その二十三
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「侠という理で割り切れぬものを行動の規範としていながら、御前が実際にする事というと、理路整然としたものばかりだ」
或る人間の言葉です。実に、そういうものであると思います。その理念は理で割り切れぬものであるのに、それが健全で正しいものであればそこから生まれて来る行動は全て理に適ったものになる、そうではありませんか。
斯かる事情が人間の生きる消息を如実に伝えています。機微というものともまた違うものですが、本当に信頼出来るものからはそれが言葉や理論で説明し尽くせぬものであっても、決して理不尽なものが生まれ出て来ません。私は斯ういうものに、また斯ういう言葉に、深く信頼します。
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遠い昔、子供だった頃の、あの時。あの時私は初めて自分が絶対的に存在しているのではなく、流れの中に居る事を理解した。時間なのか、それ以外の何かなのか、それは判らない。けれども自分を囲む環境も、また自分自身をも、絶対不動のものであるとは確信出来なくなったのだ。それは私を取り巻く諸々のものがどんどんと移り変わっていくという事を理解したという事だ。如何に私が大切に思い、それが無くなる事に堪えられないのだとしても、それでもそれは無くなる事もあるのだと知ったのだ。それを私は、一人で旅する山陰本線の列車の中で知った。あの古い古い、私以外に誰一人乗っていない、薄暗い、薄汚れた客車に乗って、揺られ運ばれながら。
思えば本当にこの時からだったと思います。私が絶対を求める気持ちを抱いたのは。人間には不可能、そうかも知れません。しかしそれを知って猶私は渝わらぬものを求めるでしょう。今、思います。その渝わらぬものを求める営みこそが私の一生であるべきです。それが私の『絶対』なのです。
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生活の中で泣く事がありますか。暮らしていて瞼に涙を湛える時がありますか。悲しい嬉しいに関係ありません。それが必要です。それが無いならその人はどこかを病んでいます。人間らしい暮らしから遠ざかっているのです。
泣く事は、その人に感情が働いている事の何よりの証左です。更に、独り居る時に泣く事が出来るのはその人がまだ心に何かを頼りにしているから泣けるのです。本当に何も支えが無くなった人は絶対に泣く事が出来ません。ありと凡る意味に於いて、泣く事が出来るのはその人の魂の健全を示します。叶わぬ遠い願いが近付いて来てくれぬ事を悲しんで、自らに相応しくない程の幸いを享けている幸運に感謝して、愛する人が今この時身近に居らぬ事を嘆いて、泣く事の出来る生活をして下さい。そういう生活でないと人は先に希望を置く事が出来ません。乾ききった瞳では大切なものは見えません。それでどうして未来に希望を置く事が出来ますか。
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朝子供を保育園に送る直前、子供が見ていた教育テレビで一回聴いただけで、その後泣けて泣けて仕方のない歌がありました。初めて聴いた歌です。でも、もうその一回で私の中にすんなり入って来ました。絶対にこれはこのままずっと私の中に残るでしょう。この後何年経ったとしても。
本当に、『君のたまご、何が出る?』です。私に息子が与えられている事、その事に言葉に出来ない程感謝します。生きる喜びは必ず身近に在る。この歌はその喜びをはっきりと教えてくれています。私は両手を合わせて頭を垂れ、深く感謝します。
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