19 ザルグの会戦 終曲
能動は、本陣に突入すると馬から跳び下り、周囲にいた兵士たちを薙ぎ払った。
鍛えられし希望が、能動に応えて、薄く光る。彼が剣を振るうと兵は斬り裂かれ、本陣が風圧に飛ばされた。
むきだしたとなった本陣には、いまだパルロ王が腰かけていた。
能動を囲むように王軍の兵士たちが並んだが、彼と王との間をふさぐような位置はとならなかった。
周囲で奏でられている剣戟のかすかな音が、能動の耳に届く。それは、解放軍の兵士が戦っている証。彼の突撃に、何とかついてきている者たちがいるのだ。
「それが希望を鍛えたという剣か?」
敵の侵入を眼前に許したにもかかわらず、ゼピュランス王はまったく動じていない。
座った姿は悠然としたものだ。
彼の傍に立つ武将も、冷静に能動を見ていた。腰には、二本、刀を差している。
「そうだ。勇者の剣だ」
臆面なく言うと、能動は剣を一振りした。
「なるほど。それにしても、ここまで敵の侵入を許すとは、パルロの兵士は大陸最強であるなどと、これからはとても口にできんな」
「陛下、畏れながら一口にパルロ兵といっても、その質には違いがあります。それを無視しての評価は、正当なものとは言えないかと」
「ここにいる兵がパルロで最弱であろうと、敵はろくに武器をとったこともない者たちだ。そのような者たちにしてやられるなど、論ずるに値するのか」
王の言葉に、武将は沈黙した。
能動に対して構えをとっている兵たちの間に、粛然とした空気が流れる。
まったく能動の存在を無視している。
「敵を前に反省会とは、余裕だな」
能動には余裕はなかった。
目の前の男たちは強い。これまで、戦ってきた者たちとは、次元が異なる。
戦いの経験が、強者の見極めを能動に教えていた。
能動とて格段に強くなっている。剣の腕はずいぶん上達した。神法術の扱いも含め、彼に勝てる者など、そういないだろう。
だが、その彼をして大きな圧力を肌に感じていた。
「余裕をなくす理由が、予にあるのか?」
口角を上げて言うパルロ王の言葉に、能動は屈辱じみた感情を抱かされた。
命を狙う者と、能動はパルロ王に認識されていない。命のやりとりをする同等の相手として認められていないのだ。
だが、能動は即座に切り替える。むしろ、パルロ王の余裕は油断であり、自分にとってはチャンスだと思った。
勝機は充分にある、と彼は考えたのだ。
実力が上である者が、弱者に敗北することがたびたびある。原因は、自信過剰による不必要な余裕だ。
能動には、王の姿が過去の強者と重なって見えた。
何とかして、自分にとって有利な状況を作り出す。王の反応を見れば、それは不可能なことではない。
一瞬でも良い。その状況を作り出せれば、厚い雲の隙間から、勝機が光となって零れ落ちてくるはずだ。
絶対に必要なことは、多数を相手にしないことだ。できれば、王の隣にいる存在とも戦いたくはない。
これは、おそらくクリアできる。パルロ王は自身の武勇に絶対の自信を持っている。だからこそ、可能なやり方があった。
強者に対してやるべき提案、それは決まっていた。
「パルロ王に、一対一の決闘を申し込みたい」
「なんだと?」
王は笑った。
「初めてだな。予にそのようなことを言った者は」
「陛下に挑むほどの力があるとは見えませぬが」
「待て。鬼の王と、どちらが強いと思う?」
「鬼の王は、自らの力のみで、王の下までたどりつきました。しかし、この男は他者の力を頼って、ここまで来たのにすぎません」
「だが、鬼の王は、とても万全とは言えない状態であった。こやつは、傷一つ負っていないようだ」
「ならば、私とその者との戦いを見て、陛下は判断を下されますよう」
「いや、予が戦おう」
ここが戦場であることを忘れるほどに、王と臣下の会話は、あまりに普通にかわされていた。
戦場にあっても、たとえ、すぐ傍に命を狙う者がいたとしても、パルロ王は自由であった。
王は、敵を目の前にして、なおこの場の支配者なのだ。
「承知しました」
「というわけだ。おまえの望みのとおりに、予自ら剣をまじえよう」
ゼピュランス王は立ち上がると、すらりと剣を抜いた。
構えるということはせずに、自然体のままに王は立っている。
能動の挑発は成功した。勝利のための前条件は成立したのだ。後は、戦いの中でわずかな勝機を勝ち取るだけだった。
「予の剣は、神々の怒りという。最初のパルロ王にして、初代勇者の愛剣だ。同じ勇者の剣ということだな。どちらの剣が神々の寵愛を受けているのか、それを確かめるのもおもしろくはある」
ゼピュランスの口上を聞きながら、能動は静かに深い呼吸をし、中段に剣を構えた。
ふっと呼吸を止め、鋭く一歩を踏み出す。
一瞬にしてパルロ王を射程圏内に捉えると、能動は剣を突き出した。
王の胸に届くかと思われた剣は、目的を果たすことなく弾かれる。
光が宙に散った。
戦いが始まっても、ゼピュランスに構えはなかった。
彼は無造作に剣を振るう。
能動の攻撃は、すべて直前で弾かれた。
能動は懸命に剣を振るった。彼は、最初から全力だった。自分が持つ最高の力と技術で、能動は挑み続けている。
剣閃は、余人の目には光の乱舞としか認識できていないだろう。
それほど能動の動きは、常人から逸脱していた。周囲の兵士には、一方的に王が攻められていると映っているかもしれない。
だが、実情は異なる。
能動の剣は、ゼピュランスに対して通用していなかった。
実際、王はほとんど立ち位置を変えることなく、能動の剣をさばいているのだ。
あまりに大きな実力差であった。
「なるほど、伝え聞く話はあながち嘘ということではないようだ。確か、悪竜バルバズであったか、おぬしは倒したのか?」
能動の剣は、大きく弾かれ、彼は後ろへたたらを踏んだ。
能動との戦いの最中に、王は、鍛えられし希望について考えていたらしい。
それほど余裕があるのだ。
能動にとって勝機となるはずのパルロ王の余裕は、まだ油断へと繋がっていない。
「どうなのだ?」
「倒した」
構えなおして、能動はゼピュランスの隙をうかがう。
どこかに必ず隙はあるはずなのだ。
完璧な人間などいない。
「その昔、悪竜は勇者に倒され改心したというが、ならばなぜ、勇者の意に沿う人物にまで襲いかかったのか? それとも、おまえは勇者に認められたわけではないのか?」
「さあね」
半ば吐き捨てるようにして、能動は言った。会話の内容は彼の脳内にほとんど届いていない。彼は戦いに集中していた。
絶対に負けるわけにはいかない。彼の後ろには、数十万の人間がいるのだ。こんなところで、落ちるわけにはいかない。
「予の興味は、今、竜王にあるのだ。しかし、それなりに名の知れた竜がおぬし程度に敗れるとは、これでは、本命もあまり期待できそうにない」
「そうかな?」
「おまえは、なかなか強い。異界者であることが関係しているのかもしれぬ。だが、それ以上ではない」
「なぜ異界者だと知っている?」
「顔を見ればわかる」
隙が見えない。
このままでは駄目だ。
彼個人の技術だけでは、ゼピュランスを超えられない。
能動は決意した。
いや、最初からそのつもりだった。
この剣の力をすべて解放して、一撃で王を沈める。
ゼピュランスが余裕を見せて、これまで通り攻撃を受けようとすれば、今度こそ間違いなく王の防御を突破できる。
神剣・鍛えられし希望には、絶大な力が宿っているのだ。たとえ、同等の剣であっても受けきれるはずがない。
だが、攻撃を為した後、能動は大きな隙を生むことになる。剣のみではなく、それを振るう能動も全力を尽くすが故に生じる隙だ。
敵陣真っ只中にあって、それは致命的なものとなるだろう。おそらく、彼の命は、王の配下に奪われることに違いない。
それでも、能動の命をかけなければ、とても倒せない敵なのだ。
無事に帰るという約束を違えることになる。
だが、この絶対者である王を倒せば、後はジークセイドたちが何とかしてくれるはずだ。
能動はそう信じている。
「鍛えられし希望よ。真の力を示せ」
能動の中にある神法力が、すべて神剣に吸いとられていく。
細身の剣は、強烈な輝きを放ち始めた。
パルロ王が目を細める。何が起ころうとしているのか、観察しているようだ。
その瞬間、能動は強く踏み込んだ。
彼の踏み込みの強さを表すように、地面がへこみ、土が舞った。
低い体勢のまま、飛行しているかのようにして、能動は突きを放つ。全力で伸ばされる能動の右腕。
その速度は、これまでの最速。
それは誰にも避けられない攻撃。
鍛えられし希望は、王の胸へと吸い込まれていく。
能動は、コマ送りをするように、すべての光景を視界に捉えていた。
強烈な光が彼の網膜を焼く。
腕に伝わる感触は、強靭な壁。
届くはずの剣は、これまでと同じように目的を果たしていない。
「同じだと言っただろう?」
呟く王の声が、無感情に能動の鼓膜を揺らした。
「剣の力を予が知らぬと思ったのか?」
鍛えられし希望が、同じ輝きによって受けとめられていた。
剣が滑り、互いの鍔が音を立てる。
剣を挟んだ能動とゼピュランスとの間は、わずかな距離しかない。
「やはり偽物か」
「この剣は本物だ!」
「違う――おまえが偽物だと言ったのだ」
「なに?」
ゼピュランスが剣に力を込めた。
能動は後ろへと跳ぶ。
追撃はなく、王は、神々の怒りを天へと振り上げた。
「神剣の本当の力を、おまえに最期のたむけとして見せてやろう」
凄まじい力を感じ、能動は頭上を見る。
光が彼に向かって直下してきていた。
能動は、光の柱に呑みこまれた。
「ほう」
光が消えた後、王は感心の声を上げた。
能動は、鍛えられし希望を両手で持ち、上段防御の姿勢で立っていた。
鎧は失われ、火傷と裂傷で彼の身体は赤黒く染まっている。
息をしている――そのこと自体が奇蹟に思えた。
「耐えきるとは、やるではないか」
「今度は、こっちの番だ――」
息も絶え絶えになりながら能動は言う。
「いいや、違うな。攻撃するのは、予だ」
王は無造作に剣を振るった。
金属のぶつかる高い音がした。
王はまったく揺るがず、能動はよろめいた。
だが、倒れない。
それどころか、自ら王に向かっていった。
身体に力感はない。にもかかわらず、剣先は鈍っていなかった。
しかし、王の攻撃に容赦はない。
能動は守勢にまわった。
それでも彼は耐える。諦めずに、剣を振るった。
戦場の視線が、すべて二人に集まっていた。
勝敗は明らかように見えた。
いつ能動が斬られてもおかしくない。だが、彼は、斬られなかった。体力も尽き、実力差も明確なのに、能動は倒れることなく戦い続けている。
剣を振り、踏みこみ、あるいは、さばき、動きがまったく止まらない。鋭さは失われていた。呼吸は大きく乱れ、肩で息をしている。
それでも彼は戦っていた。
わずかな淡光を放つ、希望の剣と共に――。
「なるほど、その剣がおまえの支えか」
「……この剣は人々の希望だ」
「ならば、その希望とやらを砕くとしようか」
「そんなことはできない! 希望だけは、誰にも奪えない人間の権利なんだ!」
全身傷だらけの中、能動の瞳だけは輝きを失っていない。
剣を構えたまま、彼の眼差しは、王を捉えて決して離さなかった。
能動新樹は、まだ勝負を諦めていないのだ。
「では、見せてみよ――叛乱者よ」
「僕たちは、叛乱をしているんじゃない。解放されるために戦っているんだ! あなたはそれを認めるべきだ」
吐息のような声で、能動は反論した。
鍛えられし希望が、再び強烈な光を放つ。いや、先程よりもその光は強い。
それは、能動の命を燃やし尽くすような輝きであった。
終わりを迎える前の、一瞬の光輝。
対して、神々の怒りも同様に、輝きを放ち始めた。
二つの太陽が地上に現れる。
そして、天をも焦がさんとする二つの輝きが、正面から激突した。
光がザルグ平野を支配する。
光の煌めきは、暴風となって、戦場を駆けぬけた。
光と闇が戦っていた。
天空を飛ぶ、翼人たち。光に包まれたその姿は、冷えた美しさがある。
相対するのは、異形の怪物。鎧のような黒々とした体躯、節の目立つ多数の足。
翼人たちの声が、共鳴し歌になる。
異形の怪物は、何かをこするような奇怪な音を響かせた。
天の半分は、翼人の光輪で満たされ、天の半分は、一二の巨大な怪物と、一体のひときわ大きな影によって、闇に塗りつぶされている。
地上にあるのは、鍛えられし希望を持つ勇者の姿――。
――何かが砕け散る髙い音。
「なんだ、今のは?」ジークセイドが呟く。
「なんだ?」別の場所で坂棟が呟いた。
それは、一瞬にも満たない映像だった。
だが、二人の男の脳裏に確かに焼きついた。
光が消えた後には、二人の男が立っていた。
だが、その姿は対照的だ。
一方は無傷のままで立ち、一方は満身創痍で立ち尽くす。
「な……ぜ?」
呆然として能動は呟いた。
細身の剣にヒビ割れが生じる。刀身に走ったヒビは、ついに神剣にとどめを刺した。こなごなに神剣が砕け散る。
小さな結晶がきらきらと光った。
それは、先程の輝きとは比べものにならないほどに、ささやかな煌めきであった。
能動の手にある鍛えられし希望は輝きを失くし、ヒビ割れ、剣先が失われていた。
「二番煎じが勝てると思っていたのか、異界者よ。神剣は、異界者ではなくヒューマンに授けられたものだ」
王は笑い、無慈悲に剣を振るう。
能動には防御する手段も、避ける力も残っていなかった。
彼は剣の輝きが迫るのを見ていた。
「オフィーリ――」
言葉を終えることなく、能動の首は胴体から分断された。
能動の首が長槍に突きたてられ、高々と戦場にさらされた。
解放軍の希望は失われたのだ。
ただ一人の死によって、一〇万人の潰走が始まる。




