病弱でかわいそうな妹は処分されました
それは決定的な一言だった。
「お姉様、ずるいわ。エリアス様のような素敵な婚約者がいて。だって私もエリアス様をお慕いしているんだもの。だから、私にください。ねぇ、いいでしょう?」
妹のアリアが目を潤ませ、肩を震わせ、上目遣いでこちらを見上げている。
白銀の長い髪に、空色の瞳。とびきり愛らしく儚げな容姿のアリアにお願いされれば、誰だって何だって叶えてあげたくなる。
────でも。
エリアスは私の婚約者だ。
伯爵家の次男で、いずれ私と結婚し、我が子爵家に婿入りすることが決まっている。
今日だって婚約者同士の交流として、エリアスは我が家に足を運んでくれているのだ。そうして二人でお茶会を楽しむはずだったのだけれど……。
当たり前みたいに、私たちと同じく丸いテーブルを囲んで座るアリアに、エリアスは優しく微笑みかけた。
「……そう。ノエラにかわって、俺と結婚する。それがきみの願いなの?」
「ええ。だって、お姉様はずるいんだもの。私にないものばかり持っているの。その中でも、エリアス様は特別に素敵。だから譲ってほしいんです」
くらりと目眩がした。
ください、とか譲ってほしい、とか。エリアスは物じゃない。婚約は、家同士の契約でもある。そんな簡単な話でもない。
「いい加減にして、アリア。そんなこと、できるはずがないでしょう」
「どうして? エリアス様はいつだって、お姉様よりもずっとずっと私に優しくしてくださるわ。今だって、駄目っておっしゃらなかったもの。お父様とお母様も、きっと賛成してくださると思うの」
「馬鹿なこと言わないで……!」
「私がお願いすれば、ぜんぶ叶うわ。だって私は、かわいそうなんだもの」
アリアの言う通り。
病弱なアリアに、両親はとても甘い。お気に入りの宝石も、読みかけの小説も、仲良しの専属メイドも。アリアがお姉様のものが欲しいとお願いすれば、みんな彼女のものになってしまった。
だからといって、こんな馬鹿げた話は到底受け入れられるはずもない。
「やだ、お姉様。そんな風に睨まないで……。こわいわ」
目を伏せて怯えたように体を竦ませる。アリアを前にすると、私は何も間違っていないはずなのに、悪いことをしたような気持ちになってしまう。
言い返せずにいると、アリアは胸の前で両手を組み、潤んだ瞳でエリアスを見上げた。その姿のなんと可憐なことか。そんな風に見つめられたら、きっと誰もが守ってあげたいと思うだろう。
エリアスは笑みを深めた。
「大丈夫だよ、アリア嬢。きみの考えは、よくわかった。俺にまかせて。きみのご両親にも、俺からきちんと話をするからね」
「エリアス様……!」
「エリアス!」
感激するアリアと、困惑する私。
順に視線を滑らせたエリアスの冷たい瞳に、嫌な予感が背中を這い上がる。
「アリア……。どうか、考え直して。エリアスは私の婚約者なのよ」
「嫌よ! お姉様こそ、潔く諦めて。エリアス様は私を選んでくださったのよ」
勝ち誇ったようなアリアの笑顔が、いっそ恐ろしい。
アリアに更に言い募ろうとして、けれど静かに口を閉じた。
私が否定すればするほど、アリアは頑なになる。いつだって、どんなに必死に伝えようとしたところで、アリアが私の言うことに耳を傾けたことなどないのだ。
エリアスの様子を窺えば、彼はアリアを観察するようにじっと視線を送っていて……。
その満足気な横顔に、もう遅いのだと気がついて、そっと目を伏せた。
◇◇◇
私──アリア・リースは、幼い頃から体が弱かった。
少し動きすぎたり、体を冷やしてしまったり。そんな些細なことで、すぐに熱を出す。一月のうち、半分以上はベッドの上で過ごすような幼少期を送っていた。
だからだろうけれど、領地で療養することになったの。
お父様は王宮勤めなので、王都からは離れられない。お母様とお姉様も王都に留まって。
──私一人。田舎の領地へと追いやられてしまった。
家族と離れて、寂しく悲しい思いをしている私に、おじい様とおばあ様は優しかった。使用人たちも、みんな親切で。のんびりと療養生活を送っていた。
やがて成長と共に、だんだんと体調を崩すことは少なくなっていった。
だけどそうしたら、家庭教師がつくことになった。とっても厳しい人で、「この程度のことは、お嬢様の年齢でできなくては恥ずかしいですよ」なんて、馬鹿にしてくるの。
酷い話だわ。私はずっと寝込みがちだったから、できなくて当たり前なのに。
悔しいし腹が立ったから、勉強の時間は毎回体調が悪いことにした。私が弱ったふりをすると、みんな優しくしてくれるから簡単だったわ。
けれど、やっぱり田舎暮しは退屈で。華やかな王都への憧れが募るばかり。
とうとうデビュタントを迎える年頃になって、王都へ行きたいとおじい様とおばあ様にお願いした。はじめは体調をずいぶん心配されたけど、私が涙目で一生懸命お願いすれば、いつものように叶えてくれたの。
王都へ来てから、お父様とお母様はとってもとっても優しくしてくれた。
当たり前よね。
今まで、年に何回かしか会えなかったんだもの。領地で放ったらかしだった私に、お母様は何度も謝ってくれたわ。お父様も、何かあれば遠慮なく言うように、っておっしゃってくれた。
でも、お姉様だけは優しくない。
いちいちマナーについて口を出したり、家庭教師から教わってちゃんと勉強するように、と偉そうに言ってきたり。
確かにお父様やお母様も何度かそんなことをおっしゃったけど、体調を言い訳にしたり、泣き落としをしていたら許してくれて、そのうち何も言わなくなった。
ずっとお父様とお母様を一人占めしていたくせに、王都で何不自由なく楽しく暮らしていたくせに、お姉様は本当に意地悪だわ。
何より我慢ならないのが、そんなお姉様に婚約者がいること。
──エリアス・グレイ様。
エリアス様を一目見て、衝撃を受けたの。薄い茶髪は、陽に透けると金色みたいに輝いて。瞳はエメラルドのように美しくて。整ったお顔に穏やかな笑みを浮かべる、優しい紳士。
まるで王子様みたいだって思った。
こんな素敵な人と結婚できるなんて、お姉様はずるい、って。
だから、お姉様のかわりに私がエリアス様と結婚するの。
おとなしくてつまらないお姉様より、私の方がずっと可愛いし、エリアス様だってそれを望むに決まってる。私が欲しがれば、何だって手に入るのよ。
今までも、これからも。
「アリア。おまえの縁談がまとまり、嫁入りが決まったよ」
お父様がそうおっしゃったのは、あれからたった5日後のことだった。
とっても嬉しかった。これまでお姉様から譲ってもらったものの中でも、一等素晴らしいものを手に入れたんだもの。
婚約でなくてすぐに結婚なのも、エリアス様がそれだけ私を求めてくれているということだわ。
だからその日の午後、私に会うために屋敷を訪れたエリアス様の姿を見つけて、すぐに駆け寄った。
「エリアス様! お父様から結婚のこと、聞いたわ。約束通り、ちゃんとお話ししてくださったのね」
エリアス様は一瞬だけ目を見張って、それからいつものように優しく微笑んだ。
「喜んでもらえてよかったよ」
「嬉しいに決まってるわ! エリアス様のお嫁さんになれるんだもの」
甘えるように腕をからめて、並んで歩く。たどりついた応接室には、すでにお茶やお菓子が準備されていた。
お姉様とエリアス様が、婚約者同士の交流としてお茶会をしていた時のように。でも今は、この場所は私のもの。
準備の良さに気分も良くなって、にんまりしながら席につく。
メイドは控えているけれど、エリアス様が自らお茶をいれてくれた。
そんなこと、お姉様にしているところを一度だって見たことはない。やっぱり私は愛されているのね。
クッキーを頬張りながら、ふと浮かんだ疑問を口にする。
「そういえばお父様ってば、嫁入りっておっしゃったのよね。エリアス様は、お婿に来る予定じゃなかったかしら?」
「それは……このリース子爵家を継ぐのは、ノエラだと決まっているからね」
「まぁ……そういうこと」
何もかも奪ったつもりでいたけれど、子爵家当主の座だけはお姉様から奪えなかった。
そのことが、少しだけ悔しい。
──でも。
優雅な仕草でティーカップに口をつけるエリアス様は、やっぱり惚れ惚れするほど素敵。
エリアス様がいれてくれた紅茶に、蜂蜜をたくさん流し込む。それを一気に飲み干して、「そうだわ!」と声を上げた。
「いいことを思いついたの。エリアス様が、伯爵家を継げばいいんだわ!」
「…………え?」
エリアス様はとっても優秀だと、みんな褒めていた。だったら、伯爵家当主だって務まるはず。
そうなれば私は伯爵夫人。子爵位のお姉様なんかより、ずっとずっと偉くなれる。こんなに素晴らしいことはないわ。
けれどエリアス様は、困ったように眉尻を下げた。
「アリア嬢。俺は次男だし、伯爵家は兄が継ぐことになっているんだよ」
「平気よ。今度は私にまかせて。私がエリアス様のご両親とお兄様に、お願いしてあげる。そうしたらきっと、うまくいくわ!」
にっこり笑いかけると、エリアス様の表情が突然すとんと消え失せた。
「…………えっ…………?」
驚いてぱち、と瞬きするけれど。
笑顔を消したエリアス様の目は鋭く、冷え冷えとしている。
こんなの、知らない。
まるで汚らわしいものを見るように睨みつけられて、背筋がぞくりとする。
「…………エリ、アス……様……?」
「その口で俺の名を呼ぶな、ブス」
理解が追いつかず、息をするのも忘れた。
あの、優しいエリアス様が。
なんて言った?
「……なっ……。ブス、ですって!? 私が……!?」
「顔の造形は悪くないのかもしれないけど、内面の醜さが滲み出すぎている。我儘で傲慢な性格ブス。正直、こうして向かい合っているだけで吐き気がする。腕に触れられた時は、鳥肌が立って叫びそうになったよ。二度と俺に触れるな、汚物」
なんて酷い罵詈雑言。
優しいふりをして、こんな人だとは思わなかった。
許せない……!!
「最っ低……!! あんたなんかとの結婚はなしよ! お父様とお母様に言いつけてやるら……」
言葉の途中で、どうしてか急に呂律がまわらなくなった。
瞼が重くなって、首がぐらりと舟をこぐ。
瞬間、頭皮に痛みが走った。
髪を鷲掴みにされて、乱暴に上を向かされて。こちらを覗き込む、エリアス様の蔑むような瞳と目が合う。
「おまえなんかと結婚するわけないだろ。おまえは、男爵家の後妻になるんだよ。子どもは5人、孫は12人。おまえのおじい様より年上のね。……あ、彼は最近家督を譲ったから、元男爵だっけ」
鼻で笑うエリアス様は、何を言っているんだろう。
そんな馬鹿な話、あるわけない。
可愛くてかわいそうな私が、そんな男に嫁ぐなんて有り得ない。そんなこと、誰も許さないわ。
いっぱい言いたいことがあるのに、頭の中はどんどん霞がかって、目の前が暗くなって、意識がぷつりと途切れた。
◆◆◆
下男が眠りこける汚物を運び出して、ようやく澱んだ空気が少しだけマシになった気がした。
あの女はあのまま馬車に乗せられ、眠っている間に男爵家へ到着するだろう。そうなれば変態男爵に監禁され、二度と外に出られることはない。妻とは名ばかりで、ただの愛玩対象なのだから。変態のやり方で、きっと可愛がってもらえるだろう。
……まったく、あの頭のイカれた生き物が、愛しい婚約者ノエラと姉妹だなんてどうかしている。
自覚していることではあるが、俺はどうにも口が悪い。
もちろん普段は気をつけているし、貴族としての教育も十分受けてきたから、外ではちゃんと紳士のふりをしている。
ただし家族となる相手ならば話は別だ。家の中でまで猫被って一生生きていくなんてできない。
ところが俺のこの優しく甘い外見も相まって、ほんの少しでもぽろりと本音が零れようものならば、ご令嬢というものはみんな勝手に俺に幻滅し、腹黒い男は無理だの、騙しただのと、散々にこき下ろしてくる。
そんな中で、ノエラだけは違った。
俺が何を言っても、何をしても、「仕方のない人ね」と笑ってくれた。
全てを許容してくれる、女神のように優しい女性なのだ。
あの汚物に関しても、そう。
とうの昔に子爵夫妻は見限っていたというのに、ノエラだけは最後まで見捨てようとはしなかった。
甘やかされて増長し、手に負えない化け物へと成長してしまったあの醜悪な生き物。貴族令嬢としては使い物にならないし、だからといってあのまま穀潰しとして養っていくことで、次期子爵となる俺たち夫婦に迷惑をかけるようなことがあってはならない。
だからこそ、子爵夫妻は断腸の思いで娘を売ることにしたのだ。
持参金なし、顔だけはいいが頭は空っぽ、自称病弱で、子を産めるかもわからない。
──そんな条件でも娶っていいという、奇特な相手へ。
もちろん、婚姻後どんな扱いをされるかわかったものじゃない、と理解しながら。
さすがに娘が少々不憫になった子爵夫妻は、せめて輿入れまでの猶予の間はと、目一杯甘やかすことにしたようだが。
それでもノエラだけは諦めず、なんとか妹に貴族らしい振る舞いを身につけさせ、きちんと価値ある令嬢として嫁げるようにと気遣っていた。
そんな心優しいノエラにとってかわろうとしたのだ、あの汚物は。
あの発言の後、子爵夫妻にはすぐにでも汚物を輿入れさせるように申し入れた。おぞましい発言をそのまま伝えたら、二人とも真っ青になってたな。
やっと醜く汚いゴミクズ以下のアレを処分できて清々した。
たとえ嫁ぎ先の変態じじいが死んでも、この子爵家には戻さない契約だ。アレはじじいが生きている間も、死んでからも、一生男爵家別邸の一室で飼い殺し。
正直それだけでは腹の虫はおさまらないが、二度と顔を見ないで済むのだからひとまずよしとしよう。
汚物に触れてしまった手を入念に拭き取っていると、応接室の扉が開いた。
「エリアス」
現れたのは愛しい婚約者、ノエラ。
──けれど。
俺たちのために準備されていたはずのテーブル。その上に残る、手をつけられた茶菓子や使われた形跡のあるカップを、メイドが慌ただしく片付けるのを見ると、顔を強ばらせた。
聡明な彼女のことだ。ここで起こったことを察したのだろう。
「そんな顔をしないで、ノエラ。きみを悩ませていたものは、もう駆除したから。あんなもののために、その綺麗な瞳を曇らせないで」
「そんな風に言うなんて……あんまりだわ」
「ああ、ごめんね。アレでも一応、きみの妹だもんね。でももう忘れようよ。汚らわしいものが、きみの脳内を侵食していると考えただけで俺はぞっとするよ。あんなものに充ててた時間は、これからは全て俺にちょうだい」
俺の言葉にノエラは眉根を寄せて、ふぅと溜め息をついた。
それから慈愛に満ちた瞳を細め、俺を真っ直ぐに見上げる。
「もう……。あなたって本当に、仕方のない人ね」
──やっぱり、笑って俺を受け入れてくれる。
ノエラのためなら、俺は何だってしてあげたいのだ。今回は彼女の身内だからと、告げ口と薬を盛るだけで済ませたけれど、赤の他人なら容赦はしない。彼女の瞳を曇らせるものがあるとしたら、徹底的に排除する──そう、決めている。
テーブルの上に、新しい紅茶と茶菓子が準備されて。
麗らかな午後、何事もなかったかのように、愛する婚約者とのお茶会ははじまった。




