56 敵は誰か?
異界者虜囚編
天候に恵まれた森の中は、肌に優しい風が流れていた。木漏れ日が輝きを森に与え、森の生物に活力を与える。
思い思いの格好をしたエルフの若者たちが森に集っていた。その大半が陽気な日射しに似合わない、どこか翳りを帯びた表情をしている。
「前から言っているように、私は今の状況ではまずいと考えている。閉鎖的な状況にいては、ヒューマンたちにいずれ置いて行かれる。彼らは目覚ましい進歩を遂げつつある。アルガイゼム帝国では新兵器なる物がすでに開発されたなどという噂もあるほどだ」
熱弁している若者は、エルフらしく美しい容貌とやや痩せ形の体形をしていた。
メンディウス・スカール――それが、このエルフの名だ。
いわゆる三氏族、スカール・ヴェルサンティ・ブルトの一氏である。すでにヴェルサンティはエルフから失われている。
メンディウスはスカール家の次男だった。現当主の直系であり、正真正銘歴史ある名家の子息だ。
「残念だが、今の長老たちに現況を撃ち破ることを期待することはできない。王家も政治への参加は認められていない。そうなると、我々はこのまま変わらずに生きていくことになる。いや、それどころか、ゆっくりとした衰退があるだけかもしれない」
メンディウスが本気であるのは、紅潮させた顔からもわかる。
エルフの若者たちも真剣に耳を傾けていた。
そんな中、ディラモス・バルサールだけは、メンディウスの言葉を冷めた情感で聞いていた。
ディラモスにとって、遠い未来のことなどどうでもよい。ヒューマンがどう進歩しようとも関係ない。
重要なのは今だった。
エルフ王国で政治に参加できるのは、スカール家とブルト家の両家のみである。さまざまな権利をこの両家が独占していた。
裕福な暮らしをするのも、この二つの家。他は、貧しくはないが、与えられた仕事をこなすだけの生活だ。
選択の余地はなく、決められたことをやる。
ディラモスには耐え難かった。
だが、他のエルフは耐えている。いや、耐えるという感覚すら持っていないようだった。特に年齢を重ねたエルフたちに顕著である。
穏やかな暮らし、というものらしい。
こんな社会に閉じこめられるのなら、出ていったほうがマシだった。だが、その自由も認められていない。
スカール家かブルト家の者、あるいは、その両家とごく親しい者のみに外へと踏み出す権利が与えられていた。
権利と言ったがこれは義務とされている。危険な外の世界を命を賭けて偵察する。両家の人間は嫌な役目を引き受けているのだ、という考えである。
結局、ディラモスは外の世界をのぞくことはかなわなかったが、スカール家であるメンディウスは外へと出た。
そして、ヒューマンの世界を体験してきたのだ。
「私たちが口で主張したところで考えを変えるとは思えないが、具体的な方法はあるのか?」
ディラモスは観念的な話から現実的な対応へと話を転じさせる。
彼はメンディウスが語る外の話をほとんど信じていない。帝国の新兵器なども内部の者に聞いたものではなく、本当に市井のつまらない噂話を耳にしただけだろうと考えていた。
ヒューマンがエルフに内部事情を語るはずがないのだ。
メンディウスの能力は必要に値しないが、彼の血筋は必要だった。
「方法は一つしかない」メンディウスはわずかに逡巡して口を開いた。「実力を以て排除する」
「抵抗された時は?」
「その時は、彼らの血が流れることになる」
メンディウス・スカールの宣言によって、ここにいる者たちは決意したようだ。いや、この場にいる時点で、すでに闘争を覚悟していたはずだ。
エルフは冷血だ、などとヒューマンから語られることがある。
それは肉親に対する情の薄さや、感情の割りきりに起因した物だろう。
事実、今もエルフの若者たちは肉親の血が流れることを当然のこととして受け入れていた。
「だが、我々が直接手を汚せば、さすがに他の者たちも黙っていないのではないか」
エルフの一人が意見する。
「それなら、ちょうど良いやつがいるじゃないか」
ディラモスは意地悪く笑った。
「誰だ?」
「いるだろう、外部の者が」
「パルロの外交官か?」
「それは駄目だ」メンディウスが即座に否定した。
「わかっている。もう一人の呼ばれもしない客がいるだろう」
「……ああ、異界者か。なるほど、彼に罪をかぶってもらうか」
エンシャントリュースに不法入国し囚人となっている異界者がいた。
有松虎足というのが異界者の名だ。
憐れな異界者の話はすぐに切り上げられ、若者たちは打倒すべき老人たちのことについてさらに議論を進める。
長老会議と呼ばれる賢人会議を行っている議員は四〇名だ。
この場にいるエルフの若者たちは十人にも満たない。だが、彼らの下には、その十倍以上の仲間がいた。
うまく事を運べば、一日で権力を奪取できる数字だった。一日で成功させねば奪取できない数字とも言える。もちろん、実現するのは容易なことではない。
だが若者と言うのは、自分たちの行うことはうまくいくと思い込んでしまう生き物である。困難さは、将来の成功と言う輝かしい光によって影へと沈む。
エンシャントリュースの森において、エルフの若者たちの手によるクーデターの計画が人知れず行われていた。
病気療養中というのため一切の外出禁止――というのが、坂棟克臣に与えられた従者からの役割だったのだが、ラバルに戻った彼はまったく止まるということをしなかった。
ボルポロス公国で三日間眠り続けた後は、身体に問題が生じることが一切なかったからである。
ラトなどは主人に対して疑念の視線を送り、片時も目を離すことがなかったが、一週間が過ぎどうやら納得したらしく通常業務へと戻って行った。
だが、監視の目は引き続き坂棟の傍に置かれることになる。現在坂棟の傍には常に小動物がいた。
子兎よりも小さく、真っ黒な瞳以外はすべてふさふさの毛におおわれたラトの従者である。
ラトはこの従者を自らの目と耳として扱い、坂棟を監視下に置いているのだ。
坂棟は一カ月という区切りをつけて、これを許可した。
ちなみに、この小動物は各町や離島の基地などにもおり、連絡手段として重宝されている。
坂棟克臣に敵はいるだろうか?
彼に勝てる者がいるだろうか?
坂棟が異界の地に降りたち、一年と一月が過ぎている。
彼はその最初の戦いで、竜王などと言うこの世界でも最強の存在を敵として争った。そのために強さに関して、良くも悪くもそこが基準とならざるをえなかった。
セリアンスロープを始めとした様々な種族との交流を経験することで、自らの力が突出した物であるらしいと認識を改めたが、それでもどこかに自らよりも上の相手、互角の相手がいるのではないか、と考え続けた。
もっとも注意しなければならない相手はヒューマンと言う種族だろう、と坂棟はいつしか考えるようになる。
彼には信じられなかったが、神によって授けられたという奇蹟の力――神法術を宿しているという事実もあったが、理由はそれだけではない。
神法術は脅威となるかもしれないが、それ以上にヒューマンが地球人と近い外見と文化を持っていうらしいということが、坂棟に警戒心を抱かせた。
彼がヒューマンを危険だと考えた理由は大きく分ければ二つ。
一つは天才の存在。
もう一つが数の力である。
そこで、坂棟はまず融和の道を探ろうとした。
時間をかけて交流を深める。もちろん、国であるので、一方で軍事力を強化することは忘れなかった。
だが、坂棟のヒューマンに対する認識は変化する。パルロ国への潜入と内乱への参加が彼の意識を大きく変えた。
坂棟は集団戦を経験し、そこで、ヒューマンでも最高峰と言える存在たちとも剣を交わした。
結論から言えば、彼らは坂棟の敵ではなかった。
ヒューマンを全滅させることは無理でも、パルロの王都を破壊し王を討てば、パルロ国に大きな混乱をもたらすことはできただろう。少なくとも、パルロ国から強力な中央集権は失われたはずだ。
だが、彼はしなかった。
あくまでも秘かにパルロ国に介入し、情報の収集をすることに努めた。
坂棟は、変わらず融和を目指し、交流を持とうとしたのだ。
これは、パルロ国に潜入する前と行動は同じに見えても、その内にある思いは実は異なる。
ヒューマンが何をやろうとも余裕を持って対処し、その行動を受け入れようという寛容な心が芯にあった。
はっきり言えば、おまえたちが何をやろうとも無駄だ、という傲慢な心である。
理性的な思考から言えば、経済発展や文化の発展にはヒューマンの力が必要だという見地から戦いの道を選ばなかったのだ。
坂棟の認識が不足していたこと――いや、誤っていたことはもう一つある。
それはヒューマンと他種族の間にある溝の深さだ。
坂棟自身は本質に於いて差別と言う意識を持っていない。さらに、日本と言う環境で育ったことが、後天的にも種族間などの差別意識を持たせなかった。
これは本来褒められるべきことだ。
だが、種族の差別と言う現実に対する時、その意識の有り様は脆弱に過ぎたと言えるだろう。
ボルポロス公国に於いて、坂棟は直面した現実の一端から判断した。
個人としてはともかく集団では現時点においてヒューマンと他種族の間に対話の道を築くことは困難である、と。
坂棟克臣にとってヒューマンは敵ではない。
だが、ラバルの国民にとって、ヒューマンは敵でしかない。
坂棟はそのことを自覚した。
ラバルの国民は、自らの力でヒューマンに一度勝利を収めなければならないのだ。
対話はその後に初めて成立する。
坂棟克臣と言う男は地上にはおらず、どこか天上から見下ろしているようなところがある。
彼は欲からは自由である人間なので、選択を誤ることは少なく、また決断も早い。行動に躊躇はなく、やり遂げる意思もあった。
だが、地上に生きる人々は誰もが広い視野を持ち、誰もが遠くを見る目を持っているわけではないということを、坂棟は見落としてしまっている。
人々には感情があり、妬心や恐怖から理性的ではない行動を取ることがあるという当たり前の事実を、坂棟は実感できていなかった。
坂棟克臣に敵はいるだろうか?
坂棟は魔族にその可能性を感じていた。
彼の関心はヒューマンではなく、魔族へと移りつつある。
力を失うという事実が、力を持つ者たちの殲滅へと意識をかきたてるのかもしれない。
本人はまったく意識していないだろう。
坂棟克臣に敵はいるだろうか?
彼自身が敵だと認識していなくても、彼の事を敵だと認識する者たちは多くいるだろう。敵とは形となって見える物ばかりではない。
そのすべてに勝てると、果たして彼は断言できるのだろうか。
「お館様、どこに行かれるおつもりです?」
「俺は、おまえが何でここにいるのかが不思議だ」
青一角馬に乗った坂棟の前に、ラトがいる。彼の従者はいたって落ち着いた様子だ。だがこういう時は、その冷静さが坂棟にすれば少しばかり疎ましい。
場所はラバル西方の空中である。
「ええ、そうでしょうとも。ここ一週間の間、わざと気配を消すようなことを繰り返し、また、セイに軍事訓練の監督官を任じ、西方へ強行行軍などをやらせていたのもすべて今日の日のためのしこみなどとは、普通は考えないでしょう」
――ばれてるな、と坂棟は思った。
ならやることは一つ、正面突破だ。
「ラト、魔族についてどれほどのことがわかった?」
「これまで報告したとおり、ほとんどわかっていないというのが実情です」
「エルフなら知っているんだろう?」
「あの種族ならばその可能性はあります」
ラトにすれば珍しく、どこか面倒くさそうな顔をした。
「エルフが嫌いなのか?」
「いいえ、特に思い入れはありません。あの種族とは面識はないので。魔族がそれほど気にかかりますか?」
「あれと戦えるのは、ラバルで俺を含めて四人だ」
「上位魔族とやるのですか?」
「すでに一体葬ったからな。同族意識がどの程度あるかわからないが――そういったことも含めて知っておくべきだろう。守るよりも攻める方がはるかに簡単だ」
「パルロ国北部の領主たちが軍備を進めていることは、承知していらっしゃいますね」
「わかっている」
パルロ国から入ってくる情報により、どうやらラバルの存在が知られたらしいことがわかった。
情報源がどこであるのかは特定できていない。
パルロ国が握るラバルの情報の精度がどの程度のものなのかもわかっていなかった。
ただ、パルロ国北部の領主たちの間では、ラバルには黄金が眠っているというつまらない噂がはびこっているようだ。
これだけを見れば情報の精度など問うだけ馬鹿馬鹿しいと思えるが、王が意図的に情報を改変していることも考えられる。
パルロ国王はある種の威力偵察を貴族たちを使ってやっているのかもしれない。
パルロ国王の動きは注視する必要があった。
一つ気になることと言えば、パルロ北部の貴族の屋敷にいた赤摘瞳季が、現在王都にいるらしいということだ。
王が領主に命令を出した時期と、彼女が王都で活動するようになった時期が重なっているらしい。
瞳季がラバルのことを知っているはずがないので、おそらくただの偶然だろうが、彼女の行動は坂棟の意識の隅に引っかかっていた。
「まだ一カ月後だろう? それに、迎撃計画も立てた」
「お館様自ら赴く理由があるのですか?」
「ある。個人としての訪問にするか、国としての訪問にするかは、その場で決めるしかないからな」
「我が儘というものでしょう」
わざとらしくラトが額を押さえる。
「王とは我が儘な物だ」
坂棟は笑った。
我が儘な王の視界にセイが入る。こちらの従者は主人の命令通りに予定の行動を取ったようだ。
「じゃあな、ラト。留守番頼んだぞ」
坂棟は軽く手を挙げた。
「いえ、私も参ります」
「へ? いや、おまえがいないとラバルは困るだろう」
「大丈夫です」
きっぱりと言う。
ラトが言うからには大丈夫なのだろうと思うが、ラトがいなければ、効率は悪くなるだろし、小動物による連絡手段があるとはいえ、問題が起これば下の者たちは往生することにだろう。
しかし、個人に頼りっぱなしと言うのも、国家としてはいささかどころか多いに情けない。
「従者とは、主人に常に付き従う者です。違いますか?」
「まあ、そうだな」
「セイ、おまえはお館様とご一緒にパルロでずいぶんと暴れたようだな」
セイが恐縮している。
従者の上下関係を見ながら、坂棟はあることに思い至った。
「ラトも一緒に暴れたいのか?」
「いえ、別に私は暴れたいわけではないですが……」
「竜王っていうのも難儀な生き物だなあ。そんなに戦いが好きか? 言っておくけど、今回は戦わないぞ。それでもいいなら、一緒に来い」
「承知しました」
主人と従者の二人は西の空へと翔んだ。
従者を複数連れて行動するというのは、坂棟にとって久しぶりの事だった。ついこの間のことでしかないのに、ずいぶんと懐かしい感覚だ。
慣れない感慨にふけっていると、ある人物の顔が坂棟の脳裏に思い浮かぶ。
――ハルが知ると怒るかもな。




