06 異界の王~敵と味方
「支配領域を増やしていくことは、ヴァルキア軍の兵力から見ても不可能である。敵戦力を各個撃破し、可能なら敵主力も撃破する。我々の目標はただこれのみ」
という坂棟の言葉で軍事行動、その目的が決せられた。
以降、ヴァルキア軍の攻撃目標は拠点制圧ではなく、魔王軍撃破のみに置かれることになる。
――ヴァルキア軍連戦連勝!
――常勝将軍坂棟克臣。
わずか五〇〇――魔妖術士も含まれる――の兵士をひきつれて、坂棟は魔王軍との二度の戦いに勝利した。
戦の内容は、坂棟が魔王軍を叩き潰滅させ、追撃戦を兵士たちが行うというものだった。
いくら魔王軍が強かろうと、戦意を失くした逃走中では一方的に被害を増やすのみであった。
参加した兵士たちは、これによって勝利の実感を手に入れることができたのである。
魔王軍といえど、決して倒せない相手ではないのだ。
兵士たちは戦うことに対して、自信を取り戻すことができたのである。
ヴァルキア軍の厳しい訓練は、以降兵士たちの自主性を加味しながら続けられていくことになった。
魔王軍撃破という鮮烈な情報は、海を渡り大陸まで届いた。
大陸国家はヴァルキア島が何とか防波堤の役目を担えたということにいくらかの安堵を覚えた。
他国の失敗に自分たちが巻きこまれるほど馬鹿なことはない。
一方、この情報で勘違いを起こす者も現れていた。
早々に国土を捨てたヴァルキア国王を含めたヴァルキア首脳陣である。
彼らは他者の輝かしい功績を自らの功績にしようとした。
彼らとしては、ごく自然な行為だった。
それは権力者であった頃ならば、まかりとったかもしれない。
だが、他国の居候に成り果てた今の彼らの声に耳を貸す者はほとんどいなかった。
「どうやら商人どもは、レイティアの者たちに投資をしているようですな」
髭を細部まで整えた身なりのよい四十代半ばの男が不景気な声で述べた。
部屋には三人の人間がいる。
ヴァルキア国王、宰相、大将軍である。
今意見を述べたのは、宰相であるルア・ゴーランである。
ゴーラン家は代々宰相を引き継ぐ家系であった。
ルア・ゴーランも能力によって得たものはなく、血筋によって得た地位であった。
歴代の宰相と比べて抜きんでたところはないが、平均的な能力をもった男である。
「予を通さずにか?」
「のようです――しかも、どうやら将来における建設等の整備を約束しているといった話もあります」
「馬鹿な。そんなことは予が許さねばできるはずがない」
「しかし、現実です」
「その方らは、落ち着いているがこんな不正を許してよいのか!」
ヴァルキア国王スノダンが唾を飛ばしてわめく。
宰相ルア・ゴーランは情報を伝えた張本人である。
元より知っていたので落ち着いているのはある意味当然だ。
だが、大将軍ドルゴスの落ち着きは確かにおかしい。
どこか冷然としたものがあり、情報への反応、あるいは王への対応などまるで取るに足りないといった様子が見てとれた。
「ドルゴス、なんだ、その態度は! キサマの立場ならば、レイティアの無法者どもを討ちとることを考えねばならないのではないか!」
国王スノダンが大将軍ドルゴスを責める。
ドルゴスは腕を組み、その巨体にふさわしく大きな息をはいた。
その態度はいかにも不遜である。
「陛下はレイティアを討つことをお望みか?」
ドルゴスの顔には頬に傷がある。
初陣で討ち取った敵から受けた傷と言われている。
その傷があるために、もともと強面の顔がよりいっそう凄みを増していた。
実際、ドルゴスに睨みつけられるように見られて、国王スノダンは前のめりになっていた身体を、大将軍から少しでも距離をとろうとするかのように後ろへと戻した。
あきらかに家臣の威圧に怖気づいている。
「もちろんだ。あのような勝手なふるまいを許せるはずがなかろう」
おそらく国王は何も考えていない。
口から反射的に言葉を述べているに過ぎない。
宰相と大将軍、文武の代表者である二人は、国王の様子から完璧にそれを見透かしていた。
初対面でもこの国王の内面を見通すことはそう難しいことではない。
まして、一定の時間を共に過ごしている二人にすれば、国王の思考や感情を読み取ることなどたやすいものだった。
実際、大乗軍ドルゴスは内心で言質を得たとほくそ笑んでいた。
「陛下の御意のとおり、と承諾するのが私の役目ではございますが、なにぶん兵力が不足しております。現在精鋭は二千を残すのみ。むろん、兵を募ればヴァルキアから退避した民が陛下のもとに馳せ参じることでしょう。しかし、今回は民兵ではなく、訓練された兵こそが必要です。なぜなら、我々のいる地とヴァルキアは陸では繋がっていないのです」
「海か……」
ぽつりとスノダンが呟く。
大陸とヴァルキア島との距離に思いをはせたのだろう。
海を渡るには船が必要だ。
ヴァルキア所有の船数は少ない。
船にはかぎりがあるのだから、乗船させる兵は選別されるべきだった。
現ヴァルキア国王スノダンは、残念ながら歴代の王の中でもその能力は低位に位置している。
欲望もそれに応じたもので、巨大であるということはなかった。
平時であれば、一部寵愛した家臣の権勢を肥大化する可能性がないでもないが、それ以外では、功罪は両極に触れることもなく治世を終えたに違いない。
民からすれば印象に残ることのない国王となっていたであろう。
それを自覚していたから、力を求めたのか。
あるいは何も考えずに、ただ力があればよいと夢想したのか。
この王は召喚という力を使って大陸へ覇を唱えようとした。
事の始まりから他者の力を求めたのである。
そのようなことで覇を唱えることなどできるはずもないだろうに……。
現在は平和な季節ではない。
すでにヴァルキアは亡国直前に瀕している。
王として頂に戴くには、不安を覚えざるをえなかった。
少なくともこの場にいる二人はその思いを強くしている。
国王への対応も二人はすでに考えていた。
思考する者とせざる者。
当然、会議の場は、国王ではなく、二人の意思を具現化するためのものへと変貌していった。
「しかし、おらぬ兵をいったいどうすると言うのだ」
「それにつきましては、私に考えがございます」
宰相ルア・ゴーランが柔和な表情で王へと進言する。
「なにか?」
「兵がいないのであれば、あるところから借りれば良いのです」
「兵士を借りるだと? ――そうか、ワールランドに兵士を出させるのだな」
ワールランド国。
ヴァルキアと海を間に置いた隣国である。
現在ヴァルキアを脱出した国王スノダンが身を寄せている国でもある。
「左様でございます」
「しかし、そう簡単にワールランドが兵を貸すものだろうか。ミルディやナンドとは一触即発とは言わないものの緊張状態なのであろう?」
大陸は、ワールランド、ミルディ、ナンドの三大国によって覇権が争われていた。
「それは問題ないでしょう」軍事の専門家であるドルゴスが保証した。「べつだん防衛線の兵を供出する必要はないのです。ワールランドには兵が余っております。我らにとって不幸なことですが、現在ワールランドは、ヴァルキアのために兵を配備しておく必要がございません」
「まったく忌々しいことだ。召喚をできるからこそ、高い地位を与えていたというのにあの家は役に立たぬどころか、自らの身を魔王に売り渡しおって」
故国ヴァルキアの惨状を思い出したのか、いや、おそらくたんに自身に関する忌々しい過去を思い出して、国王スノダンは舌打ちしているのだ。
「ええ、そのとおりです」気のない返事を大将軍がする。「――つまりワールランドには今現在余剰の兵があるのです。この兵を借り受けることは、そこまで難しいことではありません。そうではないか、宰相殿」
「いくらかの条件が提示されるでしょうが、難しいことではありません」
「――と、宰相が申しております。いかがなさいますか、陛下?」
「なるほど、それならばレイティアの愚か者たちを討伐できるのだな……だが、待て。魔王軍はどうするのだ? やつらがいるだろう」
スノダンの表情は心なしか青ざめていた。
本国を捨てて逃げのびた国王である。
さすがに自分をそのような屈辱を味あわせた敵についてはいくらかの情報を持っていた。
知ろうとしなくとも、ヴァルキア軍が完敗していた事実は耳に届いていたのである。
国王スノダンは、その当たり前の事実を思い出したのだ。
「どうやらレイティアには使える将がいる様子。降伏させた後、その男に一定の地位を与え、戦わせればよいでしょう。その男にヴァルキア軍さらにワールランドの兵を加えれば勝利は確定したも同然でしょう」
宰相ルア・ゴーランが提案する。
宰相の言葉は、国王にとってとても耳心地のよいものだった。
だが、国王はすぐには頷かなかった。
一度思い出した恐怖はなかなかぬぐえないものらしい。
「ヴァルキア正規軍が魔王軍などというやつらに敗れたのは、奇襲によるものです。また、最初の奇襲で王都を陥落させられたがために、兵士の動揺が激しかったのでございます。その後の戦いはヴァルキア軍の戦いと呼べるものではござらぬ。ヴァルキア軍敗北の原因は魔王軍の強さに非ず。ただ、ヴァルキア軍の慢心にあり――常勝軍であったが故に、一度の敗北が重くのしかかり、自身に敗れてしっまただけなのです」
「大将軍の言うとおりです。実際魔王軍の強さなど、レイティアに残した敗軍が勝利する程度の力なのです」
ヴァルキア軍が常勝であったことなど、少なくともこの十年の間はないのだが、国王は、自身の都合の良い臣下の甘言を受け入れた。
「よかろう。宰相、ワールランドに軍を供出させよ。多少の妥協は認めるものとする。そして、大将軍、その軍を率いてレイティアにいる驕った賊軍を撃ち破るのだ」
国王の命令に宰相と大将軍が頭をさげる。
国王の視界に入らない、下へと向けられた二人の顔には薄い笑みが浮かんでいた。
玉座にて、ワールランド国王ジグムド三世は報告を受けている。
内容はヴァルキアに関するものだ。
中でもレイティアに関して精査した情報が王へとあげられていた。
ジグムド三世がもっとも熱心に欲した情報は魔王軍に関するものだった。
魔王とは異界から召喚された『力あるモノ』がラードルリッヂの人間の意識を消滅させ、身体を奪い、ラードルリッヂの人間に害をなす者のことを言う。
害とは国を滅ぼすような大災害である。
過去魔王と呼ばれる者たちの力は非常に強く、弱い者たちは稀である――割合が低いだけでいないわけではない。
つまり強い魔王が生まれたのならば、ワールランドにとっても他人事ではないのだ。
災害はいずれ自国にまで降り注ぐことになるだろう。
だからこそ情報収集は必須だった。
魔王軍に関するもっとも詳細で信用に足る情報は、自国から逃亡したヴァルキア国王によってもたらされたものだった。
その情報は、やはり生まれた魔王は強力なものであるというものだ。
一国が亡国の憂き目を見ている現実がそれを証明していた。
ワールランドとしても魔王軍に対抗する処置をとるよりなかった。
まったく一国の失敗のために余計な負担を負うことになるのだ。
しかも、下手をすれば国が亡ぶやもしれない事態である。
馬鹿馬鹿しい。
何か政治的に使えることがあるかもしれぬと思い、ヴァルキア国王スノダンを生かしていた。
だが、感情に任せて亡き者にしてしまおうか――そんなことを考えてしまうほどにジグムド三世の怒りは消えなかった。
だが、事態は大きく移り変わった。
港町レイティアから驚くべき情報が続々ともたらされたのである。
それは魔王軍の評価を一新するものであり、ヴァルキア国王からの情報の信頼を奪うものであった。
「つまり、此度の魔王は弱者というわけで間違いないのだな」
ジグムド三世は頬杖をついた姿勢で問いただす。
「レイティアでの勝利に疑いはなく。そこから導きだされる結論は、そのようになるかと」
同時にレイティアでは英雄譚がまことしやかに話題にのぼっているということだ。
レイティアの英雄に関する誇張表現をのぞいて分析した結果が、弱いタイプの魔王であるという判断に落ち着いた。
逆に言えば、ヴァルキア国王からもたらされた情報のほうこそ誇張であったということになる。
よくある話である。
自軍が敗れた理由を、自身の無能ではなく、相手の強さに求めるやり口は。
「あの二人はうまくやっているようだな」
「はい。すでにヴァルキア国王は我が軍を自国へと招き入れるつもりでいるようです」
「愚かな王を持つと国は不幸よな」
王の呟きに臣下は押し黙る。
ジグムド三世は、レイティアからの新たな情報が入りだした頃から、すでにヴァルキア侵攻を視野に入れていた。
弱き魔王など力押ししか能のない相手なのだ。
戦力を整え、策を錬ればどうとでもできる敵なのである。
いっきにヴァルキアへ侵攻してしまえばよさそうなものだが、それではヴァルキアを占領した後のうまみが大きく減ることになるのだ。
まずヴァルキアに民を戻さねばならない。
そのためには、ヴァルキアがまだ存在しているという幻を見せる必要がある。
つまりヴァルキア王のことである。
ヴァルキア王を旗頭としてまずヴァルキアを取りもどす。
だが、実力があるのは、兵力をそろえたワールランドである。
ヴァルキア王はすぐにでもワールランド軍に撤収するよう求めるだろうが、そんなものを受け入れる必要はなかった。
時期を見て、ヴァルキア王の冠を血縁のある何者かに譲らせ、いずれその王冠をワールランド国王が兼務するようになるのだ。
その頃には、ヴァルキアには民が戻り、ワールランドを富ませるための労働力となってくれていることだろう。
レイティア軍の総兵力は多く見積もっても八千、おそらく五千を割っているというのがワールランド軍の読みである。
魔王軍との戦いで兵力を落としているに違いないと考えられていた。
三日後、国王ジグムド三世のもと、レイティア叛乱軍の討伐軍がワールランドで結成されることが決定した。
名目上の総大将はヴァルキア国王スノダンである。
総兵力は、ヴァルキア軍二千とワールランド軍一万五千の計一万七千を数えた。




