25 的外れなエピローグ3
坂棟が邪烙との戦いに勝負を決めた頃、ラトも獣邪との戦いに決着をつけようとしていた。
獣邪と言う魔族は、理性によって戦いを組み立てるのではなく、勘によって攻防を完結させるタイプであった。
ラトは、数度の激突でそれを理解した。
負けない戦いをするのなら楽な相手ではあるが、勝ちきるのはなかなかに難しい相手である。
ラトの同僚であるギルハルツァーラに似たタイプだと言えるかもしれない。異なるのは、ハルほどに非常識な破壊力を持ってはいないということか。だが、スピードはなかなかのものだった。
獣邪は強い。さすが上位魔族の最後の生き残りである。
だが戦えば、最後に立っているのは自分であるとラトは確信していた。
ただし、正面からぶつかりあえば、短期決戦での勝利は難しいだろう。かといって、主に援護されるのは、ラトの矜持が許さなかった。すでに彼は帝国との戦いで大きな失態を演じている。
戦が終結した後、ラトは坂棟から厳しい叱責を受けた。一度として見たことのない激しさを伴った主人の怒気であった。その時の坂棟は異界に来て初めて剥きだしの感情をあらわにした。瞳に宿る怒気の炎は、圧迫感のある覇気をほとばしらせていた。
しかし、坂棟は感情を無様に垂れ流し続けていたわけではない。すぐに理性が感情の制御を取り戻し、感情の抑制の役割を果たした。彼自身も理解していたのだ。自らに落ち度があったことを。
剥きだしの感情は従者に対する一種の甘えとも言えた。
ラトは坂棟からの叱責を当然の物として受け入れた。いや、彼は叱責を強く望んでいたのだ。ここでたいしたことではない、などと坂棟に流されていたなら、ラトは自らの存在意義に対して大きな疑義を抱くことになっていただろう。
主従の契約を果たした三人の中で、主君と家臣と言う形式で最も強く結びついていた坂棟とラトの二人は、この失敗により結びつきをさらに強固にしたと言えるかもしれない。
失態の後だからこそ、ラトとしては戦いで苦戦する真似をさらすことなどあってはならなかったのだ。特に主の目の前で、そのような惨めな戦いをするなど、屈辱以外の何物でもない。
こういった理由で、ラトはこれまでにないほどの戦意を持って戦いに臨んでいたのである。
むろん、相手となる上位魔族たちは魔族の存亡を賭けて戦っており、彼らは死力を尽くして戦っている。
獣邪に隙とも言えない隙が生じたのは、邪烙が正体を現した時であった。
そして、隙としか呼べない動きを見せたのは、邪烙が消滅した時だった。
ラトはその隙を逃さなかった。全力を以て攻撃を仕掛けた。まったく制限することなく、過剰な攻撃を魔族の気配が消えるまで絶えることなく続けた。
攻撃している最中に、獣邪の気配に変化が生じたことをラトは察知した。おそらく上位魔族の本性を現したのだろう。だが、ラトは一切関係なく最大出力での攻撃を行い続けた。
幾ばくかの時間が経過し、魔族の消失を確認してからラトは攻撃を止める。
「ハルを追うぞ」
主人から声がかかった。すでに坂棟は移動を開始していた。ラトもすぐに主の後を追った。
上位魔族獣邪は、力を発揮することなく世界から退場した。
――うっとうしい。
背後から迫る力のある気配に、白禍が感じていたことだった。
全力を出した白禍の最大速度であるにもかかわらず、忌々しいことに背後の追手はついてきているのである。いや、それどころか徐々に距離を縮めていた。
このままでは不利な状況で攻撃を受けることになりそうであった。
逃げるのではなく、隠れることを優先するべきだった。相手を甘く見てしまった。今さら、白禍はそんなことを思った。
戦うか?
いくつかの選択肢を脳裏に描いている最中に背後から攻撃があった。
「ぐ――」
潰れたような声が白禍の口から漏れる。
彼の真横ぎりぎりを紫光の線が糸を引くように伸びていった。
無理やり体勢を変えることで、何とか白禍は攻撃を避けることに成功した。
どうやら相手は、彼の手の中にある女の遺体を奪還する気などないらしい。消し去る気満々だ。
荷物を抱えたまま戦うには、危険すぎる相手だった。
戦うのは避けるべきだろう。
なら、どうする?
何が使える?
隠し玉は?
――少しばかり時間を稼ぐ必要がある。
そう白禍は結論を出した。
「魔族と言うのは、よっぽど逃げるのが好きなようね」
まるで白禍にたいした攻撃手段などないと確信しているかのように、長身の美女が無防備な状態で白禍の視線の先に浮いていた。
格下に見られていることが不満だった白禍は、黒炎で女に攻撃する。
小蠅を払うように手首だけで女は白禍の黒炎を防いでみせた。
「あなた何者です?」
問う声は、白禍の素に近い口調となった。相手の予想外の強さに彼は驚いていたのだ。
「おまえにそれを言う必要がある? 無駄でしょう」
「無駄だなんて悲しいことを言いますね」
「あなたはここで消えるんだから、知ったところでしょうがないでしょう」
皮肉でも何でもなく、事実を女は述べているだけ――そう受け取るしかない美女の口調だった。
「上位魔族に対抗できる存在。そんなものは限られている――竜王ですか?」
「頭は回るようね」
美女の外見で目立つのは、紫と黒。そしてあの破壊力。暴虐竜ギルハルツァーラだな、と白禍は女の正体に当たりをつけた。
「なるほど、でも竜王の割に強いですね」
ギルハルツァーラがいぶかしげな表情をする。
「僕の知っていた竜王は、まったくダメダメでしたよ。とても弱かった。竜王の中でも最弱のやつと戦っちゃったのかな? やめてほしいな、ホント。あれで僕は竜王は弱いものだと勘違いしちゃいました」
「竜王と戦った――?」
ギルハルツァーラの纏う空気が急激に変じる。戦闘色というよりも殺気が高まっていた。
これは当たりを引いた。
ギルハルツァーラは、何らかの強い思いを同族に持っているようだった。
白禍は内心でほくそ笑む。
たやすいものだ。この程度のことで感情を乱すなど。しょせんは、力だけの下等な生物。
時間稼ぎはこれで成功する。彼の思い描いた作戦も八割がた成功したと言って良いだろう。すでに彼は逃走の成功を確信していた。
「ええ、炎を吐くことしか能のない竜で……ホント、あなたに比べれば、あれはザコでしかないですね。上位魔族なら誰であっても勝てたでしょう、あの為体じゃ――」
「運が良い」
ギルハルツァーラが美しい口元を歪め、呟いた。
「え、何です?」
「運が良いと言ったの」
「意味が分かりませんね。誰の運が良いんですか? 僕ですか」
白禍は茶化す。
このトカゲはいったい何を言っているのか、と馬鹿にした思いがあった。まったく論理的ではない。
「もちろん、私よ。おまえだったのね。私の遊び相手を奪ったのは――竜王が弱い何て言うたわごとを今言ったようだけど。じゃあ、私とおまえで試そう。何日殴りつけてもイシュトライアは死にはしなかった。イシュトライアよりも強いというおまえは当然だけど、殴り続けても生きのびることができるということね」
「何を馬鹿なことを言っているんです。あなたは状況を理解していますか?」
「私はどれほどの時間がかかろうと、全力で殴り続けることができる。必要な時間はおまえが死ぬまで。たいした時間ではないと思うけど――さあ、確かめましょうか」
破滅の微笑がギルハルツァーラの美貌を彩る。
――危険だ。
生物的本能――魔族を生物と呼んでいいのかは謎であるが――に従い、白禍は半身となって横へと退いた。
斬撃? 熱風? 理解不能なものが、白禍の真横を通りすぎる。
「が――」
触れたとも言えないほどかすかに、何かが白禍の右腕に当たった。
霧状になった闇が霧散する。
「へえ」
感心した声には、だが怒りと嘲りが混じっていた。
直前まで白禍がいた場所で、ギルハルツァーラが目を細めてこちらを見ていた。
攻撃されたことを、白禍はようやく理解した。
かすっただけで、肉を簡単に抉られた。何重にも張られた防御結界と上位魔族の持つ強靭な肉体が何の意味も果たしていない。
攻撃を逃れたのは、彼自身が避けたからこその結果ではあるが、それだけではない。ギルハルツァーラが感情の高ぶりを抑えられずに、狙いが荒かったのも原因だ。
白禍はギルハルツァーラが力みすぎたために、攻撃を外したことを察知していた。あまりに強い破壊力であったので、わかりたくなくともわかってしまったのだ。
ギルハルツァーラが力に振りまわされたと表現すれば理解が容易だ。それは大きな弱点のように思える。実際、白禍がギルハルツァーラを怒らせたのには、そんな思惑もあった。
だが、眠っていた力を起こしてみれば、それはあまりに強すぎた。少々制御があまかろうと、敵対している者にとっては、それを弱点と考えるには、プラスとして作用している破壊力があまりに大きすぎたのだ。
「化け物め」
魔族の発する言葉ではなかった。それは魔族が人間から呼称され、畏れられるための単語であるはずだった。
だが、白禍の洩らした本心である。
「たった一発だけで、怯える? 魔族と言うのは、逃げるのが上手いだけじゃなく、大口を叩くのも上手いみたいね」
「……いや、驚きました。竜王と言うのは本当に強いですね」白禍は笑顔を浮かべた。「まあ、今さら言うのもあれだけれど、僕が戦った紅竜イシュトライアも本当は強かったんですよ。僕も死にそうになりましたし……竜王は、敵に回すものじゃない。ええ、これが本心です。さっきはちょっと強がってしまいました。上位魔族と呼ばれる僕たちの悪い癖ですね。ああ、言っておきますけど、イシュトライアさんと戦ったのは意図的じゃありませんよ。偶々僕がイシュトライアさんの領域に入ってしまって――これももちろんわざとじゃありません。それで、イシュトライアさんが怒ってこっちに攻撃してきたんです。これは、もう事故みたいな――」
白禍の演説は強制的に時間切れにされた。
ギルハルツァーラが攻撃を仕掛けたのだ。
問答無用と言うことか。
宣言通り、暴虐竜は肉弾戦を行うらしい。
肉弾戦と言うのは、直接相手に触れなければならないために、上位者の戦いになればなるほど難易度が跳ね上がる。だが、攻撃が当たれば、すべてのダメージを相手に直接放り込むことができる肉弾戦は、極めて強く、時には必殺の力を持つ攻撃となりうるのだ。
それを数えられぬほどに相手に叩きつけると宣言したギルハルツァーラの怒りが、ここからもわかろうと言うものだ。
白禍は避けた。同じ攻撃を受けるほど、彼は低能ではない。
だが、ギルハルツァーラの攻撃は同じではなかった。追撃の拳ととどめを狙う蹴りが白禍を消し去ろうと襲いかかる。
全身全霊で以て白禍は回避行動を取った。後さきを考えない全力の回避は、半分成功した。
一切の損傷を許されないマリーという女の身体は守りきった。
だが、白禍の半身は消し飛んでいた。
おかしい。
ありえないほどに力の差がある。
確かに紅竜は傷ついてはいたが、それを勘案しても紅竜の強さと暴虐竜の強さの間にはあまりに差があった。
敗北する――屈辱的な現実を最後の生き残りとなった上位魔族である彼自身が受け入れるよりなくなった時、あろうことか白禍は笑った。
勝利を喜ぶ、実に魔族らしい禍々しい笑みだった。
白禍は必要最低限の力のみを残して、暗黒の黒炎をギルハルツァーラにぶつけ、力ある闇を周辺へとぶちまけた。
紫光の輝きが、一瞬にして闇を消滅させる。
闇が消えてしまえば、逃走に移る白禍の後ろ姿が丸見えとなった。
ギルハルツァーラの瞳は白禍を捉え続けている。最後の一撃を振るおうとしたギルハルツァーラの足に何かがへばりついた。
強大な力がぶつかりあっていたために、竜王の感知力を以てしても、その弱者の力を正確に捉えることができなかったのだ。
ギルハルツァーラは振り払おうとしたが、離れない。彼女の視線が足元へと向けられた。
青白い肌と茫洋とした瞳をした男――魔族化した立花公一郎が、ギルハルツァーラの足にしがみついていた。
ギルハルツァーラは一瞬にして立花の両腕を切断する。青い血が弧を描いた。彼女の身体から離れ、空中へ舞う立花を強烈な紫光が呑み込む。
おそらく立花は白禍によってこの場所に誘導されたのだろう。彼は坂棟たちが飛びたった後、すぐにマリーを求めて移動を開始した。魔族化することでさらなる力を得た立花は、人外によって行われている戦場にたどりつくことが可能だった。最後にギルハルツァーラへと挑んだのは、白禍の命令であったためか、それともマリー・ヴァン・ボルポロスの遺体を傷つけさせないという執念であったのか、それはわからない。
立花公一郎は二一歳という若さで異世界の地に別れを告げた。彼が求め続けた女性と同じ日に彼は命を失うことになったのである。
視線を外したのは、ほんのわずかな時間でしかなかった。
だが、ハルが視線を戻した時には、白禍の姿はどこにも見当たらなかった。竜王の力で感知することもできず、完全に行方をくらまされた。
ハルはまず逃げた方向に向かって紫光を放った。森が吹き飛び土砂が舞い、クレータが生まれる。
あの魔族の性格を考えれば、あのまま素直に直進して逃げることなどありはしないだろう。ハルは、辺り一面に攻撃を開始した。
遅れて坂棟とラトが合流する。
既に結果は念話で伝えてあった。
「既視感のある状況だな」という言葉がすぐに返ってきた。怒りが内包している口調だったが、その怒りはハルではなく坂棟自身へ指向したものだった。
その時の坂棟からの指示は、白禍の防御結界を撃ち破れる力で地上を攻撃し続けろ、というものだった。
主人の命令に自らの怒りも上乗せして、ハルは攻撃を続けていたのだ。
合流を果たした今は、ラトも地上の攻撃に加わっていた。
ハルとラトによる徹底した地上への攻撃は一日中続けられた。
エンシャントリュースへ派遣されていたセイが到着したところで、一度攻撃は停止する。
「俺は一度ラバルに戻る。おそらく数週間は目覚めない。ラバルの守護はラトとセイに任せる。帝国の皇子がやつらの拠点となる場所に捕らわれているはずだ。場所の特定はできない。だが、魔族の領域である可能性が高いだろう。ハルはこのまま北上して、もう一度徹底的にあの地を破壊するんだ。地下深くに届くほどに強力な攻撃をしかけろ。やつらの拠点を潰せ。だが、魔王の復活を感じたなら、ラバルへ即撤退しろ。特に最後の命令を違えることは絶対に許さない」
「承知しました」
三人はそれぞれ頭を下げた。
「予言の姫の言葉を借りるなら、今回の魔族の王はよほど強いらしい」坂棟は不敵に笑う。「最悪の時は、俺を守れ。目覚めた後に、俺が何とかする」
「当たり前です」
「承知しました」
「わかりました」
三人三様に答えを返す。
「ハルは行動を開始しろ」
「はい」
ハルが高速移動に移った。彼女は移動中も森への攻撃を行っている。森が連弾するように爆発した。
「現状、すべてを守ることは不可能だ。俺たちはラバルを守ることに専念する。各国には魔王の復活の可能性を伝えろ。神々とやらがいるのなら、神殿にすでに通達が言っているはずだがな」坂棟は皮肉げに笑った。「仮に、魔王の復活と共に大群の魔族による襲撃が始まったなら、ラバル領のすべてを守ろうとするのは現実的じゃない。シンジュの村(塩の村)は今から放棄させろ。あそこは自力で避難することが不可能だ。すぐに船をやれ。ハザマ(旧公国とラバルの間にある町)の復興は中止だ。ガード(鉱山の町)とガノン、ミーブル、サーン・ノース、ボルカディス、クーラル(いずれも新ラバル領)、それとミルフディートの防壁を早急に補修・強化しろ。周辺住民の避難先は、その七都市とラバルだ」
坂棟の指示は、ラトの従者を通して、ラバル上層部にも伝達されている。
「軍船を含めた船は可能ならサーン・ノースに入港させろ。無理なら最寄りの港で良い。海での戦闘は避けろ、不利になる」
「軍の配置はいかがいたしますか」
「動かす必要はない。現状無防備な都市はないな」
「はい。しかし偏りはあります。特に大砲などの兵器に関しては」
「――俺の寝ている間に、軍と兵器の移動を禁止することはしない。ラトの判断で決めろ」
「承知しました」
「……ラトは先の魔族との戦いを経験しているな」
「以前にも申しましたように、私はほとんど存じません。魔族は私に対して攻撃を仕掛けてくることがありませんでした。ただ、魔族の数は多く、戦いは大陸のいたるところで起こっていたかと」
「ラバルはともかく、他の都市や国が耐えられるかどうかは、復活の時期に左右されそうだな。どちらが先に目覚めるか――」
独り言に近い坂棟の呟きに、ラトは返事をしなかった。主が特に返事を求めていないことを彼は察していた。
この後、坂棟は蒼一角馬を呼び、帰路の途中で合流した後、蒼一角馬に騎乗してラバルへと戻った。
道中でも、ラバルとの遠隔会議を行い、可能なだけの指示を与えた。
坂棟の危惧は、自分が休眠している間に、魔族の攻撃を受けるということにあった。だからこそ、眠る前に、多くの指示や命令を通達したのである。
だが、彼の危惧は外れることになる。
三週間後、坂棟が目覚めた時、未だ世界は変わらぬ姿を保っていた。
神託は魔王に関する言葉を何ら与えていない。
――魔王復活。
未だその時は訪れていなかった。
第三部 動乱編 了。




