その十八
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他人の賛同を得るのではありません。他人に自分を示すのです。一人の賛同者無くして、それは達成されます。示す事が出来れば、最早その目的を達したのです。その後に思い悩む事はありません。あってはならないと思います。ちゃんと出来たものをその後に悩むのは視るものを間違えているからです。
自分の営みの目的が何なのか、それを徹底して単純に把握して下さい。何が出来たら成功で何を達成出来なければ失敗なのか。それを知る事で次の自分の行動を納得出来るものにする事が出来るか否かが岐れるからです。自らの深い納得、必要ですよ。人生の過程に於いてそれを自分以外の人間が自分にくれる事というのは決して多くないのですから。
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淋しい道だと思うなら、多分その道で正しいと思います。人が生きて行く道は屹度そういうものなのです。しかし淋しいままに希望も喜びもある事を忘れてはなりません。それも真実だからです。
進む事が出来る道ではありません。信じられる道を往って下さい。それは必ずずっと続くからです。
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今やその中で一軒二軒しか店を開けていない古い暗い市場で私は御菓子を買います。その開いている店のうちの一軒が御菓子屋さんなのです。私は一週間分の御菓子を其処で買います。既に習慣になりました。愛想の良いお爺さんの店長さんがいつも笑顔で『ありがとうございます』と言ってくれます。でもその市場に入るまでに辿る経路がまた凄い。都会の中なのですが今時土道です。舗装道路ではありません。そしてその両側には昭和中頃に建てられた、今や壁の落ちた、軒の下がった、そしてモルタルの黝ずんだ間口の狭い家々が並んでいます。表札がある家もありますが、どうも人が住んでいる気配がありません。もう全部空家なのかと思ってその土道を歩いていると、過日初めてその家の住人、初老のおばさんが家の前で近所の人らしい人と話しているのに遭遇しました。その時私は心から安心しました。これらの古く粗末な家にもまだ人の営みが続いている、此処は本当の『残骸』なのではない、此処はまだ死んではいない、生きているとそう感じたからです。
私は時々思います。私は決して人間の事が好きではありません。私が好きな人間は非常に限られています。しかしいつも、其処に人間の普通の営みがあるとそれが如何なる人間であるかを私が知る前にして既に嬉しくなります。ほっとするのです。この事は経験的に後付けで私に付加された属性ではない様に思います。私にとってそれは非常に本質的で私の属性の一つに数えるには相応しくないものであると。そんな根深いものを抱えていながら同時に人間の事をそんなに好きではないという自覚がある、これは如何なる事なのでしょうか。私は希望します。それは、私が『人間』と呼んでいるその対象とは実はただ一つの『人間』という範疇で呼称するには相応しくないものなのではないか、と。それは本質的に異なる別の二つ、否、幾つかのものを『誤って』全部一つの呼び名で呼んでいるのではないかと。
この事に就いては様々な見方が出来ると思います。また非常に危険な観点の基礎を提供している側面も慥かにあると思います。しかし私の感覚が感じ取ったものです。そこには非常に重要なものが潜んでいるに違いありません。
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或る人から聞きました。
「倒産する直前の会社って、本当にその中の雰囲気って嫌なものだよ」
その会社に勤めていた人の言葉です。さもありなん。最早手の打ち様も無くなるがままに任せているしか仕方がない。後は手形の不渡りか或いは受注の皆無で取引銀行から融資を断られ、社長が廃業を決断するのみです。正に時間の問題な訳ですね。
人も同じようなものかと思います。『そうなるまでに』手を打たないといけません。それもしばしばそういう一直線の退潮時期にはちゃんと問題が浮かび上がっているのに、故意にそれらを無視して成り行きに任せる、無為を続けるのです。破綻はその結果です。対処を考えてみましょう。決して出来ない事ではありません。それは三日のうちに百万の金を作れと言っているのではありません。本当にそんな話が自分に降って来るまでに幾つもの数のしかし実施出来る方策があるのです。破綻は自分に不可能な課題がやって来る事に拠るのではありません。私はそう思います。行き詰まりは矢張自分が『招いて』いるのです。その過程には自己の責任が明白に噛んでいます。
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