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上昇と下降

 

 なんでこのオレが年下のガキに気にこんな偉そうに指図されなきゃならねぇんだよ。

 あの仮面野郎にそっくりだぜ。オレは色んな意味をこめて溜息を吐いた。

 これが逆転の発想ってやつか? 違うよな。

 実際にそれに従ってるオレもなさけねぇな。でも蜩の言うことにはなんか説得力があるし、従うべきだって気がするんだよなあ。あの目の冷たさにいような威圧感があるし。

 そこら辺がもやもやして尚更イライラする。


 とりあえずそこから無言でまた三回曲がってきた。暗黙のルールみたいなのができているからオレはそこで止まった。


 大体いつまで歩きゃいいんだよ。いつになってもゴールが見えてくる気はしねぇし。オレが最初に言ったように上りが正解なんじゃないか? そっちの方が体力とか試せるしよ。


「何かが、変だよね」北山寺は上を見て呟いた。


「何かって何がよ」オレは答えた。「それを言うなら何もかもが変だけどな」


「うーん」上を見上げたまま北山寺は考えだした。


 振り返ってそれをぼーっと見ていると視界に蜩が入り、見ると目が合った。場に合わず不自然に微笑んでいる。


「蜩、お前なんか隠してないか?」俺は直感的に、野生のカンで訊ねた。


「さあ」蜩は白々しく答えた。


 絶対なんかあるな。ゲロらせようか。まあいいや。面倒そうだし、やめとこう。


「お前もなんか考えたらどうだ?」蜩は今日も相変わらず絶好調に偉そうだ。


「お前も考えろよ」


「俺はもう既に考えている」


 オレはひとつ溜息をつき、それがスイッチであるかのように考えることにした。


 さっきからオレらは階段をひたすら下りている。その階段は低くて、ひとつひとつはそう長くない。十段ちょっとくらいのが二つ来て三段、六段と来て、その臭気が延々と繰り返されている。段数は何故かまちまちだ。それはオレが考えた時点で分からねぇんだろうな。この階段には柵が付いていて、その外は奈落だ。落ちたら助かりそうにはねぇ。で、その奈落の一メートル半くらい先には壁がある。理由は分からない。


 あ~結局何も分かんねぇ! 事実を並べただけじゃねぇか!


「……あ、分かったよ。異変が」北山寺はオレの心理とは裏腹に何かが分かったようだ。


 オレはコイツに負けたのか。頭ではそらそうだろうが、なんかムカついてきた。


「階段を下りてきてるなら必ずあるはずの物がない」


「なんだそれ」


 また蜩が視界に入った。不敵な笑みを浮かべながら北山寺の推理を聞いていた。


「階段だよ。グルグル回ってるんだから上には階段があるはずだ。なのに、」北山寺は懐中電灯を上に向けた。「上には何もない。何も見えない」


 確かにそこには下と同じように壁に挟まれた永遠の闇しかなかった。


 言われてみればそうだった。階段を下りているのに上に何もないというのはおかしなことだ。ありえない。でも、「段数が違うんだからずれるんじゃねえの?」


 逆転の発想だよ、と言ってみると蜩に笑われた。「意味がおかしい。ゴリラが猿知恵使うとそうなるんだな」


「……」絶対に「逆転の発想」なんて言葉使ってやるか。


「それでも、おかしいよ」話がそれたせいか、困惑気味に北山寺は言った。

「だって、壁は最初の所からここまでずっと道の両側にまっすぐ伸びてるんだよ。四つ目の角に来た時には僕らは壁の中に入ってしまっているってことにならない? いくつか曲がればこの階段は交差していることにならない? でもそんな様子はないじゃないか」


 ああ、オレは感嘆した。「確かに、そうだな」


 でも、「それは、どういうことだ?」


「だから、僕らは階段を下りてるんだけど下には行っていないんだ」


 オレにはそれが異常なことにしか聞こえなかった。「ちょっ、待てよ。つまり階段を下りているのに下りていないってことか」


「うん」


 そんなことありえるのか? いや、ありえない。というかその前に……

「巻貝、あんたまとめるの下手だな。北山寺さんが先に言ったことの方がずっと分かりやすい」蜩の憎たらしい平坦な声がまた耳に刺さった。


 久々に口を開けたかと思えばまたそんなのかよ。「悪かったな。俺は頭が悪りぃんだよ」


「わざわざ言われなくても承知していますが」


「急に敬語使いやがって。絶対バカにしてるだろ」


「さっきからそう言ってるじゃないか」


「……」ああ、ここから出たら絶対殴ってやる。「そんなことより、お前はいつから気付いていたんだ」


「そうだな、俺が懐中電灯を上に向けているのをあんたが「何やってんだ?」と指摘した辺りにはもうすでにうすうす気づいていた」


「なんで言わねぇんだよ」


「なんで言わなければならない?」


「無駄働きしちまったじゃねえか」


「階段を降りたくらいで無駄働きと感じるならそれは歳寄りの証拠だ」


「うるせえ。それよりも」


「それよりもって、お前が話逸らしたんだろ」


 またこのガキは……。


「でもどういうことだ。下に行っているのに下に行ってないって」


「言葉どおりの意味だ。そんなことも分からないのか」蜩は嘘臭そうに溜息を吐いた。「だからお前はゴリ田ゴリ男なんだ」


「巻貝だ。もういい加減このくだり飽きたんだが」


「俺が飽きてないから大丈夫だ」


「お前が中心に世界が回ってるみたいなこと言うなよ」


「違うのか?」


 この野郎……絶対後で殴ってやる。


 そんなことよりだ。「階段を下りているのに下がってない? そんなのありえねぇつってんだよ」オレは言い返した。「ここは現実だぞ。夢じゃない」


「忘れたか? ここはあのオペラ座の怪人の空想世界だ」


 ……空想世界……オペラ座の怪人?「オペラ座の怪人?」


 どっかで聞いたことあんな。なんだっけ。


「お前……オペラ座の怪人も知らないのか。筋金入りの馬鹿だな。だからお前はゴリ――」


「もうそれやめろ。オペラ座の怪人って名前くらいは聞いたことあるんだよ。証拠に字は分かる。それがなんだか思い出せないだけで」


「年だな」


「やかましい。教えろや」


「それが人にものを頼む態度か? 教えてください蜩様、だろ?」


「黙れ。早く教えろ」


「はいはい」蜩は楽しそうに溜息を吐いき、説明を始めた。「オペラだ。オペラ座の怪人は顔半分に仮面で隠しているんだ」


「なんで?」


「生憎だが俺はオペラになんか興味がないから知らない。で、そいつが付けている仮面は半面で、真っ白の気色悪いやつだ。ストーリーはこの際どうでもいいだろ」


「ああ、それだ」思い出した。昔なんかの劇団で見たことがあるな。


 半面で真っ白の気色悪い仮面。まさにアイツそのものだな。いいたとえだ。


 でも、アイツはなんでそんな仮面してるんだろうな。顔を隠したいから? それなら顔全体を隠せばいいのに。趣味か? 悪趣味だな。


 そんなことより空想世界……。確かにアイツは言っていた。意味はよく分からないが、そういうことなんだろう。現実では不可能なことでもできるような世界。道理や常識のない世界。そんなのありかよ。そんなもん作れるのか?


「つーかさ」オレはとある絶望的で嫌な疑問を抱いてしまった。「階段下りても下に行かないってことは、逆もそうだろ? 上っても上に行けない。じゃあどうやってここから出るんだ?」


「それが問題だ」蜩は真剣そうな目で俺の目を見た。


 北山寺は「そう……だね」としぶしぶ呟いていた。


 ここが空想世界でアイツの思うようにできると分かった時点でオレらになす術はない。それどころか思うようにできるんならオレらを一生閉じ込めることもできるんだろうな。


 どうしろっていうんだよ? オレは無意識にそう口にしていた。

 すると蜩は「考えればいい」と簡単に言って何かを考え始めた。もちろん脱出法だろう。


 でも、そんなもんあるのか? 言わばここは完全な密閉空間だ。サスペンスでたとえりゃ密室殺人だ、いや、監禁だ。どうしようもない。出口はセメントで固められ、壁もぶ厚ければ壁を破る道具のない。退屈な密室だ。時間だけがゆっくり過ぎてゆく。体力と腹が減ってってストレスが増えていく。


「そんな空間からどうやって出ろって言うんだよ! 考えろったって元から出口なんかないのにさ!」オレは悔しさといらつきで口が閉まらなかった。「だいたい、そんな推理が何だっていうんだよ! ありえない! 証拠でもあるのか? あ?」


 すると、蜩が呟いた。「二つある」


「何だよ」


「ひとつはこの岩壁だ。階段の外側だけでなく内側にもこんな壁があるのは多分今いる直線しか見えないようにするためだろう。階段を下りても下に行かないという三次元でありえない現象でも起きない限りこんなものは必要がない。もうひとつの証拠はお前の足元だ」


「あ?」


「足元を見ろ」


「オレの足元がどうかしたか?」懐中電灯を向けて足元を見るとそこには何かがこすれたような縦長の跡があった。「なんだこれ」


「記憶力のなさも筋金入りだな。それはさっきお前がイライラして付けた靴跡だ」蜩は呆れたように強めに言った。


 あ、そういえば北山寺を殴りたいと最初言った後にいらついて地面を蹴ったな。あの跡か。いや、ホントにあの跡か?「これがあの時の跡だっつう証拠はあんのか?」


「この地面はかなり固い」そう言って蜩はクツで地面を軽くこすった。ザッザッと乾いた音がしただけで何の跡も付かなかった。


「だからお前みたいに力があって、それも故意に付けなければこんな跡はできないんだよ。証拠に俺らが歩いてきた道にも靴跡はない」


 オレは実際に背後を照らして見てみた。本当に何もなかった。人っ子ひとり通ったようには見えない。


 それでもオレは反面教師に反抗する。「元々あったかもしれねぇじゃねぇか」


「俺はお前がさっき付けた跡を見ている。それと一緒だと言ってるんだ。そこまで言うなら確証を作るか?」


「どうやって」


「簡単だ。そこになにか跡をつけろ。不自然な模様や文字を書け」


 なるほど。

 そしてオレは気持ちを込めながら体力とクツ底をすり減らして「バカヤロウ」と書いた。


「書くことまで馬鹿野郎だな」


「うるさい。行くぞ」


 オレらはまた階段を下り始めたわけだが、ちょっとした緊張感に包まれながらの約三十段は長いようで短かった。


 そして、そこにはそれがあってしまった。


「あったな」


「うん」


 そこには確かに予想以上の汚い字で「バカヤロウ」と書かれていた。


 あ然だ。こんなバカみたいなことホントにあるのか。


 そこには希望がなくなったような空気が流れていた。蜩の周りを除いて。


「お前らも考えろ。脱出法は必ずある」


 なんでこいつはそんなに自信満々にそんなこと言えるのか、オレには分からねえ。あんな意味の分からねぇ怪しいやつのどこを信じれるのか。


 よく見たら北山寺も階段に腰掛けて考えていた。コイツもか。オレが浮いてるみたいじゃねぇか。


「段数とか関係あるのかな」北山寺が静かな空間で呟いた。


「さあ」蜩はそんな簡単なことしか言わなかった。


 オレはそれについては何も言わなかった。

 でもオレだけ役に立たないのも気まずいな、と思い、ちょっとだけ喋ってみた。「無限に続く階段か」


「無限に続く階段?」北山寺は不思議そうな顔でオレを見た。


「そうだろ」オレは北山寺がなんでその言葉に引っかかりを感じたのか全く分からなかった。「降りても降りても元の場所に戻るんなら無限だろ」


「無限に続く階段……無限に……続く……」


 その奇妙な光景を蜩ものぞいていた。


「無限……階段……」北山寺は何かを思いついたように体をビクッとさせた。


 なんだ?


「無限階段!」北山寺はケツをバズーカで打たれたみたいに勢いよく立ち上がった。


「それがどうした」


「段差が低くて段数もまちまちの階段といえばあれだよ!」北山寺は興奮していた。さっきまでのビクビクしていた様子は全くなく、オレは逆に驚いた。「何を興奮してるんだよ」


「あれって?」蜩は北山寺の顔をのぞきこんだ。


「M.C.エッシャーの『上昇と下降』だよ! 似てない?」


 誰だそれ。何だそれ。


「ああ、なるほど」どうやら蜩はその『ジョウショウトカコウ』を理解しているようだった。「確かに似てはいるな」


 そんな横文字知ってるのかよ。


「その、それはなんだ?」


「知らないのか。そういえばお前、馬鹿だったもんな」


「うっせーよ。教えろ」


 はあ、と蜩は面倒そうに溜息を吐いて肩を下した。「俺もそんなに詳しいことは知らないが、『上昇と下降』は有名な絵画だ。階段が四角形に繋がっているんだ。ゴリラでもない限りそういう類の絵くらい見たことあるだろ。城の屋上にその無限階段があって、そこを兵士がグルグル回っている絵だ。まさに、今の俺たちだ」

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