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水のない滝と明るすぎる光

クライマックスなので10000字くらいあります。

 

「『滝』?」なんだそれ、と巻貝さんの顔には書いてあった。


「うん。水がジグザグに流れて、最後に滝のように落ちて、最初の場所に戻ってまた同じように流れるって絵」


「は?」巻貝さんは上を向いて絵を想像していたのだろうけど、「は?」すぐ諦めた。


 エッシャーの『滝』。

 騙し絵の代表と言ってもいい。美術の教科書に載っているくらいだ

 水は重力に従って坂を下る。今の僕らのようにジグザグに。そして水は滝から落ちる。すると、画面の一番奥にあったはずの水が一番手前に戻ってくる。そしてまた水車の回転と緩やかな坂で流れ出す。


 『上昇と下降』と比べると、構造自体は単純だけどその神秘さは引けを取らない。


「確かに俺の記憶と北山寺の説明が正しければ、今の状況と共通点を感じる」


 蜩君は『滝』を知っているようだ。「ジグザグ進むし、最後には垂直に落ちて元の場所に戻る」


「うん。最初の場所はちょっと広いしね。あの絵で言えばあそこは水がめだから」


 こうやって確認していくとさっきまで不安だったものにドンドン自信が持てる。

 今やここが『滝』をモデルにして作られたということに絶対的な自信を僕は持っている。「間違いないよ」


「で、」巻貝さんが本題には言った。「その絵ではどうやったら出れるんだよ」


「それが問題なんだよ。水を流すための壁を越えればいいんだろうけど……」


「それがない。全面岩壁だからな」


「うん」


「ない?」巻貝さんはキレかけたような言い方をした。


 僕の体は彼の殺気を感じて跳ねるようにビクッとした。


「ああ、どう見てもここは四方八方岩壁だろ。そんな穴があったのならもう見つけているはずだ」


「じゃあどうやって出るんだよ!」


「考えろ馬鹿」


「その絵をオレは知らねぇんだよ!」


「じゃあ黙れ」蜩君が珍しく強い言葉を発した。「虫唾が走る」


 チッと彼は舌打ちし、地面を蹴った。「出れるって確信したオレの気持ち返せ」小声だった。


「自分の無知を恥じろ」


「あ?」巻貝さんは蜩君のTシャツに掴みかかった。「調子こいてると殺すぞ」


 蜩君は「ああ、しまった。思わず」という表情だった。協力しないといけない所で喧嘩なんて起こすべきじゃないことくらい巻貝さん以外は分かっているはずだから。


 確かにこんな狭苦しい所にずっといてイライラする気持ちも分かる。階段から飛び降りる前に巻貝さんに叫んだのもこのストレスを蓄積させるのに適した環境のせいだろう。その中で希望を見つけ、また見失う。そんなことがあれば多少頭に血が上るのも仕方がないことだろう。おそらく冷静な蜩君でさえ多少イライラしているはずだ。だからこそ「ゴリ田ゴリ男」のような冗談めいたニュアンスのある言葉じゃなくて「自分の無知を恥じろ」という冷酷な悪口を発してしまったのだろう。


「落ち着け」


「無理だな! なんでこのオレがお前に指図されなきゃいけないんだよ!」


「いいから落ち着け。ここから出たいんだろ」


「ああ出たいさ! でも一発殴らせろ」


 巻貝さんの拳が蜩君の左頬を吹き飛ばした。懐中電灯も宙を舞う。


 あ! 僕の叫びは声なき声で終わった。


 蜩君は岩壁に叩きつけられるように倒れ、巻貝さんは興奮ぎみに息を切らせて彼を睨みつけていた。「ハア、ハア、……殺して、やる」


「どうやら、」蜩君は左頬を左手で押さえながら苦しそうに立ち上がった。「疲労で息が、切れなくても、興奮では、切れるみたい、だな」


 完全に二本足で立つと彼は自分を落ち着かせるためか、目を閉じ、しばらくそのまま動かなかった。自分と巻貝さんの呼吸音だけが耳の穴から入ってくる。


 そして、蜩君は何かを覚悟したように目をギロッと開け、巻貝さんに睨み返した。

 その目には巻貝さんよりも圧倒的な力を持つ力があった。

 熱い殺気と、冷たい殺気。ふたつがぶつかって温度が上昇するのを見て、僕はどうしたらいいのかが分からなかった。


 足がガクガク震えている。

 どうしたらいいか分かっても動くことが出来ない。

 息が詰まる。

 助けて――。


「殺せるもんなら殺してみろ」蜩君の低い声がうねる洞窟の中に鳴り響いた。そして巻貝さんの首元を掴み返した。「それで何が解決するんだよ! あぁ? 言ってみろ!」


 いつも冷静で冷酷な蜩君がこんな大声を上げたのを僕は初めて聞いた。


 飛ぶような迫力がある。横から見ている僕すら彼の眼力に圧倒されている。巻貝さんの目線から見たら貧弱な僕は気を失ってしまうかもしれない、と直感した。


 僕の足が退くように動いていた――けどそのまま後ろに――倒れ――頭を打った。「痛たっ」


 蜩君は巻貝さんを睨みながら掴んだ手をゆっくりと離した。

 まだ睨んでいた。

 巻貝さんの黒目は裸で極寒の土地に立っているみたいに震え、瞼は早送り映像のように細かく開いたり閉じたりしている。


 しばらくすると巻貝さんは自ら手をゆっくり離した。でもそれは「相手を突き放すように」ではなく、まるで招魂を抜かれて息絶えるかのようだった。


 そして巻貝さんはそのまま姿勢を微塵とも変えることなく茫然と突っ立ち、瞳孔を開いたまま崩れるように座り込んだ。


 蜩君の目がこちらを向いた。その時にはもうさっきまでの殺気のような迫力はなかった。

 完全に落ち着いている。頭に血が上っている様子はない。


「北山寺さん、脱出法、考えて」


 僕は自分の無力さを恥じた。

 でも、僕は無力のままでいいの? いや、駄目なはずだ。

 もしかすると、ないだろうけど、僕がこの二人を巻き込んでしまっているのかもしれない。

 そうであろうとなかろうと僕は今自分にできることをするしかない。

 何ができる? ――考えることだ! 僕は伊達にいい大学を出たわけじゃないんだ。

 そう志を固めた時、頭の中にとある乱雑な三文字が浮かんだ。


「《止メロ》。やっぱりキーワードはこれだよね」


「当然だ」


 もう少し言い方ないかな、この子は。そう思って彼の顔を見ると頬は腫れてなかったし、血も出てなかった。さっき痛そうだったし、僕自身こけて痛かったからこの世界には「痛み」という概念はあっても「外傷」という概念はないのかもしれない。


 ただ、蜩君は恐らくかなり前からこの事について思考と知恵を巡らしているのだろう。それでもまだ見つからない。

 蜩君と僕ではそういう推理力の差は歴然だ。彼が分からないことを僕が考えた時点で何も進歩しないだろう。


 じゃあ何をする? 何ができる?

 僕にしかできないこと。そんなのエッシャーの知識しかないだろう。

 階段の時と同じようにあの絵の中にヒントがあるに違いない。

 考えるんだ。

 思い出すんだ!


 ……縦に長い白黒の画面。その中心よりやや下が水の流れの始まりの点、滝壺だ。そして右上、左上、右上、左上、とジグザグに進んで行く。その水路の太さで、少しずつ水路が下っているのが伺える。そしてこちら側へ水は垂直に落ち、最初の点へ戻る。


 きっとヒントはその他の何かだ。


 ……滝壺の左には建物、家のような、倉庫のようなのがある。水路をほんの少し進むと、二段ほどの階段があり、そこから建物に繋がり、その建物では一人の女性が洗濯物を干している。


 ほんと、懐かしいな。こんなにあの絵を思い出すのは初めてだ。

 僕がエッシャーを好きになったのはこの絵が始まりだった。

 中学の美術の教科書にこの絵が載っていて、僕はこれに惹かれた。隅から隅まで観察、鑑賞した。心から素直に、カマキリを観察する子供のように純粋な心で。瞼を閉じれば瞼の裏にくっきりと写るほど見た。まさかこの経験が今役立つなんて、あの時は思わなかったなあ。


 高校生になると家の近くの美術館で行われた「エッシャー展」にも行った。

 そこで本当のサイズの、教科書を超える不思議さと迫力に圧倒され、感動した。

 気がつけば五時間もそこにいた。

 いや、今はそんな昔話はどうでもいい。僕があの時見たものを思い出すんだ。


 ……滝壺から上へ伸びている柱、(この絵では)つまり水路の一番奥から真上へ延長して伸びている柱の上には何とも言えない幾何学的なオブジェがある。

 ……他に何がある? もっと考えるんだ!

 画面左下には奇妙な草花(?)があった。

 画面下の真ん中には柵に(もた)れかかって滝を見る人がいる。

 背景には薄く段々畑のようなものが描かれている。木が何本か生えていたはずだ。

 ……他に……他に何がある? ……出てこない。いや、思い出せ! 何かを忘れているはずだ!


 何だ? 何だ? 何だ!


 額から鼻へ冷たい液体がツーと落ちた。


 我に戻った。

 落ち着け、僕。

 深呼吸だ。


 無表情で考え込んでいる蜩君が一瞬こちらを見た。

 招魂が抜けている巻貝さんは僕と蜩君に背を向けながら相変わらずぼけーっとしている。この不良をここまでするなんて、蜩君っていったい何者なんだろう。


 いや、そんなことより考えろ。僕は何かを忘れているはずだ。

 ただ闇雲に思い出すんじゃない。キーワードは《止メロ》だ。


 止めろ。止めろ。止めろ。

 止まるものはなんだ。水の流れ  水の流れ?


 あっ。


「水車だ!」思わず僕は心の声を(あら)わにしてしまった。


 二人がこちらを見る。

 顔が赤くなった。


 でもそれさえも忘れていた。「あの絵で止めることができる物は水車だよ」

 そうだ。なんでこんな簡単な答えを思い出さなかったんだ、いや、一度思い出していたはずだ。


「水の流れとかじゃないのか」蜩君は僕の目を不思議そうで不思議な目で見た。「そう考えていて、逆走とか考えていたんだが」


「いや、それは無理だよ。あの絵では水路は傾いていて自然に流れるようになっているから。人にどうにかなる問題じゃないよ」


「なるほど」


 その四文字が心の底から嬉しかった。

 生きてて良かった、そんな馬鹿なことさえも思った。


「確かにここも若干傾いているしな」


 そういえばそうだ。最初歩き始めた時からなんか変な感じがするなと思っていた。今初めて分かった。


「ビー玉を転がせばその内上から降ってくるだろう」


「永久機関だね」


「でも水車なんかねぇじゃねぇかよ」どこからか巻貝さんのやる気のない声が聞こえた。


 彼の方を向くと彼の大柄な体がもの凄く小さく見える。なんか面白かった。このまま小さいままでいたらいいのに。こんな人種なんて。


 でもそんな彼の言葉であってもそれは事実で、納得せざるを得なかった。

 僕の推理は間違いだったのか。そう思うとなんか恥ずかしかった。


「確かにない」蜩君はその台詞と似合わない目で巻貝さんの背中を睨んだ。「でも今分かっているのはそれだけだ。それを頼りにするしかない。それが間違っていたらまた考えればいい」


 そうだ。この案を発案した僕が希望を持たないでどうする。

 今できることをするしかないんだ! 自分を信じるんだ!


「それと、お前」


 巻貝さんは身動き一つしなかった。


「お前にそのキャラはあってない。動け」


 やはり身動きひとつしない。


「ここから出られなくていいのか?」


 すると、彼は答えた。


「別に。オレはお前の気迫に押されちまったんだ。恥ずかしくてもう元の世界に戻れねぇよ」


 この気持ちは普通の人間の僕には分からなかった。

 さっきまであれだけ色々しておいて、最後には結局これだ。絶滅すればいいのに。


「おいチキン」


 蜩君がそう言うと抜け殻はピクッと反応した。


 ん?


「一度負けたら終わりってか。ならその辺の壁に頭ぶつけて死ね。俺たちの命も持って行け、カス」


 いやいやいやいや……。


「本当にそれでいいのか? 自分も周りの二人も救えないで何が元ヤクザの組長だ。チキンゴリラ」


 彼の体が震えだした。怯えている、とは違う。何か……。


「お前の敵は俺か? 違うだろ馬鹿。あの仮面をぶん殴ってやるんだろ、あ? それが出来ないで何が親孝行だ。子供が死んで嬉しがる親がどこにいる? 昔からの恩を返すんだろ? ポンコツチキンゴリラ」


 彼の震えがドンドン大きくなってきた。自信のような地面の揺れさえ感じる。


「立て! 自分の目的を果たすために立て、巻貝!」


「ああ!」巻貝さんは勢いよく立ちあがった。


 その姿はさっきまでの小さな抜け殻じゃなかった。

 それどころか最初よりずっと大きく見える。

 そしてその目は誰よりもまっすぐで熱い目だった。


「意地でもここから出てやるよ!」


 蜩君はそれを見てふと笑った。「それでいい」


 その後、巻貝さんに聞こえないくらいの小さな声で、単純な奴だ、と呟いた。

 僕は呼吸をすることすら忘れるような何かを感じた。


「水車探すぞ!」彼のテンションはさっきまでのものとは面白いくらい違う。「北山寺!」


「はい!」突然名前を呼ばれたから「気をつけ」の姿勢を取って返事をしてしまった。


「その絵で水車はどこにある!」


「たまにはいいこと言うじゃないか」蜩君は馬鹿にするように言った。


「このオレをなめてるのか!」


「さっきからそう言ってるだろ。いい加減学習しろ」


「へいへい」


 二人の漫才が終わったので今がタイミングかと思い、短く説明した。「滝壺から水路に入る所」


 僕らはしばらく道を歩き、梯子を降りた。その梯子を降りながら僕は一抹の不安を抱えていた。


 多分蜩君は気付いている。彼は勘がいい。

 でも巻貝さんは多分分かっていない。彼は勘以前に頭が悪いから。

 僕が足に地面を付けると、思った通りの巻貝さん言葉が聞こえた。


「やっぱりねぇじゃねぇか。お前の推理は外れだな」


 巻貝さんの台詞に僕はちょっとむかついた。「……だね」


「いや、そうとは限らない」蜩君は冷静に巻貝さんを見た。


「限ってるだろ」


「ゴリラに何が分かる」


「……」


「《止メロ》の意味が北山寺の言うように水車だと仮定する」


 僕は小さく頷いた。


「ならここに水車があれば、そんなもの明らかに不自然だし、それなら《止メロ》なんてヒントを置く必要がないし、わざわざこの洞窟の形を『滝』にする必要もない」


 僕と巻貝さんは同時に呟いた。

 嫌な気分だった。


「その仮定とは別にあいつがここの形を『滝』にしたのはその絵の中にヒントがあるからだ。ここの形が『滝』だというのは分かっているとは思うが決定事項だ」


「なんで?」巻貝さんが間抜けな声で尋ねた。


「馬鹿だなお前。さっきの階段がエッシャーの絵だというのは正解なんだ。ということはここの形がたまたまエッシャーの絵と同じ形だとは考えにくいだろ」


「ふーん」


 聴いているのかいないのかはっきりしない返事だ。


「よって、ここから脱出するヒントはあの絵の中にある。さっきの階段の時は今回のように看板がなかった。つまりこの階段の形などからエッシャーの『上昇と下降』が関係していることを分からせ、更にあの絵の中からヒントを探せということだった。今回もエッシャーが関係していることが分かった。それが『滝』。そしてそこから『水車』というヒントを得た。俺たちはどのように『水車』というヒントを得た? 巻貝」


「あの絵」


 蜩君は深く舌打ちのような溜息をついた。

 巻貝さんの馬鹿な返事に呆れたようだ。「お前には難しすぎたか」


「悪かったな」巻貝さんは頬を赤らめながら皮肉するようにゆっくり言った。


「本当に……」蜩君はいつもの如く必要のない返事をした。「馬鹿のために質問の角度を変えよう。何故北山寺はあの絵の中から『上昇と下降』のように直接的な脱出口ではなく、『水車』という脱出と無関係に思える物を思いついた?」


「《止メロ》……から」彼は自信なさげに答えた。


「そうだ。つまり、今回と前回では俺たちの考え方を変えなくてはならない。ここまでは分かるか?」


 言うまでもないけど僕は分かった。

 巻貝さんは「……は?」質問返しをした。


 また同じように蜩君は溜息をついた。「お前に質問した俺が悪かった。全部ひとりで話す。前回は絵から直接ヒントを得た。それだけでヒントは十分だからだ。しかし今回は《止メロ》というヒントが添付されている。それは何故か。『滝』の絵だけではどう足掻いても正解に辿り着けないからだ。つまり、あの《止メロ》というヒントはあの絵から止めることができるもの、つまり『水車』に辿りつかせるものだったってことだ。もしかしたらあの絵の中に水車以外の止められるものがあるのなら話は別だが」


「ここには水車なんてないんだからさ」


「いいや、絶対に水車だ。補償してもいい」彼の目は自信に満ちた、もう冷たくない、まっすぐな目だった。確実に闇の先にある光を見つけている。


 ただ、僕にはなんで彼がこんなに自信を持てるかが分からなかった。

 でも、僕は信じてもらえている。そう思うとそんなことなんてどうでもよくなって、なんだか嬉しかった。


 そして巻貝さんもどこからそんな自信が湧いてくるんだ、と不思議そうに首を傾げたけど、その自信の理由は訊かなかった。何故なら蜩君の理論的な推理は十分に信頼できることを僕らは知っているからだ。


「でもその水車様はどこにあんだよ」その代わり彼は視界情報を信じたことを口にした。


 残念ながら僕もそれをずっと思っている。


「そこだ」彼は面倒そうに左手で後ろを指差した。

 そこは梯子のあるこの若干広い部屋と通路の境、滝壺と水路の境だった。


「なんにもねぇよ」やっぱり、と言うように彼は蜩君を見下ろした。「それともお前には何か見えるのか?」


「残念ながら俺にも何も見えない。つまり、問題はどうすれば水車が現れるのか、だ」


 そして久しぶりに長い沈黙に入った。

 僕も色々考えた。水車のあるはずの位置まで歩きながら。

 あの絵の中に何かあるかな、とまたヒントを検索した。でも何も探し当てられなかった。


 さあ、どうしようか。

 ……何も思い浮かばない。

 悔しいな。

 この自分とのバトルは負けたくないな。


 僕は疲れたのかなんなのか突然瞼を閉じた。

 すると、聞き慣れた声が頭の中で響いた。


 ――行き詰った時、考えても考えても答えが出ないときは一旦ゼロになれ。次の問題に移るんだ。その次がないのなら見直し、それも終わったならその迷った問題をゼロから解くんだ。今まで立てた式とかを全部消して違う視点から考える。数学や推理の解き方だ。


 僕の友人だった人の声だ。

 僕を助けてくれた人だ。

 僕の恩人だ。


 そうだ、ゼロになってまた最初から違う視点で考えればいいんだ。

 そして僕は蜩君の推理を元に僕の考えを再構築し始めた。

 その考えの中に先までは登場しなかった人物が登場した。

 白の半面の仮面を付けた黒いマントの男だ。

 そうだ、ここを創った彼の視点で考えよう。

 まず、蜩君の自信を信じてヒントは『水車』だと仮定、いや、結論付けよう。


 何故彼は水車をヒントにしたのか。


 ――ステージ上に水車しかなかったから?


 いや、その前に何故彼は『滝』を、エッシャーを使ったのか。


 それはいくら考えても思いつかなかったから消しゴムで消した。


 僕が彼だとするとヒントの水車をどうする? 普通に置いたら明らかに水車がヒントだと僕らに分かられてしまう。これは試練だ。何も考える必要がなかったらなんの試練でもない。何を試すわけでもない。


 じゃあ、どこに隠す? いや、水車の場所を変えたらヒントが水車の意味がなくなる。


 ってことは、()()()()()()()()()()()んだ。水車はあるけれど、それが見えないければいい。


 透明? いや、透明なだけなら既にぶつかっているはずだ。気づかないわけがない。


 じゃあどうする? 僕なら、何らかの動作でそれが現れるようにする。ゲーム用語で言えば「チート」というやつだ。でもそんなものはなさそうだ。……いや、でもここは空想の世界で、なんでもありの世界なんだ。そのチートがあっても不自然じゃない。特殊なコマンドがあって、それを入力すれば水車が見える仕掛けかもしれない。でも、その特殊なコマンドって何だろう。チートってどんなものなんだろう。


 我武者羅に考えたって分かりはしない。

 じゃあどうすればいい? どう考えればいい? 今まではどう考えてきた?


 ――絵の中にヒントがある。


 そうだ、そう考えてきたんだ。

 でもあの絵に何がある? 動作と言えば、洗濯物を干す人と、有り得ない滝を柵にもたれかかって見物している人くらいだ。


 でもここには洗濯物なんか勿論ないし、いや、服はある……どうしろっていんだ。

 柵ならさっきの『上昇と下降』の所にあった。でもここにはない。


 じゃあなんだ? あの絵の中にあるヒントって?

 また我武者羅に検索しているとまた僕の恩人の声が聞こえた。


 ――一旦ゼロになれ。


 でも何か、何か分からないけど手ごたえのようなものがある。答えに確実に近付いている気がする。

 あとひとつ、あと一ピースだ。あと一ピースで完成する。

 何なんだ。その一ピースはいったい何なんだ。


 懐中電灯を握る右手に力が入ってしまう。――懐中電灯?


 そういえば、どうして懐中電灯なんだろう。こんな不便な物。アドベンチャー映画とかではこういうところには大抵壁に松明か何かが設置してあるのに。


 それがないということは、それさえもヒントなのかもしれない。それがヒントなのだとしたらそこから導き出されるヒントって何だ?


 そもそも、どうしてこの懐中電灯はこんなに無駄に明るいんだ?


 ――まさに作りものって感じだった。この懐中電灯も妙に明るいしな。


 蜩君はそう言っていた。懐中電灯の光の強さを調節することですら簡単ではないのだろうと僕は思っていたけど、冷静に考えてみろ。普通ミスをするなら光は弱くなるはずだ。なのに強くなっている。まるで「光」を強調しているかのように。


 もしかして、わざとなのか?


 空が狭かったり砂の色が不自然だったりしたのもわざとなのか? 木を隠すなら森の中じゃないけど、「異常に明るい懐中電灯」という不自然を隠すなら不自然の中、ということなのか?


 つまり、ヒントは光。


 でも、これがどうしたんだ? 何をすればいいんだ?

 懐中電灯であちこちを照らしてみたけど、やはりただの岩壁しかない。


「何か分かったのか?」水車のあるところにいる僕に蜩君が近寄ってきた。


「うん、ちょっとだけ」


 僕は彼に光がヒントなんじゃないかと順序付けて話した。

 すると、彼も納得したようだった。「なるほど、光か」


 自分のことが認められたようで嬉しかったけどまだ何かが足りない。あるいはそもそも光はヒントじゃないかだ。「やっぱり僕の推理は外れているのかな」


「いや、そんなことはない」蜩君は頷きながら考え込んでいた。


 確かに正解に一歩一歩近づいて行っている気はする。でも、まだ何かが足らない。そんな時だった。


「行き詰ってるのか?」


 巻貝さんの声が後ろから聞こえた。僕たちは振り返り、蜩君が言った。「ああ、行き詰ってる」


「『逆転の発想』ってのしたらどうだ?」


「は?」蜩君は行き詰っている上にポーンと変な言葉を投げかけられて半ギレだった。「何度言ったら分かるんだ。ゴリラが猿知恵使う……な……」


「ん?」


 蜩君は瞬きさえも忘れてうつむいた。何かを思いついたのだろうか。


「……か、そうか。分かったぞ……!」


「分かったの?」


「ああ、分かった!」蜩君は珍しく興奮気味だった。「逆転の発想だ! 光を強調しているということはその逆の闇だって引き立つ。つまりヒントは闇だ!」


 なるほど、と僕は呟いた。巻貝さんは蜩君の言ったことをよく理解できてないのか、口をポカーンと開けていた。


「懐中電灯を消すってこと、だよね」


「ああ、多分そうだ。ゴリ田ゴリ男もたまには役に立つじゃないか」


「え? 俺が役に立ったのか?」巻貝さんは嬉しそうな「してやったり」顔で立ち上がった。「そうか、俺が役に立ったのか! ハハハ、ざまあみろ!」


 彼は「ゴリ田ゴリ男」を否定するのを忘れるくらい喜んでいた。

 もちろん僕も喜んでいる。まだこれが正解だとは限らないけど間違っている気がどうしてもしない。


 僕と蜩君は手元の懐中電灯を消した。それでも若干周りが見える。目の慣れだろう。でも振り向けば二つの光がよく見えた。


「ゴリ田も懐中電灯を切れ」


「お、おう」彼は素直にスイッチを切った。


 そういえば僕は最初、この二人がとても気に食わなかった。階段から飛び降りる時もまだそうだったはずだ。なのに、いつの間にかその感情は薄れていた。

 特に巻貝さんは僕が一番嫌っていた種族の人のはずなのに、今でもあまり好きではないけれど嫌いではなくなっている。不思議なものだ。


 そんなことを思っていると完全に光が消え、何も見えなくなった。文字通り「真っ暗」だ。

 なんか、その変化が不自然に思えた。目が慣れているから多少は見えてもいいのに「真っ暗」で何も見えない。それが当たり前かもしれないけど何か自然じゃない気がする。眼鏡のフレームすら見えない。感じられない。まるで目を瞑っているようだ。


 この不自然さというのは仕掛けなのかもしれない。


「さあ、どうする?」


 蜩君の声が左隣から聞こえた。その声は答えが分からずに嘆いているようなある種の困惑にも、答えが分かっているのにあえて僕に考えさせようとするある種の優しさにも聞こえた。


「そうだね」……これからどうしようか。


 それを考えてなかった。さあ、どうしよう。

 そんな時はやっぱりこれに限る。


 手さぐり。


「僕が行くよ」蜩君の返事を聞く前に僕は恐る恐る手を伸ばした。


 そうか、と後から遅れて聞こえた。


 僕は手を前に伸ばして重心を前方に傾けたままゆっくりと足を踏み出した。


 不思議なほどに怖い。さっきまでこの先の道を見ていて安全だと分かっているのに怖い。


 盲目の人って凄いな。絶対になりたくないよ。


 一歩一歩、確実に踏み出していく。ザッ、ザッ、と靴と地面が擦れ合う。


 そして、手に何かが当たった。


 壁? いや、違う。感触が岩じゃない。木のようだ。それに壁の方に手を伸ばしているわけでもないからだ。

 それにこれ、動いている。僕の手が下に持って行かれる。ゆっくり。だけど力強く。

 僕は手を離した。


 そうか、これは……。


 僕は手を目一杯伸ばして右の壁の方へ歩いた。

 壁があるって分かっていても怖いものだ。

 両手が壁に着いた。


 ないはずの心臓がバクバクと鳴る。

 右手を壁に付けたまま左手を左少し前に伸ばした。

 さっきのものに当たった。

 きっと左右対称だろうからこれは壁いっぱいにあるということになる。


 それが分かればいい。僕は懐中電灯を点けた。

 やたらと眩しかった。

 半目のままその光を道の方へ照らした。

 何もなかった。

 今度は恐れることなく手を伸ばした。

 視界通り何もなかった。


 ということは、やっぱりあれは暗闇じゃないと現れないということだ。

 蜩君の目は僕に無言の期待を寄せていた。今の彼の目は最初からずっと見続けている冷たいものではなかった。不安を持つこともあれば喜びを感じることもある、ただひとりの人間の目だった。


 僕はそんな彼を見て思わずにやけてしまった。そして自分でも驚くほど大きな声を出した。


「水車があったよ!」


 そう、木製で動いている。その動き方はこちらに迫ってくるわけでも向こうへ離れていくわけでもなくただ回っている。とすればそんなもの水車しかない。


 『滝』に登場する水車とは少し違うけど間違いなく水車だ。


 そうか、と蜩君は微笑んだ。


 どういうことだ、と巻貝さんは喜んでいいのか分からないという複雑な表情を見せながらこちらに歩んできた。


「説明してほしいか? なら「僕はゴリ田ゴリ男です。好きな食べ物はバナナです」って言ってくれたら説明してやろう」


「言わねえよ。自分で考えてやる。バカじゃねえんだから」


 馬鹿じゃないか、と僕と蜩君は声を合わせ、笑った。巻貝さんも笑っていた。


「まあ、何はともあれ、行くか。水車を止めに」

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