37 動揺と疑惑
セレンキーアが亡くなったという報せは、彼女の両親へ伝わるのと同じ早さで、ナージェディアの家にも伝えられた。
坂棟はすぐに反応する。
彼は死体が発見された現場に走った。
数人の人だかりがある。
中心にあるのは、物言わぬ姿に変わってしまったセレンキーアだ。
誰も死体に触れていないようだった。
セレンキーアは木に背中を預け、両手両足を投げだすようにして座っていた。
顔は不自然に下を向いている。
首を切られていた。
胸もとのペンダントは青色におおわれ、赤い輝きを失っている。
服が多量の血で青く色づいていた。
すでに服は乾いているようだった。
「セレンキーア!」
叫ぶように名を呼びながら、一組の男女が走り寄ってくる。
坂棟がこの村に来て聞いた中で、もっとも感情的な声だった。
「セレンキーア! なぜ? どうして? 誰がこんなことを」
セレンキーアの両親である。
二人は娘の身体を抱きしめ、泣き崩れた。
坂棟は木の後ろにまわった。
彼の眉がぴくりと動く。
木には青い文字で「化け物」と書かれていた。
「化け物」という単語は、ところどころ青い血がたれて、原型を失っている。
坂棟はセレンキーアの指を確認した。
手にも飛び血はあったが、指先はほとんど汚れていなかった。
坂棟の動きを見て、いぶかしんだ者が、木の後ろにまわって「化け物」の文字を発見した。
わずかに騒ぎになったが、反応は性質の悪いことをすると非難の言葉を口にするのみだった。
両親だけが、ただただ、娘の死を悲しんでいる。
「誰がこんなことを……」
遅れてやってきたナージェディアが呟いた。
体力のない彼女の息は、まだ荒い。
「冷静だな」
ぽつりと坂棟が言う。
「誰がです!」
ナージェディアが反発した。
ちらりと坂棟が彼女に視線を投げる。
彼の瞳は異常な冷たさで満たされていた。
「犯人がだよ」
「犯人……?」
「俺がこの世界で見てきた殺しは、どれももっと暴力的だった。欲望に満ちていた。でも、彼女の遺体に残されているのは、冷静に首を切った跡だけだ。感情がない」
坂棟は目を閉じた。
しばらくそのまま動かない。
そして、瞼を上げると、
「俺は戻る。彼女の両親が落ち着いたら、話をさせてくれ」
ナージェディアにそう言い残すと、坂棟は背中を向けた。
ひどくそっけない坂棟の態度に、ナージェディアは失望していた。
昨日、彼はセレンキーアと楽しく会話をしていたのだ。
なのに、彼女の死体を前にして、彼はまったく乱れることなく、すぐに歩きさってしまった。
ナージェディアは、胸の内で坂棟を非難していたが、彼が犯人であるとはまったく考えていない。
もっともあやしいのは、突然現れた異邦者である坂棟だ。
彼が来てから、二つの事件が起こっているのだ。
だが、ナージェディアは、不思議と彼を疑う方向へ思考が働かなかった。
厳しい環境で生きてきたのに、彼女には人を疑いきれない人の良さがある。
それは、ナージェディアの個性なのか、あるいはダークエルフの特性なのか。
外の世界と触れることがなかったからこそ、疑うことを忘れた彼らのあまさなのか。
いずれにしても、坂棟との間に、無意味な争いが起こらなかったのは、彼らにとって、幸運なことだった。
セレンキーアの両親は、娘の傍で力なく座っている。
ナージェディアは、セレンキーアの両親に声をかけようとした。
その時になって、ようやく彼女は、セレンキーアの姿を正面からはっきりと見た。
――木に背中を預けて、両手両足を投げだした姿。首から青い血が流れた跡。
ナージェディアは、がたがたと震えだす。
彼女は、自分の腕で自分の身体を抱きしめた。
「いやあああああああああ」
悲鳴を上げると、ナージェディアは失神した。
坂棟はナージェディアの声を耳にして、急いで戻ってきた。
ナージェディアは介抱されていた。
目立った外傷は見られない。
「ケガは?」
「していない」
「どうしたんですか?」
「わからない。急に倒れて」
「急に? 誰か彼女を見ていた人は?」
誰も反応しない。
見ていないのか、答える気がないだけなのか判別はつかなかった。
「そこに倒れていたんですか?」
「え? ああ」
坂棟の問いの意味がわからないようだ。
彼は、彼女が何を見ていたのかが知りたかったのだ。
ナージェディアは、セレンキーアの正面で倒れていた。
彼女の視界にあったのは、セレンキーアの遺体と、彼女の両親だろう。
死体を見て、ショックを受けた?
すでにヒューマンの死体を見ている。
もちろん親しい人の死はまたまったく違うものではある。
違和感があった。
だが、それよりも先にすることがある。
「彼女の遺体を運ぶのなら、手伝います」
セレンキーアの遺体について、思考が回らなかったのは、坂棟にも動揺があったのだろう。
精神を防御するために、理性の支配率を高め感情を排したのだ。
坂棟は、目を閉じたセレンキーアに笑顔の彼女を重ねた。
おそらく、笑顔こそがもっとも彼女らしい表情だと思ったからだ。
結局、坂棟が葬儀を手伝うことはなかった。
ダークエルフたちに断られたからだ。
余所者に触れさせたくない、という気持ちが働いたようだ。
坂棟も理解できる感情だったので、すなおに従った。
彼は離れたところから、セレンキーアを見送った。
ナージェディアをのぞく全員が集まり、祈りをささげた。
神に見捨てられた彼らが何に対して祈っているのかはわからない。
葬儀が終わり、坂棟はセレンキーアの墓の前にいた。
木でつくられた墓標に、紅玉のペンダントが揺れている。
紅玉のペンダントは、青色がきれいに落とされていた。
坂棟は、自分が感傷的になっていることを自覚した。
ラバルに夢を描いた彼女に対して、思いいれがあったのだろうか?
彼は自分の心がわからなかった。
だが、わかっていることもある。
セレンキーアには、未来を奪われるいかなる理由もなかった。
彼女の未来を奪った者を彼は許すつもりはない。
葬儀の後、坂棟はずっとナージェディアの家にいた。
彼は腕を組み、椅子に腰かけている。
セイは、外で警戒にあたらせていた。
坂棟は思索している。
いくらダークエルフの気配がわかりにくいとはいえ、集中していればその存在が消えたことは感知できただろう。
無警戒だったわけではない。
村やその周辺より、もっと距離の離れた場所に意識を向けていたのだ。
足元がおろそかとなっていた。
――問題は、犯人の動きがまったくわからなかったことだ。
坂棟だけではなく、セイも犯人を感知していなかった。
坂棟は、この村にいるダークエルフの気配をすべて探った。
やはりわかりにくかった。
世界に対して存在力が薄い。
生命力がぼやけている、という印象である。
中でもナージェリアはひどく曖昧だった。
坂棟が感知したダークエルフの総数とセイのそれは、同じ数となった。
四二人。
セレンキーアはのぞいた数だ。
セイには視認させ、数が正確であることを確認させた。
ナージェディアから聞いていた数も同数だ。
坂棟はダークエルフの移住を早めようと考えていた。
だが、今の状況では難しいところではある。
普通に考えれば、犯人はこの村の中にいるはずだ。
外部犯であるというのは考えにくい。
この村を見つけるには、上空から森を意識的に見る、という行為が求められるだろう。
絶対にいないとは言えないが、可能性は限りなく低い。
厄介なのは、この犯人の動きがまったく感知できないということだ。
そんな人間をラバルに放つわけにはいかなかった。
犯人を捕まえる必要がある。
だが、犯行がこれで終われば、犯人までの線をたどることは難しいだろう。
かといって、次の犠牲者を待つというわけにはいかない。
不自然な点は二つ。
一つは、青い血で書かれた「化け物」という単語。
あれはセレンキーアではなく、犯人によって書かれていた。
彼女の指が汚れていないことからもわかる。
犯人からのメッセージなのだろう。
もう一つは、昨夜というタイミングである。
ダークエルフの住人であるなら、ラバルという町へ引っ越しする可能性があることを知っていたはずだ。
無差別に人を殺したいのなら、むしろ、ラバルに移動した後に殺しを行うのではないか?
そうすれば、ラバルにはダークエルフにかぎらずさまざまな種族がいる。
犯人がダークエルフであるのなら、他の種族たちは、自分たちを害する敵とも呼べる存在だ。
もっと、積極的に殺す動機がもてるはずである。
無差別ではないとしたら?
始めからセレンキーアが狙いであった。
あるいは、ダークエルフという種族全体が狙いか?
個人、もしくは全体を狙ったのだとしたら、ラバルに連れていかれれば犯行が難しいと判断して、移住の前に犯行を行ったということだろうか。
「サカムネさん」
「ああ」
暗い目をしたナージェディアが、扉の前に立っていた。
「セールガットとセレンミールが……セレンキーアのご両親があなたと会ってもいいと言っています」
「そうか……具合はいいのか?」
「ええ」
「ナディアの調子のことだぞ」
「……大丈夫です」
坂棟は立ちあがった。
セレンキーアは、人から恨まれるように娘には見えなかった。
だが、余所者の坂棟には見えないことが、ダークエルフの村にも多くあることだろう。
小さな集団であるからこそ、より深く隠されているのかもしれない。
「ナディア、一つ訊きたいんだけど?」
「何です?」
「自分が何を見て倒れたのかは、わかっているか?」
「はい」
「その理由は?」
「………」
返答はなかった。
坂棟は、セールガットとセレンミールというセレンキーアの父母と会話をした。
先程見せた娘を失った感情の高ぶりが嘘であったかのように、二人は静かに座っていた。
娘の死さえも、諦めとして受けいれてしまったのかもしれない。
セレンキーアの交友関係に問題はなかったようだ。
特に親しい友人もいなかったらしい。
そもそも同じ年代のダークエルフは数がかぎられていた。
嘘を言っている様子はない。
実際、この小さな村では、人間関係を隠すことなど不可能に近いだろう。
「セレンキーアさんには、何か夢がありましたか?」
「夢……?」
初めてその単語を耳にしたかのうように、両親はぽかんとした。
「彼女は外の世界に憧れていたのでは?」
「――そんなことはないと思います」
小さな社会では隠し事は難しいだろう。
だが、人の心の内を知ることはできないらしかった。
結局、セレンキーアの両親から有益な情報は得られなかった。
セレンキーアの線からはたどれない。
そうなると、ナージェディアから話を聞くことになる。
死体を目撃した時の彼女は、あきらかに普通ではなかった。
失神したほどだ。
何かを知っている可能性がある。今回の件とはまったく関係のないことかもしれないが、関係があるかもしれない。
ナージェディアは、坂棟についてくることはせず家に残っていた。
坂棟は、セレンキーアの家を後にした。




