9 迷惑な来訪者
「やっぱり……やっぱり、あいつは最低だ。約束を利用してこんなことをするなんて」
唇を噛みしめ、ラグルーグは震えていた。
そこにあるのは怒りだけではない。
切れることはないと信じていた糸が、ぷつりと切れてしまった嘆きがあった。
「まったくわからないな」と、坂棟。
「何がわからないのですか。お館様?」
少年の隣ではまったく緊張感のない会話が交わされている。
この場で、彼らのみが場違いなまでに深刻さを欠いていた。
「セリアンスロープの種族の違いってやつだよ、同じに見える。おまえたちにはわかるのか?」
多数のセリアンスロープに囲まれ、弓で狙われていながら、一行にはまったくおびえた様子はない。
坂棟にしてみれば、おびえる理由がなかった。
彼にとってセリアンスロープのかまえる弓矢は、危険物にはなりえない。普通の弓矢程度では、彼を傷つけることは不可能なのだ。
「種族は一緒なのではありませんか?」
「そうなのか?」
坂棟はラグルーグに問うが、少年は別のことに心が捕らわれてしまっていた。
「まあ、今はその点は重要じゃないか」
「おまえは――」ラグルーグが目を大きく見開いた。「やっぱり、おまえらは――」
「俺の知らないところでドラマが動いているみたいだが」
坂棟は少年から視線を外す。
『……しばらく見学するんで、三人とも何もしないように。威圧とかもな――ただし攻撃してきたら、ご自由に……』
主人は、従者に念話を飛ばした。
坂棟は、後手にまわってなお、対処ができると踏んでいる。
様子を見守るというのは、ごく自然な流れであった。
ハルだけは、熱心に周囲のセリアンスロープを観察している。
「いつまで、のうのうと会話をしている」
一際大柄なセリアンスロープ――ジャグが一歩前に出た。
筋骨隆々とした肉体と歯をむきだした表情は、充分な威圧感がある。
普通の人間ならば怯えて動けなくなっただろうし、気の弱い人間ならば腰をぬかしたかもしれない。
それほどの迫力があった。
だが、その迫力は、坂棟に届いていない。
「セリアンスロープの身体能力を知りたいんだが、ラト、何かいい案はないか?」
「簡単な方法がありますが」意味ありげにラトが言う。
「ハルみたいなことを言うな――とりあえず、騒ぎを大きくせずに知りたい」
ハルなら「倒せばいいだけでは?」くらいのことは言いそうである。
「難しいですね。私が思っていた以上に彼らはプライドが高いようです。後は、そのプライドが個人のためと集団のため、どちらが重いのか、というところになりますが――ラグルーグがいる以上、難しいでしょう。彼らがラグルーグを知らなければ、別ですが」
「一騎打ちはダメか……」
坂棟は周囲に視線を投じた。
文字通りの意味で猫科の顔をしている。ちなみに、まったく個体の別はわからない。
ヒューマンよりも野生寄りなので、高い身体能力を持っているのではないか、と坂棟は推測していた。
一方で、脅威となる存在は感じられなかった。
ある程度できる、というような感覚に訴える者もいない。
坂棟は三人の従者を基準にしているので、点数は非常に辛いものとなっているのだが、本人にその意識はなかった。
味方ではなく対象は敵であったが、ハルの指摘は的を射ていたということである。
「おまえら聞いているのか、黙れ!」
言葉を叩きつけたジャグの表情と声には、いらだちが色濃くにじんでいる。
「静かにしてもいいが、条件が二つある。一つは、こいつと俺たちを引き離さないこと」
坂棟は、ラグルーグの肩に手をおいた。
彼は、機先を制したのだ。
目の前のセリアンスロープからの要求は、間違いなくラグルーグを渡せというものだろう。そこをまず、言われる前に拒否した。
「な――」
一瞬、ジャグは言葉を失った。
彼にとってまったく予想外の反応だったからだ。
怯えて、こちらの命令を受けるしかない――しかも貧弱なヒューマンだ――者から、逆に要求を受けるなど、誰が予想するというのか。
さらに、要求の内容が問題だった。
今回の目的そのものであったからだ。
武装したセリアンスロープたちがざわつく。
反発によるものだけではない。
目の前にいるやつらは、何かおかしいと、ヒューマン以上に鋭敏な感覚をそなえる彼らは、本能的に気がついたのである。
ところで、要求されるという驚きのためにセリアンスロープたちは見逃していたが、坂棟は、条件の一つを言うと言っておきながら、そこに二つの条件を含ませていた。
セリアンスロープの少年と自分たちを引き離さないことと、自分たち四人を引き離さないことである。
坂棟の要求を問いただす者はいない。
「――なぜ、そいつにこだわる」
低い声で、ジャグは問う。
彼らしくないことではあるが、慎重になっていた。
絶対的に優位な立場にあるのは自分であるはずなのに、なぜか不安ばかりが彼の内で増大しており、それが、彼を慎重にさせたのだ。
「話し相手だよ。それ以外に何かあるか?」坂棟は薄く笑った。「二つ目、これは絶対条件だ」
ぬけぬけとさらに要求する坂棟に、ジャグは身構える。
不安だけではなく、危険までが具体化するような錯覚を、セリアンスロープの若者は覚えていた。
「こいつの服をくれ」
親指で、坂棟は大きな従者を指した。
ジャグの不安などまったく知らぬげだ。
「……服だと?」
呟くようなジャグの声。完全に拍子抜けである。
「ああ、服。いつまでも裸のままなんて、かわいそうだろう?」
もちろん、ジャグの知ったことではなかった。
だが、
「わかった。おまえの条件をのもう」
ジャグはあっさりと、要求をのんだ。
抵抗せずに言うことを聞かせられるのなら、それで良い。ビラの長の息子もろとも、捕らえることには変わりない。
そう、本来は長の娘であったところが、息子に変わったのだ。
余計なものが入りこんでいるが、状況は良くなっている。
ジャグの作戦は成功しているのだ。
「ああ、そうだ。もう一つ」
「なに?」
苛立ちしかない声をジャグがあげた。
すでに、最大限の譲歩を彼は行っている。
たとえ少々の危険があろうとも、これ以上、相手を調子づかせるわけにはいかなかった。
長となるジャグにとって、体面は重要なものだ。
ここには、セリアンスロープの戦士たちがそろっている。
なめられるわけにはいかないのだ。
「下着があるのなら、下着もな」
「………」
両手首を縄で縛られ、周囲を五〇人ほどのセリアンスロープにかこまれて、坂棟たち一行は移動を開始した。
数時間後、彼らはズワール(南のセリアンスロープ)の本拠地に到着し、そのまま小屋にまとめて放りこまれた。
粗末な小屋である。
寝具などありはしないし、家具すらない。
セイには、約束通り服と下着が与えられた。
服の製作技術は発達していないらしく、それはずいぶんと簡素な物であった。
「それで、お館様はこれからどうするつもり?」
手首を固定していた縄をあっさりとハルがちぎる。
一〇センチメートル四方の覗き窓から監視していたセリアンスロープが、目を大きく開き、驚いていたが、彼の驚きはそれで終わらなかった。
ラグルーグをのぞく全員が、簡単に拘束を解いてしまったからだ。
監視員を任されたセリアンスロープはどうするべきか迷った。
報告するべきだろうが、ヒューマンたちにまったく逃走する様子はない。
彼らの会話の内容は、監視員にはわからなかった。
おそらくヒューマンの言葉で会話をしているのだろう。
もう一人いる監視員と相談し、彼は、ヒューマンが縄をほどいてしまったことを報告するために走った。
セリアンスロープの少年をのぞき、全員が外の監視員の行動を認識していたが、特に注意を向けることはない。
問題だと思っていないのだ。
たとえ、誰かに注意を呼びかけられたところで、「何が問題なんだ?」と真顔で彼らは問い返したことだろう。
彼らは拘束されているのではなく、つきあっているだけなのだ。
ごく自然に、傲慢な在り方をしている四人だった。
「セイに、適当に周囲をさぐってもらう」
「――どのようにして、でしょうか?」セイが訊ねる。
「え? いや、おまえは精霊だろ? 気体化して、自由に行動できるんじゃないのか?」
「――いえ、それはできないことはありませんが」
奥歯に物が挟まったように、セイの言葉はキレが悪い。
「うふふふふ」夜色に近い深い紫の髪をした美女が笑う。
「気持ち悪いぞ、ハル」
「頭が悪いのは、お館様です」
「誰が、頭の話をした?」
「言ったでしょ? 私たちは、お館様によって強制的にこの外見になってるの。たとえ本来の姿へ戻るのだとしても、それはお館様の決定を覆すに等しい行為だから、大きな力を必要とするんです」
「ああ、数日使い物にならないというやつか」
「思いだした? ほら、頭が悪いのはお館様でしょう」
ハルが両手を胸の前で組んで、身体を左右に小さく揺らす。
非常に楽しそうにしている美貌の従者を横目に、坂棟はもう一方の従者に話を振った。
「何か案はないか?」
「私たちはこの場を動かずに、人知れず、というのが条件でしょうか?」
「そんな感じ」
「可能です」姿勢ただしくラトは正座をしている。「私にも従者がいます。あれらを使えば、一定の情報を得ることは可能でしょう」
「そうなのか?」
「ええ、戯れにやったことですが、どうやら役に立ちそうです」
ちなみに、ハルには従者はいない。それについては「必要ないですから」と一言。
もちろん、生まれたばかりのセイにも従者はいない。
ラトが沈黙した。
従者を呼び出し、指示を与えているのだろう。
「北の方も頼むぞ」
「はい」
何ら造作もない事と言うように、ラトが小さく頷いた。
彼の所持する従者は一体ではないようだ。
坂棟は、ラグルーグの腰辺りに視線を投じる。
そこに、短剣はなかった。捕まると同時に取りあげられたからだ。
「あの武器は彼らの技術では作れないよな」坂棟はハルを見た。「ここへ誘導したのは、それが狙いか?」
「さあ、私はお館様の望みをかなえようとしただけだから」
「望みをかなえたのは、俺だけか?」
ハルは微笑みを顔にのせるだけで答えなかった。
「で、少年。落ち着いたか?」
ラグルーグは、坂棟を睨みつけた。
この少年は坂棟にだけは強気であった。
ラトから最初に注意を受けていたが、いまだなおせていない。
坂棟が何も言わないので、ラトも今は少年の態度を見逃しているようだ。
ちなみに、坂棟の念糸によってラグルーグの腕はすでに自由になっている。
「まったく、おまえたちはホントに仲が悪いな。おまえの仲間だと勘違いされて、俺たちまで憎しみに満ちた目で見られたよ。初体験ってやつだな、あんなどぎつい視線は」
「勘違いするな! おまえがヒューマンだからだ。ヒューマンを憎まないセリアンスロープはいない。おまえたちのやったこと、そして、今もやっていることを知らないとは言わせないぞ」
「知らない」
「は?」間のぬけた声をラグルーグは上げた。
「あの場に誰か知り合いでもいたか?」坂棟は話題を転換する。
「え? ……」
「相手の男がいたか? 違うな、いればおまえはもっとくってかかっただろうからな。とすると、誰がいた?」
ラグルーグは黙りこむ。
「そのお姉さんからの預かり物が、おまえの手にあるのはどうしてでしょうか?」
ラグルーグが手で服を押さえた。
服の下には、取りあげられることのなかった文がある。
捕らえられた時、坂棟が念糸をもちいて、うまくごまかした結果だ。
「……あいつの親友だ」
ラグルーグはうつむく。
「ブルラーグだった、か? 本当に、本人はいなかったんだな」
「いない。卑怯な男だ。自分自身で手を下すこともしない」
「セリアンスロープは約束を大切にするんじゃなかったのか?」
「約束は大切なものだ! あいつだけだ、こんなことをするのは!」
「昔から、そういうやつだったのか?」
「……昔は……昔は違った――でも、もう関係ない!」
「関係ない事はないだろ」
坂棟の言葉に、セリアンスロープの少年は反応しなかった。
その後、監視員が上の者を連れてきたらしく、いくらかの悶着がそこで生じたが、坂棟たちは抵抗の意思を示さなかったので、それ以上の問題にはならなかった。
監視員たちは小屋に入ることすらしなかった。
得体の知れない者たちと同じ部屋に入ることが、嫌だったのかもしれない。
夕焼けが濃くなり、夜の時間が始まろうとしていた。
星の瞬きは眠りへの合図だが、目覚めるモノもいる。
それは巨体を揺さぶった。
それに時間の感覚はない。
生まれて以来、ただ、食べるという動作を続けているだけなのだ。
二年以上にわたる捕食。
ただの下位魔族でしかなかったそれは、捕食により魔力を増大させ、力を蓄えていった。
下位魔族というくくりから、すでに逸脱するほど、強大に。
だが、それに知性はない。
あるのは食べるという欲望のみ。
それは、空腹を覚えた。
ついに食べるものがなくなったからだ。
それは、空腹を覚えた。
食べるために、初めて、外の世界というものを意識した。
そして、それは気づいた。
獲物が、多く集まっている地域があることに。
それは、これから食べるものを思い、歓喜した。
それは、初めてその場を離れ、動きだした。




