32 仮初めの勇者だとしても……
「ノウドウは間違っていないよ。皆の方がおかしいんだ。おかしいことに対して、おかしいと言って何が悪いんだ! 動かないと何も変わらないのに」
少年期を抜け切ったばかりの、一六歳の青年が食卓を叩いて熱弁した。
彼は、オフィーリアの弟であるジークセイドだ。
姉と同じ金髪碧眼で、姉弟そろって美形である。
ジークセイド、オフィーリア、そして、能動の三人で夕食を囲んでいた。
話をしているのは主にジークセイドばかりで、残りの二人は食事をとることのみに口を使っている。
何か考えこんでいる様子である。
「勇者の眠る霊山には、彼の剣があると言っていたよね」
食事を終えて、能動が確認の問いを発した。
ジークセイドは、霊山という単語がでたことに驚きを示す。
普通の人間にとってその山は、危険でしかないからだ。
だが、彼の姉は、能動の問いにごく自然に答えた。
質問を予期していた。いや、彼女自身も同じことを考えていたのかもしれない。
「ええ。でも、勇者の霊室をおかすものは、誰一人としてあの山から戻った者はいない……これは教えたわよね」
「ああ」
「わかっているのね」
「わかっている」
「そう。じゃあ、何も言わない」
二人の男女は口をつぐんだ。
互いに意思の疎通が充分に図られているようだった。
二代目勇者の終焉の地と伝わる場所は各地にある。
その中にあって、ミーラフ村の住人がなぜ自分たちの住む地を勇者の終焉の地と信じているかと言えば、霊山ラーン・パウルに理由があった。
二代目勇者は、この地で暴れていた真っ黒な体躯をした悪竜バルバズを、村人のために成敗した。
その後、勇者はラーン・パウル山で隠棲し、最期を迎えたのである。
勇者の墓は、今でも神剣・鍛えられし希望によって守られていると伝わっている。
一〇〇年後、パルロ国はラーン・パウロ山の調査にのりだした。
真偽を確かめ、二代目勇者を正式に祀るためとされていたが、当時の王の命令は、神剣・鍛えられし希望を持ちかえれというものであったと言われている。
しかし、三〇人からなる調査隊は全滅した。
ミーラフ村の人たちは、勇者の怒りを買ったのだと噂した。
その時より、霊山ラーン・パウロの天候は、いつなんどきも嵐となり、人が足を踏みいれることを拒否するようになったのである。
このように、パルロ国の調査隊が全滅したことが、本物の勇者が眠る地としての信憑性を増し、強い勇者信仰を村人たちにもたせたのだ。
現在では、勇者の墓は、悪竜バルバズが守護しているという話まである。悪竜バルバズを倒せる本物の勇者のみが二代目勇者と対面できるのだ、と。
伝説とは誇張されているものなのだ。
「ちょっと待って、何を言っているんだ? なんで? ――ノウドウがそこまでする必要はないよ。いや、別のやり方があると思う」
「ないんだ」能動は、ジークセイドの目をのぞきこんだ。「僕はしょせん余所者だ。その僕を信じてもらうには、奇蹟の力を見せるしかない」
「でも時間をかければ」
「時間がたてば、もっと悪くなるだけだ。すでに、皆の生活は破綻している。今からでも遅すぎるくらいなんだ」
「姉さん!」
能動の瞳に決意があるのを見て、ジークセイドは姉に援軍を求めた。
このままでは、彼は死んでしまう。
「彼が決めたというのなら、私は彼のサポートをします」
「姉さん、何を言っているんだ! あの山に登れるのは、勇者だけなんだよ。そして、ノウドウは……」
ジークセイドは言葉をとめる。
能動が勇者ではないことは、姉が一番わかっているのだ。
にもかからず、姉の目にも能動と同じ決意があった。
「ジーク、君は残ってくれ。僕がダメだったら、君が世界を変えるんだ」
能動はジークセイドの瞳をしっかりと見る。
彼は心からの思いを視線にのせていた。
「何を言っているんだ! 僕も行くよ!」
「ジーク」
オフィーリアが呼びかけたが、ジークセイドは自分の部屋へ駆けこんでいった。
彼女は閉じられた扉に視線を投じる。
碧眼には複雑な感情が秘められていたが、オフィーリアは弟を追うことをしなかった。
「明日にも出発しようと思う」
「――神法術の訓練をしないのですか?」
「必要ない。神法術がうまく使えることが重要なんじゃない。心だと思う。僕の心を認めてくれるのなら、英霊は力を貸してくれると僕は信じている」
「わかりました。明日の早朝に出発しましょう」
「ああ……でも、ジークは」
能動は、少年を気づかい彼の部屋に視線を投げた。
「あの子のことは司祭様に頼んでおきます」
オフィーリアの口調に躊躇はなかった。
「そうか……悪いな」
「その言葉は間違っています」
「――ありがとう」
「こちらこそ、この世界のために力を尽くしてくださって、ありがとうございます」
オフィーリアは小さく微笑んだ。
「僕もついていくからね」
翌朝、完全武装をしたジークセイドが家の前で仁王立ちしていた。
「あなたのことは、司祭様に頼んだから――」
オフィーリアがたしなめようとしたが、能動が彼女の肩にそっと手を置いた。
「ノウドウ?」
「ジークと二人で話をしてもいいかな?」
「……ええ、かまいませんが」
「ありがとう」
能動は、ジークセイドと並んで歩き、オフィーリアから離れた。
彼女へ声が届かないところまで来ると、能動はジークセイドに語りかける。
「ジーク」
「僕は絶対に行くよ!」
説得されると考えているのだろう、ジークセイドは反発を隠さなかった。
「僕はジークをとめない」
「――本当に?」
「ああ、一緒にきてほしい。だが、一つ約束してほしいことがあるんだ」
「約束?」
ジークセイドの顔つきが変わった。
能動は説得しようというのではなく、それどころか自分を頼ってくれるらしい。
ジークセイドは男の顔になった。
「どうしようもない時は、僕が時間を稼ぐから、その時君は、オフィーリアを連れて山をおりるんだ」
「え?」
「あの山で本当に調査隊が全滅したというのなら、相手は天候だけじゃないと思う」
「――悪竜バルバズ」
「それはわからない。でも、何かがいると考えたほうが良い」
「危険だと思っているんだね」
「それはね」
「しかも、死ぬかもしれないって……」
「僕を置いていくことは、見捨てるのとは違うんだ。僕の失敗を君が活かしてくれれば良い。君には僕以上の才能がある」
「そんなのわからないよ」
「僕の死を受けいれる覚悟がないのなら、一緒に来ることは認められない」
「………」
「男同士の約束だ」
能動の言葉に、ジークセイドはすぐに返事をしなかった。
決意の時間を欲したのだろう。
それでも、彼は最終的に頷いた。
「……わかった」
霊山に入る前に、ジークセイドは姉とも話をした。
「ジーク。あなたはついてくると決めたのなら、何よりも彼を助けることを第一とするのです。他のことにとらわれてはなりません。もちろん、私にもです。わかりますか?」
「………」
「それがわからないというのなら、ノウドウが何と言おうと、私はあなたの同行を認めません」
「……わかった」
「あなたの覚悟を信じますよ」
対象を変えただけで、まったく同じことを言う姉と異界者に、困惑を覚えさせられるジークセイドであった。
霊山ラーン・パウロは未開の山であるため、樹木や植物の葉は視界をさえぎるように鬱蒼としげっていた。
太陽の光があまり届かず視界は常に暗い。
一年中嵐に見舞われていると言われる霊山ラーン・パウロであるが、実際はそんなことはなかった。
風雨はまったくと言っていいほどない。
三人の登山は、順調と言って良かった。
「ノウドウのことを認めてくれているのかな」
「そうだといいね」
楽観的なジークセイドに、能動は笑顔を返した。
しかし、しばらく歩くと天候は一変した。
陽射しはまったくなくなり、黒雲が空を隠す。
吹きつける風は強くなり、木の枝が大きく揺らされた。
「ここからが本番みたいだ」
明らかに山の空気が変わった。
彼らの歩む速度は大きく後退した。
能動たちは洞窟の前に立っていた。
穴の大きさは二メートルほどだ。
先は暗く見とおせない。
この洞窟が、勇者の墓へとつながっていることは間違いなかった。
なぜなら、異質な空気を放つ剣が、洞窟の入り口に突き刺さっていたのである。
霊室を守護しているのだろう。
能動は剣に向かって一歩進んだ。
姉弟は後ろで彼を見守っている。
ますます空は暗くなった。
彼の歩みにあわせて風雨がますます強くなる。
槍のような雨粒が、三人の身体と地面に突き刺さった。
「僕に力を貸してくれ!」
能動は剣の柄を両手で握り、力をこめて地面からひきぬこうとした。
だが、剣はぴくりとも動かない。
「僕のやっていることは間違っているのか! 僕のやろうとしていることは間違いなのか! 勇者と呼ばれるあなたは、パルロの民を見捨てるのか!」
能動は叫び剣に力をこめるが、大地に一体化したかのように剣はまったく反応しない。
「ノウドウ、上!」
激しい雨音の切れ間をぬって、オフィーリアの声が能動に届く。
能動が振り仰ぐと、洞窟の上に巨大な影があった。
薄暗闇の中、瞳だけが光っている。
翼をもった竜が三人を見下ろしていた。
闇に染まったような色をした竜――。
「バルバズか!」
悪竜バルバズが咆哮した。
能動は弾かれたように後ろへと跳んだ。
突如生じた炎と氷の槍が連続で竜を貫く。姉弟が能動の退避を援護したのだ。
痛みに怒りを覚え、竜はまたもや咆哮し、翼をはためかせて地面に降りたった。
二本足で立ち、でっぷりとした腹を見せる。
ヘビ型ではなくトカゲ型の竜である。
「俺が突っ込むから、二人は援護してくれ!」
能動は叫ぶ。
風雨に言葉の伝達は大きくさまたげられていたが、彼は自分の言葉が姉弟に届いたと信じた。
能動は走る。
炎槍が彼の横を通りこし、竜の腹部に炸裂した。
能動は竜の足もとに入りこむと、そのまま足を殴りつける。
彼の拳には、見えない膜のようなものが張りめぐらされていた。
ただの拳に比べ、数倍の威力がある。
だが、竜の鱗の防御力を破ることはできなかった。
能動は、その場で抜刀する。
竜が腕を振りまわし、鋭い爪が能動に直撃した。
火花が散る。
ぎりぎりのところで受けとめた剣が折れ、能動の手の中から消えた。
そのまま能動は吹っ飛ばされる。
竜は雄叫びをあげると、姉弟に向けて、竜の咆哮を放った。
高熱波が姉弟を燃やしつくそうと襲いかかる。
姉弟は、神法術による結界を周囲に張って、何とか耐えた。
しかし、いつまでも耐えることはできないだろう。
ついに結界が破られようとした時、竜の高熱波も同時に途絶えた。
間一髪であった。
姉弟の息は、早くもあがっていた。
勇者の墓にたどりつくまでに、体力を大きく減じていたのだ。
戦闘の最初から、誰にも余裕はなかった。
能動は状況が悪いことを理解した。
彼は立ちあがる。
吹っ飛ばされた彼の側には、偶然にも地上に突き立つ剣の柄があった。
地面に刀身を埋めた勇者の剣である。
「抜けろ!」
能動は叫び、力をこめた。
無情にも剣は彼の意思に応えてくれない。
「英霊よ。勇者よ。ノウドウという新たな勇者に、力をお貸しください」
オフィーリアが天に向かって叫んだ。
「勇者はここにいる!」
ジークセイドは絶叫した。
その時、竜が咆え、両腕がふさがったままの能動に襲いかかった。
竜の巨体に能動の身体が隠れる。
――次の瞬間。
竜の巨躯がゆっくりと真っ二つに割れた。
別れた竜の身体が、重い音をたてて大地を揺らす。
風雨の中、能動が立っていた。
彼は、右手にある剣を天へと掲げた。
黒雲がわれ、太陽の光が射しこんでくる。
希望と呼ばれた剣が、今太陽の光をうけて、再びその美しい細身の刀身を輝かせている。
神剣・鍛えられし希望は、新たな持ち主を迎えたのだ。
嵐はすっかりやんでいた。
下山すると、能動は竜殺しの称号を得た。
そして、勇者として、民に大々的に迎えられることになる。
彼らは霊山ラーン・パウロから黒雲が消え、光が発せられた幻想的な光景を目撃していたのである。
ミーラフ村の住人を始めとして、能動は多くの人々の支持を集め、そして彼らを味方にした。
誰もが能動の言葉を信じた。
人々は武器を手に取った。
能動を旗頭にして、ついに民衆は蜂起したのである。
パルロ国の正史に、「ノウドウの乱」と記載される戦いの幕が上がったのだ。




