20 敗北する者たち
蒼一角馬で空を駆け、戦場へと坂棟がたどりついたのは、能動の首がさらされて、五分後のことであった。
上空から戦場を見下ろした彼は、状況を完全に把握した。坂棟でなくとも、すぐに理解は可能だっただろう。すでに戦の帰趨は明らかとなっていたからだ。
能動は討ちとられ、解放軍は敗北の道を転げ落ちている。
坂棟は、右腕を振り上げ力を振るおうとしたが、やめた。
小さく息を吐き、もう一度戦場を見る。
念による感知で、ジークセイドとドラード、それにバーンの位置がわかった。
ジークセイドとドラードは、おそらく八将と思われる相手との戦闘を継続している。バーンは、本陣にいて動いていない。
能動の意思を尊重するのなら、この三人は救う必要があった。彼ら三人が生き残ったならば、再起の可能性がわずかばかり残る。
ラバルにとっても、その方が都合は良い。パルロ国に火種が残ることになるからだ。
坂棟は舌打ちした。
思考の内側で、感情が蠢いていることを自覚したからだ。
わずか一月半ほどの生活が感傷を生んでいる。できるだけ助けたいという思いが、彼の中に確かにあった。
同郷者のあまい理想が、知らない内に彼の心の中に溶けこんでいたようだ。
坂棟は、蒼一角馬から跳び降りた。数百メートルの距離を降下していく。
彼の視線の先にいるのは、ジークセイドだ。
まずい状況だった。ジークセイドは自らの器を超えた力を振るっている。
ジークセイドの神法力が暴走気味であるのは、能動の死に対してやけになっているからだろう。今は、それが有効に働き、八将を攻撃で圧倒しているが、すぐに電池切れを起こすに違いない。そうなれば、たとえ八将から勝利を収めたとしても、力を失ったジークセイドはパルロ兵に討ち取られることになるだろう。
坂棟は地面に着地した。重力などまるで無視した、花が舞うような軽やかさである。
だが、次に彼が取った行動は、花という表現の似合わない、無慈悲な行動だった。
近くにいた王軍の兵士、一〇人の首が宙を飛んだ。
壁となっていた兵を斬り倒すと、坂棟は戦う二人の間に割って入る。
暴走しているジークセイドに平手打ちをし、同時に、坂棟はジークセイドへ向けられていたヴァレウスの斬撃を弾いた。
「いつまで感情に溺れているつもりだ?」
坂棟は、さらにジークセイドの反対の頬をひっぱたいた。
ジークセイドは目をしばたく。
「正気に戻ったか?」
「僕は――」
「能動はおまえのことを希望だと言っていた。なら、能動が落ちた今、おまえは死ぬわけにはいかないんじゃないのか?」
「ノウドウが……ダメだ。ノウドウの首をあんな状態にはしておけない」
坂棟はジークセイドの視線を追った。
長槍に人間の頭が突き刺さっている。
わかりにくいが、あれが能動なのだろう。
「わかった。だが、おまえは逃げろ。本陣にバーンがいる。彼と合流して退却するんだ」
「嫌だ。僕はここから退かない」
「なら、とりあえず馬を奪え」
坂棟は走り出した。だが、彼に剣刃が襲いかかる。
坂棟は剣で受けた。
「八将か?」
「きさま、騎馬隊の――何者だ?」
「今は、時間がない」
坂棟は目の前の男に剣を振るう。
だが、彼の剣は防がれた。
「く――きさま、本当に何者だ? なぜ、仮面を」
「八将への評価を改めよう」
「何様のつもり――」
より速くより威力の高い坂棟の一振りは、だが、ヴァレウスにかわされた。
避けたというよりは、退いたといった方が、ヴァレウスの行動に合っていた。
攻撃を受ける前に、その場を離れたのである。
それが、たまたま坂棟の剣を避けることにつながった。
「私が逃げた、だと? 叛乱軍風情の攻撃に?」
剣を構えたまま、ヴァレウスは呻く。
坂棟は、ヴァレウスの吐露を気にすることなく、彼の顔に向けて突きを放った。
ヴァレウスは、目の前に迫る尖った剣先に対して、自らの剣をかざす。
高い音が響き、ヴァレウスの剣は砕け、勢いに負けた彼は倒れながら、兜で守られた額に坂棟の剣を受けた。
倒れたまま八将を跳び越え、坂棟はそのまま走りぬける。
ヴァレウスの命がまだあることを知っていたが、彼は時間を優先した。
坂棟が進むたびに、彼の剣は兵士の首を次々と刎ねた。王軍の中央が、凄まじい勢いで割れていく。
坂棟は跳んだ。その先にあるのは首をさらした長槍だ。
長槍を斬り倒し、能動の首を左手で受け取る。
着地すると、坂棟は馬を二頭奪い、一頭はそのまま自分が乗り、もう一頭は空馬のまま連れていく。
撤収である。
帰りは、来た時以上に速度がはやい。
馬に乗っているということもあるが、王軍の兵士が坂棟を恐れ、向かってこないのだ。彼は無人の野を行くかのごとく、馬を駆けさせた。
ジークセイドは、同じ場所で突っ立っていた。坂棟の馬を奪え、という言葉は、耳に入っていなかったらしい。
ヴァレウスの姿はすでにない。
「乗れ」
「坂棟、あなたは何者だ?」
「おまえが気にするべきは、解放軍の兵士たちじゃないのか? 本陣のバーンを拾って、退くんだ。兵の指揮は彼に任せろ。行け」
「あなたは?」
馬に乗ったジークセイドに、坂棟は能動の首を渡した。
「さっさと行け!」
坂棟はジークセイドの馬の尻を剣の腹で叩く。
馬は、二本立ちして鳴いた後、駆け出した。
ジークセイドは、一度振りかえったが、その後は、坂棟の言葉を受けいれたようで、本陣へと一直線に進んでいった。
坂棟は馬をその場で振り返らせる。
光が王軍の兵士を巻きこみながら、迫ってきていた。
坂棟とジークセイドの両方を狙ったものだろう。
光は、坂棟の三メートル前で消失する。
坂棟が念で握りつぶしたのだ。
ジークセイドが充分に離れたことを念で感知すると、彼は馬を再び駆けさせた。
解放軍の右翼は、ずたずたとなっていた。
ドラードが指揮をとれない状態にあるのだ。
八将、もしくはそれに準じる者が直接ドラードを抑えこんでいるようだ。その隙に、別の者が王軍を指揮し、解放軍を攻撃しているのだろう。
有能であるが故に、高い戦力をぶつけられ、ドラードが最も痛めつけられていた。
だが、まだ死んでいない。
――惜しいな。
と、ローバンは思う。
敵将であるドラードについての感想だ。
王軍は現在、追撃戦に入っている。
戦うための象徴であるノウドウを解放軍は失い、さらに解放軍右翼では、ドラードという有能な指揮官もいなくなった。精神の支えと用兵の技術を失った解放軍右翼は、戦うことをやめて、今は斬られるために存在しているかのようなありさまだった。
ローバンは、部下に指揮を任せていた。
すでに戦は終わっている。
王は解放軍を全滅させるよりも、政治的な決着により公然とした解決を民に示すだろう。必要なのは頭の首だけだった。
同国人が殺し合うのは益がない。
ローバンは今、一騎打ちを見ていた。
八将ムトスとドラードの戦いである。
珍しい戦いであった。彼らは同門なのだ。
無限魂魄流をともに修めている。それは、神法術ではない、特別な術によって戦う、侍の業である。
結果はすでに見えていた。
ムトスの勝ちだ。
すべての面において、ムトスがまさっていた。
ムトスが何事か話しかけているが、ドラードは一切答えず、ただ戦うことに集中している。自らが劣っていることは自覚しているのだろう。さらに、敵軍の中に取り残されていることもわかっているはずだ。
つまり、命の砂はすでに尽きていることをあの男は知っている。
それでも、なお、ドラードは最善を尽くそうとしていた。
あっぱれな男である。
ここで命を落とすのはもったいない、という思いが、ローバンには沸いてしまう。
この男には、まだ可能性がある。
「将軍!」
「なんだ?」
「あれは何でしょうか?」
「あれとは何だ。曖昧な物言いを――」
勝敗はわかっているとはいえ、そうは見られない強者同士の一騎打ちの邪魔をされ、ローバンはやや不機嫌に視線を投じた。
王軍の兵士が暴れている。
姿の見えない巨人にでも殴られているかのように、人の波が大きく揺れていた。
そして、騎馬が一体、空中を飛んだ。
跳躍ではない。
まさに、飛んだというのがふさわしかった。
兵士たちの頭上を軽々と飛びこえて、兵士の身体を踏み潰して着地する。
馬が大きくいなないた。
あっけにとられていた兵士たちが、馬上の主に槍を突こうとしたが、槍は斬り裂かれ、さらにその持ち主たちの身体も鎧ごと斬り裂かれた。
馬上にあるのは、白い仮面をした男。
その姿は戦場にあって異質だった。
「なんだ? 何をした?」
ローバンは、仮面の男と目が合った。
英気と烈気とが溢れている。
視線が重なったのは、一瞬。
すぐに仮面の男は、一騎打ちへと介入した。
ムトスは、仮面の男の存在に気づいていたようだ。すぐに、ドラードを馬から弾き飛ばして、刀を向ける相手を変える。
両者は一合打ちあった。
仮面の男はそのままムトスの横を通り過ぎ、曲芸のような体勢でドラードを地面からすくいあげると、馬を駆けさせる。
周囲は、当然、王軍の兵士ばかりだ。
だが、仮面の男は王軍の中を突き進む。
彼の突撃を止められる者はいなかった。
人間の身体が簡単に分断され、命の飛沫が撒き散らされた。
いずれも王軍の兵士だ。
「道を開けよ!」
将が言ってはならぬ言葉。
敵をやすやすと逃すなどあってはならない。
「その者に攻撃をするな!」
だが、ローバンは叫んだ。
あれに関わってはならない。
あれは、人間の皮をまとった死神だ。
ローバンの命令によって、騎馬から兵士が逃れていく。
仮面の男の力を見ていた兵士たちはすぐに逃げたが、そうでない者たちにとっては、意味不明の命令である。命令を聞かない者もいた。
追撃戦で勢いにのる王軍左翼に、小さな混乱が生じた。
「ローバン殿の命令は間違っていない。あれに兵士が挑んでも無駄死にするだけだ」
ムトスが、ローバンの傍に馬を進めた。
彼は、腕を止血している。
「その腕は?」
「わかりませぬ。だが、引かねば私は腕を失っていたでしょう」
ムトスは深手を負っていた。
鎧を外し、紐で簡単に止血をしているが、すぐに本格的な治療をする必要がありそうだ。
「あんな男が、解放軍にいたとは……」
ローバンの一言は、この場にいた全員の思いであっただろう。
そして、あの仮面の男は、なぜ敗戦となるまで、戦場に現れなかったのかに疑問を覚えた。
後に、オーダルオン城塞を陥落させたのが、白い仮面の男であったと聞かされた時、多くの者たちが城塞にこもった者たちの油断が招いた結果だと考える中で、この場にいた者たちだけが、大きく頷いたのだった。
あの男ならばありえる、と。
白い仮面の男の存在によりわずかな混乱こそ生じたものの、大勢に影響はなく、追撃戦によって、解放軍と称した者たちは、ザルグ平原から一掃されたのだった。




