0 イレギュラーのプロローグ
視界を覆うのは、あまりに圧倒的な輝きであった。
光であるという認識さえ失せてしまう。
高密度の光が身体を透過し、坂棟克臣は肉体とのつながりを失い、最後には意識までも飛ばされた。
地球とは異なる法則に従った強大な力によって、彼はこの時世界から切り離されたのだった。
空は赤く染まり、荒廃した大地に生物は存在していない。
丘と大きな岩があった。
丘の上に影がある。
それは、人の形をしていた――まったく動こうとしないのは、串刺しになっているからだ。
白い棒状の物に胸を貫かれ、絞られた弓のように背をそらしている。首は後ろに伸ばされ、四肢は力なく垂れていた。
もぞりと巨大な影が動く。巨大な岩のようだったそれは、生物であった。
それが一歩動くごとに、液状のモノが糸を伸ばすようにして地面にこぼれ落ちる。蒸気があがった。地面を溶かしているのだ。
それは丘の上にのぼると、口を大きく開けて、皮を引っ張り肉を引き千切りながら、串刺しとなっている身体を喰いあさりだした。
腹部を食べられながら、ぴくりとも反応しなかったその人影が、わずかに反応を示す。
瞼がかすかに痙攣した。
閉じられた瞳が開かれる。
――期待しているよ。
坂棟は瞼を上げた。数度まばたきを繰り返す。
全身に鳥肌が立っていた。
何かを見ていたような気がする。夢……だろうか? だが、内容はまったく思い出せなかった。
数秒彼は考えつづける。
そして、坂棟は思い出すことを諦めた。思いだせない。夢とはそういうものだろう。
何より、もっと気にしなければならない現実が彼の前に生じていた。
「ここ、どこだ?」
坂棟は森の中に立っていた。
彼は落ち着くために、大きく息を吐く。
わからないことは二つ。
一つは、夢を見ていたのだからおそらく眠っていたはずなのに、なぜか立っていること。
もう一つは、ここが彼にとって見知らぬ場所であることだ。
坂棟は周囲を確認したが、やはり見覚えはない。人工物一つ存在しておらず、それどころか道すらなかった。
彼の視線は、最後に自身に向けられる。目を引くのは服装だ。
「――なんだ、寝てないじゃないか」
どうやら眠っていたというのは、勘違いらしい。
坂棟の服装は、薄いパーカーに黒のジーンズというものだった。これは、彼が眠る時の格好ではない。何より、靴を履いていたことから、寝ていたわけでないことがわかった。
よく考えれば、そもそも眠った記憶がない。単に――と一言で済ませる問題ではないが、意識が断絶しているだけだ。夢を見ていたというのも勘違いか?
坂棟は思いだす。
彼は大学へ行こうとしていた。
一人暮らしのアパートから自転車で十分もかからない位置に大学はある。彼はいつも通りアパートから出て、自転車置き場へと――違う。坂棟は、外に出てなどいなかった。
意識の混濁がある。
大学へ行く準備はしていた――ような気がする。だが、その後がひどく曖昧だ。
彼は、ポケットに手を突っ込み、スマートフォンや財布を探した。何も入っていない。
「状況が限定されるな」
坂棟は苦笑した。
靴を履き終わってから、側に置いたスマートフォンや財布をポケットに入れるというのが彼の習慣だ。
つまり、靴を履き終わった瞬間に、何かがあったことになる。
いつ、自分の意識が途切れたのかを限定することはできたが、それは現状をまったく解決するものとならなかった。
その時、何か巨大な物が落ちた音が森の中に響き渡り、地面が揺れた。
驚きに一瞬身をすくめた後、坂棟は振り返る。
彼の視線は音のした方向に投じられたが、見えるのは、樹木ばかりだ。
原因不明の音。
そして、見知らぬ場所にいる。
危険だと感じその場所に近づかない者、変化をチャンスと捉え踏みこむ者、何者できない者。さまざまあるだろう。
坂棟は、変化をチャンスと捉える若者だった。
虎穴に入ったところで虎子を得られるとはかぎらない。
だが、彼は一歩を踏みだした。この選択が彼の人生を変え、また、多くの人々の人生を変えることになる。
坂棟克臣大学二年生は、この先に何が待ちかまえているのかなど知らない。
そこには、彼の想像をはるかに超える存在がいた。
白い空間がある。
あまりに白いが故に、光り輝いているかのように錯覚を起こしてしまいそうなほどの眩さがあった。
「このような殺風景なところに集まるとは、興が乗らぬ」
「確かに……それ故に、全員が集まらなかったのではないのか?」
「それは、あれのことを言っておるのか?」
「つまらぬことを、あれが動けるはずがあるまい」
「ミルフディアもおらんな」
「彼女は興味がないようだ。ただ――勇者の不在を嘆く気持ちはあったようだ。異界からの喚びよせは行ってくれた」
光り輝く四つの人の形をした者たちが、会話をしている。
いずれも完璧な美貌、外観を有していた。至高の芸術家でさえ表現不可能な美が、そこには存在している。
「立花公一郎、水沢美由紀、有松虎足、能動新樹、赤摘瞳季という名の五人が、我らの世界へと足を踏みいれたことになる」
「魔族と同様我らの律にはおらぬ、外の存在。遊びが過ぎれば、魔族の二の舞になるのではないか?」
不備を指摘しているにしては、発言者の口調はあきらかに楽しんでいる。間違いが起これば良い、と望んでいるかのようだ。
「すでに異界者のことはわかっている。あれの遊びのおかげでな……ちょうど良いくらいに、人間の怠惰と絶望を薄める役割を彼らには期待できるだろう」
「成長しない、であったかな? 勇者と正反対というのは――おもしろい」
「そして希望を見る者が増え、新たな勇者が誕生し、平和な世が再来する……か」
全員がわずかに口元を動かし、薄く笑った。冷然とした微笑には、ただ侮蔑のみがある。
「それにしても、どうして人というのはこれほど愚かで、醜く在れるものなのか。いったい、何の因子がこのような世界をもたらしたのやら……人間の絶望は深すぎる」
歎きの言葉とは裏腹に発言者の顔には喜びがあり、周囲の者たちの顔にも同様の感情が浮かんでいた。
しばらくの歓談の後に、四つの輝く人型は四方に散った。
光り輝く存在を失うと、白い空間は砂のように崩れさり、痕跡をまったく残さずに消滅した。