その十二
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私は暑さにも弱いですが寒さにも弱いです。これは若い時からそうでした。でも一度吹雪いていて真黒な空の下、田舎の小駅で汽車から降り駅前のそれはそれは粗末な宿屋に怪しまれながら泊まってみたいです。ビジネスホテルでもないのに先に宿料を請求されるのは間違い無いでしょう。おまけに胡散臭そうに更には迷惑そうに受け答えされるのです。でも其処に泊まります。そして同宿の、何んな人間だか金輪際判ったものじゃない客と少し話すのです。そんな体験をしてみたいものです。
「私は・・・、実は私は・・・、悪い人間でして・・・」
とか何とか相手が喋り始めたら、私は一体何うすれば良いのでしょうか。また、もうこれ以上私は男を探してはおりませんという心の姿勢が明白な表情をした中年の女性が、それでも何故か私に話し掛けてきたら、これもまた一体如何したら良いでしょうか。両方共に結構な修羅場であるとは思いますが、まあ此方が私一人ならそれも宜しい。体験してみましょう。若しかしたら私とて話の途中で逃げ出すかも知れませんが。
これらは善いものではないかも知れません。私が見上げ、渇仰し、奉じて生きていくものではないでしょう。しかし依然として『人間らしいもの』である事からは外れておりません。そこには矢張人間が生きてきた跡が明確に刻印されています。そういうものであれば私はいきなり顔を背ける事はないと思います。そして場合によっては、私はそういう事態から自分にとって後々ずっと大切に思う事の出来るものを得られるかも知れない、その可能性を感じます。心の姿勢として、人の中に生きるべきですね。それから隔絶された中に暮らしていては駄目です。
6802
遊んでいても特に楽しくないのはどうしてだと思いますか。その遊びが済んだらまた詰まらない毎日が来る事を知っているからでしょうか。それとも遊びに行く前には楽しいと思っていたのに実際遊んでみたら思った程楽しくなかったからでしょうか。更に言えば、遊んでいて楽しいしそれが終わった後にやって来る日常も決して嫌なものではないけれども、抑々(そもそも)自分は何を目的として生きているのかが判らない、根本的にそれを知らないからでしょうか。
私は言いたいのです。何でも宜しい。でも詰まらない楽しくないと感じるならば、自分が本当に心を喜ばせる為に何が必要であるのかを真剣に思ってみてほしいのです。あまり深く考えずこの問題を適当にして過ごしていると、本当に人生はそのままで終わって仕舞うからです。生きている間中ずっと深い濃い霧の中。それは本当に人が生きる在り方なのでしょうか。夕焼金色に染まる空に映す憧れは無いのですか。曾て一度夢に見た光景を本当のその目に見たいという願望は無いのですか。絶対を宣言する事の出来ない人間と雖もこれだけは尽きる事を許してなるものかという激烈な情感を覚えませんか。如何に泣いても報われぬ中、意を決してそれでも先に進む事を選ぶ人間を前にして心動きませんか。自分も斯く在りたしと願いませんか。
自分の願いを自身の中から掘り起こして下さい。それ無しには終に虚しいまま人生を終える事になるでしょう。
6803
つらい事嫌な事は毎日あります。それが来ない日はありません。でも私の慰めは尽きる事がありません。必ず続く、堪える事の無い嫌な事。しかし本当は尽きる事の無い慰め有る事にこそ心が向かわなければならないのです。
その尽きぬ慰め、実はもっている人の方が少ないのです。それも永く苦しんで自分でそれを創り上げた人も少ないですが、生まれた時既にそれが与えられていた人となるともっと少ない筈です。それに対する感謝が絶えて、他の何に心が向かうべきでしょうか。それに比べたら『嫌な事』など些事です。取るに足りないと思いませんか。
6804
息子が通う保育園の子供達には本当にいつも慰められます。朝息子を連れて行く登園時間によく会う女の子がこの前、私が息子を保育園に迎えに行った時に私に抱き付いて離れません。息子も抱き付いてきました。まるで子供が二人に増えた様な幸せな錯覚を感じました。天にも昇る心地でした。また、別の時には別の女の子が私の手を握ってこれも離しません。暫くお喋りしてからさよならしました。
私程人間を必要としている人間も居ないのではないか、そう思います。私もしっかり学ばねば。大人として。
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