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02 異界の王~状況




 白巫女――アエリアは困惑していた。

 彼女の前には、彼女が召喚した人間がいる。

 本来召喚とは、肉体のある存在を呼びよせるのではなく、『力ある何か』を世界へ導くことを意味する。

『魔妖』がそうであるし、『魔王』もそうである。

 だからこそ、召喚の際に、憑代よりしろとなる生贄いけにえを準備していたのだが、無駄になった。

 無駄になったことは、犠牲を出さずにすんだのだから――憑代となれば、当然元の人間の意識は消えてしまう――喜ばしいことではある。

 だが、肉体をもった存在というのは、えてしてたいした力を有していない、と言われていた。

 召喚の儀式を行った場合、たいていは失敗するか、成功しても肉体を持つ存在が呼びだされる。

 アエリアは書物などから十にのぼる例を知っていたが、その中に一人として大きな力を持った存在はいなかった。

 そのことを考えると、アエリアが命を懸けた今回の召喚の儀は失敗だったということになる。

 だが、アエリアが困惑しているのは、自らの失敗を嘆いているからではなかった。

 原因は、召喚した人物にあった。

 すでにこの世界の衣服に着替えたその男は、現在机について『ラードルリッヂ』の言語、歴史、風俗、常識、世界の情勢、政治等々について学んでいる。

 傍には数人の逃げることを拒否した知識人がついて、彼の質問に答えていた。

 いきなり見知らぬ世界にたどりつき、動揺することなく勉学に励む者などいるだろうか。

 この驚くべき男の名は、坂棟克臣さかむねかつおみといった。

 アエリアは学ぶ姿勢を見せる坂棟に驚いたのだが、彼がまったく休憩をとらず、それどこか睡眠さえ必要としなかった事実に、さらに驚かされることになったのだった。




 ヴァルキア島――その地を国土とする国家の名もまた、ヴァルキアといった。

 現在ヴァルキアは、自らが召喚した魔王軍によって国土の大半を奪われていた。

 本来戦力として期待される多くの魔妖術士は、召喚の儀の事故によって失われている。

 魔王軍に対抗するのは、異質な力を持った魔妖術士ではなく、自らの身体を鍛えた兵士達のみであった。

 結果、大敗北を喫し、現在では、港町レイティアのみがヴァルキアの国土となっていた。

 すでにこの港町レイティアから多くの者が船によって脱出を果たしていた。

 過去形では終わらない。

 現在も脱出は続いていた。

 当然、権力の中枢にいる者や有力者たちはすでに脱出を果たした後だ。

 現在港町レイティアに残っている有力者たちは、時の権力者たちから見限られた者たちということであった。


 高価な一室に陰気な雰囲気を漂わせ、顔をつきあわせている三人がいる。

 彼らがこの町の現在の有力者たち――見捨てられた者たち――である。

 いたずらに騒ぐ者たちはいない。

 すでに全員の魂が諦観に囚われてしまっているからだ。

 行政のトップである老年に足をかけた男、市長のアルマンド。

 軍事のトップである将軍カルトゥス。

 魔妖術士のトップで、三人の中でもっとも若いグロス。


「変わることのない現状をお二方ふたがたはどう思うかね?」


 白髪の目立ち始めたアルマンドがまず口を開いた。


「現状を見て、最悪と考えぬ者はただの馬鹿であろう」


 厳しい声音を発したのは将軍カルトゥス。

 身長はたいして高くないが、筋骨たくましい男で、四十を迎えんとする働き盛りである。


「今回の集まりは、そのような当たり前のことの確認ではなく、召喚の儀の結果についてだと私は思っていましたが」


 グロスは長髪の男だ。

 ゆったりとしたローブを身に纏い、落ち着いた様子である。

 口元にある笑みには、エリート特有の優越感が漂っていた。


「あの老人――タム・タラントの姿がないが?」


 カルトゥスの発言は、今さら言うまでもないことだった。

 この部屋には、三人しかいない。

 隠れるような場所もない。

 そもそも召喚の儀の報告などと言っているが、三人ともがすでに独自のルートで結果を耳にしていた。

 希望が断たれたことをすでに全員が認識しているのだ。


「タラント殿は召喚の儀によるさまざまな心労によって倒れなさった。今は自宅で療養しているということだ」


「心労? この状況において、そんなものは誰もがそうであろう! あの老人はよく状況を分かっておられぬらしいな」


 カルトゥスが吐き捨てる。


「そもそも召喚の儀は、白巫女一人の力によって行われたのでは? タラント殿が疲れる理由が私には分かりませんが」


 魔妖術士グロスも皮肉を言った。


「私に言われても困るんだがね」アルマンドは苦笑する。「で、肝心の召喚についてだが、召喚自体は成功した」


「ただし、『力無き者』が現れたということでしょう? それは失敗と言うべきでしょうね」


「残念ながらそう言えるかもしれないな」


「ちなみに現れた人間は今何をしているのです?」


「勉強しているらしい」


「勉強?」グロスが馬鹿にするように苦笑した。


「勉強だと!」


 カルトゥスが咆える。


「ああ、勉強だ。私たちの世界について学んでいるということだね」


「――まったく戦力としてあてにならぬ、ということだな」


 念を押すようにカルトゥスが言う。

 いや、自身に言い聞かせているのかもしれない。

 軍事のトップである彼は、魔王軍と戦う使命を帯びている。

 彼こそがもっとも召喚の儀に期待していたといってもいいだろう。


「しかし、私たちは何をしているんだろうね」


 アルマンドはため息をついた。


「女性一人を犠牲にして、役に立たない男を得た、ということでしょう」


 グロスがまたもや皮肉を言った。





 召喚の儀が行われて三日目の朝、いっさい睡眠をとっていない坂棟は疲れをまったく見せることなく朝食をとっていた。

 朝食の内容は非常に質素だった。

 いや、朝食だけではない。

 これまで食べた食事すべてが内容も量も質素であった。

 嫌がらせをされているというわけではなく、現状を理解した坂棟が、兵士が前線で食べる物と同じ物でいいと断ったからだ。

 彼はおいしい物を感じとる舌を持っていたが、食に強いこだわりがある人間ではなかった。


「召喚の儀式というやつの影響で体調がすぐれないんだろうと思っていたが、まったく回復していないように見えるな」


 すでに坂棟は現地の言語を流暢に操れるようになっていた。


「ええ、もう少し時間がたてばよくなると思います。これでも少しずつ良くなっているんです」


 アエリアの顔は青白かった。

 微笑む姿も力がない。

 彼女の前には飲み物が置かれているだけで、食事はとっていなかった。

 回復する兆しはまったく観察できない。


「その嘘は必要かな?」


「――嘘ではありません」


「なるほど強情なわけだ」


 坂棟は朝食を食べ終わると立ちあがった。

 テーブルをまわり、アエリアの横に立つ。

 立ちあがろうとするアエリアを制して、坂棟は彼女の肩に触れた。

 青い淡光が坂棟の手から発し、アエリアの全身を包む。

 数呼吸するほどの短い時間でそれは終わった。


「――いったい?」


 何かをされたのは分かるが、何をされたのかが分からないらしいアエリアが表情に疑問を浮かべている。


「いくらか体調が良くなっているはずだが?」


「え?」


 アエリアが自分の身体を見おろす。

 体調の回復など外から見て分かることではないので、意味のない行動である。

 だが確認するにも、何か行動せずにはいられなかったのだろう。

 回復するなど、普通はありえないことだからだ。


「本当に……楽になった」


「俺の専門じゃないから、その程度しかできない。そういうのが得意なやつがいるが、まあ、今呼んでもおもしろくないんでね」


「あの、どういうことか分かりませんが、ありがとうございます」


「いや、いい。それじゃ、そろそろ本題に入ろうか?」


「――本題、ですか?」


 栗色の髪と同じ色の瞳が疑問に瞬く。


「ああ、最低限の準備はできたから、今度は依頼の内容を聞こうと思ってね。俺の依頼主は、アエリアだろう?」


「私――ですか? それは私が召喚しましたが」


「ああ、君が召喚して、俺がそれに応じた」


「応じた? ……私が一方的に」


 暗い感情がアエリアから溢れだそうとしていたが、坂棟が制した。


「俺が応じたと言っているんだから、それでいいだろう。それで、アエリアは俺に何を望む?」


「それは……」


 アエリアの表情が沈んだ。


「できるできないにこだわらず、試しに言ってみればどうだ? 自分の命をかけてまで召喚を行ったんだろう?」


「知っていたんですか?」


「今さっき分かった」


「分かりました。でも、これは坂棟さんにお願いするわけではありません。今は深い眠りについておられる双面のヤーン神に願う言葉です」


 坂棟は過剰に気を使おうとするアエリアに苦笑した。

 彼は口を開くことなく、アエリアに先を促した。


「私の願いはただ一つです。魔王を――魔王を含めた魔王軍をこの地から一掃することです」


 アエリアの言葉に坂棟は笑った。


「何がおかしいのです!」


 アエリアが立ちあがり、坂棟を下から睨みつける。


「アエリアを笑ったわけじゃない。よくよく縁があるな、と思っただけだ」


「縁がある――ですか?」


「ああ」


「何と縁があるんです?」


「魔王と、だよ」


 坂棟の言葉に、アエリアは不思議そうな顔をした後、何を言われたのかを理解したのか、彼女は憮然とした。

 からかわれたと思ったのだろう。

 アエリアが口を開こうとするのを、ノックの音が邪魔をした。

 坂棟が返事をすると、ドアが開き、兵士が入ってくる。

 表情を消した兵士は小さく一礼した後、アエリアに向かって言葉を投げた。

 ひどく事務的な声だった。


「魔王軍の来襲です。召喚した『力ある人間』も参戦させろ、とのことです」


 その内容にアエリアが息をのむ。

 彼女は坂棟が戦えるわけがないと考えていた。

 だからこそ、「異界の人間の命などどうなってもよい」との思いがこの命令の根底に流れていることを自然に感じとれた。

 役に立たないのなら、盾となって死ね、と言っているのだ。


「『力ある人間』とは俺のことですね」


 坂棟が口を開く。

 兵士が驚きの顔をした。

 坂棟が普通に自分たちと同じ言葉を喋ったからだろう。


「話せるのですか?」


「それなりに。それで、俺にも戦えと上の人間が言ったんですね」


「はい。そのとおりです。武器や防具は用意ができているので、さっそく準備にとりかかってもらえますか」


 驚きが小さくなると、兵士が好都合だとばかりに、坂棟に注文を出した。


「魔王軍とやらが到着するまで、後どれくらいの時間があるんです?」


「時間はありません。すぐにでも戦闘になる可能性があります」


「急ですね。それで勝てるのですか?」


「――あなたに期待しています」


 そう言うと、兵士がきびすを返した。

 坂棟が兵士の後に続く。


「坂棟さん! 戦うつもりですか!」


 坂棟が振り返った。


「戦いになるかどうかは相手次第だな」


 坂棟の言葉の意味がこの時のアエリアにはまったく理解できなかった。








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