1 プロローグ1
後の時代の人間にとって、ラバル戦争直後の一定期間は歴史の空白となっている。
国家の残した公式の歴史書が極端に少ないというのが原因である。紛失としたと考えられているが、同時代あるいは直後に何者かによる別の意図が働いたからではないかとも考えられている。
質量ともに最も優れているのはラバルの史書だ。だが、この期間の史実を記した内容については荒唐無稽としか表現しようのない物ばかりで専門家からはまったく相手にされていない――専門ではない人間からも歴史的事実と言う意味においては相手にされていない。事実ではなくフィクションの読み物としてのみおもしろがられていた。
当時国家として完全に機能していたのは、ラバルの他にはパルロのみ――帝国は分裂寸前・エンシャントリュースは軍事力すら保持していない――だが、これにも不自然なほど素っ気ない文書があるだけで、ほとんど有益な事実は記されていなかった。
国家の史書がないというのであれば、別の記録を頼るしかない。
神殿だ。特に当時五大神殿と呼ばれていた神殿には、数多くの書物が残されていた。
だが、神殿の公的記録もラバルのものと似たようなもので、内容は神々の力で魔が打ち払われたといったものである。信仰心厚い者は別として、常識ある人々にとっては受け入れられる内容ではない。
神殿には、事実を記した本来の記録書が地下深くに眠っているという憶測もあるが、事実かどうかはわからない。あったとしても、神殿が発表する気がないのは確かである。隠すということは、記された内容が神殿にとって都合が悪いということであるのだろうから、発表されることは永久にないだろう。
ラバル戦争後にいったい何が起こったのか?
この問い対する解答を得るには、ある決定的な事実を下敷きにする他ない。
ラバル戦争後に、人類は激減し、一度社会が大きく衰退しているのだ。
これはいずれの書にも書かれた歴史的事実である。
なぜ、人類社会がそこまでの衝撃を受けたのか、この問いに対して誰もが納得できる解答は長い間得られなかった。
ラバルの史書にあるように魔族の攻撃があったからなど信じられる話ではない。魔族など架空の生物でしかないからだ。
では魔族とは、何を象徴した言葉であるのか?
ここで、ある新説が発表された。
新説の内容は、端的に言えばラバル王坂棟克臣の行ったヒューマン大虐殺が、人類社会を大きく衰退させたのだという「ラバル王大虐殺説」だった。
この新説は実際のところ、たいして根拠のあるものではなかった。状況証拠のみを都合よく縫い合わし、独善的に解釈された解釈された説に過ぎないのだが、説得力があったのは確かであり、また発表者自身に権威があったことも説得力を大きくすることに貢献した。実際腑に落ちた者も多かったのだ。
専制者による度が過ぎた悪政は、魔族の襲撃などというお伽噺に比べれば、何より信憑性も現実性も高かかった。
また、彼の呼称に魔王などと言う呼び名があったのも、悪評に真実味を与えることになる。
こうして、過去のどの史書にも、どの書物にも記されていない「初代ラバル王の大虐殺」が世間に流布するようになった。
一度知れ渡った通説と言うのは、否定されようともなかなかくつがえされることがないものだ。専門家の間ではともかく、特に一般社会においては……。
ラバル王坂棟克臣の評判は地に落ちることになる。
だが、彼の行った政治・軍事における先進的な改革や経済的成功、種族差別の撤廃――むろん、彼の時代で完全に解決したわけではない――、また彼の保護下で花開いた料理、服飾、建築物、芸能などのラバル文化は、歴史的価値のある物として大きな評価を受けている。
これもまたまぎれもない事実だった。
坂棟克臣の虐殺説を唱えた歴史学者も認めざるをえない偉業である――といっても、彼は坂棟の功績ではなく、その臣下の功績であるとしているのだが……。
現実離れした物も多々あるが、逸話や伝説が多く残る坂棟克臣という人間は、歴史上の人物として、好悪のはっきりと分かれる人物であり、そのためか人気のあるというか人の口に乗りやすい人物でもあった。
――ラバル王坂棟克臣の生存した時代は、歴史と伝説が混在する最後の季節である。
この一文は、数ある坂棟克臣の伝記に必ずと言って良いほど記される表現だった。
神々、魔王、勇者、竜王、精霊、神法術師。これらの偉大な力を持った存在に後の世の人間は触れることができない。だからこそ、事実とはとても信じられないが、伝説として残る坂棟克臣の戦いに多くの者が惹かれるのだ。




