8 覚えのない招待
ラトの正体が、ヒューマンではない別の何かであることを実感させられたセリアンスロープの少年は、状況を説明するためにあっさりと口を開いた。
セリアンスロープには、二つの種族があること。
北のビラに、南のズワール。
少年は、北のビラのものであり、ラグルーグと名のった。
そして現在、ビラとズワールは敵対関係にあるということだ。
「それでおまえは何をしているのですか? この場所は、ビラからは離れているように思えますが――裏切りでもやっているのですか?」
相手を思いやるということはいっさいなく、ずけずけとラトは言葉でラグルーグを斬りつけた。
「そんなことをするはずがない! 裏切ったのは向こうだ!」
裏切りという言葉にラグルーグは過剰な反応を示した。
怒りで怯えも吹っ飛んだようで、口調は攻撃的ですらある。
感情の制御や駆け引きのできない、子供らしい素直な反応だ。
「その裏切りと、あなたがここにいることには関係があるのですか」
「それは……」ラグルーグは口ごもった。
「話してほしいものですね。少なくともお館様をはじめとして、私たちは裏切者ではない。完全な部外者です。何か秘密があるのなら、秘密をもらすこともしません。これだけでは信じてもらえないかもしれないので、もう一つおまけをしましょう。あなたが話さないのなら、私は南のズワールに加担することにします――その瞬間、あなたたちの間で情勢などという単語は必要なくなるでしょうね」
いたって丁寧な口調で、ラトは言う。
だが後半部分は、口調と内容があきらかに合致していない。
強者の言い分である。
「そんな!」
「私はこの中にあって、平和主義者なのです」恥ずかしげもなくラトは言う。「そして、お館様は寛容な心の持ち主です。すなおに話していただければ、あなたへの対応も凪いだ海のようなものとなるでしょう」
ラグルーグがうつむき、小さく震える。
怯えや怒りや屈辱、様々な感情が少年の心をかきまわしているのだろう。
だが沈黙は長くは続かなかった。
「……俺が、私がここにいるのは――」腹をくくったのか、ラグルーグが口を開いた。「姉の代わりに、ある人物に会うためです。姉がここに来るのは危険なので、私が代わりました」
「では、質問です。あなたの姉と、そのある人物というのは、両陣営にとってどのような地位にある人間なのですか?」
「私の姉は――長のただ一人の娘です」
「あなたは、長男ですか?」
「はい」
「では、次の長になるということですか?」
「それはわかりません。でも、私はそのつもりです」
長である父から何らかの教育を受けているのか、ラグルーグの受け答えはしっかりとしていた。
口調に感情の揺れこそ見え隠れしているが、先程とは異なり、充分に自分を制御できている。
「なかなか良い武器を持っているのは、あなたの身分の高さを示すものですか?」
ラグルーグは、右手に抜き身の短剣を持っていた。
攻撃の意思があると認識されてもしょうがいない姿だが、相対しているラトは、まったく気にしていない。
この程度の武器とラグルーグ程度の技量では、どんなに無防備なところに攻撃を受けたところで、竜の化身である彼は、かすり傷一つ負うことはないのだ。
「性能の良い武器を持っているのは、あなただけじゃないんでしょ?」
一瞥しただけでセリアンスロープの少年を見もしなかったハルが、興味を示している。
眼差しは短剣に投じられていた。
「はい……」
ラグルーグの肯定の返事に、なぜか、ハルが大きく頷いた。
満足したのか彼女は関心を失い、すぐに別の方向へ顔を向ける。
「なるほど、セリアンスロープはそれなりの武器を装備しているということですね」
ラトが繰りかえす。
わざと口にしたような不自然さが、従者の口調にはあった。
坂棟は苦笑した。
あれは自分に聞かせたのだ、と彼は察したのである。
「では、ある人物とは?」
「あいつは――ブルラーグは、ズワールの長の息子です」
吐き捨てるように、セリアンスロープの少年は言った。
「それは、お二人ともかなり重要な人物ですね。その二人が、戦になろうかという時に、密会ですか? そもそもどうやって、事前に連絡をとりあっていたのです? あなたの言うことは、どうもおかしなものに思えますが?」
「私が言っていることは、本当です。それに、姉はあいつと連絡をとりあってなんかいません。約束していただけです、二年前に!」
「会うことをですか?」
「はい」
「二年前から両部族の関係は険悪だったのでしょう? なのに、二年後に、会うことを約束? 二人はバカなのですか?」
「姉さんは、バカじゃない!」
セリアンスロープの少年は一歩踏みだした。もちろん、手を出すことはない。
ラトはじっと少年を見つめていた。感情のない瞳は、観察しているふうである。
「しかしあなたが来たのでは、相手の男は信用しないのでは? 彼はあなたのことを知っているのですか?」
「え? ああ、ええ、知っています……昔、家族ぐるみのつきあいがありました。それに、文を預かっています」
懐にしまっていた文を、ラグルーグはとりだした。
――だが、いつの間にかその文はラトの手にある。
そして、ラトはその文を主人に投じた。
文は一直線に、主人のもとを目指して飛び、彼の掌の中におさまる。
「な――!」
ラグルーグが事態を認識した時には、すでに文は彼の手の中にはなく、異界者の若者の手にあった。
坂棟は、じっと文を見る。といっても、折りたたまれたままであり、その状態では中を読むことはできないはずだ。
だが、彼は中身を理解した。
念糸をもちいてインクの凹凸を認識し、字を読みとったのである。
内容は他愛もない恋文だ。
坂棟にとって文章の内容はどうでもよく、それよりも、紙――皮だろうか、羊皮紙のようなものを作る技術があることに、彼は感心していた。
この世界の文化度を、彼は多少侮っていたのである。
「ほら」と言って、坂棟は文を投げる。
坂棟によってコントロールされた文は、持ち主のもとへ無事に戻った。
大切そうに文を手に取ると、ラグルーグは坂棟を睨みつける。
ラトは恐いが、坂棟は恐くないらしい。
「ずいぶん嫌っているみたいだが、嫌なら届けたことにすればいい。そんな手紙破りすてれば、争っている最中だ。知られることもないだろ?」
坂棟が提案した。
「そんな卑怯なことができるか! さすがヒューマンだな、そんな卑劣なことを思いつくなんて」
「まあな。数ある良いところの一つだ」
まったく気にかけることもなく、坂棟は答える。
少年の言葉程度では、彼のそびえたつような傲岸な精神を傷つけることは不可能だった。
「――く」ラグルーグが顔を歪めた。「これは約束だ。すでに、姉が来るという約束を破らせた俺が、それ以上のことをするわけにはいかない」
「君らにとって約束というのは、重い意味をもつものなんだな」
「当然だ」
「なるほど、その結果がこれというわけか」
のんびりとした坂棟の声が、森の中に響く。
ラグルーグは、そこで初めて周囲へ視線を投じた。
顔を左右に忙しく振る。
彼らは、セリアンスロープに周囲を完全にかこまれていたのである。
ラグルーグに向けられる厳しい視線が、彼らがズワール(南のセリアンスロープ)であることを証明していた。
実際、そこにラグルーグの見なれた顔はない。
少年は、絶望が視界をふさぐ音を聞いた。
対照的に余裕のある者もいる。
二つの部族の争いに巻きこまれたにもかかわらず、坂棟はおもしろそうにセリアンスロープたちを観察していた。
彼におそれはまったく見られない。
彼の従者もまた、同じであった。




