22 変わりゆくもの、変わらぬもの
「ジークはこれからもっと強くなるよ」
「ジークはこんなものじゃない」
「今は僕が先陣を切っているけど、いずれ僕の方がジークを支えることになると思う」
能動は、ジークセイドがいないところで、よく彼のことを褒めていた。
オフィーリアに聞かせてくれた、能動の本心なのだろう。
だが、オフィーリアは、そんな能動のことを少し歯がゆく思っていた。もっと自分自身のことを認めていいのだ。誇ってほしかった。
将来のことはわからない。だが、今皆がついてきているのは、誰あろう能動なのである。
彼女はまっすぐな彼のことが好きだ。
慎ましやかなところだって、好ましい。
能動は、公正で皆に優しい。
でも、彼は、時々、自分についてくる人のことを、自分を思っている人のことを、忘れてしまっているような気がする。
慕われている自分に、戸惑っているような気がした。
自分は、たいした人間ではない、と線を引いていた。
「そんなことないよ」と、口では否定するけれど、オフィーリアは二人きりになると、ついつい口を尖らせてしまった。
「あなたがいなければ、みんな変われなかった。もしも、ジークがあなたよりも強くなったとしても、今があるのは、あなたがいたから。あなたでなければ、ダメだったのは、本当のことだから」
能動は困ったように笑っていた。
だから、訊ねたことがある。
「なぜ、そんなにジークのことを褒めるのですか?」
「僕というより、こいつが教えてくれるんだ」
そう言って能動は、鍛えられし希望を軽く叩いた。
言葉だけを聞くとごまかされたような気がしたが、彼の表情には偽りがなかったので、オフィーリアは「そうですか」と頷くしかなかった。
――オフィーリア、もしも僕がダメだった時は、ジークのことを頼むよ。
「無理です……」
オフィーリアは呟く。
彼女は地面に直接座っていた。白かった神官衣は、逃走で薄黒く汚れている。
オフィーリアの周囲にあるのは、夜の暗闇。暗闇は、彼女たちが逃げ隠れることを助けてくれたが、精神までもその色に染めようとしていた。
うめき声や助けを乞う声。
今まさに失われていく命もあった。
能動を失った解放軍のなれの果てが、ここにはある。
「無理です」
口中でもう一度言う。
彼女は両膝に顔を埋めた。
能動の跡を継ぐとしたら、弟しかないとはオフィーリアも思っている。
能動の意思を無に帰さないためにも、弟を助けてもう一度起ちあがるべきなのだろう。
だが、そんな気になれない。
彼女にとっては、能動こそが勇者であった。
それ以外の者は認められなかった。
失うべからざる者を、オフィーリアは失ったのだ。
しかし、思いは消えない。
深く大きな愛情が簡単に無くなることはない、むしろ強く濃く凝縮しようとしていた。
愛情を注ぐべき対象を失い、彼女の真摯な感情は大きく変容を求められる。
その時、彼女の耳がある会話を捉えた。
「あの人が起ちあがれば、成功するんじゃないか」
「今考えれば、あの人だけが常に勝ち続けていたんだ。今回、逃げられたのも、あの人が後ろで戦ってくれたからだろう」
「あの人がもっと早く十人会議になっていたら――」
「あの人がもっと大人数を指揮できていたら――」
「あの人が、一番上に――」
白い仮面の男――坂棟のことを評価している声だった。前までは、別行動をすると言って、むしろ非難する声が多かった。能動のおかげで坂棟は居場所があったのに――。
「あの人なら――」
期待している声ばかりが上がっている。
坂棟に希望を抱き、それはすがる声だ。
あれは、能動ではないのに――。
何て身勝手な人たちだろうか。
「でも、やっぱり王様には誰もかなわないんだ……」
オフィーリアのすべてが王様と言う単語に反応した。
能動の命を奪ったのは、パルロ王だ。
オフィーリアの思考が動き出す。
そもそもなぜ王が現れたのだろうか?
あれは突然のことだった。
裏切者がいたからではないか?
王と取引をして、生きのびようとした者がいたのではないか?
負け戦で、唯一戦場から離れていた者がいた。
それは作戦会議で皆の反対があがる中、自分の主張を強引に推し進めた者――坂棟だ。
あの男がすべてを仕組んだのではないか。
助けるふりをして、自らのためだけに影で動いていた。
皆のために戦う能動とは、まったく逆の男。
オフィーリアは、坂棟も能動と同じ異界者であることを知っていた。
優しすぎた能動は、同郷であるということもあり、あの男に心を簡単に許してしまった。
そして、能動は罠にはめられたのだ。
そうでなければ勇者である能動が死ぬことなど、あるはずがない。
彼は彼女に約束したのだ。
生きてかえる、と。
彼が彼女との約束を違えるはずがないのだ。
あの男が悪いのだ。
坂棟という男を許してはならない。
パルロ王と裏切者の坂棟。この二人だけは何があろうとも許されるべきではない。
穢れのないまっすぐすぎる思いであったからこそ、愛情は大きくその姿を変容していった。純粋な白から、混沌の黒へと。
それは憎悪と呼ばれるものだった。
「バーンさん! 死なないでください」
ジークセイドが叫んでいる。
「――僕がもっと考えるべきだったんだ。もっとやり方はあったはずなんだ」
バーンの声は弱々しい。
「バーンさん!」
「勢いだけで、思いだけじゃ、やっぱりダメだったのかなあ……」
「――バーン、さん……」
「ノウドウ様ともっと一緒に戦う……は……ず……」
「バーンさん」
だが、オフィーリアの力では足りない。
彼女の両手がきつく握りしめられた。
オフィーリアでは、坂棟は殺せないのだ。
彼女は、顔を上げる。
希望を見つけた。
女神官の瞳は力を取り戻し、バーンの死を嘆く弟の背中をじっと見ていた。それは、暗い情念の宿った瞳であった。
能動の死から二週間が経過していた。
坂棟はラバルに帰還していた。
本来坂棟は、南部へ同盟を結ぶために行ったのだが、解放軍は同盟相手としてあまりに未成熟な組織であり、ふさわしくなかった――建国したばかりのラバルが言う事ではないが。
そこで、坂棟は、人材確保とラバルの士官の訓練、さらに「坂棟」という個人名を売ることを新たな目的として、解放軍で行動を始めた。
前二つは説明不要だろう。
問題は名を売るということだ。
「坂棟」という名を売るのは、将来ラバルが、ヒューマンとかかわりを持つ時に、民のために戦った男として「坂棟」という名があれば、いくらか種族間の溝を埋めることに寄与するのではないか、と考えたのだった。
セリアンスロープなどの種族は受け入れられないが、「坂棟」がいるのならという論理である。
ラバルに戻った坂棟の顔には、すでに仮面はない。
彼は、素性を曖昧なものにするためのカムフラージュとして、仮面をしていた。
特徴的な顔、異界者という情報は、必要のないノイズなので排除したのだ。
仮面の効果は不明である。
むしろ、妖しいという別の効果をもたらしたかもしれない。
ラバルの行政府にある坂棟の執務室には、部屋の主とその従者がいた。
坂棟とラトだ。
新旧さまざまな事案を処理した後に、坂棟は、パルロ国南部での戦いについて、ラトへと感想を述べていた。
「たかだか、二月にも満たない時間を過ごしただけなのに、情によって行動するとは思わなかったな」
坂棟の表情には苦笑が忍ぶ。
「違いますね。お館様は、感傷をお持ちになっただけです」
「同じことだろう?」
「いいえ、感傷の相手は、解放軍の者たちではありません。元の世界に対しての未練です」
「未練、ね」
「はい。仮に、解放軍の人間たちに、それほどの思い入れがあったのなら、お館様は、あの戦にもっと積極的にかかわったはずです。しかし、実際は、自ら定めた限度から一歩も踏みだしておりません。その後の対処も冷静なものです。人によっては、酷薄と取るかもしれませんね。優秀な人材まで彼らから引きぬいてしまったのですから」
「冷静に、酷薄か」
坂棟は、従者の自分に対する人物評を耳にしながら、どこか楽しげである。
「パルロ王に対して、何もしなかったのは、彼が交渉相手となるかどうかの見極めができていなかったからでしょう。そして、いくらか可能性を感じると考えたから、攻撃しなかった。目の前で多くの人間が死んでいる中、そのような判断ができることこそが、お館様が彼らに対してたいした思い入れのなかったことを証明しています」
「坂棟とかいうやつは、戦の最中にそんなことを考えていたのか?」
他人事のように坂棟は言う。
「為政者とは、そういうものでしょう?」
「為政者としてというより、俺自身の性質や本質のような気もしてきたよ」
「気に入りませんか?」
「そうだな、未練があるというところが気にいらない」
「元の世界に対して、思いがありはしませんか?」
「それはおまえの思い込みだろ。俺はべつだんあちらの世界が嫌いなわけじゃないから、思い出すことくらいはある。それは未練とは違う」
「お館様は、元の世界に戻りたいとお思いですか?」
「現状ではありえないし、おそらく俺は帰れない」
「どういうことでしょうか?」
「時間が足りない」
「時間が足りない、ですか?」
「忘れてないか、俺は人間なんだよ。この身体は、おまえたちに比べてはるかにひ弱だ。能動のようにね」
「能動なる者とお館様を同列に扱うのは、どうかと思いますが」
ラトが顔をしかめる。
「あの少年に能動の思いを継ぐことができるかな」
「言うほど、能動なる者がたいしたことをやったとは思えませんが。短い期間に人が集まった、ただそれだけのことでしょう? 何も残していない」
「確かにあいつにあったのは、思いだけだった。だからこそ、どうなるかわからない。形のない思いを種としたなら、何が育つのかは簡単には見えない」
坂棟は視線を虚空に遊ばせた後、ラトに命じた。
「影鬼の準備はできているんだったな」
「はい」
「パルロとアルガイゼム、それに、ボルポロス公国に放て」
「承知しました」
ラトは諜報部隊の教育を終え、すでに彼らを実戦に投入できる段階まで育てていた。
諜報部隊には、二種類ある。
影鬼と呼ばれる者たち。構成員は一二人。
死鬼と呼ばれる者たち。構成員は、一八七人。
いずれも鬼のみで、構成されている。
この二者は、影や闇に属するという意味では同じだが、異なる部分も多くあった。
もっともそれを表しているのは、生死に関する考えだ。
影鬼は、死ぬことを許さず、殺すことを許されていない。彼らは影にまぎれ、他国の組織や社会へと溶けこむことを目的としていた。
死鬼は、足手まといとなるのなら、自ら死を選び、また、必要ならば相手を殺すことを是としている。彼らは、闇となり、人の背中をとることを目的としていた。
王の命令の下、ラバルの諜報部隊がついに世界に解き放たれたのである。
「まったく無様な姿ですね」
ミュラーゼンは、包帯でぐるぐる巻きとなった上司を見下ろしていた。
彼の上司であるロッドガルフは、ベッドに身体を埋めている。
「まあ、そうかもなあ」
のんびりとロッドガルフは答えた。
ミュラーゼンが思わず殺意をわいてしまいそうなほどに、いつもと変わりない。とても数日前まで、生死の境をさまよっていたとは信じられない心身の様子である。
ロッドガルフを発見したのは、ミュラーゼンが無理やり組織した捜索隊であった。
本来ならミュラーゼンは、自身でロッドガルフを捜索したいところだったのだが、追撃の指揮を彼は任されており、その任を放りだすことは当然できなかった。そこで、何とか捜査隊を自軍の中から捻出したのだ。
これが結果としてロッドガルフの命を救うことになった。
「あれほど強いやつがいるとはな、驚いたよ」
「いったい、何人を相手にしたのです?」
「言ってなかったか? 一人だ」
「一人? 何の冗談です?」
「冗談か。確かに冗談みたいな強さだった。俺が逃げきれたのは奇蹟だ。ただただ、生きのびるために防御し、一瞬だけ生まれた隙に、わき目も振らず逃げだした。あの時、追撃されていれば、俺はここにはいないな」
「本当に、あなたが相手にならないほどの敵だったのですか?」
「ああ、しかも、まだまだ余力を残していた。全力ではなかったな、あれは……なぜ、俺は死ななかったんだろうな」
「自分が死ななかったことを、不思議がらないでください」
「でも、不思議だろう?」
「オーダルオン城塞に王軍が向かった時、すでにもぬけの殻だったらしいですからね。退却したんでしょう」
「……たとえ、そうであっても、どうやって城塞にいた叛乱軍は、本隊の敗北をそんなに早く知ったんだ?」
「それは――たまに、鋭いことを言いますね」
「白い仮面の男と、あの大男こそが本当の敵だったのかもしれないな」
さすがに、八将までのぼった人だと、久しぶりにミュラーゼンはロッドガルフを見なおした。
たまに、見なおす言動をこの上司はするのだ。
「陛下は、仮面の男のことを調査しているようです」
「見つからないだろ」
「サカムネ、というらしいですよ。仮面の男の名は」
「サカムネ……」
ロッドガルフが外を見る。
王都エルファール。その中にあって、ここは王宮に隣接しており、ごく一部の者のみが居住を許された地域だ。
喧騒からはほど遠い。
ロッドガルフは、静かな世界を見ていた。
「ムトス殿に剣を習うかな」
「冗談でしょう」
「なぜだ?」
「あなたが人に教えをこうなんて――本気ですか?」
「さあな」
異界者叛乱編 了




