Bullet.0
2021年8月。
屈強な男たちは無骨な軍用車両の中、静かに揺られていた。
フィルターのない手巻きの煙草を楽しむ者、ポケットナイフを意味もなく開閉している者、アサルトライフルの状態を入念にチェックする者。これから戦地に赴く彼らは一言も発することなく、時間を持て余すかのように、それぞれが別々のやり方で到着を待っている。
そんな男たちの中に一人、明らかに場違いな者がいた。
肉体的にも他の者に比べると細身で、肌つやから察する辺り若い。しかし、それ以上に烏のような艶のある黒い髪が周囲からは浮いていた。
「Hey」
そんな彼に興味を持ったのか、煙草を吸っていた髭面のアフリカ系アメリカ人は少年に声を掛けた。
しかし自分が声を掛けられているとは思わなかった彼は、俯き目を閉じたまま微動だにしない。
「Yo! お前だよ、クロウ」
男は無視されていること自体は気にした様子もなく、少年の特徴を言葉にして再度声を掛けた。
「なんだ」
「おぉ、とんでもねー目付きしてんなお前」
反応を示した少年の鋭い目つきに僅かに動揺する男。
「俺はカイル・クラーク。気軽にカイルと呼んでくれ。お前は?」
しかし怯んだのも束の間、男は自ら名乗り少年にも問うた。
「……桜満日景」
あまり関わりたくなかった日景だったが、この狭い空間では逃げ場もなく、大人しく名乗ることにした。
「What? ジャップか!」
「それがどうした、ハンバーガー野郎」
実際のところ日景に自分が日本人だという自覚はない。
だが自分に向けてその蔑称を使ったブラッドに対して皮肉を込めて応じた。
「悪い、そんなつもりはなかったんだが……なんつーか、お前が日本人だとは思わなくてよ」
「どういう意味だ」
「そりゃ、まるで白人の女みたいだったからな。その髪もわざと染めてるのかと思ったが、純正なのか」
カイルに悪気はなかった。
事実として色白の肌を持ち整った彫刻のような顔つきは、可愛らしいと表現される日本人とは異なっている。どちらかというと、美しいと形容するのが適切だったからだ。
「……で、何か用か?」
無意味な会話だ、と感じ始めていた日景は、さっさと要件を済ませて一人の時間に戻ろうとしていた。
「あーヒカ、ヒガケ?」
(こいつは頭の出来が悪いのか)
「シンでいい」
この調子だと何度も訂正することになりそうだと思った日景は、普段から呼ばれている方の名前を伝えた。
それは愛称ではない。
プロジェクト【Soldier:Ideal Nuclear】
理想的な核兵器とは対象を必ず抹殺し、目標を達成する兵士であるという馬鹿げた思想から始まった計画で、被検体として遺伝子操作を施され生み出されたのが日景だった。
そのプロジェクトネームの頭文字を取ったのがシンだ。
桜満日景とは遺伝子提供者、つまりは実の親から授かった名前だが、研究所で生まれ育った彼がそう名乗ったのは初めてのことだった。
しかし結局気に入らない方の名前を使うことになってしまったことに些か苛立っている。
「シンだな! そんな呼びやすい愛称があるなら最初から言えよ、ブラザー!」
(慣れ慣れしい奴だな)
暫くこの男との会話に付き合うしかないのか、と諦めかけた時、車両は停止した。
高機動車から森林地帯に降り立った彼らの顔つきは、先程とは打って変わり精悍だった。特に変わった様子のない者もいたが。
日景たちの所属する第3班は分隊長指揮の元、傘型隊形に展開し森の中を最小限の音で進んでいく。
木々に視界を遮られ、何処から敵が現れるかもわからない状況下では、必要以上に集中力を使わされて、隊員たちは半日と経たずして疲弊していた。実戦ということもあるのだろう。
そんな状況の中、一瞬の出来事だった。
先頭を歩いていた分隊長が頭を吹き飛ばされ、その場で崩れ落ちた。
瞬間的に前方を全員が警戒するが、次に右側左側と銃弾が飛来して隊員たちは崩れ落ちていく。
「シン! 囲まれてるぞ!!」
(なんで俺を呼ぶんだ……)
カイルの怒声が飛んでくるが、日景は既に動かなくなった隊員の倒れ方から、銃弾が飛来した角度と敵の位置を割り出し、どの方向からも防げる木々を盾に身を低くしていた。
「お前だけずりーぞ!!」
そこにカイルも合流する。
(うるさいな……)
「で、どうするよ? ブラザー」
「……囲まれてるとわかってるなら、やることは一つだろ」
「やることって、脱出ってことか?」
「あぁ」
「こんな状況でどうやって逃げ切るっつーんだよ! 簡単なことじゃねーぞ?」
これ見よがしに日景は溜息をついた。
一人でさっさと逃げ切ることを考えなかったわけではない。事実として彼にはそれだけの自信も実力もあった。
しかしそうしなかったのは、単にカイルという男が気掛かりだったからだ。
何故自分にここまで関わろうとするのか疑問だったと言い換えることも出来る。
今まで日景と接してきた人物は、彼の才能や能力にしか興味がなく、あくまで被検体としての関心しかなかった。だがカイルがそんなことを知るわけもない。
じゃあ、何故?
そんな疑問が日景の中に生まれ、逆に興味を抱いていた。
「なんだよ、その溜息。お前、今『こいつ馬鹿だな』って思わなかったか?」
「そうだな」
「なんだと~? じゃあどうやって切り抜けるのか言ってみろ!」
日景は「そこで見てろ」と言って、腰に刺していた短剣を抜き放った。
そして駆け出した。
敵は前方に1人、左右に1人ずつ。最低でも3人。しかし分隊として行動しているなら、7人はいると予想出来る。残りの4名がどこにいるかは依然として不明。
だがまずは、と彼は分隊長を殺った者を狩る為に、最大限身を低くしながら猛スピードで突っ込んで行く。
その姿を捉えた敵兵は慌てて照準を合わせて発砲したが、右に左に、時には高く飛び上がって木を蹴り、縦横無尽に動く日景を墜とすことは出来ず、首を掻っ切られて絶命した。
彼がこれで止まるわけもなく、その場と割り出した2名の場所を円で結ぶように、敵を1人ずつ確実に殺しながら更に駆け抜け、ついには割り出せていなかった4人含め7名全員を蹂躙してしまう。
刃と自らに血を滴らせ、未だギラつく瞳で周囲を警戒する姿は、まるで大型肉食動物の絶対的強者のような存在感があった。
「ジーザス……」
その光景を目の当たりにしたカイルは思わず呟く。
(予想通り7人か。もう大丈夫そうだな)
腰を抜かすカイルを他所に、日景は索敵した結果残存兵はいないと判断して警戒を解いて、彼の元に素早く戻ってきた。
「なにやってんだ、あんた」
「何ってこっちのセリフだぜ! お前バケモンかよ!!」
「そうかもな。それよりもさっさと行くぞ」
日景は平静さを保っていたが、実はその言葉で僅かに心を揺らしていた。
被検体として観察される日々の中で【化け物】と何度も言われてきた。他者とは何処か違うという自覚もあった。
今の動きですら半分の能力程度しか使っていないというのに、カイルの驚きようを見て、その自覚は更に強固なものになってしまい、落胆なのか虚しさなのかはわからないが、気分が滅入るのを感じている。
それでも今に始まったことでもないか、と思い直した日景はカイルを促して元来た森を引き返すことにした。
数分歩いた後のことだった。
日景は立ち止まって「ちょっと待て」とカイルに問い掛ける。
「これって敵前逃亡とかいうやつにならないのか?」
「……そう、なのか?」
実戦という名目の試験を受けているに過ぎない日景にはわからなかった。
書籍で一通りの決まり事などは読んで知識はあったが、結局やることはいつもと変わらず、言われたことを言われた通りに実行するだけだと思い込んでいた。しかし突如として起こった不測の事態にどう対応するべきかなんて彼の中にはなかったのだ。
問われたカイルもよくわかっていない様子で、自分のことは棚に上げて使えない奴、と見下す日景。
「俺らの任務ってなんだ」
「そりゃ、敵を掃討することじゃないか?」
二人して疑問は尽きない。
「じゃあ引き返すのはやめだ」
「おいおい、周りの状況がどうなってるかもわかんねーのに、またあの地獄に戻るのかよ?」
「敵を倒しさえすれば文句は言われないだろ」
実際は日景とカイルの二名しか隊員は残されておらず、戦線を維持することは通常なら不可能な為、戦場から離脱したところで敵前逃亡にはならないはずだった。
しかし、ただ引き返して敵前逃亡と見られ罰則を受けるくらいなら、敵を掃討する方がいい。どちらを選んだとしても労力は然程変わらない、と日景は考えている故に出た言葉だった。
「まじかよ……」
さっさと死地に戻ろうとする日景の背中を見送ることも出来ず、カイルは重い気分のまま後を追う。
それから更に数時間進み、辺りはすっかり闇に包まれていた。
暗視ゴーグル程でないにしても日景は夜目も効く為、月明かりのある今なら進むことも出来たが、常人のカイルにそれを求めるのは酷だった。
彼の体力的が厳しいことも一目瞭然で、仕方なく日景は休息を選んだ。と言っても、こんな森の中で火を起こすわけにもいかず、ただ大木にもたれ掛かって休んでいる。
「すまねえな。シンならまだまだ余裕なんだろうが、俺には無理だ」
「別に構わない」
負い目を感じるカイルに対して自然と出た言葉だった。
他者を気遣うなんてことはこれまで一度もなかった日景は、自分自身にそんな一面があったのか、と再考させられる。
(悪くないな)
そう思うと自然と笑みが浮かんでいた。
「何笑ってんだよ、こいつ情けねえ奴だなとか思ってんじゃねーだろうなぁ?」
「別にそんなこと思ってないさ」
「にやけてんじゃねーかよ!」
「かもな」
ブツブツと抗議を示すカイルだったが、少し離れた場所からガサガサという物音で和やかだった空気は霧散した。
カイルはその場で銃を構え、日景は短剣を抜いて音の方へ意識を集中する。
音はどんどんと近づいてきて、やがてその姿を現したと同時に、日景はその対象に飛び掛かってナイフで首元を撫でた。
「Wait Up!」
それは女性の声だった。
「シン、味方だ!」
今にも首を切り裂きそうな日景を慌てて止めるカイル。
その言葉に鋭い目付きを解くことはなく、女の服装を確認した後その場から離れた。
「ちょっと漏れちゃった……」
あまりにもな歓迎に女性はそんなことを呟くが、依然として日景の闘争本能が治まる気配はない。
「何者だ」
「な、何者って服装見てわからない!? 味方よ!!」
確かに日景たちと同じ戦闘服だった。
敵が死体から服を剥いで着ているという可能性も捨てきれないわけではなかったが、よくよく確認して血痕がないことや、軍人の女性としては小柄だが服のサイズは合っていたこともあり、それはないだろうと判断して、漸く日景は警戒を解いた。
謝罪するわけでもなく、元いた大木に再び寄り掛かってカイルを見る日景。
「あー……大丈夫か? 嬢ちゃん」
後は任せるという視線に、カイルは仕方なく女性に声を掛けた。
「嬢ちゃんじゃないわよ。私これでも24なんだから」
カイルがお嬢ちゃんと呼んだことに間違いはなかった。
日景の身長が176センチに対して、彼女は目測でも10センチ以上は小さかった。カイルからしてみれば、子供同然のサイズだ。
加えて女性らしさ、主に胸元の膨らみは殆ど見受けられず、綺麗な金髪を両肩辺りで2つに結んでいることから少女と言っても過言ではなかった。
「それはすまん。俺はカイル・クラーク」
しかし日景との初対面のことがあったからか、素直に謝罪したカイル。
「私はハリエット・テイラー。ハティでいいわ」
あなたは? と視線を日景に移すハティ。
「……シン」
面倒そうな表情を隠さず名前だけは告げた日景だったが、話す気がない相手に用はないと言わんばかりに、彼女はカイルへと視線を戻した。
「あなたたち二人だけ?」
「あぁ、他の奴はやられちまったよ。そっちは?」
ハティが一人でいることから、仲間はやられているかもしれないと察してはいたが、淡い期待を抱いてカイルは問い返した。
「向こうの小川に2人いるけど、1人は負傷してて動けないから、仲間が近くにいないか探しにきたのよ」
ハティは助けを求めて1人暗闇の中を散策していた。
話を聞いたカイルは当然助けも兼ねて合流しようと立ち上がったが、日景は全く逆のことを考えていた。
負傷者が1人いる状況で全員が無事にこの戦場を切り抜けられるとは思えない。
相手にするべきではない、と。
「どうした、シン。なんか気になることでもあるのか?」
「いや別に」
しかし進もうとするカイルをわざわざ止めることはせず、大人しく付いていくことにしたのだった。