33 偶然の出会い
ダークエルフ編
坂道がある。
どこまでも続く、長い坂道がある。
彼女は坂道をのぼる。
わくわくしながら、彼女は坂道をのぼっていく。
息を弾ませ、この先にあるものを想像して――。
(ダメ……)
彼女は走る。
小さな足を一生懸命に動かして、約束の場所に向かう。
(ダメ……)
もうすぐだ。
彼女の足は速くなる。
(ダメ……)
彼女は坂道をのぼり終え――。
「――迎えに来たよ」
瞼を上げ、ナージェディアは、ベッドに半身を起こした。
彼女は肩で息をしていた。
額から汗が流れおちる。
全身に汗をかいていた。
汗が冷気にひやされ、身体に震えが走る。
ナージェディアは、くしゃりと髪をかきあげ、数秒瞳を閉じた。
長く尖った耳に、短めの髪がさらさらとかかる。
震えがあるのは寒いからだけではない。
恐怖が彼女の中に強く残っていたからだ。
「また、あの夢……」
はっとしたように、彼女は周囲に視線を投じた。
辺りはまだ暗い。
闇になれた瞳は、ぼんやりと周囲の風景を認識させた。
彼女の部屋である。
いつもと変わらない。
「――誰もいない」
「蒼王、今日は、機嫌がいいんじゃないか?」
坂棟は騎獣に問いかけた。
蒼い一角馬は、坂棟を背に乗せたまま、特に反応を返さない。
一角馬とは、額に角がある白馬のことである。
一角馬の中でも、一際体格のすぐれた蒼色の一角馬がいる。
それを蒼一角馬と呼ぶ。
一角馬の王と言われる種で、一〇〇年に一頭のみ生まれ、同時代に二頭目の蒼一角馬は決して生まれることはない、と言われていた。
坂棟が蒼一角馬を見つけた時、近くにいた一角馬はすぐに逃げだした。
だが、蒼一角馬は逃げることなく、堂々と立っていた。
それから三日三晩、坂棟は蒼一角馬と向かいあいつづけて、主だと認めさせたのである。
そして蒼王と名づけた。
王者の気風をまとった蒼王は、大空を勇壮に翔けている。
その姿は美しい。
「お館様」
背後から坂棟に声をかけたのは、セイだ。
彼も騎獣に乗っていた。
セイの体格に負けない大型の獅翼である。
セイも坂棟と同じように主従の契約をせずに、騎獣を得ていた。
「なに?」
「四〇人ほどの集団がおります」
「どこに?」
「下です」
坂棟は地上を見おろした。
集落がある。
セイに言われなければ見逃していただろう。
「ヒューマン? ちょっと近づいて」
坂棟の声を聞き、蒼王が高度を下げた。
蒼王には、クツワや手綱、鞍もあぶみもつけられていない。
だが、坂棟はバランスを崩すことはなかったし、意思を通じる不自由さもまったくなかった。
「エルフ?」
特徴的な尖った耳を、坂棟の目が捉えた。
「おそらく」
セイが同意する。
坂棟は違和感を持った。
エルフたちは自ら国を建国している。
なおかつ、他種族を見下しているということだ。
こんなところで、隠れるように暮らすだろうか。
「どんなところにも少数派はいるか――セイ、降りてみるぞ」
「承知しました」
「攻撃されるかもしれないけど、対処が可能なら、こちらからは攻撃するな」
「はい」
蒼王は集落へと降りたった。
地上に降りたつと、坂棟とセイは囲まれた。
弓が彼ら主従を狙っている。
蒼王は、突き刺さる敵意をまったく気にかけていない。
「ずいぶん顔色が悪いな」
坂棟は顎をさすった。
周囲にいる全員が青白く痩せ細っている。
弓の弦を引くのも苦しいのではないか、とお門違いの心配をしてしまいそうである。
「あなたは何者です!」
一人の若い女が、囲いの中から一歩出てきた。
ショートの金髪からのぞくのは、特徴的な長い両耳である。
青白い肌をしており、顔立ちは完璧な配置と言っていいほどに整っていた。
軽装備をした身体は、華奢という表現がかすむほど、あまりに細い。
坂棟の目を引いたのは、彼女が眼鏡をしていたことである。
そして、眼鏡の下の瞳は、緑と黒のいわゆる金銀妖瞳であった。
「坂棟克臣二〇歳です。よろしくお願います」
馬上から坂棟は名のる。
両者の間に、友好的な空気はまったく生まれなかった。
間のぬけた空気が漂う。
坂棟は蒼王からおりた。
彼のその動作に、周囲は過剰に反応する。
ざわめきが生じ、矢を射ろうとする者もいた。
「一つ質問だけど、いいかな?」
坂棟は代表者らしい眼鏡の女に声をかけた。
「何です?」
「君たちは食事をしているのか?」
「………」
「獣を食べてはならない、とか決まりがあるのか?」
「そんなものはありません」
「そうか――セイ」
「承知しました」
騎獣を残してセイの姿が消えた。
「何をしたのです?」
「何もしてないよ」坂棟は蒼王の首をぽんぽんと叩いた。「そこらで自由にしてな」
蒼王はその場から飛びたつ。
悠然と大空へと駆けのぼった。
弓を射る者はいない。
全員が蒼王の美しさに圧倒され、見惚れていた。
「こいつは、まあ、ここらにおいてもらえるかな?」
坂棟は、獅翼の頭に手を置いた。
やわらかい毛並を、彼はなでる。
獅翼は目を細めると足を曲げ、その場で四肢を休めた。
「いったい何のつもりです、ヒューマン」
「俺の顔を見ると、ヒューマンとは言いにくいんじゃない?」
「確かに、その顔は……」
「バカにしてる?」
「そういうつもりはありません」
「いつまで、そんなつまらない会話をしている」
「おばあちゃん」
眼鏡をかけた女の視線が、村人の後ろへと向けられた。
おばあちゃんという単語にそぐわない若々しい女性が、皆の視線の先にいた。
しかし、よく見れば皺もあるようで、年を重ねた跡は見られる。
「ナージェディア。家に、その男を案内おし。皆は家に戻りなさい」
「しかし、危険ではありませんか」弓をかまえた男が言う。
「ヒューマンのやり方は知っているだろう? わざわざ単身で現れて、自分の身を危険になどさらしはしない。それに、その男はヒューマンじゃない」
「わかりました。しかし、誰か護衛としてつくべきではないですか?」
「いや、ナージェディアだけで充分さ」
二人の会話が途切れたところで、坂棟が口を開いた。
「獅翼は、家の前に待機させればいいですか?」
「好きにするといい」
「了解」
坂棟は、女とナージェディアの後についていった。
村人の視線が彼の背中に集中砲火を浴びせている。
だが、それは殺意とは呼べない、敵意にさえ届かない視線だった。歓迎できない来訪者に向ける感情の発露としては弱い。
決して心地の良いものではなかったが、坂棟は相手にしなかった。
先を歩く二人の女が家に入った。
彼女たちの家は、他の住人達と変わらない素朴な作りをしたものである。
坂棟は、獅翼に休んでいるよう言うと、家の中へと入った。




