その二十二
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国鉄京都駅、そして同じく明石駅。私の子供の頃の休日の記憶の代表です。日曜日に父に連れて行ってもらう事が多かったからです。京都は父の故郷、そして明石には叔父が住んでいました。私は鉄道に乗れるのをとても喜んで一緒について行きました。父の休みの日の外出ですから当然晴れた日が多かったのですが、私の記憶の中のこの二つの駅はいつも明るい陽射しの中に在りました。
五十年、半世紀前の記憶です。今となっては茫々の過去の中に入って仕舞っている筈のものです。しかし鮮明なのです。私がその時の光景を忘れる事はありません。現在の私が心の安らぎを感じる時、不思議にこの二つの駅の光景が心に浮かんできます。それは私の安らぎと見事に調和します。論理的には何等の関連が無いにも拘わらずです。
私は記憶と共に生きます。選択として自覚的にそれを選ぶのではなくもうそれしか無いからです。最初からそれは私にとって一本道です。私は私の現在を過去によって形造られたものである事を認め、私の未来を必ずその延長上に構築しなければなりません。その一貫した途切れの無い連続性に私は私の魂の健全を負うと見ています。
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『生きていても詰まらない』。私の場合、私が実際にそう感じるか否かよりも私がそんな風に感じてはいけないという『命令』の方が先に私に届きます。そして現実が如何なるものかという問題自体がこの命令に拠って駆逐されて仕舞うのです。これは何らかの分析を伴う判断の結果ではありません。一切の思考の前にそれを素通りしてこの図式が適用されて仕舞うのです。
私は今、思います。私はこれで良かったのだと。この在り方が実は私を守っていたのだと。私は分析し判断し最適の解を見出しそれを採用し実地に用いて生きる人間ではありません。そういう人間になりたいとは思いません。憧れる事が無いのです。私がなりたいのは何があっても信じ抜く人間です。
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ネットのページを見ているとお金儲けの話が多いですね。私はこの手法で幾ら儲けたとか、毎月の生活費を投資で獲得しているとか。逆に大損したとかもありますね。でもこれらは要するに方法論の一つなのであり、その人が如何に生きているのかを語っているものではありません。その人が何を追い駆け目指し何を心の支えに生きているのかを何ら伝えてきません。如何なる地質の畑で如何なる作物を作るならばこの肥料が有効ですよという話と同じ次元に並ぶものです。『必要に応じて参照』すべきものの域を出ません。
探すべきは、求めるべきは、自分ではない他人の生きる理由です。それを自らのそれと照らし合わせる必要があるからです。私は本当に現在の指針で可いのか、非常に基本的な次元で根幹に誤解間違いを含んでいないか、そういう事を他者の言葉を聴いて確認しなければなりません。私はこれを必須の作業であると思っています。『情報』ではありません。必要な『意見』を選択して下さい。大事な事ではありませんか。
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猛烈な馬鹿は自分以外の誰一人の為にもそれを用いる事もせずに只管蓄財し、
「ああ、資産が貯まった。これで普通に暮らしていれば、五年はもつ。安泰というものだ」
といって、本気で心の底から安心してその帰結として熟睡するのです。信じられない話です。お金の価値が下がるという何度も歴史的に繰り返された事実を知らないのでしょうか。第一次大戦後のドイツのレンテンマルクを知らないのでしょうか。社会の生産力自体が衰えて商品の数量が異様に減り、結果その価格が暴騰するという戦後直ぐの事例を聞いた事が無いのでしょうか。世界で日常的にある預金封鎖と新通貨切替を如何に思っているのでしょうか。そして抑々(そもそも)自分が生きる理由というものは。
過去、今までにあった事は、矢張これからもあるでしょう。それどころか今までに無かった事もこれからはあるでしょう。そういう中で自分の生きる使命は何だと思いますか。何うやって生き延びるのかではありません。そんなものは何を如何に工夫していても所詮一発で吹っ飛んで仕舞います。そんな世界の中で生きる事を許された時まで何を理由に生きて行こうというのか。そういう事を考えてみて下さい。順番が違うのです。先ず枝葉を変質狂的に整備する愚を犯すべきではありません。最初に本丸すなわち自分が生きる理由を構築すべきではありませんか。
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