顕著に現れたのは、女性に関してであった。
彼は若い側室、愛妾を多く囲い、そして子を多く生ませた。
すでに長男が政務を執りその有能を証明していたので、後継者問題は起こるはずもなかったのだが、モーリスの女狂いは悪い形で芽吹いてしまった。
もっとも若い寵姫に執着を見せ、寵姫の産んだ生まれたばかりの赤子を後継者にしようと画策を始めたのだ。これが現実になれば、公国は二つに割れパルロ国の介入を招き、ついにはボルポロス公国は消滅していたかもしれない。
だが、モーリスの行動が表面化することはなかった。
趣味として好んでいた狩りの最中に、亡くなってしまったのである。一人、森の中へ分け入ったところで、彼は獣に遭遇し、あえなく命を散らしたのだった。
その後、新たに起ったボルポロス公の行動は早かった。
父が晩年にこしらえた側室と愛妾たち、その子供をすべて宮廷から追いだした。子供たちには、ボルポロスを名のることを許さないという徹底ぶりである。たとえ、後に名のりをあげても認めることはなく、それどころか詐称の罪を断じてことごとく処刑した。
混乱はほとんど生じることなく、新たなボルポロス公による治世が始まった。
モーリスが死ねば公国の力は衰えると、パルロ国では口にする者たちもあったが、新たなボルポロス公のもと公国の力はさらに発展することになったのである。
モーリスの死に関しては疑惑が残った。だが、当時の人も後年の人も何ら文句を言うことはなかった。真実がどうあろうと、現状に満足していたからである。
公国の発展をその身に実感していた当時の人々は、新たなボルポロス公の治世を歓迎したし、後世の公国の人々にとっては、モーリスと言う英雄の晩節を汚す姿など知りたくもなかったのである。
ごく一部の書物にのみ疑念が記されていたが、ほとんど人々の目にとまることはなかった。
現在のボルポロス公国は、経済と文化の中心地として繁栄している。
ジルド・ヴァン・ボルポロスは、取巻きを連れて城塞都市ミルフディートの町中を歩いていた。
彼はボルポロス公であるウードル3世の孫にあたり、次のボルポロス公となる若者だ。
ウードル3世は息子に厳しくあたり、最後には息子を魔族との戦いで死なせてしまった。自らの教育に悔やむところがあったのだろう。孫には正反対の教育方針をとり、あまやかして育ててしまった。
ジルドは子供の頃に悟ってしまった。
自分に逆らえる人間はいないのだ、と。
さらに悪かったのは、ウードル3世に近づくことができない者たちが、少年の傍に自分たちの息子を送りこんだことだ。
彼らは、ジルドに英明な君主として育ってほしいなどと少しも期待していない。自分たちの都合を聞いてくれさえずればよい、と考えていた。
その親の意思のもとに、息子たちはジルドに近づいたのだ。
ジルドの周囲は、腐臭まじりの甘い匂いが漂うようになり、彼は祖父の願う道からは大きく外れることになった。
こうして彼は、二〇歳をこえた今でも欲望の制御がうまく働かない若者へと成長した。
何も面白いことが起こらず徐々に不機嫌になっていたジルドの目に、とある少女の姿が飛びこんできた。
右手に槍を持ち、武装した勇ましい姿である。
「おい、ナギサ」
ショートカットの明るい鳶色の髪をした少女が、ジルドの声に反応して振りかえる。彼女は一瞬顔をしかめ、無表情になった。
「どこに行くんだ」
「マリー様に聞いてください」
「は? 何で私がそんな面倒なことをしなくちゃならない」
ジルドの取巻きたちがナギサの周囲をかこんでいく。少女はちらりと視線を投げただけで、他に反応はしなかった。
「それより、もう行っていいですか?」
「ダメだ」
「つきあってられない」
「何だと? マリーのお気に入りだろうが、そんなものは私には通じない。舐めた口を叩かないことだ!」
「何、幼稚なこと言っているの? ほら、あんたの馬鹿さかげんが笑われているじゃない」
バカにしたように笑ったナギサの視線は、ジルドの背後に投じられていた。彼は振り返り、確認する。
引きつった顔を見せて視線を避ける群衆の中にあって、表情の変わらない男が一人いた。
気に食わない。
「おい、おまえ! 誰を見て笑っている」
指先で示したにもかかわらず、黒髪黒目の間のぬけた顔をした男は、自分であるとわかっていないようだった。
男の傍にいる二人の女が何やら声をかけている。
二人の女は、どちらもタイプは異なるがかなりの美形である。いや、一方は絶世と言ってよい美しさをしていた。
これは良い獲物を見つけた。ジルドの欲望が反応する。
「殿下。女が逃げていきますが」
ジルドが視線をやると、すでにナギサの背中は人の波に消えるところだった。
「まあ、いい」
ジルドは美女を連れた男に向かって歩きだす。
あんな男が美女を連れる理由など、奴隷以外に考えられない。どこかの商家の息子と言うところだろうか。
「おまえ」ジルドは黒髪の男の前に立った。「その二人を置いていけば見逃してやろう」
「一つ質問をしたいんですが、よろしいか?」
口答えをした男に、ジルドの取巻きたちが口を開く。
「その態度は何だ!」
「殿下のお言葉に対して、何という態度を!」
「口を慎め!」
「まあ、待て。騒ぐな」
ジルドは取巻きたちを抑えた。これでいくらかこの男も、分をわきまえることになるだろう。
「みんな同じことを言って、無駄」
ぼそりと声が響いた。
ジルドは声を発したと思われる黒髪の凛とした少女を見たが、そこにあるのは無表情のみで何かを口にしたとは思えない。
周囲を見渡すが、彼と視線を合わさないように全員が顔をさげた。例外は、黒髪の男と隣の極上の美女のみだ。
「殿下ということは、まさかとは思うけど、あなたはボルポロス公の世継ぎということでしょうか?」
男が言う。
ようやく、ジルドの偉大さがわかったようだ。
「そうだ。私がジルド・ヴァン・ボルポロスだ」
「それは……困ったな」
「言葉づかいに気をつけろ。だが、まあいい。ようやくわかったようだな。では、さっさと二人を置いてこの場から去れ!」
「あなたは変わる気はあるのか?」
「なに?」
「それが、答えか。いや、普通は答えられないか」
「貴様、いいかげんにしろよ」
怒るジルドの耳に、何かが倒れたような重い音が聞こえてきた。
「いいんですか。あなたの家臣が倒れているみたいだけど?」
「あ?」
確かに傍に気配を感じない。
全員が倒れていた。
「何をした!」
「何って、何もしてませんが。というか、後ろにいる人間が倒れているのに、なぜ、目の前にいる男を疑えるのかがわからない」
「知るか! 嘘を――」
ジルドの首に衝撃が走る。
意識が刈りとられる寸前まで、彼は黒髪の男を見ていた。執念深いジルドの瞳は語っている。絶対に、この男を許すつもりはない、と。
ジルドは宮廷で目を覚ました。
豪奢のベッドから起きた彼は、不愉快そうに髪をくしゃくしゃとかいた。
「おい!」
「何でございましょうか?」
ドアの外からすぐに反応が返ってきた。
「入れ」
「はっ。失礼いたします」
ドアを開けて入ってきた男が頭をさげる。
「黒髪黒目でおかしな顔をした男を捜し出せ! 二人、女を連れている。二人とも美人だが、一人はとんでもない美しさだ。すぐにここに連れてこい!」
ひどく抽象的な例をあげられた男は、何か言おうとして口を閉じた。
運が良い、とジルドは思う。
言い返せば、この男は明日からこの場からいなくなるのは当然だが、身体の一部も無くなっていたことだろう。
「何をしている! さっさと行け」
結局、ジルドは三人組を逃すことになった。彼らはすでに、ミルフディートを後にしていたのである。
だが、有力な情報が得られた。
それは、ナギサと行動を共にしているというものだ。つまり、行先は冒険者の町である。
一挙に解決できる手段が何かないか、ジルドは考えこんだ。
自分を馬鹿にした連中を、彼は絶対に許すつもりはない。




