8 人間 対 闇虫 (下)
パルロのみならず、世界に存在する多くの村や都市が同様に魔族の襲撃を受けていた。そして、そのほとんどすべてが抵抗むなしく壊滅し、人々はただただ逃げるのみであった。
村などの人口の少ない場所には、闇蟲は一匹、あるいはせいぜい二、三匹――せいぜいという表現はふさわしくないだろう。三匹もいれば、絶望しかないからだ――の集団しか現れなかった。
だが、多くの人間が住む都市には、比例するように多く闇蟲が現れた。
獲物のあるところに獣が現れるように、闇蟲も人間のあるところにどうやら集まる習性があるらしい。
闇蟲にはある特徴があった。必ず人間を食べようとするのだ。この食べるという行為がある分だけ人間は逃げる時間を与えられた。
他者――それは親しい者も含まれる――の犠牲によって生きのびる。これ以外に選択肢はなかったのだが、闇蟲の侵略によって多くの人々が心にも傷を負うことを余儀なくされた。
世界各地で魔群は暴れていた。暗闇となった空から闇は生まれていた。
世界の中には、ラバルも含まれている。
すでにラバルでも戦闘が始まっていた。
第一軍団と第二軍団がラバルを防衛している。
戦後の再編成により兵数は大きく増したが、先の精鋭ラバル軍に比べれば、一兵士と集団行動の質は落ちていた。
訓練期間が三カ月しかなかったので、練度を高めるにはどうしても限界があったのだ。また、実戦を経験した者に比べれば、新加入した者たちの実力が劣ることはしかたないというより当たり前の事だった。
だが、都市ラバルを防衛する第一軍団と第二軍団は、他都市に配備された他軍団に比べれば大いにマシであった。
他都市に駐在するラバル軍団は、この三カ月間魔族の警戒と同時に、道路整備などのインフラ整備に駆り出されることもままあったのである。兵站を備蓄するための補給路を早期確保するためではあったが、自軍の練度を知る各団長にすれば、無駄な時間を取られる思いであっただろう。
都市ラバルには最新の大砲と銃――可能なかぎり各軍団に新兵器は配備されている――が配備されていた。
それは戦前から開発されていた新兵器で、戦時にはすでに完成していたのだが、増産するにはいたらず配備されなかった兵器である。戦後幾度かの実践演習で不備の確認と改良が行われた後に、この大砲と銃はすぐに増産されて随時配備されていった。といっても、三カ月間職人たちが昼夜を問わずに働いても完全配備にはほど遠いものではあった。
砲弾の改良も加わり、大砲と銃は威力と距離を大きく増している。大砲に至ってはその距離を軽く三倍以上伸ばしていた。
自軍の質にやや不安は残るものの、新兵器の威力に関しては、どの軍団長も自信を持っていたのである。
「陛下と共にあれば、地上に存在するすべての強敵と戦うことが出来そうだな。我らほど強敵を次々と相手にした軍隊など歴史上にもないだろう」
第二軍団団長ブルラーグは不敵に笑った。冷静な彼にしては珍しく、戦に向かう高揚をあらわにしている。
「しかし、あれは――」
副官が不安の声を上げた。
魔族の姿は未だ遠くに確認されるだけではある。姿と言っても黒い影にすぎない。
だが、それがこれまで戦ったことのない恐るべき相手であることはすでにわかっていた。
感じたのことのない禍々しい瘴気を発しているのが理由の一つだ。
それ以上に問題なのは魔族の数であった。
遠くから闇が迫ってきていた。
北に見える空は奥に向かうほど闇が色濃くなっている。あれらはすでに魔族の領域になってしまったという証拠だろう。
魔族――闇蟲が地上と空から進軍してきていた。そう進軍と言うのがふさわしいほどに多くの闇蟲が向かってくる。
地上だけであれば、ラバルの防壁によって対処が可能かもしれない。だが、敵は空からも迫るのだ。
容易ならざる敵であることは間違いない。
無傷と言うわけにはいかないだろう。防壁内にもおそらく被害が生まれる。兵士ではない市民に被害が及ぶかもしれない。
ブルラーグは闇蟲との距離を測る。彼は合図を送った。
号令がかかり、大砲による砲撃準備がなされる。
「撃て!」
大砲が号砲をあげ、軽く百を超す砲弾が天高く弧を描いた。
セリアンスロープは他種族に比べて視力が高い。ブルラーグも目が良かった。さらに、彼は開発されたばかりの望遠鏡をのぞきこんでいる。
彼の目にした鮮明な光景は、否定しようのない現実を彼にもたらした。
砲撃は成果をあげた。
だが、それは見込んでいた成果ではなかった。
砲弾を受けて闇蟲は動きを止めはした。これは事実である。だが、闇蟲を死滅させることはできず、それどころか、闇蟲はたいした傷も負っていないようだった。
結局砲撃は、闇蟲をひるませることしかできなかったのである。
神法術師のいないラバルでは、遠距離攻撃は大砲と銃、そして弓等に限られる。そして、最大威力を誇る砲撃が敵に損傷を与えられないことが分かった。
遠距離戦では戦えないということである。。
将官クラスの人間は、闇蟲との戦いがあまりに厳しい戦いになることを覚悟した。
「撃て!」
砲撃命令がこだまする。
砲撃音と炸裂音が交差する中、ブルラーグに兵士が大きな声をかけた。
「上空に魔族が――」
ブルラーグは空を見上げた。
闇蟲が突如湧いたように思えた。その数は十匹ほど。
数としては多くない。
だが、五メートルを超す体格を持つ闇蟲である。戦いの序盤であるにもかかわらず、それが十匹も都市内で暴れられたら、統制厚いラバル軍と言えども混乱してしまうだろう。
強大な敵を相手に混乱などすれば、一気に潰滅しかねない。
ブルラーグは伝達機関(ラトの従者)を用いて各指揮官に、上空の魔族の撃退を指示しようとした。一部の者に接近戦を命じるのだ。
おそらく、闘気を纏える指揮官クラスの戦闘力を以てしても一人で対処するのは難しいだろう。だが、やらなければ敗北する。
その時、一つの影がラバルから上空に飛び発った。
ブルラーグはその影を確認した後、結果を見ることなく、自らの持ち場に専念する。
結果など見なくともわかる。
飛び発ったのは、セイだった。
そして、セイはラバル軍の皆の期待に応えてみせる。
十匹の闇蟲を相手どり、セイは見事に闇蟲を撃退してみせた。
砲撃を続けながらも、兵士たちは上空の戦いを気にしていた。そして、その勝利を目にする。
減退していたラバル軍の士気は、セイの活躍によって、高揚を取り戻した。
神法術師のいないラバルは、他国に比べ苦しかった。
しかも都市ラバルの人口は、おそらく世界の最高数に達している。闇蟲の数も他に比べ圧倒的に多かった。
だが、訓練された兵士と傑出した個の能力を有する指揮官たち、さらにセイの無双の働きによって、ラバルは激戦を耐え忍んでいく。
ラバル領土内の他の都市も大砲の効かぬ相手に大きな苦戦を強いられた。それでも闇蟲の数が少なかったことで、一定の対処に成功していた。戦闘不能の一撃を与えられるのは闘気を扱える指揮官クラスのごく少数のみ、他の兵士たちは命懸けで時間を稼ぐという役目を担うことになった。
もちろん、犠牲は多い。戦いの情勢は魔族に有利と言える。
それでも、ラバルとパルロはまだましであった。
帝国やエンシャントリュースでは被害は増大する一方で、拠点となる場所さえ失い、抵抗さえできないありさまとなっていた。
むろん魔族の脅威は、ボルポロス(元ボルポロス公国領)にも訪れている。
勇者の座すミルフディートにも魔族の脅威は訪れていた。
魔王の復活にあわせ、天は闇に侵された。
ボルポロスも魔族の襲撃に遭っている。
時間の経過と共にその攻撃は激しさを増していた。
だが、不思議なことに、ミルフディートの上空は闇におおわれるということがなかった。ミルフディア大神殿の纏う神気が関係しているのかもしれない。
群となった闇蟲の攻撃に最初に、しかも最も激しくさらされたのはラバルである。
次いでボルポロスが標的となった。しかも、なぜかはわからないが闇蟲の量は、時間の経過と共にラバルより多くなっていた。
暗黒が北から生じ、南へと流れているのだとしたら、ラバルとボルポロスが最初の襲撃の的とされるのは道理である。
だが、一方のボルポロスのみがより重点的に攻撃を受けるのはおかしい――と考えるのが普通だが、そう考えていない者たちもいた。
神官である。
彼らの救世主たる勇者を魔王が狙っている。魔王の敵手たりえる勇者という危険な存在を抹消するために、魔王が闇蟲に攻撃を命じているのだ。
そう考えれば、ミルフディートへの攻撃は不思議ではなかった。
むろん、神官たちは知らない。
魔王と呼ばれる存在が、すでに敗北を一度喫しているなどと言うことは。魔王が自身にとって最も危険な存在とすでに邂逅していたなどというとは、知る由もないのだ。
ミルフディートで最初に闇蟲と矛を交えたのは、当然ラバル軍である。すでにボルポロスはラバル領であるため、その防衛を行うのはラバル軍の義務である。
この地に配備されたのはラバル第三軍団である。パルロとの戦いで壊滅し、新たに完全編成された軍団である。指揮官はナギサ。元は、第六軍団の副官であった彼女が、戦死したジャグに代わり団長となったのだ。
指揮官となって初めて経験する戦場は、ナギサに敗北をもたらした。
正確に言えば敗北したわけではない。だが、彼女にとっては敗北も同然だった。守るべき者たちを守れていないのだから。
すでに、ミルフディートは上空からの闇蟲の侵入を許していた。
市民に逃げ場などありはしない。
ラバル軍も防壁外と上空の闇蟲に攻撃するので手がふさがっていた。そもそもこの大きな都市を防衛するには人が足りていないのだ。大砲の攻撃力によって兵力の不足を補おうとしたのだが、効果のほどは怪しい。
「絶対に、大砲を守りきりなさい。銃装備をした部隊も殺させてはならない」
ナギサは唯一上空への攻撃が可能な大砲と銃の守護を命じた。
言われるまでもないことである。
だが、指揮官であるナギサははっきりと命じた。実戦経験者、特に下士官ともいうべき役割を果たす兵士は他軍団からある程度引き抜かれてはいるが、それでも圧倒的に実戦の不足している部隊である。
再度確認であろうと、命令は絶対に必要だった。
現在、最も危険なものは空からの攻撃であった。これは事前に対魔族との戦いで最も注力するべき部分であるとラバル軍では認識されていた。
だからこそ、前線となる可能性のあるボルポロスには最新の大砲や銃がラバルの次に最も多く配備され、旧式も合わせて、その数は他都市に比べれば圧倒的に多いものとなっていた。
砲撃が有効であれば、ラバルの作戦は成功したはずであった。ラバルでも上位魔族に匹敵する敵は想定していなかったのである。
団長からの命令は怒号となって各処を飛び交い、実践されていく。
砲撃は闇蟲を不能にすることはできない。だが、一瞬の硬直を起こすことはできるし、多少の傷を負わせることはできた。
硬直した魔族に神法術による攻撃を仕掛ければ、さらなる戦果をあげることが可能だろうが、残念ながら、ラバルには神法術師はまるでいなかった。
ミルフディア大神殿内にいるであろう神法術師が攻撃することもない。神殿の守りを固めているのだ。
大神殿には勇者がいるはずだ。
急速にひろまった勇者の存在に対して、ラバル軍のみならず多くの人はあまり期待していない。
なぜなら、誰もその活躍を目にしていないからだ。
動乱期を経験している人々にとって、英雄や強者とは戦場で名をあげた者たちのことであり、それはラバルやパルロの将を指した。
勇者は当人の思いとは裏腹に、魔族との本格的な戦いが始まった時点でも、たいして期待されていなかったのだ。人々はたとえ勇者と言う存在を脳裏に思い描いたとしても、実体を持ったジークフリードのことを思う者はいなかったのである。彼の価値は神殿でのみ高かった。
ラバル軍は奮戦している――とは言えなかった。
果たしてこれまでの攻撃で闇蟲を一匹でも倒せたのかすら定かではない。
いや、正直に言えば、ほとんど攻撃はきいていなかった。
その中で、ナギサは自ら槍を持って戦っていた。彼女は防壁上の指揮を部下に任せて、町中に侵入した闇蟲の迎撃を行っている。
彼女の槍は闇蟲の防御力を突破した。
ナギサが闇蟲に重傷を負わせ、兵士がとどめを刺す。ただし、兵士と言っても一般兵ではない。闘気を纏える人物だ。
ナギサはこれらの人を幾人か部隊から引きぬき、新たに遊撃部隊を形成していた。もちろん、彼らを引きぬいたことで、ラバル軍の組織力は大きく減じている。
それでも、闇蟲を排除するには、これより方法がなかったのである。
だが、この遊撃部隊による闇蟲の迎撃も効果的な方法とはとても言えなかった。闇蟲はすでに数十体が都市内に侵入している。そして、ナギサ一人がどんなに頑張ろうとも、彼女が闇蟲を倒すのには短くとも三〇分はかかっていた。さらに彼女も人間であるので、戦い続けることはできない。肉体に休息を与えなければならない。もっと言うのなら、彼女は一匹の闇蟲を倒すだけで、傷を負っていた。
一匹倒すのにも、これほど苦戦しているのだ。
当然、侵入を許した闇蟲の行動を阻害することはできていない。闇蟲は、都市内で暴れ、人間を貪っていた。
すでにさまざまな建物が破壊されている。闇蟲によらずとも、落下した石壁やコンクリート、建築材、さまざまな欠片によって多くの人間が犠牲となっていた。
悲鳴と救いの声のみが都市の中で共鳴する。
ナギサは立ち上がり、戦い続ける。やれることをやるしかない。彼女たちの王ならば、どのような絶望的な状況であろうと、必ず勝利に導いてくれるはずなのだから。
ナギサを始めとしたラバル軍の兵士たちは王の思いを胸に戦い続けた。
だが、現実を見れば、ラバル軍によるミルフディート防衛は失敗したのだった。
魔族による人類の蹂躙が始まっていた。




