14 ザルグの会戦 破局
太陽が西に大きく傾き、空は茜色に染まっていた。
夜の匂いがかすかに漂ってきた頃、王軍に大きな動きがあった。
それは、神法術師の前線への復帰である。
回復した神法術師によって、王軍は、今日最後の攻勢に出ようとしていたのだ。
最高指揮官であるヴァレウスの命令に従い、神法術師の集団は、ひそかに前線へと移動を始める。
最初に気づいたのは、誰であったか。
神法術師ではなく、彼らを護衛する兵士の一人であっただろう。
「あれは、何だ?」
ぽつりと呟かれた言葉。遠くに見えた影が、時間の流れと共に大きくなっていく。
人間の集団、いや、騎馬の集団が、凄まじい速度で神法術師たちのもとへと向かってきていた。
「向こうから来るなら、味方だろ」
「まあ、そうだろうけど、俺ら下っ端にも教えてほしいよな」
「まあな。確か叛乱軍に騎馬隊はないらしいから、味方に決まっているんだけどな」
この頃になると、一定の数の兵士が騎馬隊の存在に気がついていた。
速すぎる速度に疑問を覚えながらも、警戒することはなかった。
だが、正体に気がついた者もいた。
「何をしている。戦闘準備だ!」
護衛部隊の隊長が命じたが、兵士の反応は鈍かった。
むしろ、神法術師たちが過剰に反応してしまい、小さくない混乱が内側に生じる始末だ。
「何をしている敵襲だ!」
もう一度命じるが、兵士の動きはばらばらである。陣形を構えるのは時間がかかりそうだ。
結局、隙を見せたまま、パルロ軍は奇襲を受けることになる。
王軍後方にいた神法術師の集団は、突如戦場に出現した騎馬隊によって襲撃されたのだった。
坂棟の率いる騎馬隊五〇〇の後方には、一〇〇〇の歩兵が続いている。
坂棟は今回セイを歩兵へとつけた。
突撃力は、騎兵に比べて、歩兵はどうしても劣る。別けて運用するよりなかった。
坂棟は騎馬隊の先陣を切っていた。味方がついてこれずに、距離が少しずつ離れている。
彼の馬が速すぎるのだ。
坂棟の視界に、祝詞を唱える神法術師が映った。
有能な神法術師なのだろう。対応が早い。自分で判断して、正面に出てきたに違いない。
騎馬隊の攻撃力の要である突撃力を、神法術で潰そうというのだ。
的確な狙いだ。
「悪くない」
坂棟は敵を褒めた。
だが、彼は、まったく馬の足をゆるめず、まっすぐに突き進んだ。
坂棟が褒めた五人の神法術師がふいに倒れる。
念糸という見えない攻撃の犠牲となったのだ。
余談ではあるが、神法術師が何をされたわけでもなく倒れたことから、ある逸話が生まれた。
叛乱軍の白い仮面の男は、あまりに美しい男だった。
彼が、仮面をせずに、戦った時、その美しさに味方の兵は、馬から転がり落ち、敵である神法術師まで、見とれて祝詞をやめてしまった。
彼は、戦いの場にふさわしくない、その光景を起こした自分の美貌を恥じ、白い仮面をするようになった、というものだ。
別の話として、美貌のために起こった現象というのは同じだが、その正体は、能動の傍にいつも控えていた美貌の女神官だった、というものも、生まれている。
いずれにしても、神法術師の攻撃は不発に終わり、彼らは、騎馬隊の突撃をまともに受けることになったのである。
激突と同時に、坂棟の剣は、王軍の兵士三人の首を刎ねとばした。
騎馬隊は血風をまきちらしながら、勢いのまま神法術師の集団とその護衛兵たちを引き裂いていく。
遅れて、突撃した一〇〇〇の歩兵が、傷口をさらにひろげ、致命傷へと変えていった。
坂棟は一度敵軍を突きぬけた後、隊を二つにわけて、さらに突撃した。
神法術師は、もちろん、護衛兵もほとんど何もできないままに、坂棟隊の餌となり、食い荒らされた。
充分な戦果をあげると、坂棟は、ある指示を出す。それは後の作戦のための準備であった。
彼の命令は即座に実行され、ごく短い時間で果たされた。
坂棟隊はその場を後にした。
彼らが殲滅に要した時間は、ごくわずかなものであった。
坂棟たちの姿が完全に見えなくなり、しばらくして、王軍の援軍が駆けつけたが、時すでに遅しだ。
神法術師は、八割以上の死傷者をだし、無事なのは、一割にも満たなかった。
護衛兵二〇〇〇も似たような状況で、すでに戦える者はいない。
ヴァレウスの作戦は、実行されることなく、失敗に終わった。
彼は、この報告を受けた時、怒りを爆発させたが、戦いはいまだ終わっていない。
叛乱軍の騎馬隊は、ほとんど無傷のまま、行動の自由を得ているのだ。
王軍左翼を任されている老将ローバンは、中央で何かが起こっていることを察した。動きが悪いのだ。
彼のもとに情報は入ってきていないので、原因が何なのかはわからない。
今すぐに中央が崩れるということはないだろう。動きが悪いと言っても、敵軍に比べれば、充分にまさっている。
だが、ローバンは気にかかった。このまま放っておけば、思わぬ落とし穴にはまるかもしれない。
老将は、全軍を押しだし、一度攻勢に出ようと考えた。
数の少ない王軍は、一度でも、守勢にまわれば、対応に追われるようになり、先手を打てなくなる。
そうなれば、じり貧となり、いずれ、敗北の風が吹き荒れることになるだろう。
せめて、ロッドガルフが左翼にいてくれれば、と思うが、ローバンはそれがかなわないことを知っていた。
彼の主君は、愚かではないが、狭量なところがある。
知識は多くあるが、視野が狭いところがある。
ロッドガルフを認めることはできないだろう。
ローバンは全軍に攻勢を命じようとしたが、動きをとめた。
――何かが来る。
戦場での経験が教えたのか、ロッドガルフは何者かの攻撃の気配を感じた。
後方に馬群の影。
味方にしては、勢いがありすぎた。
「いったい、何をしていた!」
思わず、なじる声があがる。
ローバンは斥候を多く放っていた。
多数の叛乱軍により、包囲されることだけは絶対に許してはならない。ローバンはその点は、神経質なほどに注意して、索敵を行わせていたのだ。
斥候たちは、すべて坂棟の騎馬隊にやられていた。
充分な休養をとっていた坂棟の騎馬隊は、王軍とは、馬の速さが違った。斥候たちは逃げきることができなかったのである。
「騎馬隊に、二〇〇〇であれを潰すように伝えろ!」
幸い後方から来る騎馬隊の数は少ない。
一〇〇〇もいない。おそらく五〇〇ほどか。
これまで、叛乱軍の騎馬隊の話はほとんど聞いたことがないので、それ以上の数が隠れているとは考えにくい。
いるなら、もっと、序盤に使っていただろう。
ローバンは、後方からの奇襲などにごまかされずに、正面にいる敵を注視した。
奇襲は、指揮官の単独によるものか、あるいは、当初からの作戦なのかはわからないが、敵将のドラードは、この動きを利用しようとするだろう。
この日最後の、そして、最大の激突があることを、老将は予想した。
予想は的中する。
ドラードが全軍攻勢に出た。
さらに、迂回してまわりこもうとする部隊を多く出している。
この攻撃が失敗すれば、解放軍の右翼はぽっかりと空白ができることになるだろう。
解放軍右翼が消滅すれば、寡兵の王軍が、逆に多数の解放軍を包囲するような形が生まれるかもしれない。
ローバンは、とりあえず、迂回しようとする敵部隊に対して、騎馬隊に迎撃を命じた。王軍左翼に騎馬隊は、まだ、一〇〇〇ある。
――なぜ、ここまでの賭けに出る?
一日対陣しただけであるが、ローバンは、ドラードのことを冷静で粘り強い将だと評価していた。そのドラードが、何の理由もなく、こんな賭けに出るはずがない。
これまで成功していないことが、なぜ、今回成功すると、彼は判断したのか。
違いは、騎馬隊による奇襲。
「しょ、将軍」
ローバンは振りかえり、自らの目を疑った。
老いが目に現れ、あるはずのない光景を映しだす、という錯覚を起こしたのかと思えた。
それほど、信じられなかった。
「おい。あれは、何だ?」
「我が軍が、我が軍の騎馬隊が、敵に突破されております」
「突破? あれは、撃退された、いや、蹴散らされたと言うんだ」
ローバンは、納得した。
ドラードは、騎馬隊の将を信用しているからこそ、勝負に出たのだ。
「だが、しょせん少数だ。大勢はくつがえらんよ」
ローバンの指示で、後衛の部隊が防御をかためた。まったく乱れのないスムーズな動きである。
――なんだ、あの速さは……。
ローバンは敵騎馬隊の速度に目を見張る。
両軍が衝突し、王軍の防御は破砕された。
思いもよらぬ突進力である。
あまりに強すぎる。
ローバンはすぐにその要因の一つを見ぬいた。先陣を切っている男が規格外に強く、速すぎるのだ。
続く騎馬隊の強さも速さも一級品だが、先頭を走る男がいなければ、充分に抑えられただろう。
騎馬隊が後衛を貫通した後に、歩兵が飛びこんできた。
経験したことがないほどに完璧に崩された王軍後衛は、乱れている。敵軍歩兵に対して、有効な対応ができていない。
これまでにないほどの被害が、一瞬にして積みあげられていった。
ローバンはかまえる。
彼自身が、騎馬隊の動きをとめるしかない。
突撃力さえ奪ってしまえば、少数の騎馬隊など論ずるに値しないのだ。囲んで押し潰してしまえばよい。
だが、ローバンの未来図は、またもやくつがえされた。
騎馬隊はローバンを避けて、王軍中央へと流れていく。その動きは単純に考えるのならば、王軍左翼の防御の厚さを避けたものだと思われた。
「違う!」
騎馬隊の将は、意図的にあちらに攻撃の刃を向けているのだ。
やつの狙いは、右翼ではなく、動揺している中央にある。
この時、初めてローバンは焦りを覚えた。
新戦法への強いこだわりをもっていたヴァレウスは、いまだにそれに固執している可能性がある。
仮に、現在起こっている中央の異変がそこに原因があるとしたなら、ヴァレウスは感情的な判断をし、対応を誤ることがあるかもしれない。
いつものヴァレウスであるなら、ローバンの知るこれまでのヴァレウスであるのなら、この程度の突撃で崩れることは絶対にない。
だが、今回の戦に、王弟は、常にないほど気負っていた。この大戦が、まるで大切な戦いの前哨戦であり、失敗は絶対に許されないかのように。
しかし、ローバンはこの場を離れるわけにはいかない。王軍左翼の敗北は、王軍自体の敗北につながることになるからだ。
王弟ヴァレウスに思いを抱きながら、老将は、この場で懸命に指揮をとりつづけていた。
坂棟は、王軍中央を狙っていたわけではなく、そのまま王軍を水平方向に貫いていった。
五万の軍に、五〇〇の騎兵で横槍をいれて、見事に成功させたのである。
坂棟隊の歩兵には、一定の被害を与えた後は、無理せずに退くよう指示してあった。
坂棟は、馬上から、戦場を観察している。
さすがに、予想外の攻撃を受けて、王軍は乱れを見せた。
戦いが始まって、初めてのことだろう。
だが、解放軍は、うまくその隙をつくことができていない。
右翼が攻勢にあるようだが、崩すまでにはいたっていなかった。
坂棟は、王軍の作戦が、正面決戦であったことをようやく認めた。彼は、寡兵であえて正面に立つ王軍には、何らかの策があるのではないかと、疑っていたのだ。
どうやら、神法術師の集団運用が隠し玉であったらしい。それ以外には、隠し玉の用意はなさそうだ。
そうなると、坂棟が神法術師を叩いたことは、大きな意味を持つことになる。もちろん、神法術師の集団は脅威であると考えて、彼は殲滅した。
敵軍の将へのダメージは、彼が想定していた以上のものとなるだろう。
坂棟は馬首をひるがえし、騎馬隊も彼の後に続いた。
ザルグの会戦の初日。
パルロ軍の死者は、五五〇〇人。
一方、解放軍の死者は、四万をこした。
激戦である。
両軍の兵力差は、いまだ倍以上の開きがあった。




