16 今へとつながる
鬼・セイレーン編
神々の加護のないままに 人々は虐げられ
屈辱と絶望の夜が 世界をおおう
ルーンの大地に翻るは 美麗な王旗
右手に激する炎の刀剣 左手に清浄なる青き水晶
その身を守るは大地の甲冑 胸には黒き叛逆の証
背後に控えし一〇〇万の兵は咆哮す
英邁にして剛毅 世界の覇者たるその姿
古き太陽は落ち 新たな太陽が昇る
それは世界の王、我らの王――
セイレーンに伝わる神託
――一二年前。
巨大な湖の中心に、島がある。
この島には鬼が住んでいた。
鬼とは、見た目はほとんどヒューマンと変わるところのない種族だ。
島には鬼の城があった。
クツハ城という。
周囲を崖にかこまれた天然の要塞であり、そこに人工の防壁が加わり、難攻不落の城となっている。
だが、その難攻不落の要塞は、各所から煙があがり、炎の舌がいたるところに伸びていた。
島の周囲は、数十隻に及ぶ大型船が囲んでいる。
火種の原因の一つは、この船からの攻撃にあった。
神法術による炎槍や氷槍、土塊が、間断なく撃ちだされていたのである。
耳をつんざく爆発音が連続してあがった。
岩壁や防御壁が崩れる音や建物が壊れる音が共鳴し、悲鳴のような轟音が湖上にとどろく。
次に生まれたのは、城内にて争う剣戟の音だ。
始まりの音が生じた瞬間から、その音は途切れることはなく続いた。
聞こえてくるのは、怒声や悲鳴。
悲鳴は城内にいた兵士の物ではない。
鬼の老若男女が上げたものだ。
圧倒的に攻撃側がおしていた。
攻撃をしているのはヒューマンの大国パルロだ。
城塞の有利を失った今、大きな兵力差を考えれば、防御側の鬼の善戦は驚異的ですらあった。
だが、敗北は避けようがない。
湖への大型船の侵入を許したこと。
島への接近を許したこと。
これによって、鬼とパルロ国の戦の勝敗は決したのである。
城門のすぐ側で、各勢力の総大将が睨み合っていた。
鬼の王と、パルロ国の王子である。
角を生やした鬼の王の顔は、凶悪に歪んでいる。
ぼろぼろになった鎧からのぞく、肌の色は赤い――いや、正確に言えば、その色は黒ずんだ赤さだ。
眼光に赤い輝きが見えるのは、本来白目である部分が血色に染められているからである。
よく見れば、身体からうっすらと蒸気が上がっていた。高い熱を発しているのか、周囲の空気が揺らいでいる。
敵陣を切り裂いてきたのだ。
無傷ではない。
鬼の王は、身体のいたるところから血を流していた。
左腕は力なくだらりと下げられている。
すでに右脚の自由もきかないのか、足を引きずるようにして前へと進んでいた。
満身創痍だ。
だが、まだ諦めていないことを示すように、王の右腕には刀が光っている。
一方、パルロ王子の顔は涼しげだ。
金髪碧眼の若き貴公子である。
白銀の甲冑を纏う姿は、吟遊詩人に謳われる英雄のような美しさと凛々しさがある。
眼光の鋭さ、そこからあふれる獰猛な気配が、架空の英雄ではなく彼が戦場の英雄であることを強く主張していた。
パルロ兵が鬼の王に襲いかかる。
だが、あっさりと斬り捨てられた。
味方の死体を踏み越えながら、パルロ兵は次々と鬼の王に襲いかかり、命を散らす。
鬼の王が通った跡には、生命活動を停止させられたパルロ兵が何人も倒れ伏していた。
激闘の跡は王の傷だけではなく、パルロ兵の死屍累々も示している。
「弓をもて」
パルロの王子が弓を手にした。
ぎりぎりと弦を引きしぼり、一歩一歩近づいてくる鬼の王に狙いをつけて矢を解き放つ。
それは、鬼の王がパルロの兵士をちょうど斬り捨てた、まさに防御が難しい瞬間であった。
空を裂いて一直線に飛んできた矢によって、王は右目を貫かれる。
血しぶきが咲き、反動で首が後ろに弾かれた。
一瞬、王の動きが止まった。
が、反応はそれだけで、痛みに悲鳴を上げるどころか、声すらもらさなかった。
鬼の王は、刀を地面に刺すと、右腕でいっきに矢を引き抜いた。
ごぼりと血が噴きだし、鬼の王の顔がさらに赤く彩られる。
鬼の王はにやりと笑い、矢の先についた自らの眼球を口に含むと、そのままごくりと呑みこんだ。
鬼の王の行為と、その表情を目にして、明らかにパルロの兵士たちがひるんだ。
彼らは、後退することこそしなかったが、彼らの発する戦気は後ろへと一歩下がった。
地面から刀を引き抜き、鬼の王が再び前進を始める。
王へ挑む兵士は誰もいない。
無人の地を行くように、王は、一歩一歩進んでいく。
パルロの兵士すべてが恐れに身体を硬直させていたわけではなかった。
王子の両脇に控えていた二人の男が、戦気をみなぎらせる。二人は、他の兵とはまったく雰囲気の異なる空気をまとった武人だった。
「必要ない。絶対に動くなよ」
命令する若き王子の声は、熱を帯びていた。
表情には笑みがある。
王子は右掌を鬼の王へと向けた。
一〇本の炎槍が空中に出現する。
祝詞を唱えることもなく、王は神法術を発動し、完璧に制御していた。
すべての炎槍が、正確に狙いに命中した。
鬼の王の全身を、炎槍が貫き爆ぜた。
炎が上がり、あまりの威力に地面までもが燃え、衝撃に土がまきあがる。
髙く散った粉塵と炎が、濃い霧のような壁を作った。
炎と粉塵の壁から赤い光が、飛び出す。
鬼の王だ。
王は剣を右手に鷹のように鋭く滑空した。
だが、パルロの王子の腕にもすでに剣が抜かれていた。
五メートルの距離を両者は一瞬でゼロにする。
二つの影が激突した。
交差した二つの影が、離れて動きを止める。
一方の影には不自然さがあった。
肩のシルエットが一直線になっているのだ。
上空に、丸いモノが飛んでいた。
冗談のようなその光景。
丸い何かは地面をころころと転がり、そして、ぴたりと静止した。
――飛んでいたのは首。
鬼の王が、地面を肉体としてパルロの王子を睨みつける。
開かれた片方の目のみが赤い輝きを放っていた。
「パルロの王子よ。次はおまえたちが皆殺しとなる番だ。幾世代かかろうとも、我が子孫がおまえたちを殺しつくす」
凶相から放たれた呪いの言葉は、戦場の空気を凍らせる。
すべての動きが停止する中、ただ一人、王子だけが悠然と歩いていた。
まったく臆することなく、王子は鬼の王の生首へ近づくと、鬼の頭を足で踏みつけた。
「負け犬の遠吠えは、不快だ」王子は嘲笑する。「潔く死ね」
首を軽く蹴ると、王子は、転がる鬼の王の頭を一刀のもとに両断した。
勝ち戦であるはずの戦場は、ゆるやかに吹く風の音が聞こえるほど静まり返っている。
声を上げるどころか、息をすることを忘れたように誰一人動けないでいた。
「何をしている。鬼どもを、皆殺しにしろ」
王子の命令に、兵士たちがいっせいに動きだした。
一万人を数えた鬼たちは、八〇〇〇近くがこの戦いで命を奪われた。
たった一日の戦いで、難攻不落と言われたクツハ城は灰塵と化したのである。
鬼討伐で功をあげたパルロの王子ゼピュランスは、半年の後、国王に即位し、パルロ国で絶大な力を振るうことになる。