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有沢翔治シリーズ『盗撮魔』

作者: 有沢翔治

盗撮魔


登場人物

有 沢 翔 治……希代の変人

浅 香   萌……その保護者。「わたし」


石 井 麻 美……萌の友人。法学部在籍

古 池   瞳……高校生

古 池 視 実……その母

吉 川 隆 一……瞳のクラスメイト

吉 川 光太郎……その父

川 岡 美 子……瞳のクラスメイト

浅 井 真佐夫……上に同じ、美子のボーイフレンド


大 島   豊……少年課警部補

第一部、発端

 わたしは石畳の渡り廊下を抜けて大学の図書室に入った。席を取ろうと見回すと、今期のレポートに追われている学生たちで溢れ返っている。どうやらみんな考えることは一緒らしい。そう溜息をつくと、インクの匂いが冷房に混ざってかすかに漂ってきた。

 わたしは窓側の席に腰を下ろして外を見ると、附属高校の生徒たちがランニングをしていた。それを見て、暑い中の練習に感心してしまう。そういえば今期から彼らも入れるようになったんだっけ。後ろでブレザーを着た女子高生がテスト勉強をしているのを見て、なぜか溜息が出てしまう。

「おはよう、萌」

 同じ法学部の石井麻美に肩を叩かれ、我に返って顔を上げた。茶髪のロングヘアを後ろで束ねていて、白い文庫本を手に持っている。

「おはよう、それ課題?」

「うん、アメリカ文学のね」

 と彼女は言いながら隣の席に腰を下ろす。ショルダーバッグと本を机の上に置くと、わたしはどんな作品を鑑賞しているかを聞いた。ヘミングウェイだったら是非とも内容を知りたい。ところがオースターという聞いたこともない作家だと解り、肩を落とした。

 小説の世界は諦め、あの分厚い六法全書と格闘していると、麻美が唐突に、

「はぁ……若いっていいわねぇ」

 唐突にそんなことを言い出した。理由を尋ねると、後ろの女子高生をチラリと見た。どうやら女子高生の若さに嫉妬しているらしい。

「……そ、そんな、麻美だって充分若いよ」

 さっきのわたしのモヤモヤも焼餅なのかもしれない。適当に慰めながらそんなことを考えていると、うろうろしている女子高生の姿が目に入った。

 眼鏡を掛けた、真面目そうで好感の持てる少女である。複雑な図書室内で迷っているんだろうか? そう考え、わたしは首を振った。おどおどしていて周りをしきりに気にしているのだ。見た目からは信じられないが、図書室の本を盗もうとしているのかもしれない。一瞬そう思ったものの、そうすればゲートを通り抜けるとアラームが鳴るのを思い出した。それが見つかれば退学になることくらい彼女も知っているはずだ。

 やっぱりわたしが心配しすぎたんだろうか? しばらくじっと見ていても誰も声をかけようとはしない。

「どうしたの? レポートは?」

 と言われ、わたしは彼女を小さく指差した。麻美はその方向を見ると、呑気に、

「まぁ放っておけば? 借りるかどうか迷ってるんでしょ」

「でも……ちょっと行ってくる」

 そう言って、立ち上がる。本を探す振りをして彼女に近づいていった。また余計な世話を焼いて。そう言いたそうな麻美の溜息が後ろから聞こえてきた。


「どうかしたの?」

 彼女に声を掛けると、ビクッと肩を震わせた。やましいことでもしていたかのようである。すばやく彼女の名前が解るものを探すと、手提げ鞄から彼女の名前が古池瞳だと解った。いろんな厄介事に関わるとこういうときの対応だけは身に付くのだ。

 しかし学年とクラスが解らなければ会いに行けない。もっとも親でもないわたしが会いに行ったところで門前払いを食らうのが落ちだろう。そう思いながら笑顔を作ってもう一度、

「何か探してるの?」

 と優しく訊きながら、本の表紙をさり気なく覗き込もうとする。上手く行くだろうか? しかしそれに気が付いたらしく、

「い、いえ、なんでもありません……」

 サッと持っていた本を抱え込んで、本のタイトルを隠した。まずい、勇み足だったようだ。もしかしたら『完全自殺マニュアル』のような後ろ暗い本だったのかもしれない。

 警戒させてしまったか。不安になって瞳の顔を見ようとした。しかし俯いていてよく見えない。これ以上話していても彼女に怪しまれるだけだろう。そう考えて、わたしは、

「……そう、ならいいの。邪魔してごめんなさいね」

「い、いえ……」

 蚊の鳴くような声で瞳は言うと、そそくさと駆け出してしまう。陽が陰ってきたのが、窓辺に差し込む光で解った。


 さて、推理小説の助手役は主人公を神のように崇めることが多い。しかし、と恋人の有沢翔治を改めて見た。髪はボサボサで、不精髭は生えっぱなし。そのまま公園のブルーテントや段ボールにいてもおかしくない。と言ったらさすがに失礼か。……もちろんテントに住んでいる人に。

 だいたいデート中に入った喫茶店で本を読む男がどこにいる? 子供時代からの付き合いなので扱い方はよく心得ているつもりだが、それでも快く思いはしないものだ。その一方で他の女性ではすぐに別れてしまうという変な自負心も抱いている。幻想と言い換えてもいいかもしれない。

 もちろんそんな安っぽい思いだけで付き合っているとでも思ったら大間違いである。わたしだって女の大バーゲンセールをやってるわけじゃない……と、考えながら、

「ねぇ、ちゃんと聞いてる?」

 相手の本をひょいと取り上げると、そう尋ねる。案の定、バツが悪そうに、

「ごめん。もう一回」

 という返事が返ってきた。別れようかと悩んでしまうのはこういうときである。それでも続くのは「愛」とかいう高尚なものではなく、クサレ縁というヤツなんだろう。

 わたしは溜息をついて、テープレコーダーを買おうかと本気で考えながら、同じ話を繰り返す。今度は時々、話の内容を確かめながら、わたしの話に耳を傾けていた。一通り話を終えると、一言、

「ははは、タイミングが悪かったね」

「どうすればよかったの?」

 笑わなくてもいいじゃない。わたしは少しムッとする。

「そうだな……、動きたくても動けないときに覗くとか」

「そんなことあるの?」

「いくらでもあるさ。例えば……その娘が貸出カウンターに並んだ頃とかかな。司書に簡単な質問をすると見せかけておいて覗き込めばいい。それにそんなに挙動不審だったなら、多少見てもバレないよ」

 こんなことにだけは頭が働くのである。呆れると同時に素直に感心した。そしてすぐその後に悔しい気持ちになる。なんで思い浮かばなかったんだろう……。そう考えているとケータイが鳴り出した。見るとディスプレイには麻美の名前が表示されている。有沢に、

「ごめん、出てもいい?」

「うん」

 デート中に電話が鳴っても、根掘り葉掘り聞かれないどころかイヤな顔を一つしない。わたしは上目遣いに彼をチラッと見ると、アイスコーヒーを飲んでいた。少し顔をしかめてミルクを垂らすと、たちまち白と黒の渦がゆっくり回り始める。

 それをぼんやりと見ながら、

「もしもし」

「あの例の子。今日、図書室に来ててさ、ピンホールカメラの作り方についての本を借りてたみたいだったよ」

 わたしは驚いて、

「どうして解ったの?」

「たまたま私が本を返そうとしたら、隣の列に例の子がいたの。それで表紙が見えちゃったのよ。萌が気にしてたし、確かに挙動不審だったからね」

 わたしは危うくケータイを落としそうになる。有沢は訝しそうにわたしを見つめた。わたしは電話を耳から遠ざけると、彼にそのことを話した。大爆笑するかと思いきや、顔を曇らせて呟いた。

「ピンホールカメラ、ねぇ……」

 声が漏れてきたのだろうか。奇妙に間が空いてしまったからなのだろうか、誰かいるのかと訊ねられて、わたしは、

「うん、一応。彼氏がね」

 と答える。

「へぇ、じゃあお邪魔だったかしら」

 冷やかすように麻美が言った。わたしは、

「全然構わないよ」

 と答えてから、有沢の顔をちらっと見る。すると有沢は、ポケットから手帳を取り出すと「返却か延長か解る?」と書きつけた。わたしはそれを尋ねると、延長という返事が返ってくる。わたしは有沢からペンを取り上げて「延長」を丸く囲った。

「それと何回まで延長できるかも聞いてたみたい」

 わたしは礼を言うと、電話を切った。見ると有沢がずっと押し黙っている。わたしがどうしたのかと尋ねると彼は一瞬、何か言おうとしたが首を振った。

「なんでもない」

「そう」

 とわたしは短く答えると所在なく窓の外に目をやった。子供が母親としゃぼん玉で遊んでいる。子供はしゃぼん玉をつかまえようとするが、割れてしまう。そんなことを何度か繰り返しているうちに解ったらしい。無理に追いかけ回さなくなって、ただ目で追うだけになっていた。

「まぁ、そんなに気にすることはないんじゃない? そう思うよ、うん、きっと」

 その声を聞いて、有沢に向き直る。隣の人が煙草の煙を吐き出して、わたしたち二人のあいだにぼんやりと幕を張った。考えごとに夢中なんだろうか、彼は物うげな表情を浮かべたまま手で払おうともしない。紫煙が苦手ではないわたしは、気に留めなかった。

 やがて意を決したように顔を上げると、身を乗り出してこう言ったのである。

「……ねぇ、ピンホールカメラ見に行こうか」

 どう思うか意見だけでよかったが、彼の嗅覚はこういうところだけには敏感らしい。わたしは急な申し出に戸惑いながらもうなずく。と同時に心配もしていた。こういう気分が高ぶっている日は塞ぎ込んでいる日よりある意味では危険なのだ。


 アーケード街には揚げパンを売っているお店や少しお洒落なパスタ屋など雑多な店が立ち並んでいる。大きな電器店の横を折れ曲がると薄暗い路地に入った。有沢はわたしの身を心配してくれて帰るかと尋ねたが、

「いざとなったら大声を出せばいいんだし……、大丈夫」

 そもそもわたしから話を持ちかけたのだから、彼に任せきりにしてはいけない。防犯ブザーをいつでも鳴らせるようにしておく。いざというときの逃げ道を探そうと、あたりを見回した。浅黒い顔をした老人が御座を引いて、ガラクタとしか思えないような品を並べている。段ボールにつたない文字で値段が書いてあるが、いかがわしい臭いがすえた体臭に混じって流れてくるような気がした。確かにここならピンホールカメラだって手に入るだろう。

「ここに高校生くらいの女の子はこなかった? 背は……」

 有沢はわたしを見る。言葉を引きついで、

「私と同じくらい」

 と言った。それを聞いて老人は睨み付ける。黒猫が一匹、わたしの目の前を通った。

「あんたら、デカか?」

「いやいや、違うよ。僕は……その娘の友人でね。いなくなってみんなで捜し回ってるんだ。ほら、ここ複雑だろう? どこかで迷子になったんじゃないかと思ってね」

 有沢はにこやかに言う。すると老人の目から警戒の色が消えたものの、横柄な態度はそのままだった。まるで蝿でも追い払うかのような、

「だったらここで訊いてもムダだ。さっさと行きな。商売の邪魔だ」

 というがらんとした路地に響き渡る。有沢は、

「他に知ってる人、いませんか?」

 と尋ねると、老人は黙って首を振るだけだった。彼はしゃがみこむと、じっと腕を組んで商品を見つめながら、

「……さっきの件とはまったく別なんですが、ピンホールカメラを作る材料はここには置いてないんですか?」

 鬱陶しそうに片目を開けて、

「ないよ」

 と短く答えた。有沢は、

「どこの店に行けば手に入りますかね」

 と食い下がったが、老人は答えない。もう聞き出そうとするのは無理なんじゃないか……。そう思っていると、百円の商品を手に取り、

「これ下さい」

 と有沢がポケットから千円札を取り出した。それを見て、わたしは、

「百円玉ならさっきお釣りでもらったでしょ?」

 と言うと、有沢は唇に静かに手を当てる。

「毎度あり」

 と老人は言うとお札を素早く奪い、あたりを見回す。そして誰も見ていないのを確かめると、安堵したように息をついた。それを見て、わたしは苦笑いを浮かべる。

 老人の台詞を聞いた有沢は、しばらく黙って何か考え込んでいた。やがて急に立ち上がると、

「僕はバカだった! ありがとう」

 といきなり叫んで走り出した。老人は有沢が狂っているかのように見つめる。……無理もない。長年付き合っているわたしでさえ彼が狂人としか思えないときがあるのだ。理由は後で訊くことにして、わたしは置いていかれまいと彼の後を追った。そうは言っても有沢は日ごろ走っていなくて、追いつくのはさほどでもない。

「ちょっと待ってよ!」

「こんなところでいくら訊いて回っても時間をムダにするだけだったんだ」

「どういうこと?」

 彼は口惜しそうに、

「彼女はここにこれるはずがないんだ。だって高校生がこんなところを知るわけがないんだから。ちょっと考えれば解ったのに」

 そして表通りに出ると唐突に座り込んだ。息が上がっていて、汗だくである。わたしも少し喉が乾いていたので、近くの自動販売機でコーラを買った。有沢の分も買おうかと迷ったが……、

「彼女ならどうしただろう? 僕なら知らないことを調べるときは、パソコンに向かう。でも……」

 と早口に呟き始めるのを見て、辞める。彼は一度、考えごとを始めたら周りが見えなくなってしまうのだ。今差し出しても無視されるに決まっている。

「私だってパソコンに向かう」

「でも彼女はまだ高校生だ。パソコンは自由に使えない」

 と言ってわたしに向き直ると、

「萌ちゃん、高校時代どうだった?」

「居間に一台だけ」

「家族共有?」

 もちろんそうだと答える。しばらく考えた後、ケータイをおもむろに取り出した。

「突然電話してごめん。授業中? 今、大丈夫?……それで訊きたいことがあるんだけど……家のパソコンは家族の人と共有? ……うん、うん、ありがとう。それだけ」

 と言って電話を切るとまた次の人に電話をして、同じことを尋ねた。漏れてくる声は女性の声であるが、何を話しているかまでは聞き取れない。

 どんな人なんだろう? わたしが想像していると、湿った風が吹いてきた。その風で街路樹の木の葉がざわざわと音を立てる。わたしは欠伸を一つすると、あたりの様子を窺った。若いカップルが手をつなぎ、幸せそうに歩いているのが目に入る。

 よしと呟くのを聞いて彼に向き直った。

「十人中、九人が高校時代、家のパソコンは家族と共有してたらしい」

「年代は?」

「もちろんできるだけ同年代の女の子を選んだ。うち二人は現役の女子高生だよ」

「よく知り合えたね、女子高生なんかと。どうやって騙したの? 貯金額にゼロを二つくらい足した?」

 と、わたしはからかった。彼の話だとオンラインRPGで知り合ったそうである。しかしテストプレーを頼まれて、プログラム上のアドバイスを何点かしたにすぎないらしい。それを聞いてわたしは心の中で息をついた。

「ここで一つの推論が成り立つ。つまり彼女もパソコンが家族共有だったんじゃないかと」

 もう彼の頭の中では一つのストーリーができているようである。ケータイをいじるのを見て、画面を覗きこんだ。インターネットにつないでいるのを見て納得が行く。

「ケータイでピンホールカメラのことを調べたのね」

「そう、一番手近なインターネットツールだからね。……でもこの方法でお目当ての情報にたどりついたとは思えないな」

「もしケータイのサイトで彼女の欲しかった情報が手に入ったら図書室なんかにこないもんね」

「そう。トップには……ピンホールカメラの撮影会のレポートが出てきた。あと他にはYカメラのサイトとかだね」

 そして溜息をついて、

「せめて作り方を載せてるサイトがトップに出てこれば、彼女がどこに行ったか解るんだけどなぁ」

 何かを心配しているような目をして言った。彼の提案で電器店へと足を運んだが、道中ずっと彼は黙りこくっていた。ときどき自転車のベルが神経質に鳴るが、有沢の耳に入っていないのは確かである。わたしは彼が車に轢かれないかとヒヤヒヤしながら連れ添って歩いていた。


 ケータイの売り場の脇を通り、電器店のエスカレーターを下っていく。天井にぶら下がっている防犯カメラが目に入って奇妙な感覚に襲われた。前を見ると「B1 カメラ・ビデオ」と書かれている案内板が見える。エスカレーターはゆるやかに速度を落としながら、床に近づいていった。白いリノリウムの床に蛍光灯の光が映り込んでいる。当たりを見回すと、子供たちがビデオカメラのレンズを探してはしゃいでいた。

 わたしは彼の肩を叩いて、

「ねぇ、本当にピンホールカメラなんてあるの?」

 しかし彼は真剣な顔をして指を唇に当てただけであった。しばらく黙っているようにとわたしへ厳しく言うと、きょろきょろして店員を見つけて声を掛ける。見るからに暇そうな学生アルバイトだ。

「あのすみません」

 店員は愛想笑いを浮かべて、

「はい。なんでしょう」

「……ここにピンホールカメラって置いてますか?」

「ここには置いてないですねぇ」

「どこ行けば手に入りますかね?」

 店員はうさん臭そうに眉をひそめた。無理もないことである。わたしもバイト先でこんな男にピンホールカメラのありかを聞かれたら警戒してしまうだろう。有沢は微笑んで、

「……ああ、いや、僕は高校で物理を教えててね。生徒たちに虚像と実像の話をしようと思ってるんですよ。ほら、あれは像の結び方が普通のカメラと違うから」

 店員の顔にはまだ信じられないと書いてあった。あたりを見回したが、誰もいないのが解ると困惑した顔つきになる。彼はしばらく視線を宙にさまよわせた後、拳固を作った。心なしか緊張して、汗ばんでいるようである。小さく深呼吸をすると店員は言った。

「そうですね、このあたりでは置いている店はないと思いますよ」

 がっくりと肩を落とす素振りを見せて、自作すると嘆いた。そして大袈裟に溜息をついて、

「しまったなぁ」

 と助けを求めるようにアルバイト店員を見る。今度はなんだろう……。うんざりした気持ちを押し隠している口振りで、

「どうされました?」

「女の子が同じ質問しなかった? 高校生の」

 雑談でもするかのような口振りである。店員はうんざりしたように言った。

「そう言われてみれば……、よく覚えてますよ」

 有沢はわたしへ弁解するように、

「いやね。彼女、僕が受け持ってる部活の生徒でさ、電器店にピンホールカメラ売ってるから見てこいって言っちゃったのさ」

 そう言うと彼はわたしの肩を軽く叩いて踵を返す。

「さ、行くよ」

「どうもありがとうございました」

 深々と型通りのお辞儀をする店員の姿には、どことなく安堵感か読み取れた。

 エスカレーターの真下にある休憩スペースに行くと、有沢は椅子に腰を下ろす。観葉植物がクーラーの風にそよいでいた。自動販売機の盗難防止なんだろうか、「防犯カメラ作動中」と書かれたステッカーが張ってある。わたしは壁にもたれて、瞳のことを考えてみた。なぜピンホールカメラについて調べていたんだろう? 自由研究で作ろうと思ったんだろうか。いや、そうだとしたらあんなに狼狽はしない。やはり後ろ暗いことがあったんだろうか。誰かを隠し撮りしようとしていた?

 いや、そうではないんじゃないか。そう思い、首を振ると有沢は唐突に、

「隠し撮りするんなら普通は男だよ。だけど女の盗撮魔も例がないわけじゃない。温泉なんかだとお金になるから女性の盗撮魔もいるみたいだけど」

「そうだよねぇ」

 と相槌を打ったが、わたしは一言も口を利いていないことに気付いた。それを見た有沢は忍び笑いを漏らすと、

「推理したんだよ。目は口ほどにものを言うってね。それに長い付き合いだから考え方のクセをつかんでるし。……ところで、大学図書館の貸し出し期間ってどのくらい?」

「普通は二週間だけど、今は九月いっぱいまで」

「高校生も?」

「そうじゃないの?」

「ちょっと利用証見せて」

 わたしは財布から利用証を取り出して手渡した。白色の背景にオレンジのラインが引かれている、プラスチック製のカードである。表には顔写真、名前、学部、学科、学籍番号とバーコードが、裏には月並みな注意事項、大学の住所と電話番号が書かれている。

「ありがと。書かれてないね」

 わたしは壁にもたれ掛かると、これからどうするか尋ねた。有沢は考え込むと、

「もうしばらく様子を見よう。僕の推理が正しければ九月中には何か起きてると思う」

 と言うとケータイで時間を見る。午後六時を少しすぎているが、外が明るく夕方だという気が全くしない。わたしは夕飯をどうするか尋ねる。

「面倒だから自宅で簡単に作るよ」

 という上の空で答えるのを聞いて、

「ダメ。そう言うとき絶対、食べないから」

 好奇心をそそられる問題にぶつかるといつもこうなのだ。三日間で食べたものがロールパン一つで、寝るのも忘れたことさえあった。しかもそのロールパンはわたしが餓死すると思って無理やり口に押し込んだのだ。普段もコンビニの惣菜やカップラーメンばかりの極めて健康的な生活を送っている。

 今日はどこにいこうかと考えながら街中を見回した。大通りが一本通っていて、ずっと遠くまで見える。行き交うサラリーマンたちはアスファルトに目を這わせ、できるだけ人と目を合わせないかのようである。これだけ雑居ビルがひしめきあっているが、上の階がどんなことをしているかさえ知らないのだろう。

 交番の前を通ると、アメリカの小説に出てきそうなお洒落なバーが目に入った。値段が手ごろかを確かめると、ドアを開けた。カラン、と乾いた音が一つ鳴った。


 バーに入ると、外国人がカウンターに座り、賑やかに喋っていた。彼らが大柄なせいか、店の中はこじんまりしているように思える。テレビではサッカー中継をやっていた。もちろん英語なので、何を言っているかは映像とときどき聞き取れる単語から想像する他はない。

 わたしたちを見つけて、青い目をしたバーテンが片言の日本語で、

「お二人?」

 とカクテルを作りながら尋ねた。それでもわたしは思わず英語で、

「イ、イエス」

 と答えてしまう。それを聞いてバーテンは微笑した。テーブル席に腰を下ろすと、バーテンがやってきてタオルをくるくると回して差し出す。それを見て有沢は拍手をしながら、上手いと英語で誉めた。わたしも拍手すると、

「サンキュー」

 とバーテンは手品の演目でも終えたマジシャンのようにお辞儀をした。

「メニュー、そこです」

「ああ、どうも」

 日本語で有沢が返して、メニューをわたしに手渡した。そして彼と顔を見合わせて、お互いに苦笑する。カタカナがデタラメで、中には英語を見た方が解りやすいものさえあったのだ。バーテンは怪訝そうにわたしたちを見つめた。

 わたしは何でもないと微笑んで、ハンバーガーを頼む。

「ドリンクは?」

 とさり気なく訊かれ、商売が上手いと感心した。一瞬迷って、財布の中身を計算すると、ギムレットをオーダーする。有沢はメニューを指し示しながら、

「僕はソルティドッグとチキンハンバーガーね」

「解りました」

 と言ってバーテンがキッチンに何やら英語で指示を出した。間もなくしてアルコールが先に出てきて、今日の疲れと成功に乾杯する。薄い緑色と淡い黄色が混ざり合い、神秘的なギムレット。一口飲むと、まずアルコールの鋭い辛さがやってきて、後からほのかな甘みが広がった。歩き回って空きっ腹になったところにアルコールを飲んで、体全体が暖かくなる。

「一口ちょうだい」

 と有沢のソルティドッグを強引に奪って一口飲んでみる。彼に感想を訊かれ、

「あんたみたいな味だね」

「何で?」

「ん? どこから飲んでも塩っぽい味がするから」

 わたしの軽口を聞いて、有沢は乾いた笑いを浮かべた。その後にアルコールの強い辛さに混じり、柑橘の優しい香りが漂ってくる。わたしは有沢にカクテルを返すと、バーテンが料理を運んでくる。それぞれの料理の隣にはサラダとフライドポテトがついていた。

 有沢がサンキューと手をひらひらさせるバーテンはお辞儀をした。そして返されたソルティドッグを飲んで、この塩がいいのにと呟くように言った。うんちくを語られてはたまらない。わたしは、

「それにしても今日は運がよかったね」

 と話題を変える。有沢はフライドポテトをナイフで半分に切り分けてから口に運んだ。

「運もそうだけど、あそこの店に来てたってのは見当付いてたよ。まぁ店員さんに訊いたのは確認だね」

 わたしはフォークでそのまま突き刺すと口に入れた。

「なんで? わたしにはさっぱり」

 有沢はカクテルを飲むと、笑いながら、

「つまりね、萌ちゃん。僕に相談していなかったらまずどこに行くつもりだった?」

「あっ、そうか! あの娘も同じことを考えてたのね」

「その通り。ピンホールカメラなんて普通の人じゃそう簡単にお目に掛かれるもんじゃない。そこで彼女は何を考えたか。カメラと一緒に電器店に置いてあると考えたのさ」

 有沢は早々にソルティドッグのグラスを開けて、お代わりを注文した。わたしはその姿を黙って見詰めながらギムレットを一口飲む。

「でもそんなに簡単に手に入ったら、もっと犯罪があるから……という考えはなかったの?」

「なかったんじゃないのかな? 人によってものの見え方は違うからね。同じものを見てても」

「知識がないってこと?」

 バーテンがソルティドッグを持ってくると、一口飲んで、

「んー。そうじゃなくて、やっぱりどんな経験をしてきたか、じゃないのかな? そして大事なのは、僕たちがどんなに異常と思える考えでも、その人の中じゃ極めて正常な考えだということなんだよ。逆に言って理解できないのは僕たちがまだその人の考えの中に入り込んでいない証拠さ」

 明らかに酔って饒舌になっている……と感じてわたしはカクテルを飲んだ。

「感情移入ってこと?」

「違う違う。こういった場では感情移入はすごく危なっかしいんだよ。だって感情移入は、お互いが同じ気持ちであることに基づいて理論を組み立ててるよね。僕がもしその人だったらすごく悲しいっていう風にね」

 わたしはうなずいて、ギムレットを飲む。有沢もソルティドッグを飲んで、

「じゃあ聞くけど、〈お互いが同じ気持ちだ〉ってどうして言えるの? 僕はそんな砂漠の上に城を建てるようなことはできない。……おーい、聞いてる?」

 酔った有沢は毎度のように、わたしの手や頬をペタペタと触り始めた。酒癖が悪いというよりはわたしが確かに今、ここにいるかを確かめたがっているように思える。それで彼の心が落ち着くのならいくらでも触らせてあげるし、わたしも好きな男性に触られて悪い気はしないのだが、面倒なのでわたしからは触り返さない。

 わたしは酔いが回ってきたので、ギムレットを脇に除けてサラダを食べ始める。

「じゃあ、どうしたらいいの?」

 相変わらず有沢はグラスを傾けながら、

「相手の考え方のクセをつかめばいい。手がかりはいくらでもあるよ。例えば振る舞い、表情とかね。気持ちは否定できても、行動はウソをつかない。そこからできるだけ厳密に考えればいいんじゃないかな? みんな振る舞いだけを見て、他人と同じだって思い込んじゃうんだよ」

 と言うが、カウンター席の外国人は興に乗ってきたらしく、ともすれば大声で掻き消されてしまいかねない。わたしは身を乗り出して、大声で、

「でもそれだってある意味では考え方のクセでしょ?」

 有沢は痛いところを突かれたというように、バツの悪そうな表情を浮かべた。

「まぁ、そうなんだけどね。だから話半分くらいで聞いてもらえれば……。それともう一つ、延長貸出もキーポイントだったね」

「あれが?」

 わたしは驚いて聞き返した。有沢は空になったカクテルのグラスを淋しそうに見やると、脇に追いやる。氷がカランと涼しげな音を立てた。

「こういうことさ。さっき萌ちゃんの友達が延長を申し込んでたって話をしていたろ? ということはまだそのピンホールカメラについての本はまだ使うことになる」

「当たり前じゃない。読み終わったら普通は返すから」

 わたしはそう言うと腕を組んだ。

「不要になるのはどういうときか。ピンホールカメラが手に入ったときだよね」

 身を乗り出して、わたしは、

「ということはまだピンホールカメラを作り終えていないのね」

「彼女は自作のピンホールカメラを諦めたんじゃないのかな。じゃなかったらこんなところに来ることもないだろうし。まぁもっと待ってから結論を出さないと、それこそ砂の上に城を造るようなものだからね」

 そのうちにカウンター席では立ち上がって、何事か叫び始めた。有沢は苦笑すると

「早目に食べて出ようか」

 と片一方の耳を抑えながら言う。こんな騒がしい中で何を言っても掻き消されてしまう。そう考えてわたしは何も言わずただ首を縦に振った。

第二部、消失

 事態の進展は意外と早く、二日後に見られた。夕方、わたしがレポートを仕上げようと、図書館の椅子に座っていると、二人の刑事が附属高校に入ってきたのである。

 やがて物珍しそうに生徒たちが群がってきた。筋肉質の男性教師が出てきて、何やら野次馬たちに話すと、彼らは悄然として散っていったのである。その後、強張った表情で刑事たちと話し込んでいた。

 この時間帯からすると、誰かが尾崎豊の歌詞よろしく夜の校舎に忍び込んで窓ガラスを壊してまわったわけではなさそうである。もちろん盗んだバイクで走ったわけでもないのだろう。

 わたしはそんなことを考えながら、資料を返そうと立ち上がった。

「あ……」

 瞳を見かけてわたしは呟いた。窓際の席に座っているものの、別に熱心に本を読んでいるわけでもない。その少し上ではブラインドを降ろす紐が左右に大きく揺れている。彼女はわたしを見かけると、少し戸惑った後で軽く会釈をした。

 わたしも微笑むが、それだけに留めておいた。わたしは本棚へと向かうと、小さく息をつく。

 自嘲気味に笑うと、軽く肩を回した。座席に戻って、レポート用紙を片づけているとさっきの刑事が入ってくる。話しかけられた司書はあたふたと事務室に駆け込んだ。ここからではやりとりが聞こえないが、しばらくして硬い声でアナウンスが流れる。

「附属高校の古池さん、古池瞳さん。至急カウンター前までお越しください」

 それを聞いて瞳が首を傾げながら立ち上がったが、刑事を見て瞳の顔色がさっと青ざめた。わたしは立つと、検索端末で本を探す振りをしながら、耳を傾ける。どうやら連行しないところを見ると被害者か加害者かのクラスメイトなんだろう。

 男子高校生の写真を見せて、何やら訊いている。しかしそれを見た途端にガタガタ震え出す。刑事が優しく微笑んでも、全く効果はない。やがて刑事たちは顔を見合わせて、肩をすくめる。瞳は刑事が図書室から出ていくのを震えながら見送っていた。

 彼女はわたしに気が付くと、何か言おうとする。

「どうしたの? 何かあった?」

 わたしは微笑んで話しかけた。彼女は、

「わたし……」

 と言い淀んでいる。

「別に言いたくなかったらいいけど」

 そうわたしが言うと、目を逸らしたが、やがて意を決したようにこう言ったのだった。

「わたし……盗撮されてたんです」

 と。

 穏やかな話ではない。場所を移す提案をすると瞳は黙って頷いた。


 外国の専門書のフロアに入ると、埃っぽさとカビ臭さがインクの臭いに混じって漂ってきた。さすがにここはエアコンのダクト音が聞こえるだけだ。本来は学生のために置いてあるのだが、生憎わたしたちは洋書なんて読みはしないのである。

 普段はスペースのムダだと思っているのに、こういうときにはフロアのありがたみを感じる。そんなことを考えながら、わたしは椅子に腰を下ろした。瞳は席を一つ空けて座ると、うつむく。

「そう言えばまだ名前を訊いてなかったね」

 カバンを見て知ってるけど、と心の中で付け加えた。この場面ではムダな警戒心を抱かせないほうがいいだろう。

「古池瞳です。あの……あなたは?」

 上目遣いで訊かれ、わたしは名乗った。連絡先までは訊かれない。

「それでピンホールカメラの本を借りてたのね」

「はい」

 と言って瞳がハッと顔を上げると、少し血の気が戻っていた。身体の震えは収まっていたが、目は今にも泣き出しそうである。やがて彼女の青い髪飾りがまた小刻みに震え始めた。

「どうして……知ってるんですか」

「……話しかけたときに見えちゃって。ごめんなさいね」

 彼女から目を逸らすと、机の上に刻まれている十字架の傷が見えた。瞳に向き直り、気が付いたのはいつかと尋ねると、

「先週の月曜です。その日にお巡りさんに相談しました」

「刑事さんは捕まったって言ったのね」

 瞳は黙ってうなずいた。この時点で逮捕はできないから、おそらく任意同行だろう。

「あの写真の子、知ってるの?」

「隆一君……吉川隆一君。クラスメイトです。さっきわたしの家の前をうろうろしてたと刑事さんは……」

 そう言うと、ボソリと呟く。

「そんなことする人じゃないのに」

 わたしはそれを軽く聞き流した。

「見つけたときの様子を詳しく話して」

「でも……」

「何か役に立てるかもしれないでしょ?」

 瞳は目を宙に這わせていたが、うなずいた。

「……はい。母がわたしの部屋を掃除していると、ぬいぐるみをうっかり落としてしまったんです」

「そしてその中からピンホールカメラが出てきたわけね。そのぬいぐるみは彼からもらったの?」

「はい。一回、クラスメイト四人で遊園地に遊びに行ったことがあるんです。そのとき、ゲームセンターで取ってもらいました」

「取ってすぐに渡された?」

「はい」

「トイレにも行ってない?」

 瞳はしっかりとうなずいた。

「その後、ぬいぐるみを隆一君に渡したことはない?」

「あ、一回だけ。でもすぐに返してくれましたし、後で確かめましたが何も変わったところはありませんでした」

 理由は何だったのか尋ねると、演劇部の小道具に使いたかったそうだ。結局、小さすぎて使えなかったらしい。カメラはそのときに仕掛けられたんだろうか。何も変わったところはないと言っても瞳が気付いていないだけだったのかもしれない。

「どんなカメラだった? ……例えば大きさとか」

「マッチ箱くらいでした」

 少し大きすぎやしないだろうか、とも思ったが何も訊かなかった。

「刑事さんはなんて言ってた?」

「作りは粗いそうです。高校生でも知識さえあれば作れそうだって言ってました」

「遠隔操作については?」

「遠隔……捜査ですか?」

 きょとんとして瞳がオウム返しに訊いた。

「ええ、だってわざわざあなたの部屋にまで行ってシャッターを切りに行くなんてことはしないでしょう?」

 納得したような顔つきになったのもつかの間、瞳は首を振った。おそらく警察は遠くからシャッターを切る仕組みについても知っているはずである。わたしは、そう、と言って後をうながした。

「それで動転した母がお巡りさんに相談したんですけど……」

 しばらくためらっていたが、わたしが後を促すと、こう言ったのだった。

「あの、信じてもらえないかもしれませんが、お巡りさんがわたしの部屋に入ったらカメラはなくなっていたんです。そして彼の部屋から出てきたとのことでした。幸いフィルムには何も映ってなかったみたいですけど」

 わたしはにわかには信じられなく、思わず、

「それは彼が作ったものに間違いない?」

 と訊ねる。それに対して、瞳はしっかりとうなずいた。わたしは一瞬さむけを覚えたのち、辺りを見回した。ほっとして瞳に向き直ると、彼女は説明を続ける。

「隆一君の指紋が付いてたそうです。それに何より、彼が作ったと認めているんです」

「部屋は鍵をかけてる?」

「はい」

「その時もかけてた?」

 もう一回うなずいた。母親はどうして入れたのかと訊くと、少し苦々しい表情を浮かべる。

「鍵といっても簡単なもので、トイレの鍵と同じ仕組みなんです」

「つまり勝手にあなたの部屋に入ったのね」

 と訊くと、瞳はうなずいた。いつもそうなのかと訊きたかったが、瞳の顔を見ていると、言葉は出なくなってしまう。

「……あのう、わたし刑事さんに呼ばれているので失礼します」


 日曜のオフィス街は平日の活気がウソのようだ。のんびりと歩きながらコンビニの角を折れる。有沢が自宅兼オフィスとして使っている雑居ビルが見えてきた。

 地下一階のジャズ喫茶からは洋学が流れてきた。それを聞きながら、わたしは共同トイレの横を通って奥の部屋へと向かう。まだ寝ているらしくらしく、灯りが点いていない。別に急ぎの用でもないし、そもそも彼に頼ることが筋違いのような気もする。そんなことを考えながらもノックをしてみるが出てくる気配がない。胸騒ぎを覚えて、そっと入った。

 有沢の名前を呼びながら左右にそびえる本棚を通ると、ようやく生活感が漂ってくる風景になってきた。真ん中にはコーヒーテーブルがあって、それを挟んでソファーが置かれている。部屋の角にある机には、ノートパソコンが乗っかっていた。

 しかし見回しても彼の姿は見えない。ケータイを取り出してみたものの、

「まぁいいや。どうせトイレにでも行ってるんでしょ」

 と呟くと、わたしは近くにある丸椅子に腰を下ろした。流れ図なんだろう、菱形や楕円が描かれている紙がある。仕事の真っ最中だったらしく、ふたの開いた赤ペンが机の上に転がっていた。フタを閉めると、その近くに伏せてあった江戸川乱歩の文庫本が目に留まる。

 ふとパソコンのディスプレイに目を向けると、女の子が着替える場面が映し出されていた。女子大生のアパートを隠し撮りしようとする、ただそれだけのゲームらしい。

何をして待っていよう。机の上は相変わらずごちゃごちゃしていて下手に片づけられない……。また後でこようかと考えていると、後ろで扉が開く音がした。振り返ると幽霊のような顔をした有沢が立っている。

 どうしたのか訊くまでもない。このアダルトゲームのテストプレーが古傷をえぐったのだ。

 というのも彼はある事件がきっかけで、強姦された女性と関わりあうことになった。もちろん初め、有沢は犯人を憎んだ。しかし性的な欲望そのものまで憎むようになっていったのである。それで強姦とセックスの境界がぼやけてしまっている。

 いつまでこんなことで悩んでいるんだろう? という苛立ちはある。だが、こればかりは解決するのは彼自身なのだ。悩みを完全に引き受けることはできない。彼がその女性の問題を引き受けることができないのと同じように。

 ともあれ今にも倒れそうな有沢を抱きかかえて、ソファーまで運んだ。そして立ち上るとコップに水を注いで、安定剤を渡す。

「飲んで」

 今、彼にしてやれるのは薬を飲ませることだけだ。

「でも……」

「でもじゃないの、飲みなさい」

 有沢はのろのろと薬を口の中に放り込んだ。わたしはその隣に寄り添って座ると有沢を見る。唇を震わせているが、すぐに真一文字に口を閉ざしてしまった。しかしまだ何か言おうとして俯く。

「言いたくなければ言わなくてもいいよ」

 そしてショルダーバッグから烏龍茶を取り出すと口をつけた。苦みが口いっぱいに広がる。わたしはペットボトルをコーヒーテーブルの上に置いた。茶色い葉が底に沈んでいる。彼は押し黙っていた。女性にも性欲はあるのだ。しかし今、そんなことを言っても有沢を余計に混乱させるだけである。

「ねぇ断ったら? 今回は」

 と言うと、有沢は苦笑して、

「まだ学生だね。なんだかんだ言っても」

 クーラーの冷たすぎる風がわたしの頬を直撃している。それに耐えながらどういう意味かと聞いた。

「いったん引き受けておいて断ると、次から仕事がこなくなるかもしれないんだよ。先方は僕のトラウマなんて関係ないから、納期までに何としてでも終わらせなきゃいけない。そしてできないのは技術が足りない証拠だ」

 そして皮肉っぽく笑うと、

「……特にこういうのって確実なマーケットがあるからねぇ」

 アダルトゲームに嫌悪感を覚えている男はできそこないであるかのように言う。薬が効いてきたらしい。眼がとろんとし始め、わたしにもたれかかってきた。

「変なこと考えないでよ」

 と呟いて軽く押し退けるが、そのことが災いして頭が膝の上に落ちてきた。

「動けないじゃない」

 しかし、気持ちよさそうに寝ている彼を起こすのは気が引ける。わたしは枕を探そうと部屋を見回したが、そんな気の利いたものがあるわけがない。だいたいこの家には髭剃りすらあるか疑わしいのだ。

 わたしは枕を探すのを諦めると、

「それにしても……、カメラはどうやって持ち去ったんだろう?」

 と大きな声で呟いて、邪念を振り払った。


 有沢は一時間ばかりで目が覚めた。わたしがトイレに行きたくならなかったことが救いである。目を落とすと、

「重たいんですけど」

「あ、ごめん」

 そう言うと慌てて、彼は頭を上げた。わたしの膝が急に冷え始めて、膝をさする。それを見て有沢は、黙って毛布を渡した。礼を言ってそれを膝に掛ける。

「いや謝らなくてもいいんだけどね。彼氏なんだし」

 と言いながら腰を軽く左右に回した。別に痺れてはいないのだが、彼のムダに|(あくまでもムダに、である!)|知識の詰まっている頭を支えていて、腰が疲れてしまったのである。

「それであの例の娘、何か進展あった?」

「それなんだけどね、本格的にあんた好みな事件。一応、明日また会う約束をしたんだけど……」

「僕好み?」

 瞳とのやりとりを身を乗り出して説明すると、有沢は足元をじっと見ながらふうんと言っただけだった。まるで関心のないような、あっさりとした返事にわたしは驚く。まだいつもの調子が戻っていないのだろうか。

 驚かないのかとわたしは訊ねた。有沢はきょとんとして聞き返す。

「驚くって? あぁ、警察が何でそのクラスメイトを盗撮魔と思ったか? まぁ、警察のやり方じゃ苦手な事例だとは思うけどね。それこそさっきの話じゃないけど、そんなのは冤罪の理由にはならない」

 皮肉で言っているのか、素直に言っているのか解らない。わたしは彼の口振りに苦笑した。有沢は立ち上がると、背伸びをする。その拍子に膝をコーヒーテーブルにぶつけそうになり、あわてて引っ込めた。

「まぁでも気が付いてしまったものは仕方ない」

「それじゃあやっぱり……」

 彼は肩をすくめると、クーラーを切って窓を開ける。涼しい夜風がわたしの頬を撫でた。その風で資料がひらひらと舞い上がる。有沢は慌てて拾うと、その場にあったコップを重石代わりに乗せながら、

「盗撮した人は他にいるよ。もっとも頭の硬い警察の連中にはかなりの情報を与えなきゃ気が付かないだろうけどね」

 そしてボソリと呟くように言った。

「でも僕の予想してたのとはまた違った展開だったかな。まぁいいけど」

 まったく、窓を開ければ紙が飛ぶことくらい解らないのか。全くバカなんだか頭がいいんだかと呆れながらも、わたしは訊かずにはいられなかった。

「どんな予想をしてたの?」

「その娘が誰かを盗撮しようとしてるんじゃないかって思ったのさ」

 わたしは驚いて、

「なんのために?」

「そこまでは解らないけど」

 と肩をすくめる。

「でもピンホールカメラの作り方を借りるなんて限られてくるじゃないか。趣味? 自由研究? クラブ活動? それならもっと堂々と言うよね。つまり、この娘は何か後ろ暗い目的があったと推測したのさ」

「あれは私の印象で……」

 とわたしは戸惑って言った。

「もちろん、そりゃそうさ。それに彼女の性格を知らないから推測の粋を出なかった。極度の人見知りってこともあるしね。でも万が一ってこともあるだろう? 勘違いなら笑ってすませられるけど、ことが起きてからじゃ遅いから」

「だからあんなにしてまであの娘の行方を探してたのね」

「そういうこと。でも……」

 ふいに有沢の表情に影が落ちる。

「不安なんだよ。彼女に深入りしそうで」

「引きずられないかってこと?」

 彼は暗い顔でうなずいた。わたしは強いて微笑んで、

「大丈夫だって」

 と励ます。そしてそのことを考えさせないようにと話題を変えた。

「それにしても情報って?」

「うん、情報さ。まぁ僕も仕事が立て込んでて動けるかどうかは分からないけど、話を聞くだけならできると思うよ」

 そう言ったきり黙ってしまった。顔を覗き込むと、哀しそうな目をしている。しかし口許は引き締まっていた。


 瞳は待ち合わせ場所に附属高校の裏門を指定した。誰かに見られると困ると言う。

 その言葉を頭の中で反芻しながら、わたしは子供の手を引いて帰るを眺めていた。幼稚園からは「遠き山に日は落ちて」のゆったりとしたメロディーが流れている。壁にもたれると景気づけにipodで明るい曲を聞いた。液晶ディスプレイには18:00と表示されているもののまだ外は昼間のように明るかった。

 サビの部分に入るとわたしはイヤホンを外した。そして溜息をつくと、校舎を仰ぐ。そこから自転車を引く音が聞こえきた。目をやると、瞳の姿がぼうっと映し出されて、段々と輪郭がハッキリしてくる。

「すみません、待ちましたか」

 それには答えずにっこりと微笑んでわたしは、

「行きましょうか」

 とipodをショルダーバッグの中に入れた。瞳は小さくうなずくと、隆一が取り調べを受けている警察署へと歩を進める。その道すがら、状況を確かめることにした。

「えーと、ピンホールカメラの入った縫いぐるみをお母さんが部屋を掃除してたときに見つけた。ここまではいい?」

 瞳は小さくうなずく。

「……ねぇあなたのお母さんって束縛したりする?」

 母親が子供の世話を焼きたがるのは当然のことだ。しかし行きすぎるとケータイのメールを見たりと、子供とのいさかいの火種になる場合が多い。それを考えると、今回の件も母親が娘の部屋に監視カメラをしかけているのはありえる話である。なぜわざわざ警察に報せたのかは別としても。

 それを聞いて瞳はムッとした顔つきになった。

「母を疑っているみたいですけど、それなら何でお巡りさんなんかに言ったんですか? こっそり回収すればいいでしょう」

 話しているうちに興奮してきたらしく、身振りが大きくなった。やがてわたしへの不満が一気に噴き出したようである。周りの視線がわたしたちに注がれたが、みんな一瞬足を停めただけだった。

「だいたいあなた何なんですか!」

 と瞳は叫んだ。

「お節介ですよ、はっきり言って。わたしがどんな本を借りたっていいでしょう。違いますか? わたしにつきまとわないで下さい」

 自転車に跨がるとわたしを睨んで瞳が言う。あえて逃げないところを見ると、言いたいことだけ言おうという腹なんだろう。黙っているわたしを見て続けた。

「言いたいことがあるならはっきり言ったらどうなんですか?」

 わたしはそれにも応えず、ただ真直ぐ視線を投げかける。やがて目をそらして自転車をこぎ始めた。どうやら彼女に嫌われてしまったようである。

 壁にもたれ掛かって、ipodでまた音楽を聴き始めた。適当に選曲するとあらかじめ入っていた、静かな音楽が流れ始める。わたしはれを聴きながらゆっくりと家路へ向かった。 警察署には明日一人で行こう、と思いながら。

 歩いていると鼻の頭に冷たいものが落ちてきた。空を見上げると雨雲が空を覆っている。天気予報も警察もアテにはしてはいけない、という教訓を得た。


「あれ? 萌。今ご飯?」

 と学食で独りラーメンを食べていると、麻美が入ってきて声をかけた。昼下がり、まるで紫色の催眠ガスでも漂っているかのようである。文庫本を読みながらうつらうつらする学生、机に突っ伏してあられもない格好になってしまっている学生などが目に入る。その空気に飲み込まれたらしい。わたしは眠気を抑えながら、

「時間ずらすようにしてるんだよ」

 と言った。それを聞いて、麻美はうなずく。

「混んでいるとイヤになるもんね」

「そうそう」

 わたしは適当にうなずくと、彼女は身を乗り出す。好奇に満ちた目でわたしを見て、訊いた。

「ねぇ、あの後どうなった?」

「あの後?」

「盗撮のこと」

「あぁ……あれね」

 わたしが言い淀んでいると、麻美は首を傾げた。そしてカバンからサイダーを取り出して、飲み始める。浮かんでは消えていく泡を眺めながら、昨日のことを思い出した。自嘲してふっと短い笑いを漏らした。それを見て、麻美は訊ねる。

「あんまり進んでない?」

「えぇ、まぁそんなところ」

「……そういえばあの娘、今日も図書館にいたよ。誰かを探してたみたいだったけど、萌を探してたんじゃない?」

 わたしは礼を言った。何でこんな時間にいるんだろうと少し疑問に思ったが、考えてみれば、テスト期間中なのかもしれない。そんなことを考えながら、食事を早めに切り上げる。

 行ってみると瞳は図書館の入口でうろうろしていた。わたしを見つけると一瞬、顔が明るくなって駆けてきたが、すぐ気まずそうに頭を下げた。

「……昨日はごめんなさい。ついイライラしてしまって……」

「私の方こそお節介と感じたんならごめんなさいね。でも、あなたを想ってるだなんて見えすいたウソは言うつもりはないわ。そんなものはどこかの偽善団体の台詞だもの。私が後悔しないように声を掛けただけのことよ。だから私はあなたに嫌われてでも自分の道を進むわ」

 たとえ有沢と別れることになっても自分の意志を貫くつもりである。……もちろん彼の力をほぼ毎回借りることは反省しているけど。

「それで昨日の話をしましょうか」

 わたしがそう言うと、瞳は頷いた。

「その間、部屋はあなたとお母さんの他には誰も入っていない?」

「はい」

 屋根裏部屋を伝ったのだろうかとも思ったが、すぐに頭から追い払った。そんなことをしたら足跡など何らかの痕跡が残るはずである。こんなことが頭をよぎるのはこの間、江戸川乱歩を読んだせいだろうか。そう笑うと考えを進めた。

 やはり母親か瞳のどちらかということになる……。

「ねぇ前々から気が付いていたんじゃない? だからピンホールカメラについて調べてたんでしょう?」

 わたしが言うと瞳は弱々しく笑った。

「親には相談できなかったんですよ。心配かけたくなくて」

「なるほど。その縫いぐるみってどこに置いてあったの? 本棚の上?」

「机の上です。手許に置いてあります」

「手許? 勉強するときは奥にやったりしないの?」

「いえ、しません」

 彼女は硬い顔をして言う。なんとなく気まずくなって、わたしは図書館に目をやった。ブラインドが下ろされている窓が目に映る。わたしは瞳に視線を戻した。

「そうそう、もしよかったら遊園地に行ったときのメンバー聞きたいんだけど……ダメよね、さすがに」

 断ると思いきや、彼女は、

「ちょっと待ってください。聞いてみます」

 そう言うとケータイを取り出して、電話をかけた。ケータイには大きく代替機というシールが張られている。協力的すぎやしないだろうかと訝りながらも、首を振った。惚れた相手が捕まっているのだから当たり前なのかもしれない。そんなことを考えながら瞳を眺めた。

「えーと、悪い人じゃないと思う。……お願い。……じゃあ明日、校門の前で。ありがとう、本当に」

 そう言って電話を切ると、

「連絡先は教えられないそうですが、会うだけならいいとのことでした。……あとの一人は後でメールしておきます。この時間は塾なんですよ」

 と言い訳する子供のように言う。しばらく並んで歩きながら次の質問を考えた。だいたい仮説もないのに質問のしようがない。瞳はときおり、わたしの顔を流し目でチラチラと見て、神経質そうに爪を噛んでいる。そういえば今まで気がつかなかったが、親指の爪だけがボロボロだ。

 威圧感を醸す建物が見えてきた。何か大きなものをすっぽりと覆ってしまう影のようである。自動ドアをくぐると、薄暗くて湿った空気が漂ってきた。防犯や麻薬防止を呼びかけるポスターが目に飛び込んでくる。その中で女性は誰にも向けられていない微笑みを浮かべていた。

 瞳はカウンターに駆け寄り、

「あの、隆一君のクラスメイトなんですけど」

 と受付の婦警に言うと、事務的な様子で名前を訊く。

「古池瞳です」

 わたしを見つけると、慇懃に、

「お名前は浅香さんでしたっけ」

 と言うのを聞いて、黙って頷いた。

 無理もない。有沢が警察のいい加減な捜査に呆れ果てて、時々解決に導いているのだ。その上「こんなことは小学生でも解りますよ」という台詞を言っていれば、彼と一緒にいるわたしの名前も覚えられるだろう。

 婦警の表情を見て瞳はきょとんとする。わたしは苦笑しながら、手を振った。

「……あぁ、いいのいいの。知り合いがね、警察じゃちょっとした有名人なんだ」

 と言いながら受け付けの婦警に歩み寄る。机の上には書類が積み上げられているが、崩れる気配も見せない。それを横目で見ながら、ショルダーバッグをカウンターの上に置いた。しかし不安定な場所に置いてしまい、今にも落ちてしまいそうでだった。それを左手で押さえながら、

「隆一君にお会いしたいんですけど」

 と言った。すると婦警は電話機を外すと、

「受け付けですが、少年課の大島警部補お願いします。例の窃視の案件で、古池さんがきてます。……でもあの娘も一緒ですけど、追い返しますか? ……解りました」

 と受話器をがちゃりと置いた。そしてわたしの方を見ると、少し待つように告げて、ソファに掛けるように促される。言われなくてもずっと警察署で待ち続けるつもりだった。


 しばらくすると、足音が響いてくる。それと同時に、階段を降りてくる人影が見え、わたしは立ち上がった。たるんでいたショルダーバッグの紐がピンと張る。やがてスーツ姿の優男が曲がり角の向うから現れた。

 先日、学校にきた男の上司だろうか。そんなことを考えながら、彼をじっと見る。大島豊だと名乗ると、顔に微笑を貼り付けながら言った。

「あなたですか。被疑者に会いたいと言ってるのは……。あぁ名前は知ってますよ。あなたがたはちょっとした有名人ですから。浅香萌さんでしたね」

「問題児じゃなくて、ですか?」

「とんでもない。君たちの助言にはいつも感謝していますよ」

 と大げさに肩をすくめる。しびれを切らしたのか、瞳が詰め寄った。

「あ、あの隆一君は……」

「古池さん。どうしてそんなに彼をかばうんですか。彼はあなたを隠し撮りしてたんですよ」

「何かの間違いでしょう。調べ直して下さい」

 このままではいけないと、わたしが割って入る。

「一つ確認しても構いませんか。彼は任意同行なんでしょう? だったらいつでも帰れるはずですよね」

 今まで暗かった瞳の顔が明るくなった。一方、婦警たちはわたしに勝ち目がないと解ると作業に戻り始める。

「最初はね。しかし古池さんの家の周りをうろついてたので、話を聞こうとしたら逃げ出しましてねぇ。そのときに暴れたものですから公務執行妨害で逮捕したんですよ。こっちもできるだけ穏便にすませたかったんですけど」

 さも仕方がなかったかのように首を振った。無実の罪を着せることが公務なんですか? 皮肉の一つでも言いたくなったが、黙っておいた。皮肉を呑み込んだところで腹痛になりはしない。

 わたしが相手の出方を窺っていると、

「ともかく彼は被疑者です。釈放するわけにはいきません。それにまだ少年法で保護されていますので、やすやすと情報提供はできないんです」

 とぴしゃりと言って、踵を返した。指紋などの情報は聞き出せそうにないなと、心の中で溜息をついた。瞳の泣きそうな顔を見て、わたしは彼女の肩を叩いて安心させる。そして大島の背中に声をかけた。

「最後に一つだけいいでしょうか」

 鉛のスーツを着ているかのような足どりを停めて、振り向いた。案の定、彼はうんざりしていた顔つきでわたしを見る。

「何ですか?」

「もし彼が犯人だとしたらカメラはいつ、どこに消えてしまったんでしょうか」

「それは……」

 大島は言い淀んだ。この謎は警察でも頭を悩ましているらしい。しかし得意げに言ってはみたものの、わたしも明確な答えが解っているわけではない。手がかりはわたしの方が警察よりも少ないのだ。

 大島はすばやく体勢を立て直すと、

「取り調べ中です。追い追い解っていきますよ。余り捜査の邪魔をするとあなたも公務執行妨害で逮捕しますよ」

 そういうあなたは脅迫になりますよと喉から出かかったが、ぐっと堪えた。

「それでは失礼」

 切り口上でそう言うと、足音を響かせながら廊下の奥に去ってしまった。とりつく島もないどころか無人島にでも流された気分である。

第三部、過去

 翌日、高校の正門に行くと瞳たち三人が来ていた。後ろで髪を束ねたセーラー服姿の子が、駐車場のブロックに腰を下ろしている。彼女と気だるげに話しかけているブレザー姿の男の子の姿が見えた。瞳はその傍らで自転車を停め、きょろきょろしている。後ろには蛍光灯の点いた校舎が静かにたたずんでいた。

 わたしを見つけると、瞳が軽く頭を下げる。わたしが駆け寄ると、女の子は立ち上がった。さっきまでは顔までは解らなかったが、近くで見ると整った顔だちをしている。彼女は一歩下がると、何も言わず丁寧にお辞儀をする。

「はじめまして」

 男の子は身を乗り出して、頬を紅潮させながら一気にまくしたてる。いつも退屈しています、とゴシック体で顔に書いてあった。

「僕は浅井真佐夫と言って、隆一君と同じクラスです。で、この子は川岡美子と言って……」

「吉岡君と同じ科学部です」

 と遮って真佐夫を睨んだ。わたしはそれに気付かない振りをして自己紹介をすませる。真佐夫はわたしが法学部だと知ると、身を乗り出してきた。

「じゃあ弁護士さんの卵ですか?」

「みんながみんな試験を受けるわけじゃないけどね」

 わたしがそう答えると、美子が遮って、これからどうするのか訊いた。その声にはかすかに刺を含んでいるが、真佐夫は気付かないようである。わたしの答えを期待して、目を輝かせていた。

 美子は傍らで口を開きかけたが、諦めたらしい。呆れたような表情にとって変わった。わたしは頭の中で財布の中身を計算して、

「とりあえずどこか入りましょうか。いろいろ話を聞きたいし」

 と言った。美子はあからさまに顔を曇らせて、持ち合わせがないことを詫びる。

「……あぁ、私が出すからいいわよ」

 美子はどう断わろうか考えているらしく、アスファルトに目を這わせている。そこへ真佐夫が頭の後ろで手を組んで、

「いいじゃないか。おごりなんだし。俺は行くぜ」

「あ、わたしも行くけど……」

 と遠慮がちに瞳が手を挙げる。彼らを見て、美子は溜息をつくと渋々ながらも頷いた。

「仕方ないわねぇ、私も行く」

 それを聞いて、瞳の顔から笑みがこぼれたのだった。

 三人はとりとめのない話題をしながら、通りを並んで歩く。コンビニの前を通ると高校生たちがたむろしていた。それを見て、わたしは心の中で短く笑う。通り越すとケータイショップの直売店が見えてくる。

 真佐夫はふいに瞳へ訊いた。

「そういえばケータイっていつ戻ってくるんだ?」

「う、うん、来週だよ」

「気をつけろよなぁ。ケータイを洗濯するなんて」

 真佐夫は笑いながらそう言う。瞳のケータイが代替機だったことを思い起こして、わたしはひとり納得した。ふと瞳が押し黙っていることに気付く。どうしたんだろうかと横目で見ると唇を噛んでいた。

 誰でも一回はあるとフォローしよう。割り込む機会を窺っていると、美子が言った。

「そんなこと言わないの。デリケートなんだからね、女の子は。ねぇ瞳」

「あ、悪い悪い。そんなつもりじゃなかったんだ、まぁ俺もやりかけたことあるしさ」

 頭を掻きながら真佐夫が言う。男はいつも軽率なことを言って女を傷つけるが、それにすら気が付いていないのだ……。そんなことを考えながらハンバーガーショップへ向かった。


 店のドアを押すと、フロア全体が一望できる。若い男女が何組か座っているだけだ。食時をするには中途半端な時間帯らしく、店員たちものんびりとしていた。わたしはできるだけ隅の席にバッグを下ろすと、カウンターまで行った。いくつくらいだろう? 妙に間延びした挨拶を聞いて、店員の顔を見ると瞳たちと大して変わらない年ごろの娘だった。薄化粧をしている。

 わたしはさり気なく真佐夫たちに先を譲ると、彼らは大げさに騒ぎながらメニューを決めた。隣でホットコーヒーを頼みながら、そんな彼らを眺めていた。真佐夫たちと席に戻ると、美子は開口一番で言う。

「それで私たちに訊きたいことがあるみたいですけど」

「隆一君に関することなら何でもいいの」

 瞳がわたしの代わりに答えると、彼女は急に穏やかな口調になる。わたしはその間にメモ帳とボールペンをカバンから取りだした。瞳の目は潤んでいて、真剣そのものである。

「そんなこと言われてもねぇ……」

 と言い淀むんだ。真佐夫が苛々したように、

「例えば部活でカメラの作り方訊いてた、とかないのかよ」

「……ないわ。そんなことより真佐夫の方こそ気が付かなかったの? 遊園地に行ったときの会話に瞳が出てきたとか」

「うーん、俺があの時、古池のことで話したのは『可愛いよなぁ』くらいだぜ」

 瞳がそれを聞いて頬を染めた。わたしが、

「それでなんて言ったの? 吉岡君」

 と訊くと、真佐夫は首を振った。

「別に何にもありませんでしたよ。……本当に」

 何も後ろめたいことがなければ本当に、などと付け加えなくてもいい。わたしが目をじっと見ると、真佐夫は目を逸らした。そして小さくなって、ごめんなさいと言うと急におどおどし始めた。

 友人を守ろうとする態度ではなく保身である。そんなことを感じながらコーヒーを一口飲んだ。

「でも言えません」

「そんなこと言ってる場合?」

 わたしと同じ空気を美子も感じたらしい。彼女は、瞳を確かめるように覗きこみながら言う。

「隆一君が何もやってないかもしれないのに捕まってるんだよ。……ねぇ瞳」

 瞳は急に呼びかけられて、ビクッと肩を震わせる。そして、黙ってぎこちなくうなずいくと力なく微笑んだ。

「わ、解ったよ」

 上目遣いに真佐夫はわたしたち三人をぐるりと見回す。

「冗談でだけど……、あの、やっぱりお姉さんだけに言いたいんだけど、いいですか?」

 美子は仏頂面で腕を組むが、瞳がうなずくのを見てそれを解いた。瞳が恐る恐る美子に、

「トイレにでも行く?」

 と言うと真佐夫は首を大きく横に振った。そしてわたしに耳打ちをする。

「冗談でですけど、一緒にトイレに行ったとき『着替えでも見たいな』って言ったんですよ。そしたら隆一のヤツ、うなずいたんです……。け、健全な男なら誰でもする会話だと思いますし、たぶん隆一だって僕に合わせたんだと思いますけど」

 わたしは礼を言ったが、彼は面食らったようにきょとんとしている。しばらくして何とも言えない照れ笑いを浮かべた。

 それを傍らで見ていた美子は、真佐夫に何だったのか訊いた。答えたくないと彼が言うと冷めた目で真佐夫を見る。

「どうせロクなことじゃないでしょうけど。例えばこいつの部屋を覗きたいなぁとか」

 真佐夫が答えに窮しているのを見て、わたしは首を振った。

 しかし、美子は疑り深そうに真佐夫を見ている。わたしは彼の視線に気付き、真佐夫を見るとしきりに片手拝みをしていた。

「それで遊園地で何か変わったことなかった?」

「何かって言われてもなぁ……」

 真佐夫たちは互いに顔を見合わせる。漠然としすぎた問いかけだったと反省し、どんな質問がいいか考えた。

「例えば……、まず誰から言い出したの?」

「あぁ、瞳です」

 美子が手を挙げた。わたしが、

「経緯を訊いても構わない?」

 と訊ねると、彼女はしばらく考えていた後、腕組みを解いてうなずいた。瞳は恥ずかしそうに俯いている。

「実は瞳──いえ古池さんから相談を持ちかけられまして、隆一君と遊園地に行きたいと言うんです」

「それで僕たちが一肌脱いだってわけですよ。僕と隆一は仲いいですからね」

 真佐夫と美子、彼と隆一、美子と瞳がそれぞれ親しいのか……、わたしは幾何学の問題でも問いているような錯覚に陥った。派手なオレンジ色をした四角形のトレイを脇にどけると、

「瞳さんと隆一君は学校でよく話してた?」

「あまり話してなかったと思うけど、隆一は古池の名前覚えてたみたいですよ。『古池? ああ、あの大人しい子か』って言ってましたから」

 わたしは瞳の話も訊こうと目を向ける。彼女が顔を上げると頬を紅潮させているのが見えた。爪を噛んでいたらしく、慌てて手を口から離した。

「は、はい。放課中に少し話をするくらいでしたけど……」

 わたしはどんな話をしたか訊ねる。会話の中に盗撮したヒントが隠されてるかもしれない。

「学校のこととか……、あとテストの前とかは解らないところを聞いたりしてました」

「仲のいい友達付き合いだったっていうこと?」

「ええ、まぁそんなところです」

 と瞳は頭を掻いた。わたしはなぜ思い立ったのかを訊ねると、高校最後の夏だったので行ったと言う。いわゆる思い出作りなんだろう。わたしはうなずくと訊いた。

「それで当日の朝までは普通だった?」

「ええ、何の変わったところもありませんでしたけど……」

 と瞳は自信なさそうに二人の顔を見やる。

「僕もありませんでした。お菓子は何持ってくとか、何に乗るだの遊園地の話が多くなりましたけど古池の話は出てなかったです」

「私も特には気付きませんでした」

 口を揃えて真佐夫と美子が言った。

「朝はどんな話をしてた?」

「バスの中ではクセの話とか……。僕が先生の物まねをしたんです。そこからクセの話題になりまして」

 と真佐夫が言うと、

「例えば私だったら、髪を触る、瞳だったら爪を噛む……という具合に。ほらありますよね? みんな知らず知らずのうちにやってることです」

 美子が髪をいじりながら付け加える。真佐夫はふと思い出したように言った。

「あとゲームの話なんかもしたよな」

「それは真佐夫と隆一君だけじゃない。瞳は会話に混ざってなかったから関係ないと思うけど……」

「そうかなぁ」

 真佐夫がつまらなそうに言った。美子はそれを無視して、瞳に訊いた。

「そういえばあのとき、瞳、あまり話してなかっけどどうかしたの? 顔色もあまりよくなかったみたい」

「う、うん……、バス酔いしちゃってて……、ごめんね」

「なんだ。言ってくれれば酔い止めってきてたのに」

「お前、準備がいいな」

「あんたとは違うのよ」

 美子はフンと鼻を鳴らしてそう言うと、真佐夫は口を尖らせた。

「なんだよ俺だって、菓子調達してきたじゃねぇか」

「それはあんたが食べたいからでしょう?」

 真佐夫は不平そうな顔をしたが、何も言わない。彼は気まずい表情を浮かべると、床に落ちているゴミを拾おうとする。しかし、それはワックスでピカピカになった床の細かい傷だった。

 美子はそれを傍らで眺めながらも説明を続けた。最初、会ったときに見せた顔はもうない。

「それで、私たちは午前中は四人で行動しました。と言っても、私と瞳、隆一君と真佐夫が自然にペアになりましたけど。その後、午後からは真佐夫の口から瞳と隆一君、私と真佐夫がペアになろうと言い出しました。それで夕方に入場ゲートで待ち合わせをして、バスで名古屋駅に戻りました」

「それが帰るまでね。帰りのバスでは?」

「帰りのバスは隆一君と瞳は寝てしまってました。……真佐夫はお菓子を食べていましたし、私は暇だったので窓の外を眺めてました」

「片づけてた、と言ってくれよ」

「はいはい、片づけてました。これでいい?」

 と美子は適当にあしらう。

「あ、そうだ」

 と思い立ったように、彼女はシールやビーズなどでデコレーションされたケータイをカバンから取り出した。

「参考になるかは解りませんけど、一応……」

 と前置きして、写真を見せてくれた。メインディスプレイをわたしに向けて器用に次の写真へと送っていく。

 一枚は夕暮れ時に撮ったものである。観覧車をバッグに真佐夫はにんまりと笑ってピースサインを大げさに決めている。瞳は隆一を気にしつつも、はにかんで微笑んでいたが、彼は瞳の眼差しに気がつく様子はまるでないようだ。隆一は温厚そうな好青年で、眼鏡をかけていた。

 二枚目はレストランの写真だった。昼食のとき急に映したらしく、真佐夫が驚いたように目を開いていた。その後、二人の昼食風景が映し出されているがどれも急に映したらしい。瞳は待って、と言いたそうに両手で慌てて顔を覆っているし、隆一は目をこちらに向けながらもスプーンでドリアをすくっている。

 次は四人が食事を終えたときの集合写真である。隆一と瞳ははす向かいに座ってた。他の写真と比べると少しだけ上手いようだ。

 そして「次の写真はありません」というメッセージが表示される。わたしは礼を言うと、

「最後のお昼ご飯の写真だけど、席は食べたときと変わってない?」

「ええ、ちょっと寄ったりしましたけど」

「席はその場の流れで決めたの?」

「いえ、実は親密度をあげるには斜め向かいがいいと雑誌で読んだので」

「なるほど、それで午後からの二人の行動は?」

 わたしは瞳に向かって訊いた。

「しばらくブラブラしながら空いているアトラクションを探しました。二、三個乗った後、ゲームセンターでUFOキャッチャーをしたんです」

「言い出したのはどっち?」

「その場の流れというか、私がたまたまゲームセンターを見つけて、誘ったんです。歩き回るのも疲れてきたころですし……。それで快く隆一君もOKしてくれました。UFOキャッチャーをやろうと言い出したのは隆一君です。彼すごく上手いんですよ。一発で取ってくれました」

 のろけ話になりそうである。わたしは手で制して遮ると、訊いた。

「人形はあなたが欲しいっていったのを取ったのね。その言い方だと」

 瞳はこっくりとうなずいた。もしもUFOキャッチャーに誘わなかったら隆一はどうしていただろう? そんなことを考えながら他にどんな話をしたのか訊いた。

「幼稚園の思い出、だとか。って言っても余り覚えてないんですよね。私は。友達とケンカしたことくらいしか。理由は……忘れました。きっとどうでもいいことだったんだと思います」

「それはどういう経緯?」

 とわたしが訊くと、天井に目を移した。

「えーと……、ぬいぐるみの話から、確か人形の話になって、そこから幼稚園時代になった、と思います。すみません。緊張しててあんまり覚えてないんです」

 覚えてないのなら無理に思い出すことはない。そう彼女に言って、わたしはアイスコーヒーを飲む。じっと見ていると、大きな黒い穴にも思えた。


「本当に隆一のヤツ盗撮したんですか?」

 話題の切れ目を見て、身を乗り出して真佐夫が言う。不確かなことは彼に話さない方がいいと判断してわたしは首を振った。

「それはなんとも言えない」

 真佐夫がつまらなそうに舌打ちするのを聞き咎めて、美子が、

「何考えてるの。こんなときに」

「悪い悪い。いまいち実感なくてさ。明日学校に行ったら隆一のヤツがいそうな気がして」

「うん、解る気がする」

 瞳もうなずいて言うと、美子は黙ってコーラを飲み干した。彼女はカップを一気に傾けると、氷をバリバリと噛み始めた。そして飲み込むと、美子は冷たさからか身体をブルッと震わせた後、

「まぁ、私もそうだけどね」

 と寂しそうに笑う。そしてわたしに訊いた。

「どうなんですか? 彼は本当にやったんですか?」

「そうねぇ、……無実だと思ってるわ」

 三人はほっとしたような顔になった。しばらくして瞳が、

「どうしてそう思うんですか?」

 と訊いた後、慌てて付け加えた。

「わたしも信じられないですけど」

 隠し撮りされた当事者としてはやはり複雑な思いを抱えているんだろう。わたしは、

「もし彼が盗撮した本人だとして、いつ、どうやって持ち去ったの? あの後、部屋にはあなたとお母さんしか入っていない。そうよね」

 と瞳に確かめると、戸惑いながらもうなずいた。美子がふと思い出したように訊いた。

「でも近くをうろついてたんですよね?」

「どこから仕入れてくるんだよ。そんな情報。まるでCIA顔負けだな」

 呆れ顔で真佐夫が言うと、したり顔で美子が、

「赤字千里を走るって言うじゃない?」

 と言った。山奥のローカル線じゃあるまいし。それを聞いてわたしは心の中で苦笑したが、〈脱線〉するといけない。それを聞き流して訊いた。

「偶然ってことは考えられない?」

「だってあいつは帰り道が逆なんですよ」

 と真佐夫が言う。わたしは、

「何かの用事でたまたま通ったとかは考えられない?」

 とは言ったものの、具体的には思い浮かばない。もし仮に、瞳が学校に財布などを忘れたとしたら刑事に対してそのことを言っているはずである。学習塾をサボってゲームセンターに行こうとしていたのか。いや、そうだとしても警察から逃げる理由としては今ひとつだ。タバコでも買っていたのか。そうだとしたら瞳の家は通らないだろう。彼女に吸っているところを見つかるかもしれない。

 彼が帰る道を一回歩いてみた方がよさそうである。そう考えて真佐夫にそのことを訊ねると、

「ここ近辺ですよ。自転車で通ってます」

「あなたの家は?」

 瞳に訊くと、彼女は今きた道を指差して

「ちょうど向こうです。学校を挟んで反対ですよ」

 たまたま何かの用事できたわけではなく、明らかに瞳の家が目的である。やはり隆一がカメラを仕掛けたんだろうか。


 ハンバーガーショップから出ると辺りはすでに暗くなっていた。隣にある地下鉄の駅からは灰色のスーツを着たサラリーマンやOLたちが溢れ出している。道を走る車の数もさっきより多くなっていた。テニスラケットをかつぎ、ユニフォームを着た高校生の一団がわたしたちの脇を通り抜ける。

 美子は時計に目をやると、慌てて地下鉄の駅の階段を駆け降りていった。それを見て、わたしはきょとんとした顔をしていたんだろう。真佐夫にこれから塾へ行くと説明され、わたしは胸がうずいた。真佐夫も、

「じゃ僕もこれで帰ります」

 と言ってノートをびりびりと破ると、何やら書くとわたしに渡した。クセはあるが読みやすい字で連絡先が書かれている。

「何かあったら連絡下さい。それと今日はありがとうございました」

 と頭を下げると、地下鉄の階段を降りていく。瞳も自転車にまたがると、

「それじゃ、わたしも……」

 と夕闇に消えていった。わたしは二人を見送った後、真佐夫の番号を登録しようとケータイを取り出す。ディスプレイには「着信あり」と表示されていた。どうやら有沢から電話があったらしい。なんだろう? 五コール目でようやく、

「電話くれたのに非常に申し訳ないんだけど、今から寝ようと思ってたところなんだよ」

 と眠たそうな声がした。しかし暗い響きではないのを聞いて、鬱で体内時計が変になっているわけではなさそうだ、と一安心する。もっとも彼の体内時計と頭はいつも狂いっぱなしであるのだが。

「電話くれたのはそっちでしょ?」

「ごめん、そうだったね。事件のことで……」

「ああ、とりあえず隆一君のことを調べてみるつもり。今のところそれが一番それっぽいし」

 有沢は苦笑して言った。

「やっぱり。その方向で進めてくと間違うことになるよ。それだけを言いにね。調査するなら瞳さんだよ」

「どういうこと?」

「……何と言ったらいいんだろうね。とにかく瞳さんを調べなきゃいけない。ごめん、三十六時間くらいぶっ続けで起きてて、頭が回らないんだよ」

 それを聞いてわたしは溜息をついた。あいかわらず健康的な生活を送っているようである、と思いながら道路に目をやると、円形の歩道橋が目に入った。

「七十二時間ずっと起きてたら百万円でももらえるの?」

「違う違う。サウンドノベルの編集会議で徹夜」

「ふうん、それじゃお休み、ながい眠りにつきなさい」

「ながいって永遠の永? それとも長短の長?」

「そんなの決まってるでしょ?」

 わたしはここで区切って、

「フォーエバーよ。それじゃお休み」

 と言う。彼は苦笑を一つすると、電話口でなにやらしきりに言っている。わたしはそれには応えず、

「ちゃんと寝ないと本当に永遠の眠りにつかせるよ」

 と電話を切り、ケータイの電源を落とした。今の有沢に必要なのは長い眠りである。


「おはよう、麻美。昨日はありがとう」

 学食の券売機の前で並んでいる麻美を見かけて言う。そしてよくこんな行列に並べるものだと感心しながら行列や眺めた。中には付き合いだけで並んでいる人もいるのか、遊園地のアトラクション顔負けである。そんなことを考えながらさり気なく列の外に出 。学生掲示板に目をやると、写真展のポスターや自主制作映画の上映のチラシが目に入る。

「いえいえ。ところで、昨日のメール見た? 返信なかったんだけど」

「あ、ごめん。電源切ってた」

「どうしたの? 珍しいじゃない。彼氏とケンカでもした?」

 にやにや笑いながら麻美は聞いてきた。わたしは言葉を濁すと原因は何かと根掘り葉掘り聞いてくる。うっとうしいと半ば思いながら適当にあしらう。

「で、用件は何だったの?」

「また女子高生が来てたよ。こないだとは違う娘だったみたいだったけど」

「そりゃくるでしょう。ここは高校生にも開放されてるんだから」

 とわたしが言うと、麻美は笑った。

「違う違う。誰かを探してたみたい。萌じゃないかな、と思ってさ」

「ふうん。友達と待ち合わせとかじゃなくて?」

 そうは言っても、わたしに用事があったのかもしれない。だとしたら何の用かと首を傾げながらも礼を言った。麻美は、

「そこまでは解らないけど。それにしても急にモテモテになったじゃないの。ファンクラブでもあるのかしら」

 とにやついている。

「あのねぇ、女の子にモテても仕方ないじゃない? ま、変な男につきまとわれるよりはマシだけど」

 わたしは苦笑しながらそう言うと、したり顔でうなずいて肩に手を置いた。そして、

「ユリっていう恋愛もあるわよ」

 と言い出した。もちろん冗談で言っているのは百も承知なので生返事ですませる。

「今日も来てるかしら」

 わたしが訊くと、麻美は欧米人よろしく肩を竦めた。

「さあ? メールアドレスとか知らないの?」

 わたしは知らないと言いかけて、そういえばと思い留まる。真佐夫からメールアドレスを渡されていたのである。わたしがケータイで時刻を確かめると、十二時半であった。この間のお礼を述べて、麻美の言ったことが事実かどうか確かめる。

 ほどなくして返事が返ってきた。開くと絵文字つきで「確かめておきます!」とだけ書いてある。わたしは「ありがとう」とだけ打つとケータイをポケットにしまった。それが終わるのを見計らって麻美が声を掛ける。

「そういえば精神分析って取ってた?」

 取ってたと言うと、身を乗り出した。

「テストってどんな感じだった?」

「記述式で用語とか人物説明だった」

「例えば?」

 と麻美は畳み掛けてきた。

「私のときはラカンがメインだったけど。対象aとか大文字の他者とかね。そういえばフーコーが二問くらいくらい出てた。権力の内在化の説明と『監獄の誕生』を要約しなさいとか、あとは忘れた」

「そういえば『狂気の歴史』がどうこうとか言ってた。フロイトまでは何とか解ったんだけど、ラカンがさっぱり」

 と麻美は頭を抱えている。わたしが慰めていると、ケータイが鳴り出した。麻美に断わるとケータイを見る。真佐夫が「図書館に行ったそうです。お姉さんに伝えようかって俺が言っても美子のヤツ首を振るばかりで、何も言いません」というメールを送ってきたのだった。わたしは再びお礼の文面を書くと、授業が終わったら図書館で待っていると言伝を頼む。

 麻美が不思議そうに顔を覗き込んでいた。

「どうしたの?」

 と彼女に訊かれ、

「……ううん、なんでもない」

 とだけ答えておく。それにしても美子がわたしに何の用だろうと考えながら。


 図書館に入ると、美子は正面のソファでマンガを読んでいた。しかし、そわそわして時計に何度も目をやっている。わたしはゲートを通ると、彼女に駆け寄って肩を叩いた。ビクッと肩を震わせ、わたしの顔を見る。そして立ち上がると、

「ごめんなさい!」

 と頭を下げる。大きな声が響いて、なにごとかと一斉にわたしたちの方を振り向いた。中には白い目で見ている人もいる。ひとまず座らせて、

「どういうこと?」

 とわたしは優しく美子に訊いた。

「私、ウソをついてました」

「ウソ?」

「はい。あの時、浅香さんに部活で変わったことないかどうか訊いたじゃないですか」

「本当は何か訊いてたの?」

 美子はこくりとうなずいて言う。

「カメラの作り方を訊いてました」

「ピンホールカメラ?」

 わたしは興奮を抑えながら訊ねる。

「さぁそこまでは……。最初は関係ないと思ってました。だって……その……瞳、いえ古池さんの部屋を隠し撮りするにはリモコンみたいなものがいるでしょう」

 半ば一人ごとのように美子は言った。口許も「へ」の字に曲がり、泣き出しそうな、自虐的な笑いを浮かべている。わたしには何と声をかけていいのか解らなくなり、

「え、ええ」

「そんなもの高校生が作れるわけがないと思ってたんですよ。でも昨日の朝、真佐夫、いえ浅井君と話をしてて……」

「どんなこと言ったの? 彼」

「ラジコンでも分解したんじゃない? って」

「彼、そういう機械いじりは得意な方だった?」

「と思います。おまけに私たちには何を考えてるのか解らないところがあって」

「例えば?」

「パソコンの授業中に浅井君とクリックマーダーっていうゲームしてたし。……その……フィルタリングソフトの設定を変えて、堂々とポルノサイトを見てたことも。そのクセ、赤点とって再試を受けてたんですよ」

 視野が狭いという見方もできる。しかし苛ついた口振りからすると、二人の享楽主義のように見える幼い考えが解らないんだろう。わたしは無言でうなずいて、話を促した。弁解するように、

「そのう……面倒なことに巻き込まれたくなくって。それに大学受験にも響くと思って黙ってたんです。すみません」

 わたしはにっこりと微笑んでみせ、空を仰いだ。鎧のように覆われた雲の隙間から光が差し込んでいる。美子に向き直ると、

「仕方のないことよ。誰でも自分のことで手一杯だから。……それで隆一君ってどういう方向に進みたがってたのか解る?」

 もし機械系の学部に進みたがってたら、それなりの知識があるのかもしれない。そう思いながら訊ねると、工学部だと言う。

 美子はやはり後ろめたい気持ちがあるらしく、真佐夫に訊ねようかと言った。わたしはその提案を断わり、瞳のことを教えてくれるように言った。隆一が犯人だとするとモヤのようなものが残ってしまう。

 彼女は意外そうに目を見開いて、

「瞳、ですか?」

「例えばクセだとか仕種だとか……」

「ツメを噛むクセ以外に……」

 と言いながら目を宙に這わせる。

「そういえば袋を貸したことがありました。小雨の日に。図書館で」

「袋?」

「ええ、本が濡れないようにビニール袋を貸したんです」

「瞳さんの方から言ったの?」

 そう訊くと、美子はしっかりとうなずいた。

「ええ、ちょっとくらい濡れたって構わないじゃないの、と内心じゃ思いましたけど」

「なるほど」

 確かにみんなが使う本という気持ちがあれば、袋に入れるのもうなずける。しかし誰でも持ち合わせる感覚かと問われれば首を傾げざるを得ない。いや、恐らく美子のような考えがほとんどではないだろうか?

 さり気なくゲートに目をやって、ビニール袋に入れている人を数えながら訊ねる。

「……警察の人へどうやって言ったの?」

「何も知らないって通しました。そして塾があるからって言うと住所を訊かれてすぐに帰してくれたんです。本当に彼はやってないんでしょうか」

「少なくともわたしはそう思うわ」

「……ありがとうございます。でもどうしてそう思うんですか? ただのカンっていうわけでもないでしょう?」

「もちろん。密室から消えた理由が説明できないじゃない?」

「でもそれだったら、瞳が一番疑わしいことになりますけど」

 硬い声で彼女は言うと、静かに口許を手で覆った。

「もしかしてだから瞳のことを……だとしたら、だとしたら、何で瞳は自分の部屋にカメラを仕掛けたんですか?」

 美子は、すっと立ち上がると、

「失礼します。お伝えしたいことはそれだけでしたので」

 と言うとすたすたと出ていってしまった。立ち上がって止めようとするが、無意味だろう。わたしはその場にすとんと腰を下ろし、ふぅーっと長い溜息をついた。

 結局、借りた本をビニール袋に入れた人の数はゼロだった。


 わたしがその後、調べ物をすませ、図書館から出ると夕暮れ近かった。キャンパスから見える街並みが赤く映えている。相変わらず陽が翳ったり、出てきたりを忙しげに繰り返していた。

 夕方になり、少しは涼しくなるかと期待していたが、蒸し暑さはそう変わらない。しかし昼間あれほどうるさかったセミの声は段々と収まりつつある。その代わりに五限目を終えた学生たちの談笑する声が響き渡っている。

 帰ろうと思いケータイで時間を確かめていると、真佐夫が走ってくるのが見えた。瞳もその後を追っている。真佐夫は顔を火山よりも赤くしながら、わたしに詰め寄った。

「美子に何を言ったんだ!」

 瞳ははぁあぁと肩で息を切らせながら、真佐夫を制する。

「と、とりあえず落ち着こう。ね?」

 真佐夫はそれに構わずわたしに噛みついた。

「何とか言えよ」

 道行く学生はわたしたちを何ごとかと遠巻きに眺めている。瞳はそれに気がついて顔を赤らめ、辺りを見回しながらもじもじとしていた。そして、真佐夫を小突いた。

「ほら、みんな見てるんだし……」

 そう瞳に言われて、真佐夫も辺りをぐるりと見回した。そして我に返ると、消え入りそうな声で呟いた。気まずいんだろう、目を伏せている。

「ごめんなさい。熱くなりすぎました」

「こちらこそごめんなさい」

 とわたしも頭を下げると、瞳が訊いた。

「でもなにがあったんですか? 彼女、泣いちゃってて。わたしたちが訊いても首を振るばかりだったんです」

「実は……」

 と言うとさっきの出来事を説明した。瞳はときおり眉を動かしながらも、神妙に聞いている。真佐夫はうーんと唸ると、

「多分あいつは自分が疑われたような感じがしたんだと思います。ほら女同士の一体感ってアロンアルファよりも強いじゃないですか。上手く言えませんけど……」

 女同士に限った話ではない。親しい友達をけなされたら自分までけなされた気になる、その延長にある気持ちなんだろう。そんなことを考えていると、瞳がおずおずと手を挙げた。

「あの……すみません。まず隆一君の疑いを晴らすために彼の家に行ってみたほうが……」

 真佐夫はしばらくきょとんとしていたが、やがてしっかりとうなずいたのだった。


 わたしは真佐夫の案内を頼りに、薄暗い住宅街を歩いていた。家々には灯が点り始めて、影絵のようにエプロン姿の女性が映し出されている。建売の住宅はみんな同じ顔をしていて、違うのは標札だけだった。角を折れても道は狭くなったが、直線的な道の造りは変わらない。

 真佐夫が何か言うが、激しい怒鳴り声で掻き消されてしまった。中年の婦人のヒステリックなキイキイ声である。

「誰だろうな。あのオバさん」

「きっと更年期よ」

 などと真佐夫たちは冷めた目を向けたが、瞳だけは目を見開いて言った。

「お母さん!」

「瞳!? どうしてここに」

 と中年の女性が駆け寄る。

「隆一君と話がしたくて。お母さんは?」

「あなたと同じよ」

 と言われ、標札を見ると隆一と掛かっていた。

「お友達まで駆けつけてくれたのね」

 ぎこちなく二人は会釈をした。さきほどの陰口が気まずいのだろうか、それとも軽蔑しているのか目を合わせない。わたしに目をやると、値踏みするような目で見て、

「この人は?」

 と訊いた。瞳が軽くわたしを紹介すると、態度をコロリと変えて頭を下げる。古池視実、というらしい。どうやら彼女にとって法学部と医学部は思ったより価値が高いもののようである。

「子供同士のトラブルに親が口出しするのはどうかと思いますけど……。子供同士で話し合って解決した方がいいかと……。隆一たちもいい大人なんですし」

 とさっきから視実に罵られていた丸顔の中年男が言った。家でもツナギを着ているところからみると機械工なんだろう。名前は吉川光太郎というらしい。心労からかどことなくやつれているように見えた。

「この子たちがいい大人、ですって。まだ親の監視下にある子供ですよ」

 視実がそう言うと瞳を見た。瞳はその視線から逃れるかのように目を逸らす。それを傍らで見ていた真佐夫が痺れを切らしたように一歩、前に出る。風で街路樹がざわざわと揺れた。

「僕たちにとっては子供だとか大人だとか、そんなことはどうでもいいんです。僕たちは──いえ、僕は──あいつが、隆一が古池の部屋に隠しカメラを仕掛けたとは思えません。だから〈本当のこと〉を知りたいんです」

「警察がそう言ってるのよ」

 と仏頂面で視実が言うと、真佐夫は果敢に立ち向かっていった。

「警察だって間違いはすると思いますけど」

「奥さん、落ち着きましょう。それに子供相手に剥きになるのも……」

 と光太郎が割って入ったが、視実は聞く耳を持たない。

「だいたい娘が盗撮されてたのよ。落ち着いていられる状況?」

「お母さん、それなんだけど……」

 瞳が視実に囁きかけると、ギロリと睨んだ。

「言いたいことがあるんだったら早く言いなさい……ほら、またそうやってツメを噛む。そのクセなんとかしなさいって言ってるでしょ」

 と視実に言われ、瞳は俯いた。とても言えるような空気ではない。わたしまで気まずくなって、庭に目を向ける。刺のついた花がたくさん植わっていた。わたしは真佐夫に肩を叩かれて、振り向く。

「なんか言わなくても大丈夫ですかね?」

「だったらあんたが言えばいいでしょ」

 それを美子が聞き咎めて言った。彼女の足元にある大きな石の下からは草花が出たそうに顔を覗かせている。真佐夫は口の中でもごもごと、

「そりゃそうだけど……」

 と呟いている。美子はさっきの勇気はどこに行ったのやら、と悪態と溜息をついて、

「あの、私もどうしても隆一君が犯人とは思えないんです」

 と言った。

「そこまで言うんなら証拠があるんでしょうね」

「それはカメラを持ち去った状況です。いつカメラを持ち去ったんでしょうか。隆一君は瞳さんの部屋に入っていないんでしょう?」

 と美子が言うと、そうよね、と言うように瞳を見る。瞳は黙ってうなずいた。視実はたじろいだが、

「それはそうだけど……。この子がうろついてたのよ。カメラも出てきたそうじゃないの」

「そのカメラも少し妙なところがあるんです」

 と美子は言った。それを聞いて視実は眉を顰める。

「変なところですって?」

「あくまでもこれは瞳さんから聞いた話ですけど、押収されたカメラには何も映ってなかったそうじゃないですか。そうですよね」

 気まずそうに光太郎が口を挟んで、

「あの、それなんですけど。多分感光してしまったんだと思います」

 と言う。美子が真佐夫にひそひそと訊ねた。

「カンコウ?」

「ああ、フィルムに光が当たると使えなくなるんだ。ってお前、科学部のクセにそんなことも知らなかったのか?」

 わたしは身を乗り出して、詳しい話を頼んだ。

「夏休みに隆一はシャッターを下ろして、何日も閉じこもってたんです。ある日、酸っぱい臭いがあいつの部屋からしてきたから、家内が心配して僕に様子を見てきてくれ、と頼みました。僕は心配ないと言ったんですけど、ね」

「あぁフィルムを現像中に開けてしまったってわけですね」

 と真佐夫が口を挟むと、光太郎は頭を掻いた。

「ええ、ですから正確には何も映ってなかったのではありません。何を撮ってたのか解らないんです。もちろん僕もあいつを信じてますが、それよりも本当のことを知りたいんですよ」

「何が本当のことよ。バカバカしい」

 と視実は叫んだ。

「あんたの子供が瞳を盗撮したのよ」

「それはまだ解りません。さっきその娘が言ったような問題もありますし、それに何より息子を信じるのが親の役割ですので。……もちろんこれは子供たちの問題ですので、あいつが戻ってきたら真っ先に瞳さんと話し合わせます。そういうことで今日のところはお引き取り願えますか」

 光太郎は意志の強そうな目をして視実を見ると、彼女はこれ以上言ってもムダだと思ったらしい。つかつかと瞳に歩み寄って、腕を掴んだ。そして乱暴に、

「さっ、帰るわよ」

 と言った。瞳は腕を振りほどくと、

「今回のことは私たちの問題なんだからお母さんの手はいらない」

 と叫んだ。足がぶるぶる震えているのを見ると、瞳は母親に反発らしい反発をするのは始めてのようだ。視実は面食らっていたが、やがて溜息をついて、

「あんたに解決できるわけないでしょ? 幼稚園のときだって……」

 瞳はきょとんとして、

「幼稚園の……とき?」

「忘れたの!? 幼稚園のころに友達のゲームをあんたの不注意で壊したじゃない!」

 と叫んで、

「泣いているあなたの代わりにお母さんが弁償したじゃない」

 と言うと瞳は最初きょとんとしていたものの、少しずつ陰が落ち始める。瞳が幼稚園のことを余り覚えていない理由が解った気がした。イヤな思い出は身を守るために美化されるか、忘れてしまうのである。

「そんなこともあったような気がするけど、それとこれとは別でしょう?」

「いいや、あなたは引っ込み思案だから私が強く言わなきゃダメなのよ」

 何だか引っ込み思案な性格ができるのは視実の傲慢な態度にあるように感じた。そしてその性格を見て、視実は〈間違った庇護〉をしてしまっている。母親は娘を守らなければいけない、と考えるのは正しいが、その行動がいけないのである。それを言おうとしたがブレーキがかかってしまった。

 真佐夫と美子は顔を見合わせて、じっと瞳が視実に連れ去られるのを指を咥えて見ているだけだった……。


 道は暗かった。わたしたちが何も言わず駅へと戻ると、駅前はビルから明かりが漏れている。しかしその間には何のつながりも感じられない。灯りそのものも、建物も無機的な印象を与えた。

 わたしは今あったことをメールで有沢に報せると、ケータイが着信を告げる。青白く光るディスプレイには彼の名前が表示されていた。わたしは弾んだ声で、

「もしもし」

 と出るが、有沢の声は重々しい。

「僕は楽観視してたみたいだね。仕事はあとマスターアップだけだから自由に動ける。僕が乗り出すよ」

 その申し出にわたしは驚いた。

「え、いいの?」

「うん、ここまで放っておいたのは僕の責任だし。真相を知りながら忙しさを言い訳にして動かなかった僕のね」

「……ありがとう」

 そんなことない。そう言っても余計に自分を責めてしまう。

「それからあまり自分を責めないでね。覆水盆に返らずだけど新たに水を注ぐことはできるんだから」

 しばらく彼は何も言わなかった。道ばたにきらきらと光るものを見つけて目をやると、ガラスのかけらが散らばっている。

「……怖かったんだよ。実は。彼女の人生に関わるのが」

「そうねぇ、喫茶店で相談したじゃない? その時、あんたが何も言わなかったらそんなに悩んでなかった?」

 そう言うと、有沢が何か言うのを辛抱強く待った。力なく、

「悩んでたろうね」

 と言うのを聞いて一安心する。

 多くの人は責任転嫁という精神病に取り憑かれているのである。自分には関係ない……、と思い始めるのが初症状だ。もし誰も何もしなかったときの結果なんて考えないのである。わたしはそんな風にはなりたくないし、また彼にもそんな風にはなって欲しくない。

 そんなことを考えながら続ける。

「それにあの娘は誰かに打ち明けたかったのよ。その証拠に私が瞳さんを怒らせちゃった翌日には図書館で待ってたじゃない?」

「あれは自分の犯した〈罪〉で隆一が無実の罪を着せられてると判断したからだよ」

「そうとも受け取れるけど、もっと心の奥底には今までの苦しみを吐き出したかったんだと思う」

 とわたしは言って、

「まあ、アドバイスをして何の迷いもなく、のうのうと生きてる人なんて無責任の極みだよ」

「そうかもしれないね」

 釈然としないさまが口振りからありありと窺えたが、それには触れなかった。わたしはいつにするか訊くと、有沢はいつでもいいという。

「僕たちは自由業みたいなものだからね。モノさえできれば平日に休んだって構わないんだよ。だから瞳さんの都合のつく日でいい」

「オーケー」

「……それとクラスメイトたちは呼ばないでくれるかな?」

 あえてそのわけは訊かず、他の要望を訊いた。できるだけ人のいない場所がいい、と喉から絞り出すように言うので、考えた後、

「T公園なら? あそこなら三人で話してても不思議じゃないんじゃない?」

「そうだね。そうしようか」

 会うのを拒んだらどうしよう、とわたしは有沢に言ったが、大丈夫だと告げる。しかし上の空なのは明らかだった。後でもう一回、日取りと一緒にメールしなければいけない。そんなことを考えながら、電話口に耳を傾ける。

「それからあともう一つ。幼稚園時代のこと瞳さんから訊いてくれない?」

「いいけど……そんな昔のこと訊いてどうするの?」

 有沢は電話の向こうでふっと寂しげに笑ってこう言ったのだった。

「時間は一直線じゃないんだよ。むしろ曲線といってもいいかもしれないね」

 電話を切ると、一瞬迷った後、真佐夫にメールを送る。今日の労いの言葉とともに「事件が解決しそうなの。瞳さんと二人きりで会いたいと伝えてくれる?」と送った。しばらくして真佐夫から「解りました」とだけ記されたメールが届く。わたしはありがとう、と打った。


 真佐夫がメールで指示した通り、図書館へと向かった。石畳を抜けると制服を着た人影が見えてくる。わたしは歩みを速めて、瞳に近付いた。しかし声を掛けようとしてハタと止まる。苛々しているようで、声を掛けにくかったのだ。幸いにも瞳が気付いて、

「あぁ、こんにちは。昨日はすみません」

 と頭を下げた。そわそわしていて今にも逃げ出したいと身体から伝わってくる。わたしは挨拶をすませると、その動きを目で追いながら訊ねた。

「幼稚園のころ友達とケンカしたの?」

 瞳はうなずくと、笑った。

「昔のことです。今回の一件とは全く関係ありません」

 そう言われればそういう気もする。第一、隆一と幼稚園が一緒なら納得がいくが……

「彼とは幼稚園も違いますし」

 と言われてしまっては、有沢の推理も疑わしくなってくる。それでも彼の代わりだと自分に言い聞かせた。

「それでも関係あるかもしれないじゃない?」

 瞳は肩をすくめて、吐息をする。

「言いたくありません。無理に話すこともないでしょう?」

「……それを言わないと隆一君が釈放されないかもよ?」

 瞳は眉を挙げると、太鼓の音が遠くから聞こえてきた。生徒が部活の練習に励んでいるらしい。

「えっ? どういうことですか?」

「真相を知ってるの。真佐夫君からそう言われなかった?」

「……幼稚園の記憶が曖昧なんです。昔のことですからね」

 と瞳は笑った。

「そう。なら仕方ないね」

「すみません」

 と言うと、瞳は小さくうつむく。しばらくセミの声だけが鳴り響いていた。やがて瞳は何か重たいものでも振り払うかのように頭を振ると、

「……それでもよければお話しますけど」

 と言ってわたしの顔を見る。そこに怯えを読み取り、わたしは微笑んだ。

「幼稚園のころ、人見知りが激しかった私はなかなか友だちができなかったんです。毎日が退屈でした。いや、みんなと遊んでる他の子供たちを見て、妬んでたのかもしれませんね。今から思うと。特にイヤだったのはペアになったり、グループになったりするときです。必ず一人だけ取り残されて、先生にねじこんでもらってました」

「とにかくイヤでイヤで仕方がなかったのね」

 瞳はうなずいて続けた。

「でもそんなある日、私に遊ぼうと声をかけてきた女の子がいたんです。とても嬉しかった。毎日が楽しくなりました。私と彼女はお互いの家へよく遊びに行く間柄になりました。それで……」

「ゲームを借りて壊してしまったと」

 瞳が言い淀んでいるので、わたしが後を引き継いだ。

「はい。大事にリュックサックに入れて持って帰ったんですけど、途中で雨が降ってきてしまって……。リュックが濡れてしまったんです。ソフトもそれで一緒にダメになりました。泣きながら謝りました」

 それで視実が弁償した、というわけか。

「ひどくケンカしたの?」

 とわたしが訊ねると、

「しばらく黙ってましたが、笑顔でいいよと許してくれました」

 すぐに許してもらったからこそ、辛かったんだろう。

「その後、仲直りはちゃんとできた?」

 と訊くと、瞳は首を振った。

「初めは上手くいってました。でも、段々と心に……上手くは言えませんがしこりというか仕えというか……何かあるたびに悪い事をしたんだと思うようになっちゃって、小学校にあがると同時に自然と離れていきました」

「寂しかった?」

 とわたしが訊くと、戸惑いながらうなずいた。

「仕方ないことなんだ。自分が全て悪いんだ。ゲームを壊してしまったから離れていったんだ、と思うことで納得させていたように思います。今から思えば」

 丁寧にビニール袋に包んでいた、と美子が言ってたっけ。わたしは思い出して独りうなずいた。言いにくいことを言わせてしまったことを謝ると、瞳は笑って首を振った。

「……ところで真相が解ったんですってね」

 逆光になって見えないが、今にも泣きそうな声である。

「正確には少し違うんだけど」

 と断わった上で、わたしはこれまでの経緯を話した。そして勝手に話したことを詫びると、彼女は眉をひそめただけだった。長い沈黙が続いたが、やがて呟くようにこう言ったのだった。

「会います」

 しかし、その言葉には力強さがこもっていた。

第四部、治療

 翌土曜日、わたしたち三人はT公園で待ち合わせた。かなり大きな公園で、噴水の他にも敷地の中には温室などがある。中央図書館が見下ろすように建っている。少しでも涼しいだろう。そう言って、有沢は噴水近くを待ち合わせ場所に選んだ。しかし……

「ちっとも涼しくないじゃない」

 とぼやいた。セミの鳴き声を聞いているだけで汗が吹き出してきそうである。三才くらいの女の子が楽しそうに噴水で水浴びをしていた。母親は傍らに座って、水をかけてやっている。

 わたしはハンドバッグからアクエリアスを取り出した。ラッパ飲みをしていると、向こうから有沢がやってくるのが見えた。何も持っていない上に半袖シャツというラフな格好だ。相変わらずだねと笑ったが、一応は身だしなみに気を遣ったらしい。

「へぇ、髭剃ってきたんだ。珍しい」

 わたしがそう言うと、

「髭くらい剃るよ。こういう時は」

 と有沢は苦笑いを浮かべる。そしてわたしたちは木陰のベンチに腰を下ろした。手が触れるか触れないかの距離だ。ここちよい風が時々、通り抜ける。わたしはハンドバッグから紅茶を取り出して渡した。

「喉渇いてるでしょ」

「あぁ、ありがとう」

 と受け取ると、飲み始める。

「あんたの言う通り会ってくれるって。でもよく解ったね」

「彼女の良心に任せたんだよ」

 と呻くように言った。これ以上聞き出せるような表情ではない。

 やがて自転車に乗った瞳の姿が見えた。控え目な服装であるが、重たそうなリュックサックを背負っているので一目で解った。瞳は自転車を駐輪場に入れると、彼女が走ってきた。息を切らせながら、

「遅れてすみません」

 と言った。怖いものでも見るように有沢を見ている。彼はにこりと微笑んだが、自信のなさが漂っていた。わたしは座るように瞳へ促すと、彼女は少し距離を置いて座る。わたしは、

「大丈夫、取って食われるわけじゃないんだから。そんなことよりリュック持ってようか?」

 と言うが、首を振った。何か人には見られたくないものでも入っているんだろうか、と思いながら有沢に向き直ると、

「真相が解ってるんでしょう?」

 と急かして、アクエリアスを一口飲んだ。しばらく黙っていたが、重々しく口を開いて、

「犯人は瞳さんだよ」

 と言ったのだった。


「ちょ、ちょっと待ってよ。わたしに盗撮されてたって言ったのよ」

 自分で自分の部屋にピンホールカメラを仕掛けた、だって? 理由が見当たらない。わたしが混乱して訊ねると、有沢は溜息をついた。

「あれはね、咄嗟についた嘘だったのさ」

「嘘?」

 彼はうなずいて、

「だって自分の部屋に監視カメラを仕掛けてそれが見つかったって話と、隠し撮りされていたって話どっち信じる?」

「それは……」

 とわたしは言い淀む。

「つまりね、人は自分の経験していないことを信じないで、少しでも経験のある作り話を信じるのさ。それがどんなに正しくても、だよ。言い淀んでたのは本当のことを話そうか迷ってたんだ」

 そこへ瞳が、

「ちょっと待ってください。どうして私が自分の部屋に監視カメラを仕掛けなきゃいけないんですか?」

 と口を差し挟んだ。声が震えている。

「その答えは君が一番よく知っているはずだよ。自分の部屋に監視カメラを仕掛けることで安心した。そういうことだろう? しかし、それをお母さんが見つけて警察に報せてしまった」

 瞳はうつむいていたが顔を上げると、怯えと安堵が入り交じった表情があった。有沢は微笑みかけると心の底から安心したようである。

「全くの予想外でした」

 瞳は力なくうなずいてそう言うと、リュックを下ろして脇にのける。

「それから隆一君のことも。同じ時期に自由研究でピンホールカメラを作ってたんですから。でも私の家の前をうろついてた理由が今ひとつ解りませんけど」

「たぶんあなたのことが気になってたんじゃない?」

 わたしが言うと、瞳はまさか、と笑った。

「だって私、何の取り柄もないし」

「どうかしら? 自分では気がついていないだけかもよ。ねぇ」

 と有沢に話を振ると、そうだねと短く答えただけだった。相変わらずである。わたしがベンチに目を落とすと、木がささくれ立っていた。瞳が、

「ですから隆一君は今回の一件とは無関係です。カメラを隠したのは私ですから」

 と言うと有沢はうなずいた。

「それは初めから解ってたよ。萌の話を聞いたときから」

「え? どういうこと?」

 わたしが驚いて訊ねる。

「いいかい? この事件で隆一君はまず除外される。彼には持ち去ることができなかったからね」

「言ってたね。そうやって」

 そうわたしが言うと有沢はゆっくりとうなずいた。

「ということは母親か瞳さんだけど、母親が犯人だとしたらなぜあれだけ騒いたんだろう? 瞳さんが隆一君と付き合って欲しくなかった? それでマッチポンプを仕掛けた? でも彼が自由研究でピンホールカメラを作ってたことは知らなかった。残る可能性はただ一つ」

 わたしは後を引き継いで言った。

「瞳さんが自分の部屋に監視カメラを置いてたってことね」

「そう。だからこそ密室でカメラがなくなっていたんだよ。簡単なことさ」

 そう有沢はうなずくと、瞳に向き直って訊いた。

「どこに隠したの?」

「初めはポケットに入れました。でもすぐ見つかると思って、このリュックサックに隙を見て隠しました」

「鏡じゃダメだったの?」

 わたしが訊くと、瞳は首を振る。鏡を意識してしまうらしい。いつも手許に置いていたのも隆一に恋心を抱いていたからではない。常に自分を監視しておきたかったのだ。

「監視カメラを意識したのは初日だけで、すぐに気にならなくなりました」

 有沢は瞳を見て、口を開きかけるが首を振る。言おうかどうか迷っているようだ。

「それから? まだあるんでしょ?」

 とわたしは促す。彼の拳にぎゅっと力が入った。

「ここからは僕の推論なんだけど、多分、ゲームのことをバスの中で話した時に、幼稚園のことを思い出してしまったんじゃないのかな」

「ちょっと待ってよ、話には混ざってないのよ」

「でも聞こえてはいた。そうだろう? だから気分が悪くなった。それをバス酔いとして誤魔化したのか、本当にそれが引き金となってバス酔いを起こしたのかは定かじゃないけどね」

「誤魔化してました。だって場の空気を壊すのはイヤだったし」

 瞳は呟くように言った。有沢はうなずいて、

「そして、多分自分を罰したいという思いが爪を噛むクセになって現れたんじゃないのかな? そしてそれを治せない自分も罰したい……。そういう悪循環に陥ってるんだと僕は思うよ」

 瞳は押し黙っていたが、やがて口を開いた。

「……一つだけ聞かせて下さい」

「何だい?」

「わたしは……わたしはおかしいんでしょうか」

「……それは何とも言えないね」

「えっ?」

 瞳が意外そうに顔を上げた。

「狂ってるって判断する人が狂っていないってどうして言えるんだい? しかも狂ってるか自分じゃ気が付かないからね。結局は数の暴力にすぎないんだよ」

「警察に言う?」

 わたしが訊くと、有沢は首を振る。そして瞳に向かって、

「君が直接言うんだ」

 と言った。

「不安なら僕がついて行ってあげてもいい。だけど本当のことを言うのは君だよ。君の問題は僕じゃ解決できないから」

「どういうこと……ですか?」

「解ってるはずだよ、その年になればね。君の悩みごとは他人じゃ解決できない。誰かが解決してくれると思ったら大きな思い違いだよ。他の人は道を照らすだけで、選ぶのは君さ」

 そして呟くようにこう付け加えたのだった。

「もちろん道を照らす人の責任もあるけど」

 瞳はその台詞を聞き終わるや否や、すくっと立ち上がると駐輪場にまで走っていった。


 瞳が去っても、わたしたちは互いにベンチに腰を下ろしたままだった。有沢が瞳のリュックサックの番を申し出たからである。大きなものを背負ってたら転んでしまうと彼が心配してのことだった。確かに大きい荷物を背負ってるとバランスが取りにくい。

 汚れないようにとわたしはリュックサックを持ち上げて、膝の上に置く。想像していたよりも重たかった。

「あ、そうだ。警察の苦手な分野だって言ってたけど、どういう意味だったの?」

「警察は積み上げられた経験を生かすことは得意だよ。でも逆に経験していないことは今までの経験で無理やり当てはめようとするんだ。例えば自分の姿をカメラで監視する人は今まで会わなかったから考えられなかった」

「普通はいないからね」

 と言うと、わたしのケータイにメールが入った。有沢に断ってメールを見ると真佐夫からである。隆一が釈放された旨と瞳なかなか出てこないので心配だ、という内容だった。何か知りませんか、とも書いてあったがはぐらかして、ケータイをしまう。

 そして有沢に報せるとよかったね、と微笑んで話の続きを始めた。

「それから経験のみに頼ること脆さはそれだけじゃないんだ」

「どういうこと?」

「全く関係のないできごとでもさも結びついているかのように思っちゃうんだよ。ときどき、地震が起きた場所に台風がくるとさも異常気象であるかのように取り沙汰されるよね。だけど、僕からみたらなぜ関係あるのか疑問だよ。地震なんて年に何回も起きてるし、台風だって毎年のようにきてるのにね」

「今回だと隆一君が趣味で手製のカメラを作ってたってことと、瞳さんが自分の部屋にカメラをしかけてたってこと?」

 有沢はうなずくと、

「さっき普通って言ったけどその〈普通〉っていう考えが彼女を長年苦しめてたんだ」

 と溜息をついて空を見上げた。青空はどこまでも澄み渡っている。

「結局のところ僕らが経験できることはごくわずかなんだよ。その狭い経験の中で狂気とか正気とか考えると本当に危険なことになりかねないのかもね」



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