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ヘア・ボーテ~御用聞き紳士の処世術は金と王子と教育次第~  作者: 天崎羽化


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エドガー・クレメンツの朝は早い




 安らかに眠る自分の体見下ろしている。ことエドガー・クレメンツにとって、この奇妙な視界は日常の一部で、特別ではない。


 蝙蝠の羽のように長い手足を広げ、天井に張り付き、ふかふかのキングサイズのベッドに横たわり、安らかな寝息を立てている自分を眺め始めて早1時間。窓辺にかかった真紅のカーテンの隙間からは、朝焼けの光が漏れ始めていることを、男の翡翠色の瞳が忌々しそうに自覚しながら細くなった。


「‥‥いい加減、痺れてきた」


 俯くたびに揺れる黒曜のような艶を帯びた長髪、造りの良い端正な顔。彼から放たれる幽艶さに、女性ならば一目で惚れ、男であろうともその風貌に一目置くだろう。その証拠として、彼は友人が少ない。離れては付き、付いては離れる。彼の表面の美しさと比例しない内面を理解すると、友人を豪語していた人間さえも突如として「友人?ぼくとあいつが?そうだったか?」とシラを切る。そんな軽縁な人間関係に嫌気がさしたエドガー・クレメンツ、もとい、エドガーは、()()を選んだ。ゆえに、未曾有の事件が起きれば、一人で解決しなくてはならない。


 そんな彼に起きている事件、それは、男の沽券にも関わるものだった。


「呼吸、脈拍、心拍に異常はない。悪夢ではない‥‥と」


 胸元から茶革の手帳とペンを取り出しながら、壁掛け時計で時刻を確認する。―――5時55分。毎朝のように天井から見下す自分の体は、死後硬直しているのかと見紛うほど微動だにしない。


「魔法で幽体離脱し、自分を見下ろす実験を開始してから100日目‥‥何も問題ないではないか?」


 彼の言う問題とは、100日前まで付き合っていた女性からの一言が発端だった。


「いびきが煩いからわたしと別れるとあの女は言っていたが、どうだ?赤ん坊のように静かな寝息、どこかの王族と言われても差し支えない美しい顔が横たわっているだけではないのか?」


 安らかな寝息と共に、長い睫毛が上下している様を眺めながら、エドガーは己の寝相の良さに感心させられた――――が、次の瞬間、安らかさには程遠い苦悶の表情を浮かべながら、奥歯を噛みしめる音が部屋中に鳴り響く。


「ぐが‥‥あぁ‥‥うが‥‥あ‥‥がああああああ」

「‥‥‥‥」


 ここが邸でよかった。もし、アパートメントならば即苦情がくる。そんな怒号に近いいびきを聞きながら、エドガーは項垂れた。


「‥‥すまないと思う」


 情けなさに肩を落とすと同時に、重厚な部屋の扉が3回ノックされ、主の返事を待たずにノブが捻られる。


「おはようございます、クレメンツ様」


 カーペットを踏みしめる艶々の黒皮靴。塵一つついていないモーニングスーツ。磨き抜かれたカフスリンクスに刻まれているのは、クレメンツの家紋である黒樹の蔦と黒竜の意匠だ。錆の一つもなく、わずかな光を落としただけの部屋の中でも光り輝いて見えるのは、日ごろの手入れの賜物だろう。


「おはよう、アルフレッド」


 親し気にあいさつしたつもりだった。だが、銀色の髪の奥にある深海色の瞳は、不服そうに天井にを見上げ返していた。


「また、()()、ですか?」


 訝しみの奥に在る明らかな軽蔑。この冷たい視線に晒されるのももう慣れた。エドガーは、朝からスキの一端すら見せない完璧な姿で佇む家令にむかって穏やかに微笑み返した。


「実に、有意義な実験だ。人間は、100日前までいびきをかいていたというのに、注意を促され、離縁を突きつけられるというショック療法により、100日間はいびきをかかずにいられるという知見を得られた」

「つまり、クレメンツ様は、女性に嫌われるほどの大きないびきをおかきになられていた、と?」

「あぁ!わたしは、怒号のような()()()を、かいていた!!」


 雄弁し、胸を張っている蝙蝠男、否、使用人20人を抱えるクレメンツ邸の主の滑稽な姿と発言に、部屋外にいた見習いバトラーが笑った。肩傍から睨む視線に全身を凍らされ、見習いバトラーの肩が竦んだのを見送ったアルフレッドは、平淡な顔で自分の主を見据えた。


「でしょうね。まぁ‥‥これで明日から、わたし以外もこの部屋に入れるということですね」

「どういうことだ?おまえ以外、部屋に入れなかったのか?」

「主が天井に毎朝張り付くなど奇行中の奇行です。そんな可笑しな名家の家督がいるなどと、噂を立てられたくはないでしょう?わたしと、わたし手づから教育しているバトラーしか、この100日、あなたのお世話をしておりません」


 男性にしては線の細い体できびきびと動きながら、ベッド脇の文机に乱雑に置かれたワイングラス、小皿、羊皮紙、葉巻の残骸を手に取ると、部屋の外に控えたバトラーに手早く渡していく。クリスタルの装飾が施されたカーテンタッセルを手慣れた手つきで掬い取り、ベルベットで仕立てられた重量あるカーテンを勢いよく割ると、流れ込んでくる朝日の光がエドガーの視界を奪った。


 眼下に連なる煉瓦屋根の波。朝から蠢く人が小さな蟻のように見える。朝日に照らされ、壮大な風景の中心に鎮座する白亜の城、大聖堂からは朝の鐘の音がかすかに聞こえてくる。国一つを見下ろせる部屋にいながら、天井に張り付いている。これが、エドガー・クレメンツという男なのである。


 照らし出された部屋の中に散っている埃を払いながら窓の格子に手をかける。開け放たれた窓ガラスから緩やかな風が流れ込む。


「お体にお戻りください。本日の()()()は、数が多ございます。朝食も、滋養のつくものを厳選いたしました」


 目配せした先にいる青年バトラーが、金色のワゴンを押しながら部屋に入ってくる。四隅に紋章の入った純白のナプキンを張り、ワゴンから手早く食事を設置していく。窓傍にある長机の上に次々と並べられていく食事を眺めながら、エドガーはため息を一つ落とすと、胸元から漆黒色の杖を取り出し、自分の体へと向けた。


解けろ(デリヴレ)


 粉雪のように微細な魔塵と呼ばれる粉に包まれたエドガーの体と、天井に張り付く大男の体の間に帯が揺蕩い二人を繋いでいく。


「わぁ‥‥」

「手が止まっていますよ?」

「す‥‥すいません!つい‥‥」


 青年バトラーは謝りつつも、呆気にとられたように立ちすくみ、零れる笑顔を抑えられずにいる。目の前で繰り広げられているのは、エドガーによって放たれる「魔法」だ。


「魔法を見るのは初めてではないでしょう?」

「はい・・・・ですけど、クレメンツ様の魔法は、その‥‥別っていうか。美しいっていうか」

「あぁ。まぁ、美しいと言われれば、否定はできませんね」

「顔とかじゃないんですよ!そういうのじゃなくて‥‥なんとなく、この世の力じゃないもの、みたいな。不思議な美しさがあって。見入っちゃうんですよね」


 目の前で繰り広げられるのは、魔法量を具現化した砂粒がの中を、引き寄せられるように天井から剥がされたエドガーがベッドに横たわる本体へと溶けるように重なっていく光景だ。彼の風貌の美しさも相まって、見る者によっては幻想的にも映るだろう。アルフレッドは、長年仕える主の姿と、主の扱う魔法に見惚れる後輩のキラキラした目を眺めながら、小さく口角が上がっていくのを抑えられずにいた。


「‥‥っは‥‥」


 痙攣した体の隅々に酸素が行き渡っていくのを感じた。どくどくと波打つ血潮の音と共に、心臓の音が頭に響く。


「文献によると‥‥魂の重さは数グラムしかないと‥‥書いてあったが‥‥それよりも‥‥重いぞ、これは」


 内臓、心臓、顔と順々に辿っていく。エドガーの細い指の行く末は、アルフレッドによって奪われた。とらえた手を引きこみ、着てる寝間着に手をかけながら、素早い動きでエドガーの脈拍、心拍を図っていく。


「その作者は、大賢者様かなにかで?」

「いや‥‥大賢者様たちではない」

「ならば、そう記した者は虚筆家ですね。死んだことのない者が記す史実など妄語の極みです」

「そうか‥‥」


 まだ朦朧とする意識の中で、目の前でてきぱきと事が進んでいく。見慣れた顔が瞳孔を覗き込み、眼球の入った周りの肌をぐいぐい引っ張っていても、エドガーはやられるままだ。


「前職を辞して間もない中、まさか家業をお継ぎになられるなど、想定外でした」


 魔法を使ったのかと見紛う速さだった。深緑のラインが入ったスリーピースのスーツ、黒艶を放つ革靴、胸元に輝く家紋章をハンカチで拭きながらアルフレッドが不服そうに口を尖らせる。


「家業?まぁ、100年前から御用聞きはしていたが。それは貴族として当然の行いであり善行の範疇だ。わたしが行っているのは‥‥」

「あなたがおこなっているのは、法外な金を吹っかける代わりに、人殺し以外ならば何でも請け負う名ばかりのサロン。ですが、国民たちの間でのあなたの字は、御用聞きのオッドマン(何でも屋)紳士というそうですよ」

「そうか。ついに、通り名がついたか!」


 精いっぱいの勤めを果たし、エドガーの身繕いを完璧に整えて見せた。教育を施している執事たちが見たら、拍手喝さいを送ってくれるだろう。奇々怪々な主に対する鬱憤は溜っていた。だからこそ、少しばかりの勇気をもって吐露したつもりだ。そんな自分の言葉に対して嬉々する主の反応に、アルフレッドは呆気にとられていた。口を開けたまま何も話さない家令に代わり、エドガーが口火を切る。


「国王陛下からは王室御用達の許可を頂いているんだ。王公認に昇格しただけ結果は上々ではないか」


 労うようにアルフレッドの肩を軽く叩く。朝食の置いてある長机の前で背伸びをしながら大きな欠伸をした。朝日の光量はいつもより多い。もう、夏は近いはずだ。


 湯気と共にベルガモットの香りが立ち上る紅茶に口をつけ、片方の手でスコーンを頬張る。クリームもジャムもつけずに立ったまま食べるのが作法だ。そう言いたげな態度の背中にアルフレッドの視線が突き刺さったことに、エドガーは気が付いていた。だが、二人の()()()()()空気は、どたばたと走り込んできたメイドによって引き裂かれる。


「あのぉおぉぉぉおおおおお!!!!!」


 部屋の外、扉ギリギリで立ち止まる。許可なく主の部屋に入ってはいけない。執事長であるアルフレッドから言い聞かせられたご法度は、この邸で働く者たちの血となり肉となって刻み込まれているからだ。

黒と白を基調としたメイド服を身にまとったショートカットの妙齢のメイドが、汗を垂らし、瞳孔を開きながら自分たちを見つめている――――尋常ではない。


「質問に応えなさい。人が死にましたか?」

「いいえっ‥‥!!」

「では、邸に侵入者でも?」

「いや‥‥?侵入者ではございません!!ですが!!人が!!」

「‥‥人が?」

「人が!!!」


 アルフレッドに向かってメイドが告げようとしたその時。邸の下から爆発音が鳴り響いた。地響きすら誘発するほどのそれは、エドガーの部屋のカーテン、シャンデリア、目の前のカップに入った紅茶まで波立たせるほどの威力を持っていた。


「クレメンツ様、シェルタールームに移動を!!!」


 前職の敵襲か、もしくは家名を狙う不届き者か。そのどちらもだとして、アルフレッドのやることは一つだった。だが、振り返った先にいる主、エドガー・クレメンツは、長机に寄りかかりながら、にやりと笑っている。


「侵入者?殺し屋?‥‥良い度胸だな」


 鋭い切っ先を裁断したような眼光。王室に仕えていたエドガーの姿を唯一知っているアルフレッドは、エドガーの様相の変わり様に、そして「昔」に戻りつつある姿に、ごくりとつばを飲み込んだ。


「アルフレッド。使用人を一か所に移動させろ。神機官に通達、至急捕縛令状の発令を申請しろ」

「畏まりました」


 決まれば早かった。阿吽の呼吸で散らばる二人を呆然と見ている見習いバトラーに向かって、エドガーが微笑みを向けると、ジワリと涙を滲ませる。


「お前の仕事は、わたしが部屋に帰るまで、ポットの中に入った紅茶の温度を下げないことだ。これは、重要な任務となる。任されてくれるか?」

「‥‥お、お、お任せください!ご主人様っ!!」


 しゃくりあがった言葉に笑みを深めたエドガーは、既に勤めを果たすために旅立った執事長に次いで、振り返ることなく部屋を走り出る。


 冷たい石畳みに敷かれた赤い絨毯を踏みしめ走り抜ける。数々の調度品、クレメンス家代々の肖像画、そして紋章旗を飾っている玄関へと降りると、辺り一面が煙に覆われていた。注視し、観察する。


「‥‥爆薬の匂いがしない。煙にも一定量の魔力がある。魔道具を使ったか‥‥はたまた‥‥」

「ご主人様!!こちらです!!こちらに!!人が!!!」


 部屋まで走ってきたメイドがエドガーに声をかけた。その周囲には、心配そうに、そして縋るようにエドガーを見つめる執事、メイドたちの姿があった。


「アルフレッドの指示に従ってくれ」

「はいっ!!ご主人様も、お気をつけて!!」


 主人に声をかけられ安堵したのか皆の瞳が涙で光る。メイドに促されるままエドガーが進んだ先は、玄関の奥。つまり、邸の外だ。


「邸の中にいなさい。わたしがいく」

「お気をつけて!!」


 エドガーはメイドを下がらせ、数百年の間、この邸の安寧を守り続け、年季の入った扉を開け放った。


「わたしの領地で爆発とは!!その心意気は称賛してやる!さぁ、褒美を受けとりにこい!」


 威勢ある声が、クレメンス家が誇る庭園に響き渡った。だが、返ってくるのは、エドガーのこだまだけだった。


「怖気づいたか!ならば、わたしから行くぞ‥‥」


 鋭い視線に変わった。帷が落ちた様な闇。瞳の奥からあふれ出すような剣気が、エドガーの纏う空気を変えたとき。


――――むにょ。


 踏み込んだ先は石畳。だが、足元にあるのはその場所にはありえない感触だった。むにょっとした、ふわふわのパンを、むちむちした魔物を、ぷにぷにした食べ物を、踏んでいるかのような感触に、エドガーは足で観察した。ピカピカに磨かれた靴先で踏み倒していく。


「形状は‥‥円い‥‥大きいな?そして‥‥所々突起物がついている‥‥?お?さらさらとした糸のようなものが巻き付いていて‥‥これは‥‥髪‥‥?髪の毛‥‥」


 全身の身の毛が弥立った。やがて足元の丸いむにょむにょは微かに動き始める。


「‥‥んん‥‥なんだぁ?もう朝ぁ?」

「‥‥喋った‥‥」


 どこからか風が吹き、足元を覆っていた煙が晴れていく。エドガーの足元に現れたのは、予想通り、人間だった。だが、その足元に在る顔を見た途端、エドガーの表情が凍り付く。


「王子‥‥」

「はぁい?」

「ひる‥‥ひるめす‥‥」

「はぁい、ヒルメスおーじれぇーす」


 片言ながら自分の名前を呼ばれなぜか上機嫌になっている。エドガーに踏まれまくった靴底の跡だらけの顔でへらりと笑いながら両手でピースするこの国の王子ヒルメスとエドガーの出会いは、ここから始まった。



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