14 ラバル戦争 反撃の咆哮
「国家防衛の時にあって、王宮の侍女に剣を突きつけるのは、ラバル兵士として是か非か? 答えよ、サイマ」
ラバル王の足音が謁見の間に響いている。
サイマは足音が頭上近くで止まるのを感じた。王の威風に圧迫された彼の身体は、微塵も動くことができない。
実際に空気は重かった。サイマにわかろうはずもないが、坂棟の身体からは密度の濃い念が漏れ出ていたのだ。
「意思を言動で表す事のできぬ者が叛乱か?」
サイマは地面に頭をこすりつけたまま何とか口を開いた。だが、そこから漏れるのは空気の音のみで、言葉が形となることはない。
「ミルス、この男を捕らえ、あらゆる手段を用いて首謀者の名を吐かせよ」
「承知しました」
遅れてやってきた王宮警護兵が、サイマを両脇からしっかりと抱きこむようにして捕らえた。
両足を引きずるようにして連行されながらも、サイマの双眸は王の姿を追っている。
「ミルス、ラバルの統治を正せ。陥落した都市をのぞけば、ラバル国内でもっとも混乱しているのが本拠となるラバルだ。王城がこの有り様では、後世に無能を笑われるぞ。手腕を示せ」
「はっ!」
「アマウミ」
「はい」
セイレーンの侍女頭が顔を上げた。やや頬を紅葉させ濡れたような瞳で、彼女は王を一心に見つめている。
「この者たちを率いて、王宮から賊を叩き出せ。掃除は侍女の役目だろう?」
頭を下げて小刻みに震えている叛乱兵たちを、坂棟が視線で指し示す。
「はい。塵一つ残さぬよう役目をまっとうして差し上げます」
「側にいる四つの部隊は指揮官を失い混乱している。これを即座に糾合せよ。逆らう者には容赦をするな。時間を一に考えよ。慈愛はいらない」
「承知しました」
命じ終わると、ラバル王は叛乱兵の間を堂々と歩いていく。
王が一歩あるくごとに、冷気のような空気が兵士たちの四肢を凍らせた。彼の歩みに合わせて、かしずく叛乱兵の中からいくつかの首が宙を飛ぶ。
この時、すべての叛乱兵の心が完全に砕けた。兵士の心が粉々に砕け散った悲鳴の音を、サイマは確かに聞いた気がした。
彼らは王から一言も声をかけられていない。つまり、許しを得たわけではないのだ。だからこそ恐怖は倍増する。底のない暗闇を覗きこむような得体の知れない恐怖が彼らを支配しているはずだ。
この恐怖から解放されるためには、献身的に働くことで忠誠を示し続けるより他ない。
ここにいる兵士たちは、以降王への叛逆など思い浮かべることさえ困難になるだろう。王から忠誠心を疑われないために、死兵と化して戦いに臨み続ける以外に未来はないのだ。
「ミルス」
入り口で王は振り返った。
「はい」
「報告しろ」
「はい」
王はすぐに歩き始め、ミルスが小走りで王に追いつくと、口早に報告を開始した。王の威容は廊下へと消える。
サイマは感情の欠けた瞳で、すべてを見ていた。
笑えるほどに己が無様だった。
彼が何かをなしえると感じたのは、ほんの一瞬でしかなかった。彼が行おうとしたことなど、絶対者を目の前にすれば、簡単に弾かれる程度の重みでしかなかったのだ。
歴史に名を残す権利は、一部の者のみに許された特権なのだ。そして、あの王は間違いなく最上級の特権を有している。
サイマの存在など王にすれば路傍の石ほどの価値もないのだろう。
――答えよ、サイマ。
だが、王は彼の名を知っていた。
王は確かにサイマの名を呼んだのだ。
それは喜ぶべきことなのだろうか。
サイマは声を上げて笑った。
左右を固める兵士が薄気味悪そうに自分を見ていることはわかったが、まったく気にならなかった。
サイマは笑い続けた。
この後、サイマは特別な一室に連れていかれることもなく、関わった人間と計画のすべてをミルスに自ら白状したのである。
坂棟は、ラトの従者たちによって作られた連絡網を回復させた。
これにより、各場所に王からの直接命令が届くようになった。
鉱山前に造られた町、シンジュと言う名の塩の村、港町サーン・ノース――ボルポロス公国とラバルの中間にあったハザマ町からはすでに撤退している――等は、遮断された通信が回復したことと、王の声を直接聞いたことで落ち着きを取り戻した。
新ラバル領に位置し、パルロと接しているサーン・ノースの町のみが戦時体制にあるが、今のところ周辺に敵軍の姿はない。
坂棟は各軍団にも命令を出した。
特に第二軍団(指揮官はブルラーグで兵士はすべてセリアンスロープ)と第五軍団(サーン・ノースにいる騎馬隊)、第六軍団(指揮官はヤマトで兵士はすべてセリアンスロープ)には別に作戦を命令した。これらの軍団に共通するのは、いずれも機動力に富んでいるところである。
坂棟の命令の中に第三軍団の名はなかった。むろん、潰滅したためである。王は数瞬の沈黙で第三軍団への思いを表した。
海軍にも進軍の命令が伝えられている。彼らは慌ただしく遠征の準備を整え始めた。
坂棟の命令は、彼の三人の従者たちにも当然届けられた。
一週間に渡って黄金竜と戦い続けていたハルは、戦闘中にもかかわらず坂棟との会話を楽しみ、最後に取ってつけたように「じゃあ、そろそろ決着つけようかな」などと口にした。
セイは、坂棟の復活に反応してすぐにでも主人の下に駆けつけようとしたのだが、坂棟が現場待機を命じたので、変わらずパルロ軍と防壁上で対峙している。
坂棟の命令に最も大きな反応を示したのはラトであった。
その時、神気に身体をおかされたラトは、ほとんど正気を失ったような状態にあった。
それが一瞬にして回復した。
意識が明快になると同時に、ラトは主人からの莫大な力が自らの身体に流れ込んできていることを承知した。
「お館様!」
一度として出したことのない悲鳴のような声がラトの口から漏れる。彼は自らの誤りが主人に大きな負担を課したことを理解していた。それが、主人の寿命を早めることに繋がることも。
「俺よりも長く眠っていたみたいだな。まったく、人を最も良く知る竜王と言うのは、人間に対して油断をする竜王のことを言うのか?」
微笑がたゆたった坂棟の口調である。
「お館様、なぜ――」
なぜ自分を救うために貴重な力を作ったのか、とラトは問いかけたかったのだが、彼の主人はそれ以上言葉を紡ぐことを許さなかった。
「俺の焦りが国の焦りに繋がり、俺の傲慢が国に脆さを抱え込ませたらしい」
「―――」
ここまでラバルが押し込まれたのは、坂棟の不在はもちろんだが、戦に対する準備不足が祟ったと言えなくはない。ラトはそうは思わないが、坂棟には大きな責任があるということだ。少なくとも、坂棟の発した言葉から、そういった念が読み取れた。
「何にやられた?」
「槍のような形状をした特殊な武器です。神法術の力と竜石を利用した物であると思われます」
「放たれたら避ける術はないのか?」
「そうは思いません。私は受けてしまいましたが、避けることも、あるいは破壊することも可能かもしれません」
「たいした武器とは思えないが、竜王を苦しめたのだから警戒するとしようか」
坂棟は軽やかに評した。次の瞬間、彼の口調が変わる。
「帝国軍を敗走させろ。ただし、余力をもたさせたまま後退させるようにするのだ。次に、おまえはボルポロスで潜っている大使を保護し、ボルポロス公と交渉の場を持て」
「帝国軍を壊滅させなくてよろしいのですか?」
「時期は早まったが、この機に帝国は分断させる。計画の繰り上げだ」
「承知しました。ボルポロス公への処断は?」
「おまえが行けば向こうから首を差し出してくるだろう。差し当たっては、それ受け取るだけで良い。大使には自由に行動させておけ」
パルロと帝国の援護がなければ、ボルポロス公国は沈むよりない。公国が生き残るためには、全力でラバルにおもねるよりないのだ。
何よりボルポロス公が裏切りを主導した――まだ完全な確認は取れていない――という事実を打ち消さなければならない。それには多くの重鎮が贄となる必要があった。
「ラト」
「はい」
「失敗は許さない」
「承知しております」
笑みの吐息を残して、坂棟からの念話は切られた。
ラトは上空へと垂直に飛んだ。
地上を見下ろすと、広範囲に渡って地面の形が変形していた。今も至る所で土煙が散々に上がっている。ミルフディートの城壁も一部破壊されていた。
帝国軍の六万から七万ほどの軍勢が南に五キロメートルほど離れたところから、こちらを砲撃している。着弾地点には帝国兵も多くいるのだが関係ないようだ。竜王を殺そうと必死であるのだろう。
「しかし、それも報われませんでしたね」
上空からラトは笑った。彼が上空にいることに、未だ誰も気が付いていないようである。
復活したラトの最初の攻撃はミルフディートの城壁へと向けられた。そこは、彼に向かって忌まわしい槍が放たれた場所であった。ミルフディートの南城壁は、ラトの攻撃によって念入りに破壊された。
ラトの視線は南に布陣する帝国軍に投じられる。彼の瞳には獰猛な光が宿っていた。
ラバル上空に巨大な光球が眩く輝いていた。
それは突然現れ、強い引力で惹きつけるように人々の目を奪った。
ラバル住民のみならず、ラバルを包囲するパルロ軍とエンシャントリュース軍すべての人々が空を見上げている。
パルロ王ゼピュランスは、第二の太陽のように輝く光球を見た時、悪寒が背筋を這い上っていくのを感じた。
――あれは危険な物だ。
パルロ王は神法術師たちに即座に攻撃命令を出した。だが、王の怒声を帯びた命令は、王が期待したようには即座に実行へ移されなかった。
誰もが空を見上げ、光球から放射され始めた光を見ている。
それは流星が夜空に弧を描くような美しい光景だった。早朝の空が、流星の瞬きで満ちていた。
だが、天空の美しさと対照的に、地上ではまったく異なる凄惨な光景がひろがることになる。
降り注ぐ閃光は、地面に接触すると同時に衝撃を周囲へ撒き散らし、兵士たちは爆裂によって薙ぎ払われた。
連鎖する光芒は、兵士たちの身体から肉や骨や血を切り分け、大地の栄養分へと変えていった。
戦場に満ちた兵士たちの絶叫は、爆発音と破砕音とに打ち消される。強制的に訪れる巨大な力に抗う術はなく、特別な力を持たぬ兵士たちは、無残なまでに一方的に命を散らしていった。
ラバルを包囲するパルロ軍とエンシャントリュース軍の陣形は、虫食いのように各所に穴を空け、それ自体腐敗したかのように見る間に崩れさっていく。
パルロ軍で神法術を使える者たちは、その力を防御にすべて当てていた。エルフたちも精霊術をすべて防御に当てている。
だが、降り注ぐ光の塊の範囲は広大で、一つ一つの破壊力は上級神法術師の攻撃と同等か超える威力を持っており、全軍を防御することは不可能であった。
包囲軍の兵力は絶望的な速度で減少を続けていた。
絶え間なく続く爆発光を呆然と眺めているのは、防壁上にいるラバル兵だった。自らがなした砲撃とは比べものにならない規模の破壊の光景を、彼らは非現実感の中で眺めやっていた。
破壊の流星がついに止んだ。
巨大な光球が現れてからどれほどの時間が経過したのか、正確に把握できた者は一人としていなかっただろう。パルロ軍とエンシャントリュース軍にとっては、絶望的な長さであったに違いない。
ふと上空を見上げるラバル兵がいた。
光球が消えた後に、小さな影が見える。
それは人影だった。
ラバル兵士たちは次々に上空を見上げる。
一人の兵士が言った。
「王だ」
兵士の呟きは、一粒の滴となって兵士の間に落ち、疑問というさざ波を生じさせ、ついには大きな歓声へと変わっていった。
王を求める狂騒的な熱気が兵士たちから沸き起こり、「我らが王」という単語が合唱のように連呼される。
兵士たちの熱狂に答えるように、天空でラバル王が両腕を拡げ咆哮した。
豪壮の気で溢れた王の咆哮は、どこか美しい旋律を伴い、天上から地上へと響き渡る。
王に感化されたラバル兵士たちも同じように咆えた。
熱気と戦気に満ちたラバルの咆哮は、音と言う形を取った武器となり、包囲する敵軍兵士たちを圧倒する。
ラバル包囲戦は、この時よりその姿を一変させた。攻防の位置が換わった瞬間である。




