記憶と三つ人
オレたちは梯子をゆっくり慎重に降りた。俺はもっと速く降りたかったが蜩のガキがチンタラ降りるから仕方なかった。このガキに「速く降りろ」つったって「どうせ時間の概念はない」とかわけの分からない屁理屈を抜かすのは目に見えている。
で、一番後ろのビビりの北山寺はそれ以上にのろかった。マジでイライラした。つってもまあ、あいつのことだ。予想通りすぎて声も出ない。
それにしてもいくら蜩の説明を聞いたところでこんな世界を創れるなんて到底信じられなかった。
そんなことできるわけがない。神様じゃないんだから。まさかあの趣味の悪い仮面かぶった変態が神様だなんて言わねえよな。あんなやつが神様なら死んだ方がましだ。
北山寺の足がようやく地面についた。「ふう」
その空間はオレたちが階段から飛び下りた後にいたあの空間と同じような広さで……いや、同じだ。
懐中電灯を振り回していると木の看板が見つかった。
やっぱり。
その看板を見ると、やはり汚ったねぇ字で変なことが書かれてた。
「はあ」オレはため息をし、ワンパターンだな、とこぼした。最初からうすうす気づいてはいたが。
「確かにさっきと同じようなものだが、形が違う。ここには階段がない。梯子があるだけ。さっきは下に向かっていたつもりが元に戻っていたわけだが、今回は前に進んでいたつもりが上に進んでいたということになる。さっきみたいな奈落はなかったから脱出法も違うのだろう。この看板以外ヒントとなるようなものも見当たらなかった。もう一度探すか?」
「それ以外何もねぇんだろ? 行くしかねぇだろ」
「物分かりがよくなったな。ゴリラも哺乳類ってことか」
「うっせーよ」
狭い道の方に歩きだしたとき、何かを思い出そうとしているような渋い顔をした北山寺が視界に入った。
「行くぞ」
すると、「……う、うん……」渋々歩いてきた。
それを見た蜩はしばらく北山寺の顔色を見てから表情を変えずに先頭を歩いて行った。
「そういえば、なんでこのバラバラで何の共通点のないメンバーが揃えられたんだ?」
一つ目の角を曲がるときに俺はふと思い、なんでも知っていそうな蜩にたずねた。
蜩は足を止めることも振り返ることもなくポイ捨てのように答えた。「俺が知ってるとでも思ったか?」
「思ってないな」
「じゃあ訊かないでくれ」
その時、オレの頭に仮面野郎の台詞がよぎった。
――自分がそのひとりだと疑わないのは自由だし、自分が被害者だと信じるのも自由だが、その二人にも意味、役割があるということを教えてやる。選ばれた意味は全員にあるのだよ。一億人からくじ引きで選ばれたわけではない。
「あいつは、」考えるより先に口が動いた。「このメンバーに意味がある、と言ってなかったか?」
「言ってたな」
「そういえばそうだね」
選ばれた意味がある。あいつがこの試練で試したい一人以外の二人にも列記とした意味が。
「この三人であることに意味があるとしたなら、オレらにはなんかの共通点があるんじゃねぇか?」
自分の声がひどく響いたのが聞こえた。
その音が静寂に変わり、蜩が口を開けた。「そう考えるのが自然だな。俺たちはお互い誰も知らない、と思っている。しかしどこかで俺たちは会っているのかもしれない」
「だとしたら、」これは北山寺だ。「うんと昔だろうね。最近だったら覚えてるはずだ」
オレは記憶の糸を無理やり引きずり下ろした。
最初の記憶、父親の顔から、小学校の入学式、卒業式、やんちゃに目覚めたアクション映画、総長になったとき、そしてやめることを決意したときと両親の笑顔。お袋の口癖だった「逆転の発想」という言葉。むしろ俺の口癖にもなっているが。
かすれ、薄れたかすかな記憶が少しずつ鮮明な記憶へと変わっていく。その中で薄れている記憶のフィルターを鮮明な物にしていく。
しかしこの二人の顔はどこにも出てこない。
「おっさん、何歳だ?」藪から棒に蜩が尋ねてきた。
「急になんだよ」
「いいから言え」
命令形が頭に来たが、流石にもう慣れたのだろう。すんなりと答えていた。「三十五だ」
「俺は二十一だ」
「だからなんだよ」
「つまり、どこかで会ってるのだとしたらあんたが十四の時以降だ」
「ああ、なるほどね」記憶の糸を最初から引っ張る必要はなかったってわけか。
「ほんの二十年前のことだ。覚えてないか?」
ほんの、って。お前の人生のほとんどじゃねえか。「覚えてねえな。ちなみに二十年は結構長いぞ」
「北山寺さんもないか? 年齢は俺たちの間くらいだと思うが」
「う~ん。覚えてないなあ」
「そうか。じゃあ、俺たちは会ってはないんだろうな」
「じゃあ接点なんてねぇんじゃねぇか」
「『会ってない』=『接点がない』というのは少々無理やりな理論だぞ、ポンコツチキンゴリラ」
「やめろ、その妙に響きがいい悪口」
「響きの悪い悪口は悪口じゃない」
「なんだよその理論」
「そんなことより、」
また「そんなことより」かよ。
「直接会ってなくても俺たちには誰かを媒介に入れての接点があるかもしれない」
「バイカイ?」
「仲立ちってことだ。そうだな、例えば、あの仮面男」
「あんな気持ち悪いやつ会ったことねぇよ」
「北山寺さんは?」
「ない、かな」
あのさ、と巻貝は切り出した。「さっきから思ってたんだが、お前は北山寺のことを「さん」付けするのに、俺は呼び捨てかゴリラなんだよ」
「品格の差だ」
オレは舌打ちした。人を不快にさせるその音が合図になったように全員が足を止め、誰も喋らなくなった。
二人とも記憶のかごをひっくり返して共通点を探っているだろうから、俺も改めて昔のことを思い出すことにした。
十四歳以降を探せばいいのか。中学生だな。やんちゃし始めた頃だ。まだ先輩のパシリもこなしていた頃か。ある意味この時期が一番の暗黒時代だったかもしれない。
それから高校生になってまともに勉強せずに授業さぼったり喧嘩したりして、煙草吸ったりして、総長にまで上り詰めた。そういえば薬物に手を出したことはなかったな。
父親に殴られまくって、更生して、なんとか高校卒業して、なんとか就職して、家出て、働きまくって、今に至る。どこにも蜩や北山寺、仮面野郎が出てくる隙はないな。特別変なことが起きたことも……あるな。
家を出て働くようになってから何年かした時のお盆だ。帰省したら親父が楽しそうに「最近見つけた童話を教えてやろう」と柄でもなくノートを開いて変な話を読み聞かせてくれたことがあったな。「五十の親父が二十二のおっさんに何やってんだよ」と反論した記憶があるから十三年前だ。どんな内容だっけな。意味の分からない話だったのは覚えている。タイトルは……なんだっけな……、
「カメンノミツビト」
蜩の無表情な声が聞こえた。
「そう、それだ」オレは反射的に蜩の方を向いた。同時に北山寺も蜩の方を向いていた。
「え?」北山寺は俺の心の声をそのまま口にした。「僕の心読んだの?」
「北山寺さんの? 違うが……、知ってるのか? 『仮面の三つ人』」
「うん」
「ああ、俺も」
蜩は怪物を見たように目を丸くして、あからさまに驚いていた。こいつのそんな顔は初めてみた。「そうか、知ってるのか……なるほど」
え、ってことは俺たち三人は同時にその童話のことを考えていたのか? まるで誰かに操作されたみたいに。
すると、蜩は大きく瞬きをし、一寸の光を見つめるような力強い目で俺と北山寺を見た。
「俺たちの共通点は『仮面の三つ人』だ」
今まで感じたことのない、圧力鍋で圧縮したように濃密で力強い静けさが流れた。
「なんでだ?」静けさを打ち破ってオレは疑問を投げた。「童謡くらいみんな知っているだろ?」
「じゃあ、訊こう。お前はこの話を誰か他人に、友達でもなんでもいい、話したことがあるか?」
オレは首を傾けて、すぐ結論に辿り着いた。「ねぇな。大体童謡なんて普通の人は知っているだろ。話す必要はねぇし、大体会話の流れで童謡が出てくるか?」
蜩は何か意外そうな顔をした。「ないな」
「だろ? そもそも俺がその話を聞いたのは二十二歳だ。童話の話なんてしないだろう」
「でかい子供だな」
「俺だって聞きたくて聞いたんじゃねえよ。親父が勝手に読み聞かせやがったんだ」
柄にもないな、と蜩は呟いて北山寺の方を見た。「北山寺さんはいつ『仮面の三つ人』を?」
「中学生か、高校生の頃だったと思う。家に帰ったら僕の部屋の机の上にワープロで『仮面の三つ人』が書いてある紙が置いてあって」
「誰が置いたか分かるか?」
「お父さんかお母さんだと思うよ。聞いたことはないけど、状況的に。僕ひとりっ子だし、まさか泥棒が何も取らずにそれだけ置いて行ったわけでもあるまいし」
なるほど、と蜩は頷き、今まで見えなかった何かを掴んだような満足げな笑みを浮かべた。「内容は覚えているか?」
「どんな話だったは覚えてないよ。一回だけ読んで、机の引き出しに入れたきりだけだし。内容が抽象的すぎてよく意味が分からなかったし」
「オレも覚えてない。蜩、お前は覚えているのか?」
「ぼんやりならば」蜩はずっと満足げな表情のままだった。
三人の共通点が童話だなんて言われても納得のいっていないオレと北山寺は蜩の顔を見ても全く意味が分からなかった。「その話がどうしたんだよ」
「その童話は俺たち三人と、多分、俺たちの親しか知らない」
「は?」「え?」
何言ってんのコイツ?「いや、童話なんていくらマイナーでもそんなマイナーなことはないだろ」
オレの言葉に北山寺もうんうん、と頷いた。
「それがあるんだよ。『仮面の三つ人』って検索してみな。一件もヒットしないはずだ」
蜩は何度も検索したことがあるような口ぶりだった。
「でも……、なんで? 僕たちは親同士が知り合いってこと? 僕たちの親がその『仮面の三つ人』って話を作ったの?」
「分からないが、そうかもしれない」
「なんで? 何のために?」
「分からない。でも、その答えは『仮面の三つ人』にあるかもしれない。内容を覚えていないあんたたちがどうして『仮面の三つ人』のことを考えていたのかは知らないが、俺は今のような状況をどこかで聞いたことがあると思って、それを考えていたら『仮面の三つ人』に行きついた」
「状況が似ている?」このわけの分からない状況がそのわけの分からない童話に?
「ああ」
「もしよかったら、」北山寺もどこか希望を見つけたような笑みをうっすらと浮かべていた。「聞かせてくれない? その話」
「……いいだろう」
蜩は「とかそんな感じだったと思う」とかそんな言葉を所々に挟みながら『仮面の三つ人』をざっくり話した。
元からざっくりした話だった記憶はあるから蜩の口から出てくる物語はほぼ全容を掴んでいるのだろう。
「――っていう具合だ」
蜩が話し終えてもオレはよく意味を分かってはいなかった。二十二歳で聞いた話わけの分からない話が三十五になって分かるはずもなかったというわけだ。でも、
「確かに、気に入らないが今の俺たちにそっくりだ」
「だね」
この話が到底何かのヒントになるとはオレのちっぽけな頭じゃ思えなかったが、話の最後の一節が仮面野郎のセリフと重なった。
勇気と力。
――さあ! 見せてもらおう! 貴様たちの勇気と力を!
もしオレと北山寺と蜩の親同士が知り合いなのなら、あの仮面野郎もオレの親父と知り合いなのか?
「でも、『仮面の三つ人』を聞いた限りここから脱出するヒントはなさそうだけど」北山寺は蜩に目を向けた。
「ないだろうな。さっきの階段の時も関係なかったんだから。この童話はあくまで試練の目的だろう」
試練の目的は頭の悪いオレでも大体分かった。「勇気と力、だな」
「ああ、おそらくそうだろう」
『勇気と力』という言葉が具体的に何を示すかは分からねえが、そんな詳しいことはどうでもいい、気がした。試練をクリアした時におのずと分かるような気がする。「でもさ、童話がヒントじゃないんなら、行き詰まりだな。あの《止メロ》とかいうメッセージだけじゃわけが分からないし」
「それなら北山寺」蜩はオレから北山寺の方に体の向きを変えた。「お前、分かってるんじゃないか?」
「え?」
え? 北山寺が?
「梯子を降りた時、何か考えていただろ。きっと心当たりがあるんじゃないか? 『上昇と下降』みたいな」
梯子を降りた時の北山寺の顔がフラッシュバックした。そういえばあれは何かを思い出そうとしていた顔だった。
「うん」北山寺は自信なさげに首を縦に振った。「絶対的な自信はないけど」
「言ってみろ。当たり外れは問わない」
北山寺は深めの呼吸で自分を落ち着かせて答えた。
「僕はこれもエッシャーだと思うんだ。エッシャーの名作、『滝』じゃないかって」