その十三
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人には日々具体的に何かする事、それに携わる作業というものが必要です。生活の為の雑事は放っておいても山程やって来ます。ですが、その何かする事というのが『しなければならない事』という要素だけのものであるのでは駄目です。それには喜びが無いからです。正確に謂うとそのしなければならない事というのが何らかの意味で自分が『したい事』である必要があるのです。また更に謂えば、その自分がしたい事というのが自分一生の使命、意義に直結したもの、そこから引き出されて来た『したい事』でなければなりません。私は長い間にそう考える様になりました。自分の生きている在り方をこの図式に則って構築する必要があると思う様になった訳です。生活で具体的に従事している作業仕事が、直ちに人生の最終目的に単純に、明瞭に、直接に、繋がっていなければならぬと思ったのです。何故ならそうでないと私が生きる事について自ら納得出来る喜びが湧いて来ないと結論付けたからです。そしてその為に一番基本になるのが、
「私は一生の間に何をしたいのか」
でした。それを決める。それが在って初めて他の全部が繋がって動き出すからです。
あなたにとって斯ういう在り方が如何なる意味をもつのか、私には判りません。ですが私と同じであるにせよ違うにせよ、生活、人生に喜びをもつ事の出来る在り方を探して下さい。意識的な努力を払う事なく探しもしないで、私もそう思う或いはそれは違うと言われても、私としてはその意見に聴きたいとは思いませんから。斯ういう事は如何なる結論にせよかなり長い実践の結果、その間の意識の集積として現れて来なければならぬものの筈です。
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音楽に、歌に、慰められ励まされる。それで良いと思います。私も子供の頃からそうでした。悲しい旋律に、優しい歌詞に、私は自分がその時に居るつらい環境から引き上げられ、別の世界に運ばれました。
人間は収益で元気になるのではありません。心通じる相手が、それも心にあってそれで元気になれるのです。
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他人の自分に対する評価ではありません。徹頭徹尾、自分の信念です。そこに自己の存在の意義の全部が懸かっています。そこで決まるのですよ。
世を生きるならば数え切れない試練がやって来ます。でも、鍛えられて下さい。それに拠って鍛えられて下さい。それらはあなたを鍛える為にやって来るものではありません。寧ろあなたを潰そうとして悪意をもってやって来るものです。しかしあなたはそれをそのままで『自分を鍛えるもの』に『する』事が出来ます。何うやって。自分の動かない信念に拠ってです。だから自分の信念を確立出来る様に自分の心からの願いに忠実であって下さい。その営みを自ら軽蔑し軽く見る事がない様にして下さい。
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私の育った家は経済的に豊かな家ではありませんでした。だから私は子供の頃からお金の有難さをよく知っていたと思います。しかしそれが大人になってから非常に『役に立ち』ました。思い付きで支出する事が出来ないのです。
「今日は何うしようか。映画でも見る?」
別に前々から見たくて見たくて堪らなかった映画でもないのに、映画鑑賞の為のお金を出すのに抵抗があります。
「おっ、あれは新しく出来た紳士服店だな。一寸、覗いてみよう」
別に今着ている服はどこも破れていません。なのに新しい店が出来たからといって早速気軽に入店する気が知れません。堕落の極みです。
「外資系の遊園地、行ってみたいー」
阿呆か、御前は。御前一人で行け。行って、金を毟り取られてこい。そしてこの先暫くの間ずっと金が無い金が無いと言ってろ。
万事この調子です。計画、殊更にそういう訳でもありませんが、久しく欲しいと思っているものの為にしか支出出来ない身体に、精神に、最早なって仕舞っているのです。吾身に染み付いたこの習慣が、私の一生をずっと守ってくれました。世の中にはそういう、別段苦悩に顔を歪める程でもない極めて軽微な忍耐さえもする事が出来ず、収入以上に無暗に支出して破綻して仕舞う人間が本当に居るのですね。もっと貧の自覚に徹する事、そしてその徹した結果の外観上は非常にみっともないレベルの貧相に、実は非常に気楽で楽しく心軽い喜びがある事を知るべきです。昭和初期の世界恐慌時代の民衆の生活の物質的レベル、それくらいまで徹底的にやってみれば良いのです。屹度新たなる人生、正にその人の『新生』を体験するのではないでしょうか。私は私にそういう価値観が自然に具わっていた事を改めて父母に感謝します。他の事ならば兎も角、浪費で自己破産してそれで本当に自分の人生がアウトなどという恥ずかしい真似が出来るものですか。知り合いに会う会わないに関係無く、みっともなくて外を歩けません。
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