11 ザルグの会戦 序曲
天空に雲はなく、青空は太陽に支配されていた。
不思議なほど、風に流れがなく、物音一つない世界がひろがっている。
ザルグ平原で、解放軍と王軍が対峙していた。
その陣列の統制には明確な差があったが、戦意と士気の高さには優劣がなかった。
解放軍が前進を開始する。
その速さは、速足という程度である。
弓を射るにしても、まだ距離があった。この時点で兵士が駆けだせば、両軍が衝突する頃には、解放軍の兵士の足は止まってしまうことになる。
さらに、解放軍にはろくな弓兵もいなかった。
つまり、解放軍は攻撃射程圏が格段に狭いのである。
いっきに突撃をかけ、敵軍との距離をなくす以外に、解放軍は戦うすべがないのだ。
距離が縮まり、いよいよ解放軍の兵士たちの口から、怒鳴るような鬨の声があがった。威勢こそ良いが、その動きはまばらである。
王軍からは、雨のように矢が射かけられる。
矢が命中し動きを鈍らす者、倒れる者もいたが、解放軍は止まらない。
数万に及ぶ人影が、一つの巨影となって、土煙を上げ、地鳴りを響かせながら王軍へと攻撃の刃を向けた。
両軍の距離が五〇メートルとなった時、それは突然起こった。
熱を持った赤い光が、ザルグ平原に大量に出現する。
大きな塊となったそれは、炎だった。
降りそそぐ炎の嵐は、いつしか炎の海となり、突撃する解放軍の兵士たちをことごとく巻きこみ、焼き尽くした。
阿鼻叫喚の地獄絵図が、一瞬にして、戦場で完成する。
その正体は、多数の神法術師によって放たれた炎の矢である。
ヴァレウスによって準備された神法術師の数は、三〇〇〇にのぼる。構成は、上級、中級、下級の神法術師がいりまじったものだ。
彼は質ではなく、数をそろえることに執心した。
火力の集中運用をすることで、数の差の不利を無実化しようと考えたのだ。
そして、それはいきなり成果をあげることになった。
指揮所から戦場を眺めるヴァレウスの顔には、自信の笑みが浮かんでいた。
「―――」
「熱い!」
「助けてくれええ」
「死ぬううううう」
「ノウドウさまあああ」
「なん――で……」
「突撃するんだ!」
「――嫌だああ、熱いいぃ」
「誰か、誰か助けてくれえ!」
「すすむん――だ……」
「ノウドウ様! ノウドウ様! ノウドウ様! ノウ――」
無音の叫びと響く悲鳴と逃走の懇願が交じり合い、濁った音色となって、空気の中へと消えていく。
解放軍の中央は、一瞬にして二〇〇〇を軽くこえる死者と、その数倍の負傷者を出し、混乱へとひた走った。
そこに、またもや隙間のない炎の壁が正面から襲いかかる。
多数の人間が焼かれた。
解放軍中央の兵士たちに戦うことを期待することは難しい状況だった。
彼らの心臓は、炎に対する恐怖によってがんじがらめになっている。
解放軍の中央部の混乱は収まりそうになかった。
まがりなりにも、中央、右翼、左翼、と一列になって前進していた解放軍の戦線は、いきなり崩れた。
中央部分が削り取られた陣形は、大きな隙を生じさせている。
何より中央にいた兵士たちの戦意の喪失が、解放軍全体に波となって伝わっていった。
混乱は両翼にも及ぶ。
両翼は、すでに剣戟を交えていたが、もともと技量に劣る解放軍の兵士たちは、精神的な敗北を認めることによって、大きく遅れを取ることになった。
早くも勝敗の帰趨が決するかと思われた時、解放軍に新たな動きが起こる。
「私に続け!」
馬に騎乗した能動が前線に現れると、彼は鍛えられし希望を天に掲げた。
陽射しに刀身を反射させた鍛えられし希望は、戦場で輝き、その煌めきが兵士たちの心に力を与える。
「私に続け!」
もう一度言葉を叩きつけると、能動は馬を駆けさせた。
手綱を離し、能動は両手で神剣を握る。
彼は、上段に剣をかまえた。
能動の瞳に映るのは、多数の仲間の命を奪った神法術師の集団である。
神法術師までの距離は、まだ、五〇メートル以上あった。
それでも、能動は剣を振るう。
剣閃が光となって具現化し、神法術師の集団に向かって、凄まじい勢いで飛んでいく。
慌てて王軍の神法術師も術を放ったが、反応できたのは一部の者のみである。そもそも、下級神法術師は、すでに、術を行使できない状態にあった。
能動と光の剣閃と、神法術師の炎の槍とが衝突する。
爆発と爆音が生じた。消え失せたのは炎の槍のみ。光の剣閃は、神法術師の集団を斬り裂いた。
十数人の神法術師が倒れる。
神法術師の集団に被害が出たことを目にし、解放軍の兵士たちに生気が蘇った。
能動が王軍にまっすぐ剣を向ける。
「突撃!」
天にも届かんと、能動が大声で号令を下した。
その声は、解放軍の兵士たちの耳に確かに届いた。
能動の剣の示すままに、彼らはいっせいに進軍を開始する。
神法術師が、またもや術を唱えたが、炎の槍の数は大幅に減じ、威力も落ちている。
それは、炎の嵐でも炎の海でもなく、ただの炎の槍であった。
数をそろえたのはいいが、下級や中級の神法術師が大半を占めているので、連続で術を放つということができないのだ。
王軍の神法術師は後退し、入れ替わって、兵士が前線へと現れる。
だが、そこで、王軍の前線に混乱が生まれた。
神法術師たちが解放軍との接触をおそれるあまり、我先にと後方へ逃げようとしたのである。
わずかな時間ではあった。だが、最前線においてこの時間の消失は、大きな隙を生みだすことにつながる。
一方的にやられていた解放軍が、うっぷんを晴らさんとばかりに、王軍中央へと襲いかかった。
王軍右翼では、ロッドガルフとジークセイドがぶつかっていた。
両指揮官とも先頭を駆け、そのまま激突したのである。
馬上で数合あわせるが、力は互角にように見えた。
解放軍左翼の兵士たちが、その光景を見て勢いを増す。
「閣下、遊んでいないで本気をだしてください」
ロッドガルフの代わって、前線で指示を出していたミュラーゼンが叫んだ。
「遊んでいるわけじゃないんだがな」
ロッドガルフは、ジークセイドから距離を取ると、大剣を肩にのせた。
両軍がぶつかる中で、二人の指揮官の周囲だけは空間が生まれている。
邪魔をしてはならない、と双方の兵士たちが考えているからであり、それは、指揮官の強さに対して、両軍の兵士たちが絶対の信頼を抱いている証でもあった。
「おしいな、あと数年あれば、おもしろかったかもしれないが」
遊んでいたわけではないが、ロッドガルフは手加減をしていた。
おそらく一〇代であろう若武者には、まだ可能性があった。今少し強くなってから本気で戦いたいと彼は考えたのだ。
戦場にあるにもかかわらず、ロッドガルフは、ジークセイドに稽古をつけているような感覚でいた。
それを副官に指摘されてしまったのだ。
「やむをえないか? いや、そうでもないかな」
ジークセイドが、強烈な戦意を宿した瞳でロッドガルフを睨んでいた。
強者であろうと負けない、という意志がひしひしと伝わってくる。
「僕はジークセイド。あなたは何者だ?」
高々と若者が名のった。
「俺か? 俺は、ロッドガルフ。八将などと大仰に言われている」
自然とロッドガルフの口もとがゆるんだ。
八将と聞いてもまったく戦意が落ちない。それどころか、戦意は増しているようだ。
ジークセイドの示した負けん気。戦いを挑むという姿勢が、彼の目には好ましい物として映っていた。
だからこそ、もう手加減はしない。
両者は再び激突した。
ジークセイドは一撃めを何とか耐えたが、二撃目で剣を弾かれ、体勢を崩した。
ロッドガルフは大剣を返し、ジークセイドの胴体を斬ろうとしたが、間一髪のところでジークセイドは地面を転がり、大剣を避けた。
さらにロッドガルフは追い打ちをかける。
だが、すぐに解放軍の兵士がジークセイドを逃がそうと、二人の間に壁を作った。
ロッドガルフは死神の鎌のように、大剣を横薙ぎにする。
三人の命がまとめて刈られ、人の壁が消え去った。
だが、また次の壁が現れる。
さらに、ロッドガルフは大剣を振るった。
彼が斬撃を振るうたびに、解放軍の兵士の命が大剣の糧になっていく。
幾度か剣を振るった後に、
「逃したか」
ロッドガルフは肩をすくめるようにして息を吐いた。
「うれしそうに言わないで下さい」
ミュラーゼンが上官の隣に並んだ。
「突撃を命じて下さい」
「おまえがやれよ」
「あなたがやったほうが効果的なのです」
喋りながらも、二人の剣は動きを止めていない。剣に触れると、解放軍の兵士たちは人形のように地面へ崩れ落ちていった。
「そんなものかね」
呟くと、ロッドガルフは息を吸った。
「突撃せよ! 叛乱軍を蹴散らすのだ!」
ロッドガルフの大喝が、王軍の兵士を鼓舞し、解放軍の兵士の身体をこわばらせた。
王軍右翼が攻勢に出る。
ジークセイドはロッドガルフから逃げ切ったが、王軍の右翼により、解放軍の左翼は完全に押しこめられていった。
王軍左翼では、ローバンが指揮をとっていた。
戦術などないと聞いていた叛乱軍だが、老将が相手をしている叛乱軍右翼は、明らかに意図をもった集団運動をしかけてきていた。
だが、その動きは、まったく滑らかではなく、鈍くぎこちない。そのために、狙いの予測は容易であり、敵軍の動きをくじくのはたやすい。訓練が足りていないのだろう。
素人集団の名にふさわしいブザマなものだ。
しかし、数が圧倒的に多かった。
愚鈍と怠慢を数の力が補っている。
一例をあげれば、王軍左翼を包囲するために、ただただ迂回していく一万の部隊があった。
動きは遅く隊列にも乱れがあり、ローバンは一〇〇〇の騎兵で横撃することで、蹴散らした。
この行動を、解放軍は何度もしつこく繰り返す。
その中に今度は、迂回途中で突撃してくる部隊が現れた。
こちらの隙をついての攻撃ではなく、決められたことをやっているにすぎない。しかも、包囲しようとする部隊との連携がまったくとれていないので、互いが互いの行動をさまたげ、突撃してくる部隊は、急襲の形をなしていなかった。
非効率的な動きだ。それでも攻撃は攻撃である。
しかも、数は多いので、王軍は、いちいち対応しなければ痛い目にあう。
王軍左翼は、休む暇もなく対応に追われた。
だが、結局王軍左翼は、解放軍右翼の攻撃をすべて弾き返した。
被害を出しているのは、圧倒的に解放軍である。
しかし、状況は互角であった。
三倍の数の差というのは、そう簡単にくつがえせるものではない。
「敵将はドラードと申す者か。なかなかやりおる」
ローバンは、楽しげに笑った。
それは、老人の顔ではなく武人の顔であった。
ザルグ平原は、すでに多くの血臭で満たされている。
戦いの序盤は、王軍の優勢で解放軍が耐え忍ぶという形で進んだ。
形勢は、間違いなく王軍に有利であるが、兵力の差はまだまだ大きなままであった。