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巻貝飛雲と親孝行

 

「あぁ~疲れた!」オレは黄ばんだ安いダニだらけの布団に飛び込んだ。


 安いくせに超気持ちぃ。眠ぃな。このまま寝てやろうか。

 そんなときツーンとしたにおいが鼻をさす。


「風呂、入んねぇとな……」


 重い体を起してオレは三メートルの旅へ出る。



 風呂から出た時にはもう体の重さが嘘のように消え、若返ったかのように体が軽くなっていた。


 そしてオレはくもった鏡の前で仁王立ちした。これはオレの昔からの癖で、とりつかれたようにいつも無意識でしている。なんでこれが癖になったかは分かんねぇ。まあどうでもいいな、そんなの。ちっちゃいことはいちいち気にすんな。

 こんな考え方だから、オレはバカなんだろうな。


 それに加え、曇ってる鏡は拭かなきゃ気が済まねえっていう、うざったい癖もある。だからオレは短気なんだろうな。


 乾いただけの汚いタオル(二日洗わず自然乾燥)で鏡をこすり、筋肉質の体を凝視。昔の、ボディビルダーみたいな美しい筋肉は年のせいでなくなったがこの年にしてはいいものだろう。


 この鏡とは鏡に恥ずかしさを感じさせるくらいの付き合いだが、決して親友では……ない……な。まず小さいんだコイツは。下半身が見えねぇじゃねぇか。実家のは結構でかかったから下半身もしっかり見たもんだ。毛の成長を見守ってやったのさ。オレは割と保健体育が好きだったからな。不良なだけあって。


 オレは中学と高校のときはいわゆる不良ってやつで、そうだな、暴れてた。他校のやつと喧嘩もしまくった。オレは無敗だったんだぜ。そして組長にまで上り詰めたんだ。凄いだろ。


 今となってはそんなやつが更生し、今では禁煙までしているんだ。笑っちまうな。



 体をくまなく汚いタオルでふき、薄い生地の半そで半パンの青とピンクの柄のパジャマを着てまた布団に飛び込んだ。さっきの気持ちよさがなくなっていることに気付き、思わず舌打ち。ちなみにこのセンスのないパジャマは高校……何年かのときの彼女が誕生日プレゼントとして買ってくれたもので、決してオレが選んだんじゃないぞ。それを見た時はビックリしたぜ。そして二人で笑った。その晩、オレは彼女と同じ布団で寝たんだ。高校生のくせに。これを着て。彼女の腹からの笑い声も記憶の中でうすれていない。そういえば起きたときも彼女は爆笑してたな。


 なんか知らねぇけどこんな物でも捨てように捨てれねぇよな。なんでだろうな。逆転の発想ってやつか? 違うよな。




 仰向けで寝ていると、目が痛くなってきた。当り前か。真正面に電気があるんだし。この部屋は狭いからな。いつもこうだ。電気を消そうと腕を伸ばすしてもヒモにギリギリ届かない。目いっぱい伸ばしても数ミリ届かねえ。


 ホント、イライラさせやがるなコイツ。


 別にオレの腕が短いとかじゃねぇぞ。コイツの長さが絶妙なんだよ。なんか付ければいいって? オレは何かが正面にあるんが嫌いなんだよ。大体もう既に延長させてるんだよ。いらいらしないギリギリのとこまで下げてんだ。これ以上下げたらストレスで髪の毛全部抜けちまうよ。このやり場のないイライラ、分かるか? 金があれば絶対ぇ引っ越してるぜ。


 しょうがなく十年以上続けてるように体をちょいと起こして電気のひもを引っ張って電気を消した。ホント、この人工的な光ってのはうれしいような悲しいようなだな。夜の静けさを飛ばしてくれるのは感謝するけどよ、寝起きとかでは敵になりやがる。ガキの頃、空を優雅に飛ぶ夢を見ながら寝ていたらお袋に急に電気つけられて、目が焼かれるような痛みに苦しんでるオレを更に追い打ちをかけるように布団を引っ剥がされて。

 ホント嫌な思い出だよ。トラウマだ、トラウマ。あの攻撃的閃光にホントに目を焼かれたならあの人は何度もしなかっただろうけど、実際そんなことねぇし、「目が燃えそうだ!」と叫んでも「逆転の発想でいくとまだ燃えてないから大丈夫」とかふざけたこと言われるし、「そんなだからこの世から犯罪は消えないんだ!」と現実的に反抗しても「逆転の発想だ。あんたが犯罪をなくしな」なんて不可能なこと言わたり。


 お袋は事あるごとに『逆転の発想』という言葉を使う。別に逆でも何でもないことさえ使うもんだからオレは『逆転の発想』の意味が今でもよく分かっていない。


 そんなお袋のせいか、オレは「よくない」道を歩み、両親を知らず知らずのうちに傷つけた。オレが警察の世話になりかけたとき、お袋はオレの代わりに何度も何度も謝ってくれた。家に帰ると親父の無言の鉄拳が飛んできた。親父は歳をとって筋力がかなり落ちてるっていうのに、そのパンチはめちゃくちゃ重かった。今まで数え切れないほどの喧嘩をしてきたし、かなりの筋肉質のやつに殴られたこともあった。だがそいつの攻撃は二回目以降全て避けれた。なのに非力の親父のパンチはそれ以上に、何倍も、痛く、何回喰らっても避けれなかった。毎回玄関を開けたら親父がいて、しばらくすると左頬に右フックが来る。攻撃パターンも完全に読めている。なのに避けられない。この人にだけは恐怖を感じた。

 その時はそれが何だったかは分からなかったが、今では分かる。


 愛だ。オレは自分が愛を受けて育てられたことを知らなかったんだ。


 高三の時にそれに気づき、オレは進路を転換した。髪をバッサリ切り、ピアスも外し、禁煙も試みた。そして就職先をここに選び、なんとか入った。だが、その道は燃えさかるような茨の道だった。急にいい子ぶって授業を受け、ニコチンを我慢し、あっちのやつらと縁を切った。もう友はいなくなった、と思ってた。


 だがある日、仲間の何人かが剃り込みやロン毛を消してオレと同じようにさっぱりとした髪型になっていた。ソイツらはオレと同じように残りのやつらと縁を切り、更生に励んだ。嬉しかった。めちゃくちゃ嬉しかった。一人じゃないと思える幸せを知ったんだ。


 親に珍しいものでも見るような変な目で見られながらもテスト前には勉強した。今までまともに勉強してなかったオレには教科書を読むことすら辛かったから全然追いつけなかった。だが、それでもよかった。更生できたという確かな実感を得られたし、何より、両親が笑ってくれたんだから。


 そしてオレは就職し、家を出た。今までみたいに世話をかけちゃいけねぇと思ったんだ。だからオレはどんなに仕事が辛くても踏ん張ってやる。親孝行を一生続けなきゃならねぇんだ。


「一生、あんたたちに与えた仇を恩として返し続けてやるから覚えておけよ」オレは別れの時に二人にそう言った。「逆転の発想だよ」


 意味のよく分からずその言葉を使ってみると二人は大きく口を開けて笑ってくれた。俺もつられて笑った。いまだにオレは『逆転の発想』という言葉の意味を探し求めている。




「ここはどこだ」


 オレは砂の上に立っていた。


 五メートルくらい先にでかい木の扉がある。その周りは自然だ。半径五十メートルくらいの円を描くように黄色い砂が続いている。その先には森がある。その森の上には青空がある。雲ひとつない。

 山か? ここは。


「その扉には入れ」


 男の声がした。低くも高くもない声だし、独特の渋みのあるかっこいい声だが、表情がない。しかも声の方向が分からない。


「誰だ」周りを見てみるが誰もいない。


「その扉には入れ」


 答えになってねぇんだよ。


「自ら名乗るなど馬鹿げていると思わないか」


「なっ」コイツ……。


「驚いてるようだな。元不良の巻貝(まきがい)()(うん)


 なっ、


「なぜオレの名前を知っている!」


 靴が砂をこする音がした。……靴?

 足元を見下げると、オレは皮靴をはいていた。なんで? オレは部屋で裸足で寝てたはずだ。なぜ靴をはいている? それだけじゃない。何故かオレはジーンズをはき、Tシャツを着ている。


「何故私が貴様の名前を知っているか、だったな。私は貴様を知っているからだ。貴様が私を知らなくても、私は貴様を知っている。それと、その格好は貴様の普段着だろ? それとも昔彼女からもらったあのパジャマのままの方が良かったのか?」


 冷たい汗が眉毛の外側を伝って流れ落ちた。


 ……コイツ、心が読めるのか。


「そうだな。そうと言えるかもしれないな」


 信じられないが、どうやらそうみたいだ。「質問させてもらおうか。どこの誰だか知らないけどな」


「どこの誰だかは関係あるのか?」


「だまれ。まず、なんでオレはここにいる」


「必要だからだ」


「詳しく」


「その扉に入れば分かる」


「入りたくないと言ったら?」


「別にいいぞ」


「え?」


 オレのとぼけた声に嘲笑うでもなくなく、男は淡々と続けた。「ただ、入らなかったらここから出ることも出来ない」


「どういうことだ」


「中に出口があるからだ。そんなことも分からないのか、さすがは天下一の馬鹿だ」


「殴るぞ」


「殴りたければ入ってこい。私は中にいる」


「……」


 殴りてぇ。でもコイツの思う通りにも行きたくねぇ。「お前の思う通りになるくらいなら死んでやる」


「ほう」感心するような頷き声だった。


 少しはコイツにダメージを与えれたか、と思ったが、オレが口を開けるより先に男は答えた。「残念だが、貴様はここでは死ねない」


「は? どういうことだ」


「死ねない、こんな簡単な言葉も分からないほど貴様は馬鹿なのか」


「ムカつくなテメェ。オレが言ってんのはそんなことじゃねぇんだよ。人が生まれてくるっつうことはいつか死ぬってことだよ」


「まともな道理の一つも知っているんだな。まあいい、自分で考えろ。馬鹿が治るかもしれないぞ」


「殺すぞ」


「殺したけりゃ中には入れ」


 こればっかりだ。溜息が出る。


「じゃあ訊くが、この中には何がある?」


「何もない」


「は?」


 そのとぼけた声にも、やはり男は反応しない。「ただ、お前には試練を受けてもらう」


「試練?」


「そうだ。詳しくはなかで説明する。入れ」


 試練。なんだ、その幼稚な発音は。なぜオレはそんなものを。何のために。まずコイツは誰なんだ。いったい何がしたいんだ。


「とことん反抗しておきながら私の忠告通り考えてるじゃないか」


「だまれ!」


 十数年封印していた不良モードが発動しそうになる。今ならいつでもリミッターを外せそうだ。


 気がつけば汗が首に溜まっていた。暑い。


「貴様はこの扉には入らなければ、ここから永遠に出れない。死ぬこともない。飢餓に苦しみながら一生この何もない所に孤独に染まって居続けるだけだ」


「貴様はオレの話し相手にならないのか?」半ば冗談で言ってみた。冗談を言える余裕はもうほとんど残ってないのに。いや、言ってないとリミッターを解除しちまうかもしれねえから、かもしれねえ。


「私を拒否する奴と何故喋らないといけない」


「今喋ってるじゃねぇか」


「貴様の馬鹿は一生治りそうにないな。次が最後だ。お前はどちらを選ぶ?」


 ……。


 あれ、なんでオレは考えてるんだ。さっきまで反抗していたはずなのに。


「それに、お前はいいのか? ずっとここにいて。親孝行を一生続けなきゃならないんだろ?」


 コ、コイツ……。


 完全に挑発されている。このオレを口車に乗せようとしてるのか。


「ここにいたら親孝行できないぞ。どうする。試練を受けるのか、受けないのか」


 高性能のロボットのような表情のない声が、オレの封印していたスイッチを押そうとしている。


 口車に乗せられたくはねえが、乗らなきゃならねえって分かっているオレも、どこかにいる。


「それに、だ。貴様は捻くれてるくせにそれを隠そうとまっすぐな精神を演じて消そうとしている。声しか分からない相手に警戒して自分の本心を隠している。つまり、貴様はこの扉の先が気になって仕方がない。入ることを心の奥のほうで望んでいる。違うか?」


 男の声がプツリと途切れる。

 動物の声も、風の音も、何もない、不自然な沈黙が流れる。


 コイツはオレの答えを待っているんだな。


 だが、


「もう答えは決まってるさ」俺は遠くの人間を呼ぶように大声を出した。


 大きく呼吸をしてみた。駄目だ。リミッターがイライラで解除しかけていく。心を読まれたり、いちいち皮肉言ってくるところとか、うっとうしくてたまらねえ。もう抑えれねえな。

 もういっか。抑えなくて。

 この十数年無理やり本心を封印してたんだ。そのストレス発散する機会が来たんだしな。今解除しなきゃいつ解除しろってんだ。


 リミッター、解除。


 風が、やっと吹いた気がした。


「試練とやら、受けてやろうじゃねぇか!」


「それでいい」


 この声は無表情じゃなかった、ような気がした。


 扉の前に立ってみると、その大きさを初めて知れた気がする。

 その扉に右手を添えてみた。意外と冷たい。


 右手を離し、右足を大きく下げ、その足に体重を百二十パーセントかけ、上半身もひねる。そしてそれらを全て一瞬で開放させる。右足のパワーが全て前にかかり、遠心力やらなんやらを使い、右足を押し出す。


 扉がきしむような音を立て、勢いよく開いた。


 オレ、まだまだいけるな。




 ホントに何もねえな。


 そう思った瞬間、扉が勢いよく音を立てて閉まった。


 さっきのとこと何一つ変わらない。いや、違う。扉が遠くにもう二つある。オレのと全く同じだ。しかもその前には人が一人ずついる。


 眼鏡をかけたサラリーマンとラフな格好のガキ。


 なんでだ?

 まあ、この際なんでもいい。リミッター解除した爽快感とアイツに対するいらつきが、昔のバカ正直なオレを思い出させてくれてるんだから。


「殴らせろよ」

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