19 ランストリアとセイレーン
アサラ湖から東に流れるナレム川を下ると、海へと出る。
ナレム川の河口にはランストリアという港町があった。
歴史が浅く規模は小さな町だが、その繁栄はパルロ国の地方都市を軽く凌ぐ。
理由は明白で、この町を訪れるのがパルロ国の貴族や彼らとつながりのある大商人であるからだ。
他では見られない煌びやかな衣装をまとった美女たち、さらに食事を彩るのは豊富な魚介類をもちいたこれまた他所では見かけない料理の数々である。
また、冬をのぞけばどの季節も比較的過ごしやすくバカンスに適した気候をしていた。
王までもがお忍びで訪れる、などという噂話まで、一部の貴族たちによって囁かれている。
富をもつ者たちが富を散在する町、それがランストリアなのだ。
ランストリアを治めるのは、セイレーンの女王であるサラメ・イツキであった。
パルロ国で唯一、ヒューマン以外の種族が行政の長にある異質の町だ。
セイレーンの町、それがランストリアの何よりの特徴と言える。
人口は四〇〇〇をこす。
半数ほどがセイレーンである。
残る半数の内七割近くを貴族や大商人の奴隷たちが占めていた。
この町で生産されない物は商人たちが運びこむ。
宝石や金細工、酒や茶、香辛料や香料などさまざまなものが取り引きされ、辺境とは思えない金貨が動いていた。
このランストリアを守る防壁はさぞ高く分厚い物と考えられるが、実際はそうではない。
三メートルを超す程度の木材の柵が周囲をめぐっている。
工夫はされている。
乗り越えられにくくするために、木材の先は尖っていた。
使用された木材は太く、また深く地面に突き刺さっているために、猛獣に体当たりされたところでぐらつくことはない。
だとしても、パルロの貴族を守る壁としては、やはり貧弱だ。
もっとも警戒しなければならない魔族の襲撃を、いまだ経験していないと言う理由はあるだろう。
一〇年の安逸が、危険の存在から目をそらさせてしまった。
セイレーンの町であるために、いざとなれば海へと逃げればよいと言う思想があるのかもしれない。
観光客である貴族たちも、この場所は楽しむ場でしかないと言う割り切りがあるのだろう。
執着するべきものはなく、財産も置いていない。
すぐに船で脱出すればよい、との考えだろうか。
だが、この程度の防壁ではとてもとまらない者たちもいる。
それは何も魔族とはかぎらないし、敵意を持った存在ともかぎらなかった。
男女の一組が、セイレーンのすぐ側まで近づいてきていた。
彼らの意思次第では、初めて、この防壁は崩されることになるだろう。
「なんで、男なんだ?」
「私に聞いても知りません。ここにセイレーンがいるはずだって言ったのは、お館様です。この始末、どうつけるつもり?」
「いや、だってこんなところに突然町があったら、セイレーンがいるんじゃね、って思うだろ? この先は海だぞ」
「港町というのは、海の側にあるものじゃない。内陸にあったら変でしょ?」
「いや、そういうことじゃなくて――まあ、ラトは、セイレーンは海底に住んでいるって言ってたけど」
「え? お館様は適当な情報で、私をここに連れてきたんですか? サイアク」
「まあ、確かに単純な発想ではあったけど――」
「次はどこに行くんです? 海ですか?」
「簡単に言うなあ」
「いいじゃない。海の中、いいですよ」
「何が?」
「綺麗です」
「真っ暗だと思うけど――」
「いい加減にしろ! おまえたちはいったい何者だ?」
門前で普通に会話をしている男女に、櫓から身をのりだして兵士が怒鳴る。
「いや、あんたこそ、なぜ男なんだ!」
無茶なことを言い返したのは、櫓を見あげている坂棟である。
彼の隣に立っているのは、ハルであった。
「きさま、何を喋っている!」
「パルロ語」
「そんなことを聞いているわけじゃない」
坂棟は視線を切る。
「鬼という可能性もあるか?」
ぼそりと坂棟が言う。
ただし、独り言にしてはやや声が大きい。
「きさま、鬼を知っているのか! そもそもその見てくれ、あやしい」
「鬼」という単語に、兵士が反応した。
坂棟は答えない。
ただ兵士を見る。
ハルはすでに興味をなくしたのか、というより、最初から兵士のことなど眼中にないようで、他所を見ていた。
彼女は他者への興味がとても薄いのだ。
「答えろ!」
兵士が怒鳴るが、坂棟は答えない。
坂棟は沈黙を守りつづけた。
反応のない不審者二人に兵士は業を煮やして、ついに防壁の外へと出てきた。
二人の格好から冒険者や盗賊ではないと判断し、危険はないと考えたようだ。
二人が強者に見えないのは確かである。
また、不審者に見えるのも確かである。
「ほお、セイレーンにもいないほど美しい女じゃないか。予想以上だ」
外に現れた五人の兵士全員が感嘆の声を上げ、欲望に満ちた目を坂棟の従者へと投げつけた。
顔や胸もと、足を、彼らは舐め上げるように観察した。
ハルは、絶世という形容に負けないほどの美貌の持ち主である。
華奢で足が長く、衣装で分かりにくいが胸の膨らみもかなりあった。
ドレスをまとえば、首から下だけで男たちの視線を釘づけにすることは間違いない。
下卑た笑みが男たちの顔に描かれている。
不躾な視線だけではなく男たちの存在そのものを、ハルは完璧に無視していた。
「ここはセイレーンの国なんですか?」
ちらりと視線を流し、坂棟は櫓に誰もいないことを確認した。
「あん? セイレーンの国? そんなものあるわけないだろ。国は、ヒューマンにしかつくれないものだ」
彼らがヒューマンであることが確定した。
そして、喋っている言語からパルロの人間である可能性が高い。
彼らの外見は地球のどこの人種でもなかった。
強いて言えば、すべての人種を混血した後に、骨格の違いや肌の色の違いが多少残ったという容姿をしている。
これが、ヒューマンの基本的な容貌なのかもしれない。
「でも、セイレーンがいるんでしょ? 奴隷ですか」
「奴隷?」
何か思いついたように、兵士の一人が嫌らしく笑った。
「おまえ、セイレーンを奴隷だと思っているのか? セイレーンの奴隷は王様の意向で許されていないんだ。それを奴隷だと? どこのやつかは知らないが、取り調べる必要があるな」
真意はともかく、意外にまともなことを言うな、と坂棟は思った。
坂棟たちが不審者であることは、間違いないのだ。
こんな森の奥の文明を感じさせない場所に、ヒューマンは普通いないだろう。
さらに服装も奇抜だ。
しかし、彼らの思惑は坂棟の素性を調べることではなく、隣の美女を、彼らなりのやり方で調べたいだけであることはあきらかだった。
もちろん坂棟はそんなことを許すつもりはない。
だが、どうするのか、坂棟は迷った。
どうやら兵士たちはセイレーンを知っているらしい。
口ぶりから日常的に接しているような印象があった。
町にはセイレーンがいる可能性が高いと考えられるだろう。
中に入ればセイレーンに会うという目的は達成できるが、兵士が存在しているという点が、坂棟の思考に引っかかった。
問題なのは、彼らがパルロ国の正規の兵士である可能性だ。
「あなた方はパルロ国の正規兵ですか?」
坂棟は直球勝負に出る。
「ああ、そうだ。ここはパルロの領地だからな」
「へえ、じゃあ、やっぱり部隊の隊長は偉い人なんでしょうね」
何がやっぱりなのかは、坂棟にも謎だ。
「あ? まあ、そうだな」
パルロの兵の反応は良くない。
あまり良い上司ではないのかもしれない。
「隊長だあ?」別の兵士が坂棟を睨みつけた。「物を知らないガキが口をはさむな。駐在武官様だよ、俺たちの一番上はな。駐在武官様」
「駐在武官?」
坂棟は、兵士の剣幕にひるんだふりをして一歩下がる。
そして、調子にのってもう一つ質問した。
「正規兵って、全部でどれくらいいるものなんですか?」
「なんで、おまえにそんなことまで教えなければならないんだ」
不快そうに兵士が顔を歪める。
暴力の臭いが漂いはじめた。
力ずくで事をおしすすめようという意志が、兵士たちの粗暴な行動によって展開されようとした矢先に、ハルが口を開いた。
「お館様、何か訊きだしたいことがあるのなら、ラトの力を使えば良いのでは? この程度なら、お館様のぬるい力でも充分通用するんじゃない? 使えるんでしょ? 私、いいかげんに飽きたのだけど」
「あれはまだよくわからないんだけど――使用方法として、あってるのか?」
「このままなら、私がやっちゃうけど」
「何をやってくれるって?」
一人の兵士が言い、残りの兵士たちの間で笑いが起こる。
坂棟はちらりと櫓を再確認した。
変わらず人はいない。
念で探知をしても、周辺に人はいないようだ。
これが正規兵であるというのなら、かなり緩い統制であると言えた。
「俺も、あんまり忍耐力はないんだよな」
坂棟が言った瞬間、ハルが動いた。
一陣の風が兵士たちをなぎ倒す。
暴風が吹き荒れた後には、何ごともなかったかのようにハルが立っていた。
どうやら、兵士の態度が腹に据えかねていたらしい。
「まあ、許可と言えば、許可だけど」
「一人残っているからいいでしょ」
一人だけ無事であった兵士は、口をぽかんと開いたままあわあわと周囲を見回している。
「誰か近づいてきたら、教えるように」
坂棟は、念糸で兵士の身体を縛り、行動の自由を奪った。
目をじっとのぞきこむ。
坂棟は兵士を幻惑の中に取り込んでいく。
兵士の焦点がぼやけ、瞳から感情が薄れていった。
一〇秒とかからず、坂棟は兵士を催眠より深い状態へと誘導する。
坂棟はいくつかの質問を兵士にして、いくつかの有益な情報を得た。
町の住人は、セイレーンとパルロ国の貴族たちであること。
兵数は一〇〇人に満たないこと。
神法術師は六人いて、その内の一人が駐在武官であり、彼は唯一の上級神法術師であること。
セイレーンは、多くの者は色素が薄く、髪の色は栗色。肌の色は作りもののように白く、青い瞳をしているらしいこと。
「掃除をしますか?」
ハルが言う。
「いや、五人も正規兵がいなくなれば怪しまれる。調査も徹底して行われるはずだ。それよりも、生かしておいた方がいい。彼らも俺たちみたいなやつにやられたとは、上に報告できないだろ。しかも、持ち場も離れている。放っておいた方が、問題の起きる可能性も問題が大きくなる可能性も低い」
坂棟とハルは、その場を後にした。
五人の兵士たちが意識を取りもどしたのは、一時間が経過した後であった。
坂棟の予想どおり、彼らは自分たちの失態が他にばれていないことをいいことに、持ち場を離れたことをごまかした。
ついでに、坂棟たちに関する報告も闇へと葬った。
問題は、やはりパルロの手がこんなところにまで伸びている、という事実である。
坂棟は鬼とパルロが戦ったという過去を、ラトから聞いて知っていた。
だが、パルロは周辺地域を支配することなく退却した、という話であった。
坂棟は、まだパルロと接触する気はない。
他国との接触、交流は先だ、という漠然とした未来像しか、彼は持っていなかった。
坂棟は観光気分でいたのだが、様相が少しずつ変わってきている。
盤上の先に、姿の見えない新たな指し手がいることを異界の大学生は自覚した。
ここで選択を誤れば、いっきに、盤それ自体が大きくなる可能性がある。
いや、彼が把握していないだけで、もともと世界という盤面はひろく大きなものなのだ。
坂棟は思考を進める。
セイレーンと、鬼、そして、パルロ国。
セイレーンは、パルロとつながっている可能性が高い。
であれば、下手に接触するのは危険かもしれない。
鬼とのみ接触をはかって、彼らの内希望者をラバルへと移住させる。
だが、この場合、ラバルの存在は鬼に知られることになる。
残った鬼とパルロとの間で接触がもたれることがないのなら良いが、彼らの間には因縁がある。
戦が起こる可能性があり、そうなった場合本筋とは関係のないところで、ラバルの存在がパルロに知られるかもしれなかった。
ラバルの防壁が完成するまでは、あまり動かない方がいいかもしれない。
坂棟の行動指針は、慎重論に傾こうとしていた。
「お館様、戻りました」
森の中を歩いていると、早朝の風のようにセイが、心地よいほどに自然に坂棟の前にかしずいた。
「セイ、いいところに来た」
「はい」
「洗濯と、洗浄を頼む」
「わかりました」
坂棟は全裸になった。
セイが生みだした水の塊の中に服をいれる。
洗濯機と同じように水の中で、服が回転を始めた。
また、坂棟自身も同じような状態になって身体を洗う。
もちろん、呼吸は可能なようにセイが注意をしていた。
洗浄が終われば、乾燥が始まる。風によって、いっきに乾かすのである。
坂棟と一緒にいる間、セイは電化製品の役目を果たしていた。
風で髪をまきあげられながら、坂棟はセイから報告を受ける。
「一〇〇人近い人間が暮らしていましたが、すべて女性でした。男は、まったく見当たりません」
「――外見で共通しているような特徴はあったか? おそらく、全体的に色素が薄く、茶色の髪と青い目、病的な肌の白さが、特徴だと思うんだが」
「はい、そのような外見をしていました」
「セイレーンかもな……場所は、そんなに遠くないのか?」
「お館様のこれまでの旅程の速さで歩くのなら、二日もかからないかと。飛べば、一日とせずにたどりつけます」
普通の人間なら、四、五日も歩けばたどりつける距離ということだ。
急げばもっと時間を短縮できるだろう。
仮に、セイが見つけた場所にセイレーンの村があるとするなら、セイレーンはランストリアから近い場所に別れて住んでいる、ということになる。
「なんで、わざわざ離れて暮らしているんだろうな?」
「別れているのは、おかしいの?」
「セイレーンは女王が率いているらしい。女王がいるからといって、一カ所に集まらなければならない理由はない。でも、さして離れていない場所にいるのは、何か理由があると考えたほうが自然じゃないか」
「どんな理由です?」
「――工場とか?」
「……物を作るところ、という意味ですか?」
ハルの口調が変わった。
「ああ」
「では、行きましょう?」
「え? いきなりやる気?」
「いつまでも、だらだらとしてもしかたないでしょ」
「だらだら、か。まあ、そうだな」坂棟は苦笑した。「にしても、何で海の中じゃなくて、地上なんだろうな?」
とりあえず、村には入らずに外からセイレーンを観察してみよう、と坂棟は考えた。
やる気を見せているハルを足どめするための説得に時間をとられることになりそうだ、とも、考えていた。
この時、坂棟はセイレーンと接触するのかしないのか、はっきり決めていない。
彼の思考は明快とは言い難く、曖昧な状態にあった。
「もう一つ報告したいことがあります」
セイが口を開く。
ハルが歩きだしているタイミングであっても話すというのは、それほど重要な情報であるということだ。
「なんだ?」坂棟が訊く。
「彼女たちには、水の精霊に近い気配があります――わずかですが、混ざりあっているような異質な感じです」
「ふーん」
立ちどまって、ハルが振りかえる。
笑みが顔に浮かんでおり、いかにも意味ありげである。
「どうかしたのか?」
「あの失礼なやつの気配がわかりにくかったでしょ」
「クツハ城のことか?」
「ええ、精霊の力が変な風に働いていたから、というのが正解だったみたい」
「精霊が関係しているから、何なんだ?」
「精霊なんかいちいち意識していられないって話です」
「精霊は、どこであろうと存在している、とかいう話か?」
「ラトにでも習いましたか?」
「いや、適当だったんだけど……」
何となく、異界者と竜王の主従はお互いの目を見合わせた。




