3 計算と願望
坂棟は目を覚ました。
だが、天井を見たまま彼はベッドの上から動かなかった。
周囲は暗く、まだ闇は深い。
太陽が姿を見せるには、数時間の猶予があった。
(セイ)
(承知しました)
一言で、彼の従者は主人の意向を理解した。
屋敷へ侵入するあやしい人間を坂棟は感知していた。
手練れなのかもしれないが、セイの相手ではない。
この襲撃、坂棟にとってはちょうど良いタイミングだった。
侵入者もおそらく同じように考えたのだろう。
イレギュラーの存在により、警戒の網にずれが生じたところを狙う。
なかなか悪くない案だが、警戒の網が弱体化せずに強化されていたことには、気がつけなかったようだ。
襲撃者は、あっさりとセイという強力な網に捕まった。
これは使えるな、と坂棟は考えた。
うまくやれば姉弟を引き抜けるかもしれない。
事をうまく運ぶには、まずトウキという人物のことを考える必要がある。
トウキは、同郷人とはいえ、一般人の坂棟を歓待するのにあまりに豪華な食事と寝床を用意した。
これは、彼女の性格の一端をよく表している。
簡単に言えば、見栄っ張りであるということだ。
相手をもてなしているように見せながら、その実、自分の力を誇示しているのだ。
「実際、たいしたものだ」
坂棟は口中だけで呟いた。
いくら普通ではない力を持っているとはいえ、大貴族の息子に取り入り、さらにその実権をある程度掌握してしまうなど、常人にできることではない。
トウキの生きる世界は貴族社会だろうから、権勢を目に見える形で相手に示すことは、必要とされる技法である。
見栄っ張りであることは、貴族として必要な条件なのだ。
さらに、彼女は、坂棟が部屋に戻るとその行動を監視した。
覗き見していたのである。
欲望にまみれていれば、盗聴や覗き見という行為は可能だろう。だが彼女がやったことはそんな程度の低いことではない。彼女は、理性によってのみ監視を行っていたのだ。
情報収集の効果は認めるが、普通の精神で出来ることではないし、品のない行為である。
他者による裏切りや出し抜きを警戒しながら、トウキは、絶えずこういった行為を繰り返すことで、今の地位を得たのだろう。
日本に住む十代の女性という認識で、彼女と接するのは危険だ。
だが、これだけでは、上に立つことはできなかったはずだ。
誰一人として知り合いのなかったトウキが上に立つには、何かで人をひきつける必要がある。
それは、使用人たちの待遇に表れていた。
彼女は、力ではなく金でそれを行ったのである。
まず、褒賞による利で釣り、功績の別を明確にすることで意欲をもたせる。
そして、公正を保つことで信頼を得るのだ。
より完璧にするために、幻覚系の力をいくらか用いたかもしれない。
「功績には褒賞を」
襲撃者――おそらくあれは暗殺者だ。
暗殺者を捕らえれば、それは充分な功績となる。
褒賞を求めることも、坂棟の演じたキャラクターからすれば、トウキの目に不自然に映ることはないだろう。
後は、坂棟の狙いに気づかせないことだ。坂棟が、ミルスの資質を買って引きぬこうとしている事実に。
ミルスに高い能力があると知ったら、絶対にトウキは渡さないはずだ。彼女がミルスの能力に興味を覚えることは避けなければならない。
坂棟が、働き盛りの若者と若い女を必要としているのだと、トウキに信じこませることが必要だった。
それには、姉を表に出すのがいいだろう。
坂棟が女を求めている、という構図を作り上げるのだ。
幸いなことというか狙い通りに、坂棟は、トウキから低評価を下されている。保険でやっていた演技がここにきて大いに生きてきた。
若い男の持つ欲望で、女を求めるという行為は、非常にわかりやすい。程度が低いと判じられているのだから、信憑性も増すというものだ。
姉がトウキにどの程度評価されているかで、交渉がうまくいくのか、難航するのかが決まるだろう。
優秀すぎれば、トウキは手放さない。
そうなると、代わりの手を考えなければならなかった。
本気で相手をするとなると、トウキは少々面倒くさい人物と言える。
「能力はある。だが、今のラバルには毒となる」
胸の内で、坂棟はトウキのことをそう評した。
坂棟はトウキの人格や才能について評価していたが、幻覚の能力については、たいして評価していなかった。彼女の能力は一般人には有効だが、ある程度の力を持つ者には、まったく有効ではないと坂棟は判断していた。ある程度の力と坂棟が考えているのは、一般的には高すぎるレベルに位置しているのだが……。
坂棟の人材収集の欲は、同郷人にも向けられていたのである。
彼らは互いに互いを評価していた。一方は相手を高く、一方は相手を低く。
手と手を取り合い美しい友情が生まれるという可能性は、二人の異界者の間にはまったくないようだった。
「本当にありがとうございます。命を救われました」
「大変だな」
「ええ、しょせん、私は余所者だから」
朝食の席で、トウキは、暗殺者から身を守ってもらったことについて、改めて坂棟に感謝した。
働いたのはセイであるのだが、坂棟は自分がやったかのように、鷹揚に頷いている。
従者の功績は、主人の功績である。
坂棟の態度は間違っていない。
だが、腹立たしい。
なぜ、こんな男にセイという素晴らしい従者がいるのか。
昨夜、トウキは、セイを引き抜こうとしたのだが、彼の主人への忠誠は、傷一つない純粋でまっすぐとした本物で、とても坂棟から引き離すことはかなわなかった。
トウキの幻覚の能力は、相手の心にないものを強制させるほど強い物ではないのだ。
あくまでも少量であった感情を大きくしたり、その方向を少し変えたりといった軌道修正を行う能力なのである。
「お礼をしたいのだけど」
「ホントか? じゃあ、お願いがあるんだが」
坂棟はまったく遠慮をしない。
「言ってみて」
「俺を案内してくれたやつがいるだろう? あいつを、俺のところで引き取りたいんだ。で、あいつは、姉がいるらしんだけど……」
「使いにやったのは――」
トウキは、坂棟が何を言うのかが読めたので、言葉をさえぎった。本当に男と言うやつは馬鹿である。
「ミルスだ。いいやつだ」
「いいやつ」
まさか、本当に性格だけで選んだわけではないだろう。
旅をするのに男手が必要ということか。
セイ一人で充分だと思うが、トウキは旅の経験がなかったので、よくわからなかった。
ミルスは、ルフィリアのついでで雇っているにすぎないので、問題はないが、命を助けられた代償としては安すぎる。
当然、坂棟はさらに要求をしてきた。
「それで、姉がいるはずなんだけど、どの人かな?」
「ルフィリアのことね」
トウキは、ルフィリアを呼んだ。
坂棟の口調から、本当の狙いが何であるかを、彼女は確信した。異界と言う知らぬ土地にあって、これほど欲望に忠実になれるものだろうか。あまりに無防備すぎる。外国に遊びに来たくらいの感覚なのだろう。
「お呼びでしょうか」
ルフィリアが現れた。
彼女は美人と言うほどではないが、充分に見られる容姿をしている。
そして、清潔感があった。
「ええ、少し話があってね」
トウキは坂棟を観察していた。
彼の視線がどこに向けられるのかを見ていたのだ。
やはり、というか、坂棟の視線はルフィリアの胸に投じられていた。
ルフィリアは、服の上からわかるほどに大きな胸に恵まれているのだ。
「姉弟を離すのはかわいそうだろ。いっしょに、どうだ?」
坂棟の声にがぜん力がこもる。
「本人たちしだいね。条件をだして、あなたが直接交渉して、彼女たちが良いと言ったら、私はかまわない」
「そうか。じゃあ、さっそくまとめて交渉しよう」
「今から? 朝食は?」
「もう食べたよ。ミルスはどこにいるんだ?」
「さあ、私は知らない」
「あ、そう。まあ、大丈夫だろ」
坂棟は席を立つと、ルフィリアの腕をとり、つれだって食堂から出ていった。
昨日のお礼を兼ねて、今回食事に招かれていたセイも、主人に続いた。
「彼らの食事を下げて」
「はい」
トウキは一人で食事を再開した。
弟はともかく、姉の方は物覚えも良く、なかなか使えたが、命を助けてもらったお礼としては、高すぎるということもないだろう。
それにしても、坂棟とはつまらない男だった。
いや、普通なのだろう。
女を欲しがるというのは、若い男なら当然の生理現象だ。
だが、だからこそ――。
「あまり、先は長くないでしょうね」
皿に盛られたパンを手にとると、トウキはそのパンを引きちぎった。
ミルスは屋敷から離れた場所で、草むしりをしていた。
すでに、ルフィリアは、坂棟の手から解放されている。屋敷から出るとすぐに、彼は彼女の手を放した。
ミルスがルフィリアたちに顔を向けた。
「坂棟様」
「赤摘さんから、許可はとってある」
「予定とは違いますね」
「臨機応変だな」
ミルスと坂棟はかなり親しそうな関係に、ルフィリアの目には見えた。
弟がこんなに口を開くのは珍しいことだった。
坂棟が振りかえる。
「彼の才能をあなたは認めているらしいですね」
「――はい」
向きあうと、坂棟が先程とはまったく異なる雰囲気を放っていることに、ルフィリアは気づいた。
わずかな時間での印象だが、もっとガサツで幼い男だと彼女は思っていた。もう一つ加えるのならば、スケベ。
それが今は、ひどく落ち着いており余裕が感じられた。
「では、私の下に来てください」
「……あなたは何者ですか?」
「あなたの弟と同じで、今は何者でもない」
口調までも変わった目の前の男が、何を言いたいのかがルフィリアには理解できない。
どちらにせよ、トランド公爵の子息のところ以上に良い環境などあるはずがなかった。
「旅をするというのなら、断わります」
「彼には大きな数字を扱ってもらうことになります」
「何を言っているのか、わかりません」
この屋敷の女主人に勘違いされて、見放されてはたまらない。
ようやく、弟の売り込みが功を奏したばかりである。
まだ、雑役ではあるが、弟ならば、きっとその内もっと大きな事をやってくれるはずなのだ。
「姉さん」
「なに、ミルス」
「この人についていったほうがいい。この人は、この屋敷を訪れたどんな貴族たちよりも上だ」
「でも」
「おそらく、資金もすでにある。そうですよね」
「そうだな」
男同士でわかりあっていることに、ルフィリアは納得がいかなかった。彼女は何もわかっていない。
だが、弟の才能を信じているルフィリアは、弟の判断を尊重した。
姉は弟の言葉を信じたのである。
理性ではなく、感情による判断だ。
「わかりました。よろしくお願いします」
ルフィリアとミルス姉弟の生活は、この日から激変することになる。
坂棟たちは、追いだされるようにして、サーレバント侯爵邸を後にした。
最後までトウキは上品であったし、別れを惜しんでいた。
しかし、結果を見れば、やはりさっさと追いだしたということになる。
おそらく坂棟が、
「姉弟には、いろいろ人間関係があるだろうし、俺は数日滞在してもいいよ」
と言ったことが、決定打になった。
その発言から、明らかにトウキの言動が変わったのである。
夜を迎えると、坂棟たちの馬車は道からそれた。
坂棟は、セイだけを馬車に残してさらに道から外れる。
岩肌が目立つだが、平坦な場所だった。
「まあ、この辺かな」
「何がです?」
ナージェディアが問う。
「迎えだよ」
しばらくして、三頭の猛獣が、夜空に姿を現した。
ルフィリアだけが、落ち着きをなくす。猛獣をおそれるのは、正常な反応である。猛獣をおそれない他の者たちがおかしいのだ。
「こんな目立つことを」
「周囲は、確認ずみだ」
坂棟とセイによって、サーン・ノースからの追跡がないことは慎重に確認していた。もちろん、現時点で、周囲に人間がいないことも確認している。
三頭の猛獣の内、一頭だけに人影があった。
ヤマト・クツハだった。
「ごくろうさん」
「別に、私は何もしていない。この子たちが、自分でここに来たから」
着地した騎獣の上に、ヤマトは騎乗したままだ。
王族であったわりに、いや、その反動なのか、彼女は礼儀にあまり熱心ではなかった。
「魔族や猛獣を、最近は相手にしているらしいな」
「まだ、二回だけ」
「ケガはしてないな」
「あの程度なら」
「パルロには剣術の流派がある」
初めてヤマトが坂棟との会話に興味を示した。
彼女の意識は、常に剣だけに向けられている。
「ギーセンラルバを倒せるようになったら、道場破りにつれていってやる」
「道場破り?」
「剣の強いやつと戦うということだ」
「わかった。そんなに時間はかからない」
「ああ、でも、俺の手が空くのが、二、三カ月後くらいかもしれないな」
「ちょうど良い」
「あのお――」
非常に喋りにくそうにして、ルフィリアが坂棟に声をかけた。
「どうしました?」
「もしかして、なんですけど――まさか、これに乗って」
「さすがミルスのお姉さん、勘が良いですね」
「本気ですか!」
「ええ、といっても、あなたたちは座っているだけで、何もする必要はありません。護衛もつけます。ヤマトは、まあ、接近戦ならよほどのことがないかぎり、遅れはとりませんよ。ちなみに、拒否権はありません」
「……そうですか」
「これから行くところが、どういった場所なのかは実際に見聞したほうが早いでしょう。じゃあ、ミルスとルフィリアはその騎獣にのってください」
坂棟にうながされ、姉は重い足どりで騎獣に向かい、弟は普段と変わらない様子で騎獣にまたがった。
「何をしているんだ、ナディア?」
坂棟は、彼の後ろに立っていたナージェディアを振りかえる。
「はい? 何がでしょう?」
「おまえも帰るんだよ」
「――なぜです! まだ、私は何もやっていません」
「でも、ダメ」
「ダメって……やっぱり、私の演技力ですか!」
「演技力? 何のことだ」
「とぼけないでください」
「方針転換をすることにしたんだ」
「方針……転換ですか? 何をするつもりです?」
「南へ行く」
「南?」
「ああ、それとミルスがいるから、おそらく、もっとあっちは忙しくなるはずだ。ナディアの力はラバルでこそ必要になる。やってもらうことは、目白押しだしな」
「何で、人が増えて忙しくなるんです?」
「できることが、増えるからだよ。そうだな、ラバルの方も予定を切りあげていこう」
ナージェディアは、それでも、だだをこねたが、背後から忍び寄ったヤマトに気絶させられて、そのまま騎獣にのせられた。
この件で後日、ナージェディアとヤマトの間に一悶着起こることになるのだが、それは別の話である。
「それでは、お館様」
最後にヤマトは一礼した。
「ああ、気をつけてな」
坂棟は、夜空に消える四人と三頭を見送った。




