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31 彼の声は届かない




 二メートルはあろうかと思われる岩がこなごなに崩れた。


「よし」


 能動新樹のうどうあらきは、両手を見る。

 何ら変わったところのない手ではあるが、今まさに、この手から、光熱波が発せられて、岩を砕いたのである。

 能動は、一八歳。高校三年生である。

 黒髪黒目で、後一歩で二枚目といった容貌をしている。

 眼鏡と髪形のためか、なぜか、顔が良いという印象を人に与えない男である。


「ノウドウ、岩を壊したところで世の中は変えられません」


「わかってるよ、オフィーリア」


 能動は、近づいてくる女性に向かって微笑んだ。

 金髪碧眼の落ち着いた雰囲気をもった女性である。

 年は能動の一つ上だ。

 白い神官衣を着ていた。


「祝福を受けるのが、怖いのですか?」


「いいや、そんなことはないよ」


「――勇者ではないかもしれないから?」


「それは――そうだね。たぶん、僕は勇者ではないと思うけど」


「――けど?」


「勇者でなければ、皆に起ちあがる勇気が生まれないというのなら、勇者になるしかないよね」


「……勇者は神によって選ばれる者です」


「わかってるよ」


 律儀に訂正するオフィーリアのことを、能動は微笑ましく思った。





 経緯は能動自身何もわからないが、彼は地球とは別の世界に足を踏みいれた。

 この世界に渡って、混乱していた彼を助けてくれたのが、女神官オフィーリアである。

 彼女は能動に衣食住のすべてを与え、言葉を教えた。

 能動がオフィーリアに会えたことは幸運だった。

 彼女がいなければ、能動はまったく違う生き方をしていただろう。いや、命を保つことすらできなかったかもしれない。


 落ち着きを取り戻した能動が見た異世界は、暗黒の姿をしていた。

 重税と奴隷制度によって多くの者たちがこき使われ、彼らの犠牲によって生じた利益で、一部の者のみが豊かに暮らす。

 人間の尊厳や権利など、この世界では認められていなかった。

 こんな不平等が公然と許されているようなこの場所が、辺境の国や地域であったのなら、能動はまだ理解できた。

 だが現実は違った。

 世界でもっとも繁栄しているパルロ王国にこの地域は属しており、なおかつ王国内に置いて決して辺境と呼ばれるような地域ではなかった。

 つまり、この世界ではごく当たり前の状況なのである。

 その事実が能動にはとても信じられなかったし、受け入れがたかった。


 能動は奴隷商を叩きのめし、奴隷として売られた子供たちを助けだした。

 村長に直談判し、奴隷売買をやめるように説得した。

 しかし、駄目だった。

 個人の尊厳や権利の前に、村人たちには、その日を生きていかねばならないという事実があった。

 上に逆らうことの無意味さのみを、村人たちはよく知っていた。


 能動は諦めなかった。

 領主にまで彼は説得の手を伸ばした。

 もちろん、相手にされなかった。

 隣に女神官オフィーリアがいなければ、能動は、自身の生命に深刻な事態を招いていたかもしれない。


 能動は知った。

 上が腐っているからこそ、民に苦渋が与えられるのだ、と。


 能動は「起ちあがろう」と、村人たちを説いて回った。

 彼自身の力を見せて、領主を打倒するための可能性を見せた。

 だが、誰も彼の言葉を聞く者はいなかった。

 村人の目は諦観に濁り、空気は絶望で満たされていた。


「大丈夫ですか? ノウドウ」


「ああ、大丈夫。こんなことはさ、よくあったんだ」


 能動は日本でも同じ経験があった。

 彼は高校三年生である。

 彼は正義感が強く、積極的に行動し、いつでも真剣だった。

 だが、周囲の者たちは違った。

 皆、ある程度頑張り、一定の楽しみが得られれば充分であったのだ。

 余計なことに首を突っこむことを嫌った。

 熱すぎることを嫌がった。

 空気が読めない厄介なやつ、というのが、能動に対する周囲の評価だった。

 だから、できるだけ能動は自分を抑えるようになった。

 学生生活を送る彼は、自分が異分子であることを悟らずにいられなかったのだ。


「よく?」女神官は眉をひそめる。「あなたの世界もこのような状況だったのですか?」


「いや、日本は違う。良い国だったよ」


 能動は、この世界に来て自分を偽ることをやめて、全力で生きることを決意した。

 周囲の理解は、日本にいる時以上に得られなかったが、彼の心は晴れている。

 自分に正直であるという事実が、彼に自信をもたらした。

 信頼できる仲間もできた。


「でも、少し手詰まりではあるよね。このままだと、君たちに迷惑をかけることになる」


「私のことはいいのです。私も、ノウドウと同じ考えなのだから、進む道に何があろうと覚悟はできています」


「君には何ていうか、その、幸せになってほしいんだけど……」


「はい、皆が笑って暮らせるようになれば、それは私の幸福です」


 真面目な顔でオフィーリアは言う。


「――ああ、そうだね」


 能動は苦笑をもらした。

 オフィーリアの真面目すぎる性格は、過ごした時間が短い彼にも充分わかる。

 その生真面目さによって、彼女はこれまでもいろいろと苦労を買ってきたことだろう。

 だからこそ報われてほしい。


「皆を振り向かせる方法がないわけではないのです」


「聞かせてほしい」


「これは、努力次第でどうにかなることではありません」


「ああ、大丈夫。何であろうと、僕はやるよ」


「――勇者、と呼ばれる存在がいます」


 能動は勇者についての説明を受けた。

 勇者とは、二度にわたる魔族との大戦に出現した、二人の英雄のことである。

 彼らは、神々より神剣を授かり、魔族討伐で巨大な力を振るった。


 初代の勇者は魔族を倒し、その後パルロ国を建国した。

 二代目の勇者は、魔族を倒し、その後隠棲した。

 いずれも神託によって選ばれた人間であった。


 ここミーラフ村は、二代目勇者の終焉の地とされている。

 この地に住む人々にとって、二代目勇者は唯一の誇りであり、わずかに残った彼らの支えであった。

 勇者信仰が強い村なのだ。

 勇者であるとの神託を授かれば、能動の言動は勇者のそれとなり、人々の希望の光となるであろう。





 中規模な村としては立派な神殿である。

 五体神の一柱、太陽神シャラを祀っている。

 シャラは男性神である。

 光・正義・公正・秩序などを象徴としている。


 普段は静謐とともにある神殿に、今は人があふれていた。

 ミーラフの村人ばかりではなく、他所の村から訪れている者たちもいる。

 すべてをあきらめているように見える彼らでも、心の奥底では希望を求めているのかもしれない。


 神殿の奥には太陽神シャラの神像がある。

 左手に炎を、右手に剣を掲げていた。

 額には第三の瞳がある。本来、一〇の耳を持つとされているが、それは神衣に隠れて見えない。



 荘厳な空気の中、神像の前に能動はひざまずいた。

 傍にいるオフィーリアが、神へと言葉を捧げ、能動もまたその言葉を繰りかえす。

 能動は光に包まれた。

 神の加護を受けたのだ。

 彼は、これで完全にルーン大陸の住人となった。

 儀式はさらに続く。


「偉大なるシャラよ。我らは魔族を滅することを誓います。公正なるシャラよ。我らに光の剣を授けたまえ。真実を見とおすシャラよ。能動新樹の姿を映したまえ。光り輝くシャラよ。我らを導きたまえ」


 オフィーリアの言葉のみが、神殿に朗々と響いた。

 神殿のすみずみまで彼女の声は届く。

 この場にいる人々のすべての視線が、ひざまずく男に注がれた。

 何も起こらない。

 時の砂は流れ、再びオフィーリアはその口を開く。


「……ノウドウは、勇者でありません」


 オフィーリアの宣告が、神殿の張りつめた空気を静かに揺らした。それは諦めの吐息が漏れた物だった。

 審判は下されたのだ。


 能動新樹は勇者ではない。








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