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仮面とアプリーシエーター

 

 俺と残り二人は横一列に並び、北山寺が「水車があった」と言った大体の位置に立った。もちろんそこには何もない。光を消した瞬間水車が現れるなんて誰が信じるものか。


 だが俺は信じた。

 イカれたことだがイカれた奴が創った世界だ。イカれているに決まっている。


 普段俺はあまり人を信じることはない。いつからか疑ってかかる人生を送るようになったからだ。

 そしていつからか学校の教室から出ることも減り、中学になる頃には立ち上がることさえかったるくなってきていた。

 俺は何故かそれを受け入れた。教えられることを覚え、教えられていないことは学ばず、特に笑うこともなく、周囲の人間から見下されるはずの存在なのに、勝手に見下していた。


「そんなんで何が面白い?」と誰かから言われたこともあった。

 何も、とぶっきらぼうに答えるしかなかった。

 誰かを憎んで、誰にも憎まれることも見られることもない人生。それさえも豊潤だとさえ思えていた。


 でも、今俺は馬鹿二人と共にイカれた奴と知恵比べをしていることを楽しく感じている。十年以上感じてこなかった当たり前の感情と涙の再会だ。


 ――二人が一人の為に命を賭けた茶番に付き合わされている。


 そのことを今思い出した。でも何もその言葉に振り回されることはない。多分それはこの二人も同じだろう。幾らか前の俺ならその言葉を思い出すだけで舌打ちをしていただろう。巻貝はガンを飛ばし、北山寺はおどおどと怯えていたことだろう。でも今こいつらは胸を張っている。最後の希望を信じている。そもそもこの『滝』で試練が終わるなんて誰も言っていないのに、全員終わると確信している。オペラ座の怪人が言っていた「勇気と力」の「勇気」が『上昇と下降』で「力」が『滝』だったらもう試練は終わるはずだから、という頭の中の理論ではない。試練の目的を本能で分かっているんだ。うまく言葉に表すことの出来ない感覚で試練の理由を握りしめて。


 巻貝は何を考えているのか真剣な眼差しで立っている。北山寺は自信に満ち溢れた表情を浮かべている。さっきまでのコイツらならあり得ないことだ。


「さあ、懐中電灯を切ろう」北山寺が懐中電灯のスイッチを強く握った。


「待て」俺はその行為を止めた。


 本当に北山寺には知恵があるのかないのか分からないな。「忘れたか? 目的は水車を止めることだ」


「分かっているに決まってるだろ」巻貝が面倒そうに大声を出した。


 でも俺は巻貝には何も言ってない。


「北山寺さん、水車に手をかざした時、下に手を持って行かれたと言っていたな」


「うん。……あ、そっか」


 北山寺は気付いたようだ。


「え? なんだ?」


「水車を止めるなら回っている方向の逆に回さないといけない。上に力を加えるのと下に力を加えるのでは、どちらが楽か分かるよな?」


「……下だ」


 一瞬の間が気になったが、まあいい。「そうだ。だから水車の向こう側にいた方がいいだろ」


 俺たちは見えないものをすり抜けた。


 本当に水車なんかあるのかと訝りはほとんど感じなかった。自分で水車に触ったわけではないのに。どうしてだろうな。さっぱり分からない。


「消すぞ」


 そんなことを言いながら返事を待たずに消した。

 北山寺も消した。最後に巻貝が消した。


 何も見えない。それも当然。光がないんだから。でも暗すぎるという感覚は否めない。

 北山寺の話によれば、俺たちの目の前に水車があるはずだ。……音はない。でもそこに何かがあるのがなんとなく伝わってくる。


「何にも見えないし何にも聞こえないぞ」少しおどけた巻貝の声がした。


「暗いからな。音がないのは多分単なる偶然で光が消えたときの為の猿知恵だろう。偶然でヒントが聞こえてきたなんてうまい話は試練というものでは許されないだろうしな」


 俺は手を伸ばした。ゆっくりと。

 ゆっくりなので妙な緊張感が漂う。

 何故ゆっくり手を伸ばしているかは自分でもよく分からない。速く出ない、とでも言っておこうか。

 手を伸ばしきる直前で何かに触れた。


「これだ」北山寺の声が同時にした。


 おっ、と野太い声がした。


 木だ。気が動いている。下向きに。

 俺はそれに手をかざし、水車の流れに任せた。

 ゆっくりと上に持っていかれる。

 ゆっくだがもの凄い力を感じる。


「凄いな、ホントにあるぜ」巻貝は感動したような口調だった。「それにこいつの回転力。なんか、自信なくなってきたわ」


 ……。

 力馬鹿にしか見えないやつが言ったその言葉には何も言い返す言葉がなかった。


「でも、わくわくもするぜ」


 その言葉に思わず口元が緩んでしまった。「ああ」


 頭の中にとある記憶がフラッシュバックした。

 大学の二次試験の、確か数学のテストだ。

 今まで見たことのないようなわけの分からないほど難しい問題が一問だけあった。その問題を見て同じように場に合わず口元が緩んだ気がする。

 何か不思議な気分だった。楽しさのようなものを感じた。

 それがまたここにある。

 でもここで必要なのはどんなに優れた頭脳でも学者のような卓越した知識でもない。

 勇気と力だ。

 じっくり触っていると、突起物のようなものが腕に当たった。


「水掻きだ」


 ああ、そうだな、と巻貝の楽しそうな声が聞こえた。


 北山寺も声を出した。「これを押せばいいんだろうね」


「ああ」


 俺は目を瞑り、深呼吸をした。視界は目を開けていても閉じていても全く同じだった。

 深呼吸の音が二つ、聞こえた。


「準備はいいか」


「いつでも行けるぜ」


「うん。オッケー」


「よし」俺は下から上がってくる水掻きに手を触れた。北山寺と巻貝も手を触れたのが水掻きと空気と心を通して伝わった。「いっせーのーで、だ。踏ん張ってこいつを止めるぞ」


「ああ」


「うん」


 もう一度深く呼吸した。微かに聞こえる三つの音がピタリと合った。


「いっ」呼吸が整ったところで適当な音量の声を出した。


「せー」三人の声が揃った。


「のー」全員のスピーカーのブリュームノブが捻られた。


「で!」ノブを捻る手首はそれ以上回らない。


 いつぶりだろう。こんな馬鹿みたいな声を出したのは。普通の小学生時代が思い出される。


 手が水車を押した。

 正面やや下方向に全力で力をかける。

 手だけではなく全身で押した。


「あああああああああ!」


 もの凄い勢いで押される。まるでダンプカーと相撲を取っているようだ。

 負けるな! 三人の声が一斉に頭の中で響いた。全員唇を噛みしめているのに。


「あああああああああああ!」


 少しだけ水車のスピードが落ちた。力が弱くなった? いや、俺たちが弱めているんだ。


 もう少しだ! そんなことは声に出さなくても伝わっている。


「ああああああああああああああ!!」


 もう少し、もう少しだ! 踏ん張れ!






     ×     ×     ×     ×     ×     ×






 子は随分経ってから父の部屋を訪れた。見えない鍵で開かずの間のように閉ざされていたから入ることが出来なかったのだ。


 でも入りたいという気持ちもある。そこにいけばきっと何かが見つかるという根拠のない自信を手の平いっぱいに蓄え、彼は勇気を振り絞ってその部屋に入った。


 父の部屋は閑散としていた。埃が溜まっているのに何故だか寒く感じた。若いころの母とのツーショット写真さえも冷たく感じた。


 子は音を立てないように忍び足で歩いていると机の上に一枚の紙を発見した。


 それは何も残さず出て行ったと思われた父の唯一の置手紙だった。そこにはいびつな字でこう書かれていた。


『待っていてくれ。いつか会える時が来たら会いに行くから』






     ×     ×     ×     ×     ×     ×






「わっ」北山寺がわめいた。


 眩しい、暑い。

 手を目の前に持ていって細く眼を開けるとどこか窮屈な青い空が見えた。白い雲が見えた。緑の森と黄色の砂も見えた。


「ここは……」巻貝の少し枯れた声が聞こえた。


「ああ、最初の場所だ」俺は手を退けた。「どうやら試練はクリアできたようだ」


 やっぱり砂の色は絵の具のような感じで不自然だった。

 何より日差しが凄い。そういえば今は夏だったな。洞窟内ではほとんど暑いも寒いも感じなかったが確実にここは暑い。


 そして視界にはやはり扉が入る。三つの木製の大きな扉が巨大な正三角形を作るようにして並んでいる。


 巻貝の溜息の声が聞こえた。溜息は溜息でも安堵の溜息だ。「よっっしゃああぁぁ! あいつ殴ってやる。出てこい! 変人仮面!」


 しかし変人仮面はどこにもいなかった。その代わりに俺の後ろに二つの絵が置いてあった。


 白黒の絵だ。これは……。


「『上昇と下降』と『滝』だ!」北山寺が過剰に反応した。「……あれ? でも、人もいないし、水も流れていない。それだけが違う」


 人がいない城と水が流れない滝。


「これが『上昇と下降』と『滝』か。……え? どうなってんだ? スゲー」


 巻貝は初めて見る騙し絵に感動していた。


「本当に見たことがないんだな」


「ああ、はじめましてだ。こんなすげぇ物を見ずに三十五年もオレは生きていたのか」ひゃー、と巻貝は声を裏返した。「でも『滝』感ゼロだな」


「水が流れていないんだから」


 そしてこの絵の傍に半面の白い仮面が落ちてあった。




 多分この絵は今の俺たちを表しているのだろう。


 『上昇と下降』の兵士たちと『滝』の水はあの洞窟内での俺たちだ。同じところをぐるぐる回っている。そして俺たちはここから出た。だからこの絵には人も水もない。


 そしてあの仮面の男はこの絵を鑑賞しながら戸惑う俺たちを観察していたのだろう。


 恐らく『仮面の三つ人』に沿って。


 そして男は消えた。この絵と仮面を残して。


 俺はその仮面を拾い、裏を見た。そこにはぎこちなく、いびつな字で「ありがとう」と書かれていた。


「なんだこれ」巻貝がそれを見て心霊的な物でも見たかのように眉をひそめた。


 俺は口元を緩めた。「さあ?」


 それを足元に落とし、全力で踏みつけた。


 バリン。


「あ!」二人が驚いて口を揃えた。


 仮面はバラバラに散り、砂の上に転がった。


「こんな気色の悪いもの待って帰っても仕方がない」


 そして、「帰ろうか。元の世界に」




 俺たちはそれぞれの扉の前に立った。お互いに背中を向けて。


「結局あいつが言っていた命を掛けた茶番に付き合しているひとりって誰だったんだ?」巻貝は誰に言っているのか、言った。


「んー……ま、誰でもいいんじゃない?」


 一番気にしていたように思えた北山寺のその反応は意外だった。北山寺も変わった、ということか。試練のおかげで。


「多分」俺は体の中に懐かしくて温かい物が生まれたのを感じながら息を吐いた。「誰でもないと思う。あれは俺たちが簡単に力を合わせるのを妨害するための口実だろう」


「なるほど」


「そっか」


 俺たちは扉の前に立った。


「これを開けたら元の世界、か」そう呟く巻貝の声にはどこか哀愁が漂っていた。


「そうだな。それぞれの生活に、戻るんだろう」


「僕らって」北山寺の逞しい声が背骨に響いた。「また、会えるのかな?」


 俺は小さく笑い、声を震わせながら言った。「さあな。もしかしたらこの試練の記憶もなくなるかもしれない。元の世界に戻るにはそれが一番いいだろう。でも、」


 今思えば俺たちは最初嫌い合っていた。でも、どうしてだろう。元の世界に戻ることがほんのりと悲しい。これも十年以上感じてこなかった感覚だった。


「全員が願えば、きっと会えるだろう」


 大きな間があった。沈黙ではない、大きな間が。


「うん、そうだね」


「だよな」


「じゃあ俺はそろそろ戻る。こんな空間にいても仕方がない」本当は戻りたくなくて仕方がないのかもしれない。


「そうだな。でもここをくぐったらホントに人生が同じところから再開されるのか?」


「さあ。俺の推理が正しければそういうことになるが」


「じゃあ僕は駅からか」


「オレは臭い布団の中」


「俺はつまらない学校」


 またあそこに戻るのか。そう思うとどこか寂しさを感じた。でもきっと昨日より退屈には感じないはずだ。教室の前で鞄とポケットの定期と携帯、財布の重さでよろめくところから始まるのだろう。それか、最初からこんな所になんか来ていないということになっているかだ。


 俺たちは三人同時に扉を開けた。


 ギイィと音が鳴る。


 扉の先は白一色。ファンタジーでよくあるワープ地点といった感じだ。

 俺たちはその白を見ながら迷いなく一歩踏み出した。

 見ていなくても心は通じ合っている。だから分かる。


「じゃあな」


「バイバイ」


「いつかまた」











 さっき俺は茶番をかけているひとりが居るというのはただの口実だと言ったが、多分違う。本当に居たんだ。


 ――私は嘘をつかない。


 あいつはそう言っていた。そしてそれは恐らく、いや、絶対にこの俺だ。


 その結論に至ったのは俺の二通りの考えの双方でそういう結論が出たからだ。


 一つは消去法。この試練を超えるのには北山寺のエッシャーの知識が必要不可欠だった。つまり北山寺は試練をクリアする為の材料で立派な役割があったということだ。


 ――皆に意味があると言ったが、それはサポートという意味だ。それに二人は選ばれた。つまり他の誰でも駄目で、貴様ら二人がサポートに付かないと脱出は出来ない。


 巻貝は多分、俺たちの仲を嫌悪にするための要素。すぐ仲がよくなったんじゃ面白くないからな。ある意味では絶対的に必要だということだ。それに、最後の脱出もあいつの言葉がなければおそらくできなかっただろう。


 俺自身はそれをまとめる役で、口が悪いことでも巻貝のような扱いになるかもしれないが、映画とかだったら普通はまとめるやつが主人公だ。よって俺がそのひとり。でもこれは中途半端な推理で、全く説得力がない。だから二つ目につながる。


 二つ目はあの仮面男が俺に『仮面の三つ人』の先頭に立つ人物になってほしかったということ。二人をまとめる役に。


 そのためだけにあんなことをしたと考えるのは馬鹿みたいだがあり得ないこともない。


 それにあいつの格好。オペラ座の怪人風の半面の仮面。


 俺とあいつは接点があるし、もしかすると他の二人ともあるかもしれない。俺たちに正体がばれたら駄目だからあいつは顔を隠した。では何故全てじゃなくて半面なのか。隠すなら全部隠したらいいのに。それは恐らく誰にも気付かれないようでは駄目なのだろう。もしかすると俺に顔を見せたかっただけなのかもしれない。


 正直、俺は最初にあいつを見たときからあいつの正体が分かっていた。完全に忘れるはずがない。


 ただ、その人物にあんなわけの分からない格好のイメージはないし、してほしくないと信じていた。だから俺は違うと信じていた。


 でも水車を見つける時の沈黙でこの推理をし、確信した。

 最初は一応脱出法について考えていて、しだいにあいつのことを考えだすようになっていたのだ。


 俺の知っているアイツは色白で、髭なんて生えていなかった。ただアイツは色黒で髭も生えていた。これは一種の変装のようなものなのだろう。仮面と同じく。そして多分仮面が右だけだったのは、アイツの顔面の右側に傷があるからだ。右眉の右側から右耳の耳朶にかけての切り傷。サバイバルナイフを振り回した暴君に立ち向かったという時にできたという彼の正義の証。遠目からはほとんど見えないほどの薄い傷だが、見えてしまうと一発で気付かれてしまうから隠した。結局よく分からないのは何故『オペラ座の怪人』の仮面を使ったのか。どうせ単なる洒落だろうが。


 それに最初の時、扉に入る前のところだ。あそこでアイツは基本的に俺のことを「貴様」と呼んでいたが一度だけ「秋刀斗」と名前で呼んでいた。しかも巻貝と北山寺も同じように「扉には入れ」の時間があったらしいが現実世界から移動してからすぐにあいつが喋り始めたと言っていた。でも、俺の時はしばらく考察する時間が与えられてから声が聞こえた。これは多分、久しぶりに見た子の成長ぶりに感動でもしていたからだろう。


 もしかしたら瞬間移動した直後の「扉には入れ」のくだりがあったのもそのためかもしれない。今思えば一つしかない選択肢をわざわざ突きつける必要なんてなかった。最初から俺たち三人の顔を合わせればよかったのに。それに理由があるとすれば「一対一で喋りたかったから」だろう。


 これだけの要素があれば十分だ。


 そして最後に仮面を置いた。もう姿を隠す必要はないと考えたからだろう。その仮面の裏のいびつな字で書かれた『ありがとう』。あの字体はあんたが俺に最後に残した手紙の字体だ。普段のあんたはあんな字じゃなかったからよく覚えている。俺が酷いことを言ってしまったせいであんな字になってしまったんだな。


 あの『ありがとう』はこの試練をクリアして生きていてくれたこと、自分の願いどおり俺が勇気と力を持っていてくれたこと、自分のことを覚えていてくれたこと、そして今まで自分がいなかったことの懺悔を込めた『ありがとう』だったのだろう。




 そうだろ、親父――。




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