12 ラバル戦争 撤退
ジャグ率いる第三軍団は、たった一日の戦いで三割以上の死傷者を出していた。ぼろぼろと表現して良い有り様だった。
負けることなく撤退できたのは、途中から現れたパルロの援軍が味方の足を引っぱってくれたからというのが正しい。
敵援軍は三〇〇〇ほどだっただろう。彼らが駆けつけた時、パルロ軍は守勢から攻勢に転じようとしていた。だが、新たに参戦した三〇〇〇の兵の動きが、パルロ軍の動きを大きく阻害することになったのだ。連係が取れないために、組織的な撃退は大きく減じ、セリアンスロープたちによる個々の戦いに合わせることになってしまった。
結果、ラバル軍、パルロ軍双方共に兵力を大きく摩耗した。
第三軍団は自らに倍する敵に奮闘していたが、勝利を得るにはあまりにお粗末な用兵である。
ジャグ自ら八将を抑えるという作戦は間違ってはいないだろう。だが、第三軍団の兵士たちには指揮官の気質が共有されているのか、集団の勝利ではなく、ともすれば個の勝利を求めるふしがあった。それが今回の戦いでは、悪い形で表面化してしまったのだ。
ただし結果を見ると、個の武力でパルロ軍を抑えこんでみせたのだから、立派と言えば立派である。
精強と呼ぶにふさわしい軍団だ。
ジャグは第三軍団から離れたところにいた。
彼の傍では、本陣から戻ってきた使者が報告をしている。
「何だ? 他にも何かあるのか?」
やや言いづらそうに言葉を止めた使者に、ジャグは先を促した。
「は。第三軍団は全軍本陣へ帰陣すること。また、指揮官は先行して本陣へ参陣するようにとのことです」
「ほお、ずいぶんと偉そうなことを言う」
指揮官の怒りを正面から受け止めた使者は、視線を下げる。
「――わかった。おまえは本陣に移動することを副官に伝えろ。俺は、一人で先に行く」
「一人で、ですか?」
「問題があるか?」
「あ、いえ」
「さっさと行け」
「は!」
使者が去ると、宣言したとおりにジャグは動き出した。
彼の部下は勘違いしていたようだが、ジャグは冷静であった。もちろん、怒りはある。だが、一方で本陣のやつらはよく戦場が見えていると感心していた。
おそらく、被害の大きい第三軍団と予備軍の第六軍団を交替させるのだろう。明日以降、パルロ軍の進軍を止めるには、数を大きく減じた第三軍団ではいかにも心許ない。
戦いから遠ざけられることをジャグは当然認めるつもりはないが、彼には別の思案があった。明日以降激戦となるのは、両翼ではなくラバル本陣なのではないか、との読みだ。パルロ軍とて無策で終わることはないだろう。大砲のある本陣を狙ってくるはずだ。
本陣が主戦場となれば、第三軍団は予備軍ではなくなる。
ジャグとしては願ったり叶ったりの状況である。
だが、ジャグの予測はすべて無駄なものとなった。
ラバル軍は目の前の戦場とは関係ない理由から、戦場での行動を決定せざるを得なくなったからである。
「全軍撤退しろとのことだ」
ギーセンラルバの発言への皆の対応は沈黙だった。
陣幕には各軍団の指揮官が集まっている。
「――それは誰かの命令ですか?」
ブルラーグが問いかけた。
「本国で宰相の代行を任されている小僧だ。ただし、セイ様の同意もあるらしい」
「理由は? こちらの戦況を知っているとは思えない。問題は別のところにあると考えるのが妥当だと思うが」
「エルフが裏切り、ラバルへと進軍している可能性が高い。エルフ軍には竜王も含まれているということだ」
「籠城するということか……これに陛下のご意思は含まれていないのだろうか?」
「もし陛下がおられるのなら、わざわざ小僧の名を使い、隠す理由がない」
ギーセンラルバが答えた。
「私もそう思います。籠城などと言う作戦は、あの方のやり口ではない。陛下であれば、主導権を握った戦い方をなさるのではないか? そして、我々に対しても勝利のためにもっと過酷な要求をしてくるだろう」
ドラードの言だ。
「――籠城してどうするの? 何を待つの? 援軍? 援軍って何? 陛下のこと? 陛下はラバルにいるんでしょう?」
ヤマトの言葉は、どこか歯車が狂ったように進むラバル軍の戦の問題を核心をつく問いだった。
ラバルの絶対者である王の不在が、見えない壁となってラバルの行動に制御をかけているかのようなのだ。全力である。だが、力を出し切れていないもどかしさがあった。
なぜ、王が指揮を執らないのか?
エルフまで参戦し、既存の国家すべてとラバルは戦争状態にあるのだ。すでに部下の力を見るなどとは言っていられない。国家の危機である。
しかも、ラトまで通常の状態にないのだ。
一度意識してしまえば、全員の心の奥底で王への不審が鎌首をもたげた。
「――陛下を信じることができなければ、ラバルは終わりだと思う。確かに我々の力量を試しているというのは無理がある。だが、だからと言って陛下がラバルを見捨てたとは思えない。おそらく何らかの事情があるのだ」
ブルラーグが慎重に言葉を選んでいる。
「国家の危機以上に優先すべき何かがあるのだろうか?」
騎馬隊の指揮官であるアカギが口を開いた。その口調は、王への不審と言うより、単純な疑問が口から出たという感じだ。アカギは強さを信仰する鬼である。彼の王への忠誠心が人一倍高いことは、この場にいる誰もが知っていた。
疑念を求めての言葉ではなかっただろう。だが、彼の疑問は疑念をさらに深化してしまうものだった。
「おまえらまさか疑っているのか。いいか、陛下はあの方を倒したお方だぞ」
ジャグが天を指す。
天が落ちてくるのではないかと言わんばかりに、紫光と黄金の光が天空を穿っている。いつ果てることなく竜王の戦いは続いていた。
「強さを疑ったことなどない」
ブルラーグが反論する。
「不愉快な言い方をするな、ブルラーグ」
ジャグが噛みつく。
「今はこれからの方針をできるだけ時間をかけずに決定するべきである。この場で戦うにせよ、撤退するにせよ」
ギーセンラルバの発言はわかりきったことではあったが、だからこそ皆に自制を促した。ここで、さらに激昂するような低能な指揮官はラバルにはいない。
「撤退など簡単だろう」
馬鹿にしたようにジャグが言う。
「第二、第三、第五、第六軍団はそうであろうが、第七、第八軍団はそうはいかん。物資が多くある。それに負傷者の運搬もしなければならない。仮に今夜の内に撤退を開始したとしても、いずれパルロ軍に追いつかれることになるだろう」
「大砲と銃――弾薬か」
舌打ちこそしなかったが、ジャグの口調には忌々しさがのぞき見えた。
「私は戦うべきだと思う。勝ってるのに退く必要はない。陛下の命令じゃなく、しょせん戦いを知らない代理。こちらで判断すれば良い」
ヤマトは無表情だ。意識してそう努めているのか、本当に冷静であるのかは、彼女の場合なかなか判断が難しい。
「駄目だ。たとえ、ここで勝ってもラバルが落ちれば、我々の勝利には意味が無くなる。仮に陛下が戦いに参加しないのであれば、敵に竜王がいることはあまりに脅威だ。城壁だけではなく、我々兵士がいなければ守ることも難しい」
「セイ様がいる」
「セイ様が竜王を抑えることに成功したとしても、エルフの軍勢がいる。彼らは精霊術を駆使して戦う。その戦い方は不明だ。もしも、セイ様のように飛べるとしたらどうする? たとえ籠城するにしてもラバルを守るのに一万では少なすぎるのだ」
ブルラーグの言葉にヤマトは黙った。納得しているかはわからない。
「私が思うに」続けてブルラーグが話す。「第七、第八軍団には無傷で撤退を成功してもらわなければならない。彼らの火力は籠城戦において、絶大な力を発揮すると期待できるからだ。だが、この二軍団の足ではパルロ軍の追撃を躱すことは困難だ」
「何がいいたい?」ジャグは問う。
「殿を残すべきだ」
ラバル第五軍団(騎馬隊)は東を目指して進んでいる。
指揮官である鬼のアカギが自ら新ラバル領の二つの主要都市を回ることを志願し、受け入れられたからだ。
籠城戦となった場合、第五軍団は活躍しにくいという点と兵数が少ないという点が行動の自由を許された理由である。
森の中での機動力はセリアンスロープたちの方が高く、第五軍団はラバル城壁内に入らず遊軍として活躍するには適していなかった。
第五軍団が訪れた二つの都市は、それぞれ異なる運命をたどることになる。
一方は、ラバルから離反し、もう一方は港町サーン・ノースへと多くの民が移動した。
ラバルから離反した都市ガノンは、パルロに門戸を開いたのだが、都市では暴行と略奪の嵐が吹き荒れた。この町を訪れたのは正規のパルロ軍ではなく、パルロ北部で盗賊まがいの暮らしをした人々や農民たちであった。隣で栄える者たちを妬んでいた彼らは、この時とばかりに鬱憤をはらしたのである。
もう一方の都市ミーブルから脱出した人々は、ラバル軍に護衛されながら着実に退避した。都市に駐在していたラバル軍と合流した第五軍団が護衛である。
だが、その歩みは遅く、暴走したパルロ国民たちに追いつかれてしまった。
といっても、正規の兵士ではない彼らは、ラバル軍と大砲の相手ではなかった。
砲撃で混乱し、第五軍団の突撃攻撃で烏合の集団はあっさりと散り散りになる。
都市ミーブルから脱出した人々は、無事港町サーン・ノースへとたどりついた。ちなみに都市ガノンにいたラバル関係者はわずかに被害も出したが、脱出には成功した。
しっかりとした防壁と一定の砲門を備えたサーン・ノースは、パルロ正規軍が本腰を入れて攻撃しなければ、陥落することはないだろう。
新ラバル領に住む多くの農民たちは、住居を離れ山へと逃げていた。数少ない物資は、地面に掘った穴に隠してあるが、時間をかけて捜索されれば発見されることだろう。だが、彼らの被害は過去にあったどの戦いよりも小さくなるはずだ。通貨の流通が財産の軽量を約束してくれたおかげである。彼らは硬貨を身に着けていた。困窮しているパルロ北部の住民には、農民が硬貨を持ち歩くなど思いもよらぬことに違いない。
殿を務めているのは、ジャグ率いる第三軍団であった。兵力はおよそ二八〇〇。
ジャグ自らが志願し、この役目を引き受けた。
当初は、ブルラーグが殿を務めようとしていた。
「家庭を持った腑抜けに、殿の役目を完遂できるとは思えん。俺がやる」
「――わかっているのか?」
ブルラーグの声はどこか苦しげであった。
大げさに言ってしまえば、数十倍の敵を相手にするのだ。命を賭す以外に役目をまっとうすることは不可能だろう。
「おまえよりも、俺の方がふさわしいことに疑問があるのか?」
「――第三軍団は被害が大きいのだろう?」
「ちょうど良いじゃないか。殿に多くの兵など必要ない」
ジャグが言うと、ブルラーグは黙りこんだ。
命を懸けるほど重大なことを自分が行うのは良いが、他者に背負わせることは躊躇するらしい。昔と変わらず責任感が強く、甘さの残る男だった。だからこそ他者から信頼を得ることができるし、この男なら将来において他種族との交流もうまくやることが可能だろう。
ジャグにはない資質だった。そして勝利の後に、必要とされる資質だろう。
「我が隊から銃兵を残すという手もある。敵軍の突撃に銃は有効だ」
「おまえらを無事逃すために殿をやるんだ。余計なことはするな」
ジャグはドラードの発言を切り捨てた。
「良いだろう。ジャグやってみよ」
ギーセンラルバの発言により、撤退が決定し、殿の役目も決定した。
そして、今、ジャグはパルロ軍を待っていた。
早暁には、パルロ軍もラバル軍の不在に気がついたことだろう。すぐに追撃に出るはずだ。
すでに陽射しは高く、パルロ軍がいつ現れてもおかしくない時間帯となっている。
整備された道路は人間が行き来することを歓迎していた。だが皮肉なことにラバル軍が利用するために造られた道が、今や敵軍がラバルに侵攻するために使用することになったのだ。
「さて、どっちが来る?」
パルロ軍が来るのか、それとも八将が現れるのか、両者が現れるのか?
いずれにせよ、第三軍団は大きな犠牲を出すことによってしか使命を果たすことはできないだろう。
第三軍団の目的は生き残ることではない。兵士達もわかっていた。
時間を稼ぐことのみが目的なのだ。それがラバルに住む人々を救うことに繋がるはずだった。
八将ロッドガルフを指揮官としてパルロ軍追撃部隊は、退却したラバル軍を追っていた。
急遽騎馬隊のみで編成された部隊で、その数は四〇〇〇である。歩兵七〇〇〇が続いている。歩兵の指揮官は、副官ミュラーゼンだ。
後続の本隊は片腕の八将ミゼルが総指揮官になっていた。
ラバル軍の殿とパルロ追撃部隊との最初の激突は、一〇月二五の昼過ぎに行われた。
ラバル軍はすぐに後退した。
勢いに乗じるパルロ軍は攻勢を強める。
その時、森から多くの弓が射られた。さらに声を上げてラバル軍が両側から突進してくる。伏兵である。
パルロ軍の突進力は一時奪われ、被害を出したが、パルロ軍の追撃が終わることはなかった。
そこからの戦いは、戦いと呼べるものではなかった。
セリアンスロープの部隊は、装備も軽装で敵軍突撃を受け止めるのにまったくふさわしくない。しかも、相手は騎馬である。相性が悪すぎた。
ラバル第三軍団は道に立てられた人肉の壁となって存在するのみだった。
とにかく崩れずに粘るという戦いである。敵軍を破るのではない。身を投げだし、馬や相手の足を捕まえ抱えこむ。噛みつく。とにかく、何でもいいので足どめをするのだ。
セリアンスロープの戦いぶりにパルロ軍の士気は翳りを見せた。
不思議なことに、八将ロッドガルフは正面に出てこず、後方から指揮するだけだった。
圧倒的不利な中を、ラバル第三軍団は奮闘し続けている。
一〇月二六日夜。
すでに第三軍団に精強と謳われた姿は見られない。無傷な者は一人として存在せず装備も損傷していた。爛々と輝く双眸の光のみが、戦士として彼らが未だ戦えることを示していた。
ラバルまでの道程は三分の一を超えている。
明日までパルロ軍の侵攻を堰きとめられれば、ラバル軍の本隊は何とか退却できるだろう。どんなに追撃部隊が残りの道程を飛ばしたところで、間に合わない。
パルロ軍は絶え間ない攻撃を続けてくる。途中で歩兵が合流したことによって、数の力をいかんなく発揮するようになった。
束の間の休息は、パルロ軍の襲来ですぐに打ち壊された。
夜襲である。
パルロ軍は夜襲をかけても、翌朝さらに攻撃することが可能だった。
兵力に差があるので、交替して戦えるのだ。
だが、ラバル軍は違う。
全員が不眠不休で戦っていた。戦うよりなかった。
ぼろぼろである。
すでに戦術も用兵もない。精神力のみが彼らの身体を支えていた。
一〇月二七日。正午過ぎ。
撤退戦を開始して三日目である。
ラバル軍は崖に挟まれた街道を後退していた。
崖上から矢でも射かければ、敵に大きな打撃を与えることができるだろう。敵軍に油断があれば、潰滅することも可能かもしれない。
もちろん、第三軍団にそんな余裕はなかった。
すでに、人数も五〇〇を割りこもうとしている。
パルロ軍もラバルの殿にすでに余力がないことを承知していた。まったく罠を気にかけることなく、突撃を開始する。
凄まじい勢いである。
受け止めることは不可能に思えた。おそらく、この一戦がラバル第三軍団の最期の戦いとなるだろう。
「防ぎきるぞ」
ジャグの声に全員が身構えた。軍団として最後の戦いであり、自らの生の最期を全員が意識した。
その時、頭上から轟音が鳴り響く。
三日前、アッピリアの戦場を支配していた音だった。
さらに、連射される銃撃音。
ジャグは崖上を見る。
大砲が二門。銃兵が二〇〇人ほどいる。
連続して砲火が上がった。
砲撃は敵後方で炸裂し、熱と衝撃で敵軍を壊乱させる。
そして、敵前方には弾丸の雨が容赦なく降り注いだ。
数日間を攻勢のみで過ごしていたパルロ兵たちに、銃撃による奇襲を防ぐ術はなかった。彼らは精神的にもまったくの無防備であった。
追撃戦でラバル第三軍の兵士の命を奪い続けたパルロ軍は、あっけないほど簡単に崩れさっていく。
精神の緊張が切れたのは、何もパルロ軍ばかりではない。
生きのびる可能性のない戦いを強いられてきた第三軍団の兵士たちは、援軍の存在とパルロ軍の敗走の気配に、死兵と化していた自らを解き放っていた。異常な精神状態は失われた。今の彼らに命を賭して戦うことは不可能だろう。
第三軍団にあって唯一戦場から精神の緊張を解いていない男がいた。
ジャグである。
彼は兵士がすでに戦えない状態にあることを肌で実感している。
パルロ軍は潰走していると言って良い。普通ならば、戦いはここで終わりだ。そう思い精神の鎧を脱ぐのも仕方がない。これまでの過酷な戦いもあり、兵士たちを責めることはできなかった。
だが、パルロ軍にはただ一人で戦場の勝敗を左右できる戦士がいることをジャグは知っている。
ジャグの予測は当たった。
銃弾の嵐の中を、人影が大きく跳躍し、ラバル軍団に襲いかかる。
八将ロッドガルフである。
八将が接触した瞬間に、二人のラバル兵の命が散った。
兵士の反応は悪い。わずかな時間で被害は十倍に拡大した。
ジャグはすぐに反応したが、兵士たちが動きを邪魔してなかなか八将にたどりつくことができない。
そのわずかな時間の間に、ラバル軍団に死への恐怖が伝染していく。今の第三軍団に八将の恐怖に立ち向かう戦気はなかった。
第三軍団も逃走を始めた。
敵に背中を見せた時、その時が戦いで最も被害が大きくなる瞬間である。今の第三軍団がそうだ。しかも、敵は八将である。被害が甚大になるどころか、勝敗をくつがえされるかもしれない。
ジャグは地面を思いきり蹴り、兵士たちの頭上を跳び越えた。
八将の前に出る。八将の動きが止まった。
崩壊しつつある戦場の最終局面で二人の将がついに対面した。戦場にあって彼らの指揮する兵はすでにいないという異様な状況である。
「見事な戦いぶりだった」
「戦いはまだ終わっちゃいない」
「その通りだ」
ロッドガルフが笑う。強者のみが放つことができる危険な笑みだった。
ジャグも笑っていた。
これから始まる戦いは剣と血で決着する、彼の望む戦いであるからだ。
剣刃が閃き、二人の剣がぶつかる。
互角と思われた剣戟だが、それは最初の一合のみであった。ジャグがよろめいた。
八将の連撃は止まらない。
ジャグはすべてを受け止め、だが、受けとめきれずに負傷しながら戦い続けた。
苦労の末身に着けた闘気は修練によりさらに高まっていたが、それでもなおジャグは八将に及ばない。
一つは、体力の差だ。ジャグはこの三日間常に戦い続けたことで負傷し体力を削られていた。一方でロッドガルフは体力を温存しつづけていた。兵力の差が二人の行動に差をつけたのだ。
一連の撤退戦が、二人の最後の一騎打ちの内容に大きく影響を及ぼしていた。
ジャグは咆え、挑み続ける。
だが、一方的な内容はまったく変わることがない。
負傷し、体勢を崩すのは常にジャグだった。
二人の戦いに第三者が介入することは不可能だった。銃撃をすればジャグを巻きこむことは間違いない。たとえ、銃撃したとしても二人の状況からジャグのみが傷を負うことが考えられた。
ドラードは崖上からジャグの戦いを見ていた。
ジャグが何を考えて戦いを挑んだのかはわかっている。パルロ軍を完全に壊滅させるための時間稼ぎなのだ。
八将が活躍してしまえば、せっかく崩れたパルロ軍は立て直すかもしれない。八将にはそれほどの影響力があると、ジャグは本能的に察したのだろう。
ジャグはラバルのために時間稼ぎをするという使命を最後までまっとうしようとしているのだ。
ドラードは焦りを覚える。死なせてはならない。彼の働きに報いなければならなかった。
パルロ軍は崩れているのに、完全には崩れない。
いずれ崩壊するのはわかっている。だが、このままではジャグがもたない。
パルロ軍中央で指揮する男をドラードの目が捉えた。あの男がパルロの最後の防壁に違いない。
遠かった。
だが、狙えない距離ではない。
ドラードは銃を構えて狙いをつけた。
銃砲が鳴り、身体に反動が走る。
外した。
ドラードは五度挑戦し、そして、五度目の銃弾が見事に敵指揮官を捉えた。敵指揮官は銃弾の衝撃によって落馬した。
パルロ軍にわずかに残された秩序は崩壊し、潮流に呑まれるように全軍が戦場から逃走した。
ドラードは崖下に視線を投じる。
――見事なものだ。
ロッドガルフは正面に立つセリアンスロープに感嘆の念を覚えずにはいられなかった。
ジャグと名のったセリアンスロープはふらつきながらも剣を構え続けていた。
満身創痍の身体である。
立っていることなど不可能な傷を負っていた。にもかかわらず、ロッドガルフの正面に立ち続けている。
「そうか――きさま、すでに意識がないのか」
ロッドガルフの呟きは、銃撃音に消された。
ロッドガルフはようやく気づいたのだ。目の前のセリアンスロープが、すでに意識のないまま戦い続けているという事実に。
ジャグの瞳に輝きはない。
だが、瞼は閉ざされることなく、視線はじっとロッドガルフに投じられている。執念が身体を動かし続けているのだ。
背後の気配から、パルロ軍が総崩れになったことがわかった。ミュラーゼンでも崩壊を食い止めることができなかったようだ。
このセリアンスロープはついに使命をまっとうした。
時間を稼ぐどころか、追撃隊を敗退させてしまったのである。ラバルにとっては大きな、あまりに大きな戦果であろう。
ロッドガルフは一歩前に出た。彼の動きに合わせてジャグも一歩前に出る。本能のなせる業だ。
ロッドガルフの一刀目の斬撃で、ジャグの剣が砕けた。二刀目の斬撃は、ジャグの身体を裂いた。
血飛沫を宙に舞わせながらジャグがよろめいたところに、ロットガルフはさらに剣を振るい、セリアンスロープの胸を深く袈裟に斬った。
竜石を用いて作られた八将の大剣は、鎧をたやすく切断し、その下にあるジャグの筋肉をも切断した。
ジャグは数歩退いた。だが、倒れない。
両手をだらりと下げ、刃の砕けた剣を右手にしっかりと持ったまま、視線は変わらず八将に投じられていた。
ロッドガルフの顔に、本人も知らぬ間に苦悶の表情がのぞく。彼の中で惜しいという気持ちが唐突に生じたのだ。
ロッドガルフは剣をかまえる。目の前の男が戦うことを止めないのであれば、彼もそれに応えねばならなかった。
二人共に動かない奇妙な時間が狭間を埋める。
数秒後、ロッドガルフは剣を下ろした。彼の目前に立つセリアンスロープの雄敵は、すでに事切れていた。
仁王立ちのままジャグは冥界の門をくぐっていたのだ。
変わらず砲撃の音は響いているが、戦場にロッドガルフ以外のパルロ軍はすでにいない。
八将の目の前にはラバル軍の姿もない。
一人の生者と一人の死者がいるだけだった。
砲音が止む。
ロッドガルフは崖上を見上げた。
二〇〇に及ぶ黒く細い筒が彼を狙っている。
「ラバル軍の勇者に敬意を表す」
それだけ言うとロッドガルフは敵に背を見せた。破砕された道には味方の遺体が転がっている。彼はその中を進んでいった。
ロッドガルフの背中に返答があった。
「――八将の情けに感謝を」
殺し合いの最中に、敵に塩を送るのは欺瞞もはなはだしい行為であるかもしれない。
しかし、ロッドガルフの示したジャグへの敬意は本心であった。
パルロ軍追撃部隊は潰走した。
再編には後続の本隊からの援軍が必要となるだろう。
いくらかの時を消費せねば、ラバル軍を追うことはかなわない。そして、おそらく追撃の準備が整った頃には、ラバル本隊への追撃は不可能となっていることだろう。
ラバル軍の殿も消滅した。
だが、遊軍の退却の援護と言う役割はまっとうした。
第三軍団は指揮官、副官を失い、九割を超す損傷を出すという悲劇の部隊となった。だが、彼らの働きで数万の兵士は助かり、ラバルは戦いの継続が可能となったのである。
パルロ王ゼピュランスは森の中を四人という少数で移動していた。
敵軍の突然の退却という予期せぬ動きは、明らかにラバルで変事が起こったことを想起させた。あるいはラバル王の身に何かがあったのかもしれない。それほど重大な変事だろう。
敵は防御に回ろうとしている。だからこそ今は最大の攻勢の時期であると、パルロ王は判断したのだ。
一人で一軍の強さを持つ王と八将がラバルを目指し、秘かに森の中を移動していた。




