2 主従
光熱波は激突し、せめぎ合った後に弾けた。
周囲に爆風のような強風が生まれる。
坂棟は地面を蹴ると、爆風に突っこみ、その後ろにいるはずの竜へと攻撃をしかけた。
坂棟の身体にみなぎる力は、先程の比ではない。それは、彼の右拳に宿る力も大きくなっているということだ。
竜の鼻っ面を、彼は真下に殴りつける。
竜の顔は弾け、地面に激突した。
坂棟は光熱波を上空から竜に浴びせる。
竜の顔面に光熱波は命中した。
「――わかってきた」
坂棟は呟く。
身体の中がすっきりとしていた。
どうやら感情の爆発により、内にこもるエネルギーを閉じこめていた蓋が壊れたらしい。
途切れることなく、彼の身体には力が供給されつづけていた。
だが、竜もそれでは終わったわけではない。
起きあがると反撃をした。
人間と竜は、何度も力をぶつけあう。
正面から巨大なエネルギーが衝突した。
光と紫光が絡み合い弾ける。
空気が裂け、大地が割れた。
数十回と繰りひろげられた力の激突は、ついに決着がつく。
軍配は坂棟に上がった。
ひるんだ竜に対して、坂棟は容赦なく攻撃を続ける。そして、決定機が彼に訪れた。竜がその腹を見せるという、あまりに大きな隙を生んでたのである。
坂棟は飛びこみ、渾身の力をこめて竜の腹を殴りつけた。
皮膚が破れ、肉が裂け、骨までも破砕して、彼の拳から放たれた力は、竜の身体を貫通する。
竜が咆哮した。
坂棟は連続して、左拳と右拳を振るう。
最初の一撃で生じた穴は、巨大化され、そして無くなった。
竜の身体が千切れたのである。
大量の鮮血が周囲に降りそそぎ、大きな血だまりを作った。
ついに竜は地面に伏す。
坂棟は、竜の前に立って宣言した。
「俺の勝ちだな」
坂棟の呼吸は大きく乱れていた。肩で息をしている。消耗しているのだ。
竜の瞼はまだ閉じていなかった。
その黒い瞳は、坂棟をしっかりと捕らえている。
咢が大きく開き、千切れた身体で竜は坂棟に襲いかかる。
坂棟は上空に大きく跳んだ。竜の牙は空を切った。
坂棟は右拳をかまえる。
脳天に直撃させ、頭を砕けば、竜と言えどもとどめをさすことができるだろう。
――死ぬような目にあわなければとわからないようね。
この忠告を自分に与えたのは誰であったか、ギルハルツァーラは思いだす。
竜王の一体である。
こちらから何度もけしかけ、ついに本気で戦った相手だ。
戦いは十日間続き、周辺一帯は瓦礫と化し、一部の気候にまで変動を与えるほどの激闘であった。
どちらもぼろぼろの状態となった時に、言われたのだ。
「あなたは一度死ぬという恐怖を味わわないと、他者を認めることができないようね。今のあなたはただの暴風でしかない」
「でも、この世界には私たち竜王をおびやかす存在などいない。私たちが死ぬことはない。あなたは永遠に成長することがないのかもしれない」
死ぬことはある。
気づいた時には遅かったが、目の前の人間の力の本質は、存在を消滅させるというものだ。
充分竜王にとどめを刺す資格を持っていた。
竜王と言えども、とどめを刺されれば存在は失われる。
どうやら、ここで死ぬことになるらしい。
敗北したのだ。
敗北の経験など、過去においても未来においてもあるはずはなかったのだが、完膚なきまでに敗れた。
受けいれるしかない事実である。
ギルハルツァーラは最期に他者を認めることができた。それがか弱い人間であるというのは、まったく予想外のことではあったが。
命のやりとりをした相手だ。
当然、とどめを刺すべきだった。
坂棟は息を吐く。
何となく目の前の竜が観念したように彼には思えた。
本当にとどめを刺す必要があるのだろうか?
たとえもう一度戦ったとしても勝つ自信はある。
物語上の竜には、たいてい知性があった。この竜にそれを期待することはできないのだろうか。
坂棟は拳をおさめた。
彼は、竜の傍に着地する。
「仲間になるか? いや、おまえは凶暴だから、従者にして俺の管理下に置くか」
竜の反応は薄い。
瀕死なのだから当然だろう。
「俺が死ぬまで、ずっと仕えろ」
坂棟は竜の深い瞳に手をかざした。
できるかはわからない。そもそも存在しているのかなど知らない。
――支配の契約。
だが、彼は確信していた。
契約が結ばれることを。
坂棟の全身が輝いた。
彼の右腕から光が伸びる。光は竜の顔に触れると、反発を示すように放電に似た現象を起こした――が、すぐに静まり竜の全身は光に包まれた。千切れた下半身も同じように輝きに包まれていた。
地上に太陽が生まれたかのように、強力な光が森にあふれる。
時間の経過とともに、光の強さはさらに激しくなり、膨大なエネルギーがそこに集中した。
そして、一瞬の明滅の後、光はふいに消失する。
時間にすれば、それは三〇秒にも満たないものだった。
光輝の跡に残ったものは、二つの人影。
一方は、坂棟である。
「おまえ、誰だ?」
坂棟は目線を上げて問うた。
「誰、とは、ずいぶんな物言いじゃない。あなたは、私の主人なんでしょう?」
長身の美女が微笑みを閃かせる。
それは、微笑みというには、あまりに攻撃的な笑顔であった。
「初対面の相手に主人なんて言う、おかしな知り合いは、俺にはいない」
坂棟は、主人であることをきっぱりと断った。もちろん、彼は相手が誰であるのかに気づいていた。
これが、坂棟克臣とギルハルツァーラとの最初の会話であった。
ギルハルツァーラは長身の美女である。
夜色に近い深い紫をした髪と黒い瞳、白光のような輝かんばかりの白い肌をした、東洋的でも西洋的でも地球のいずれの人種とも異なる、だが、誰もが認める美貌を、彼女は有していた。
圧倒的な力、生命力、存在力をそのまま美に変換したならば、現実離れしたこの容貌やスタイルになるのも頷けるかもしれない。
たぐいまれな造形美を現実化したギルハルツァーラだが、口調が軽いという点の他に、おかしなところがもう一点あった。
「あなたが望んだのだから」
坂棟の視線に気づいたギルハルツァーラが、薄い笑みを顔にたたえる。
彼女の服装は、派手だった。
ステージ衣装というか、アイドルが着るような色鮮やかなものである。スカート丈も短く、形のよい長い脚がスカートから伸びていた。足元を飾るブーツは見栄えのする白色である。
坂棟の服装は、青色の薄い布地のパーカーに、黒のジーンズである。靴は特徴のないスニーカーだ。竜との戦いでかなり汚れていた。
並んで歩いていると、あきらかにおかしな組み合わせとなっている。
というより、ここは、坂棟の知る世界ではないことは確実で、そもそも、現代日本の服装自体がおかしなものであるかもしれない。
「この珍妙な格好が好きなんでしょう?」
「言いがかりだろ」
念を押すように言ってくる竜の化身に、坂棟は顔をしかめた。
そういうのにはまったく興味がないと思っていたが、心のどこかで求めていたのだろうか。
「言いがかり?」
「ああ、だいたいおかしいだろ。あの姿から人間になるのも変だけど、服装つきってのは、変だ」
「裸が好きってことをアピールしているの?」
「そういうことを言っているんじゃない。おまえが常識はずれだと言っているんだ」
「常識はずれなのは、あなた。人間のくせに、神法術も使わず、私たちと同じように、媒介を必要とせずに、力を直接具現化している」
「言いがかりは、やめなさい。人間と竜、どちらが型破りかを考えれば、答えはすぐにでる」
「あなたは、すでに人間の域にはいない、と言っていることがわからない? その頭では」
主従となった二人のしょうもない会話はそれからかなり長い時間続いた。
「これからどこに行くおつもり?」
ギルハルツァーラの問いかけは、久しぶりとなる健全な質問だと言えた。
「あてがあるように見えるか?」
「では、私が助言を与えてあげます。東へ進みなさい。急げば一両日中に、ある者に出会えます」
「竜に変身して背中に俺を乗せられないのか」
「余分に日数をかけるなら、可能だけど」
「飛ぶより歩いたほうが早いっていうのか?」
「いいえ、あなたのせいで転身するのには大きな力がいるの。竜に転身した場合、数日間は、期待できるような働きはできないと思っていいから。あなたが私を人間の姿に規定したんだから」
「そんなものか」
「知識が増えてよろしかったこと」
楽しそうに、ギルハルツァーラが笑う。
「で、ある者っていうのは?」
「行ってからのお楽しみ――サプライズというやつね」
「サプライズっていうのは、迷惑と同義だと俺は思うけど」
「楽しんでもらえると、私は信じてる」
「そうだな。ハルの言うことを信じよう」
「ハル?」ギルハルツァーラが、形のよい眉をひそめる。「それは、もしかして、私のこと?」
「ああ、ギルでもいいけど、ハルのほうが、言いやすいから……気にいらないか?」
わずかな沈黙の後にギルハルツァーラは口を開いた。
「わかりました。私のことは、そうお呼びになってください」
彼女の完璧な美貌は無表情におおわれていた――だが、口元だけがわずかにゆるんでいることに、彼女自身は気づいていないようだ。
翌日、坂棟たちは、変わらず森の中を歩いていた。
樹海に、小高い山がある。山にも樹木が並び、緑があふれていた。
だが、あるのは、緑ばかりではない。山の側にはたたずむ巨大な影がある。
坂棟たちは、その巨大な影に向かって進んでいた。
「何か、凄いやつがいるんじゃないか?」
「心配しなくとも、私よりも凄いということは絶対にない。まあ、私と同類ではあるけど」
「竜ってことか?」
「そう」
「竜ってそんなに安売りしていいのか?」
ハルはわずかに首を傾げた。「運が良いんじゃない?」
「ケンカにならないだろうな」
「竜と聞いて、ケンカを思い浮かべるのはあなたくらいよ」
「俺の知っている竜は、よく暴れるやつなんでね」
坂棟はハルをからかう。
彼は、ハルが人間から「暴虐竜」と呼ばれていることを、本人から聞いて知っていた。
「それは例外、いや特別」
「ただならない気配を出しまくっているみたいだが、ホントにケンカにはならないんだな?」
「あの竜はよく人間と接している変わり者だから。人間離れしたあなたとなら、変わり者同士気が合うんじゃないの?」
ハルは微笑む。
その微笑は、一枚の絵として完成されていて、見惚れるほどの美しさだった。
だが、笑顔を与えられた坂棟は顔をしかめた。美しさに隠れて、ひっそりと別の思惑があるように感じられたのだ。
あれだけ執念深く坂棟を殺そうとした者が、契約がなったからと言って簡単に従うものだろうか?