1 サーン・ノースの町
異界者交流編
パルロ国北部の町、サーン・ノースは、トランド伯爵領内で、一、二を争うほどに栄えていた。
もともと、伯爵のおひざ元であった町なので、当然と言えば、当然であった。
現在は、トランド伯爵の息子が、この周辺一帯の領地をおさめている。
近頃の、この町の特色と言えば、衛生面での発達というものがあげられた。
ここ一年の間に、石鹸や洗剤などが、一般の人にまでわたるようになり、はては、公衆便所の設置まで、実験的に行われていた。
パルロ国でも、有数の衛生のすぐれた町であろう。
サーン・ノースへと続く道を、馬車がゆっくりと走っている。
「ぼちぼちつきそうだな」
坂棟克臣は、馬車で寝転がっていた。
黒髪黒目。中肉中背。日本人としては、平均で平凡な顔立ちをしている。
「こんなにのんびりして、いいんですか?」
坂棟の傍に座っているのは、ダークエルフのナージェディアである。
ショートの金髪に、特徴的な尖った耳、端麗な顔には、眼鏡がかけられていた。
眼鏡からのぞく瞳は、緑と黒の金銀妖瞳である。
今、その瞳には、困惑と少しの非難が宿っている。
「説明しただろ」
「わざと痕跡を残している、ですか?」
「そう」
坂棟は、自分は目立つだろうと、考えていた。
しかも、あいつは何者だ? と疑われるような目立ち方である。
どうしようもない、日本人の顔立ちというのは、この世界では異質なのだ。あるいは、整っていれば、また違った現実があるかもしれないが、残念ながら、彼は、普通だった。
なので、坂棟は、自分に関して、隠すことをやめた。
だが、彼からラバルの存在を探りあてられることは避けたかった。
北部へ疑いを向けさせず、正体不明の坂棟と言う人物だけに目が行くように、彼は小細工をしていた。
痕跡を残し、西から旅してきたように、見せかけたのだ。
本格的に、調査をすれば、不自然さに気がつくことだろう。西の地に、坂棟たちは、突如出現しているからだ。
だが、ラバルと結びつけることはできない。
それで充分だった。
ラバルの存在はいずればれるにしても、もう少し未来に、その時が訪れてほしい、と坂棟は思っていた。
「それにセイさんが、ずっと御者ですし」
「一番、パルロ国で自然なのは、あいつだからな」
セイは、二頭の馬を操っている。
彼は、二メートルをこす長身の、筋骨隆々とした大柄な男である。武器は、切れ味より威力を重視した大剣だ。
この男が、もっとも目立たないというのが、この一行が注目を集めずにはいられないことを、端的に表していた。
サーン・ノースに到着すると、高級な宿屋に馬車を預け、坂棟たちは町にくりだした。
坂棟の服装は、さすがにパーカーにジーンズというものではなかったが、それでも、着やすいようにアレンジされた服を着用している。
つまり、目立つ。
服で人目を引き、彼は顔で人々を驚かせた。
ナージェディアは、フードを深くかぶり、顔を隠している。ローブで全体をおおっているために、まったく肌はさらされていない。
セイは、格好だけは普通である。軽装備をした傭兵風の格好をしていた。
三人は、出店の並ぶ活気にあふれた通りに出た。
ほとんどが、食べ物に関連した店のようだ。
坂棟は、ある出店で足をとめた。
「蕎麦?」
「うん? なんだ、お兄さん、見かけねえ、というか、珍しい顔だな」
「よく言われます」
「そうか、それで、なんだ。蕎麦を知らねーのか?」
「これって、やっぱり蕎麦なんですか」
「おうよ。俺は、この道一〇年の男。そんじょそこらの、蕎麦には負けねー、味だ」
「へえ」
「食べるか?」
「それじゃ、二杯もらいます」
「二つでいいのか?」
「はい。一人は、身体に似あわず、小食なんです」
「そうかい」
坂棟が調理法を疑いたくなるほど、すぐに蕎麦はできた。
坂棟とナージェディアは、側に用意された机に腰をおろす。
衛生に疑いを持たざるを得ない、箸を使って、坂棟は蕎麦をすすった。
ナージェディアも、見よう見まねで、箸を何とか使っている。
「おお、箸の使い方、うまいじゃねーか。それで、どうだい、兄ちゃん、味の方は? おいしいだろう?」
屋台から店主が身をのりだしている。
よほど自信があるようだ。
「ええ、おいしいですね」
坂棟が返事をすると、満足そうに店主は頷いた。
店主の注意がそれると、小声でナージェディアが、坂棟に話しかけてくる。
「本当に、これが、おいしいのですか?」
「俺が知っている蕎麦ではないね」
「私には、味が濃すぎます」
「出された料理は食べきるように」
「わかっています」
パルロ国の貨幣は、カイオス大金貨、カイオス金貨、カイオス銀貨、カイオス銅貨の四種である。
カイオスというのは、初代の王の名前で、彼の肖像が、各コインに彫られている。
蕎麦は、カイオス銅貨五枚で食べることができた。
意外と経済は発展しており、それなりに景気はいいようだ、と坂棟は思った。
「あんた、なんで、そんなに深くかぶってんの? お高くとまっているつもり?」
化粧の濃い女がナージェディアの隣に、座る。
まだ、昼間なのだが、すでに、かなり酒を飲んでいるようで、酒の臭いが、坂棟のところまで、漂ってきていた。
「違います」
「はあ? なんだって」
「違うと言ったのです」
きっぱりとナージェディアが言う。
ダークエルフという種族であるが故に、目立つことは、避けたがる傾向にあるはずだが、彼女はきっぱりと自己主張している。
これは、自分に対する信頼だろうか、坂棟は、何となく微笑ましく思った。
だが、事態は悪化する。
「私をバカにしているのかい!」
「していません。絡むのはやめてください、と言っているだけです」
「バカにして、そのフードをとりな!」
「やめてもらえますか? 彼女は、ひどい火傷を負っているんです」
坂棟は軽く注意をした。
酔っ払いに正論を述べたところで、無駄なことはわかっていたが、かといって、放っておくわけにもいかない。
「なんだい、ガキ。ガキは黙ってな」
そう言うと、女は、ナージェディアのフードを無理やりはいだ。
ナージェディアの顔を見て、女が悲鳴をあげた。
すぐにナージェディアは、フードで顔を隠す。
「言ったでしょう? ひどい、火傷だって」
坂棟は席を立った。ナージェディアを、背中に隠す。
衆目が坂棟に集まった。揉め事を期待しているようだ。
坂棟は、歩を進める。女が、坂棟をおそれるように、後ずさりした。
「おい、おまえ、何のつもりだ」
男が、震えている厚化粧の女を後ろから抱きしめた。
女は、安心したように、男にしなだれかかる。
「俺のつれに何をしやがった」
「何もしてません。むしろ、そっちが、やったんですよ」
坂棟の声には、温かみというものが欠けていた。
彼は、仲間や味方への攻撃を許さない人間だった。
目の前にいる男女は、坂棟にとってとるに足らない存在である。だが、攻撃してくるというのなら、それ相応の報いを受けさせる必要があった。
「腹の立つ言い方をしやがって」
女を離すと、男が坂棟に殴りかかった。
坂棟は、相手の大振りの右拳に、カウンターをあわせ、右拳を相手の顔に突きいれる。
男は、一撃で脳震盪を起こして、棒のように身体を伸ばしたまま、地面に倒れた。
自分を守ってくれるはずの男が倒れたのを見て、女がさらに騒ぎだす。
野次馬は誰も、彼女にかかわりあおうとはしなかった。
坂棟の強さを見て、というより、どちらが悪いは、明白であったからだ。
坂棟がその場を去ろうとすると、
「女性に対して、何をやっている」
男が野次馬を割って、現れた。
茶に近い金髪を短く刈りこんだ長身の男である。
坂棟と同年代、もしくは、年下だろう。
茶色の瞳が、鋭く光り、坂棟を捉えている。
腰に長短二本差していた。
「俺はヴァレス。侍を目指している男だ」
ヴァレスが、「侍」という単語を言った時に、周囲から失笑が起こった。
「最初から見ていたか?」
「おまえが、悲鳴をあげる女を追いつめ、その男を倒したところからだ」
「そうか。勘違いをしている。周りの人に事情を聞いてくれ」
坂棟は立ちさろうとした。
「待て、逃げるのか?」
「おまえこそ、丸腰相手に、刀を抜くのか」
坂棟は鼻で笑った。
あきらかに、最後は余計な動作だった。
ヴァレスは血液の沸騰をそのまま顔色に変えて、坂棟に殴りかかった。
先程の男よりも、鋭くまた、威力のある拳だった。
だからこそ、結果はより悲惨なものとなる。
カウンターとは、そういうものだ。
坂棟は、拳をヴァレスの顔面に向かって、無造作に放った。
倍の威力の拳を、まともに顔にくらった、ヴァレスは、一瞬棒立ちになった後、そのまま地面に伸びてしまった。ヴァレスは、自分の身に何が起こったのか、まったく認識しないままに意識を失ってしまったのだ。
周囲の喝采を浴びながら、坂棟はその場を後にした。
「いったい、あの女の人に、何を見せたんです?」
野次馬の集団から抜けた後、ナージェディアが小声で坂棟に話しかけた。
「知らないよ。あの女がかってに想像したんだから」
ナージェディアのフードが外された時、坂棟はナージェディアに視線を向けていた人間に対して、幻覚を見せたのである。
彼にできることは、ひどい火傷だ、という印象を植えつけるだけで、実際に、何を見るかは、本人次第なのだ。
あの女は、想像力豊かだったのだろう。
あるいは、酩酊がより悪い何かを見せたのかもしれない。
「そうですか」
ナージェディアは、小さくため息をついた。
旅は始まったばかりだが、幾度目となるのかわからない、ため息である。
坂棟は基本的に自分から問題を起こすようなことはしない。ただし、問題が降りかかってきた場合、その対応は、素早かった。別の言い方をすれば、苛烈だった。
ナージェディアは、坂棟が、わずか九カ月という間で、他種族の集う国をつくりあげることができた理由が、少しだけわかった気がする。
行動が速く、躊躇がないのだ。
上に立つ者としては、即断即決即行動ができる人間というのは、得難い存在であるのかもしれないが、身近にいられると、度しがたい存在である。
自分から望んだ旅の同行だったのだが、世の中、そうあまくはないようだ。
だが、兄を捕まえるための囮役として、彼女は、旅をやめるつもりはなかった。
「すみません」
出店の並ぶ通りから出ると、一人の男に、坂棟が声をかけられた。
「何ですか?」
「日本人の方ですか?」
「あなたは?」
「赤摘瞳季という女性から、あなたを招待するように言われ、迎えに参りました」
「――あいつは!」
ヴァレスは起きあがり、周囲を見る。
彼は、いつの間にか、道の端に移動させられていた。
通りは、何ごともなかったように、賑わいを見せている。
「おんしは、負けた」
傍にいた老人が言う。
白髪のまじった、小柄な老人である。
「あなたは?」
「おんしは負けた。それと、おんしは勘違いをしておる。いちゃもんをつけたのは、叫んでいた女で、問答無用で殴りかかったのも気絶させられた男のほうだ」
「……そう、なのですか」
「ああ、火傷をした女の顔をさらしおったのが、そもそもの原因だ」
「それは――謝らなくては」
「無駄だ。もう行ってしまった」
「しかし――」
「おんしは、刀を使うのか?」
「はい。そうです」
「無限魂魄流を知っておるか?」
「はい、もちろんです。私は、無限魂魄流に入門させてもらおうと考えて、村を出てきました」
「そうか。わしゃあ、道場を知っておる。ついてきなさい」
「ありがとうございます。あの、お名前を教えていただけますか?」
「ユーバン」
一言いうと、老人は歩きだす。若者は、老人の背を追った。
老人は若者の才能を見ぬいたわけではない。
拾ったのは、気まぐれであった。
だが、この気まぐれが、ヴァレスという若者の人生を大きく変えることになったのである。




