その十
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生きる事に倦む。本来あり得ない事の筈なのです。だって人は生活と人生に懸命である筈だからです。なのに何故、人生に倦み疲れるのでしょう。
私には簡単な理由に思えます。何も探していないからです。何も本心から求めていないからです。心を育み、生かす何かを、抑々(そもそも)が求めていないからです。何も無い事をもって平和であると勘違いしているからです。何も探し求めていない七十年、八十年の人生、倦む筈です。倦むどころではない、気が狂うでしょう。自分が何を欲しいのか、改めて思ってみるのは如何ですか。というか、激しく思いましょう。遊んでなんか居らずに。楽しくないでしょう、遊んでても。
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「到底、生きていけない」
いいえ、生きていく事が出来ます。質素に、実に地味に、しかも苦しんで生きる事は可能です。そして実はそれで人間は十分幸福になれるのです。つらい事が連続してやって来るのに、それでも幸福になれるのですよ。
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深く想わなければ何も善いものは生まれてきません。鋭敏な感覚とか、緻密な計画とか、更には類稀な才能とか世の中では様々に言いますが、それらは根幹に深く想うものがあっての話でありそれが無いのにその代用になるものではありません。
私は『想う』と謂いました。しかしこれは実は願いがあっての初めて可能になるものです。深く想う事が出来るのは強く願う事があるからなのです。私は願いが人間もその人の人生をも作るものであると信じています。それが在れば善い尊いものは勝手に出来上がっていきます。願いを心に抱いて下さい。
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ロシア正教会に破門されたトルストイの事を思うと私はその結果は必然であるとも思いますし、何より教会から破門されたからこそその抱くところのものが本物、真実に価値のあるものであったとの確信を強うします。本当に価値のあるものは必ず既存の秩序から敵視されます。これは今更説明の必要が無いでしょう。聊かでも歴史を知っていればその事は自明です。しかしそういう事態が却ってその敵視されたものが真実に触れている事情を保証します。
トルストイの『三人の隠者』。一度読んだ時から私はずっと忘れられません。私の信じるものとはああいうものです。直ちに私の腹の底に落ちて来るものだけです。私の信仰はいつも人間らしい情感と共に在ります。到底理解し難い神秘の中になど在りません。
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