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01:『行遅令嬢』の婚約


 もっと早くに前世を思い出していたならば、もっと別の人生もあったんじゃないかと思う。例えば——


「ダガリント・ゾンダーリング伯爵令嬢。私はきっと、君を愛することは出来ないと思う。それでも——それでも、私と共に、ヴァイスバルド領を支えてくれるだろうか」


 こんな風に困った顔で笑う麗しいひとを、私に縛るようなことには、ならなかったんじゃないかな、って。


 亜麻色の長い髪に、大海の煌めきにも似た碧い瞳。甘いかんばせは優しくて……新設の辺境領地を守る公爵家当主という立場も、何もかもが、私には、あまりにももったいないひとだ。こんな素敵なひとには、私よりもっとずっと素敵なひとが隣に居るべきだと思うのだけれど。


(とても、誠実な方なのよね)


 これは、王命での政略結婚。貴族に生まれた以上、愛のない結婚など珍しいことではない。王命でなくとも、家同士の利益だけを優先した政略結婚をするものだとばかり思っていた。私の場合は、あの疵によってまともな縁すら望めないことを覚悟していたくらいなのに。

 まだ婚約にも至っていない、ただのお茶会。面通しでしかない今日この場で、わざわざ自らの事情を明かしてくださった公爵閣下は、とても、とても誠実な方なのだと分かる。

 もうきっと、この方以上の良縁は望めない。だから、私に出来ることは、公爵閣下の申し出に頷くことだけだ。


「——構いませんわ、閣下。王命は、辺境領へ嫁ぎ、共に領地を盛り立てろとのこと。わたくしを妻として置いてくださいますのなら、閣下のお心が誰にあろうとも、わたくしは口を挟むことは致しません」

「あっ、あの、」

「ただ、わたくしはこの国では珍しい『魔力なし』の落ちこぼれなのです。もしわたくしたちに子ができたとして……それが子に遺伝した場合、その子は当主とは相応しくないと仰られるかも知れません」


 目を伏せ頭を下げる。息を呑んだような気配と、僅かに膝から浮いた手が伏せた視界に映る。公爵閣下はしばらく逡巡したように手を彷徨わせて、けれどもこちらに触れることはなく、しばらくしてから「顔を上げてくれ」と口を開いた。


「申し訳ない、ゾンダーリング伯爵令嬢。絶対にあなたに不都合がないよう取り計らうから……子供も、親戚から養子という考え方もある。そこまで無理強いはしないよ」


 貴族の責務である、家を繋ぐ子を設けることも考えない。それほどまでに、愛してしまった方がいるのだと。それは先程も聞いた。その方を愛人として囲っているわけでもなく、ただ想いを寄せているだけだということも、その方が忘れられないということも、正直に打ち明けられた。その上で、それほど誠実に心の内を話してくださる閣下ならば良いと思っているのに——中々、この心は上手く伝わらない。

 ならばいっそ、こちらも打ち明けるしかないのだろう。この身の恥と、疵を。


「……恐れ入りますが、閣下は『真実の愛』というものを信じておられますか?」

「『真実の愛』?」

「はい。目の前にどんな壁があろうとも決して諦めきれず、窘められればられるほど燃え上がる情愛のことを言うのだとか」


 貴族の家に生まれた者が、そんなものを語るなど愚かにも程がある。目の前の閣下は王族として生まれたお方。貴族の責務を誰より知るはずの閣下は、私が責めているとお思いなのか、僅かに眉根を寄せた。

 違う、そうではない。閣下を責める意図など、微塵もないのだ。


「わたくしは、十八の時に『真実の愛』の名の下に、婚約者を破棄されたことがございまして」

「破棄?」

「ええ。それはもう、とても酷い振られ方をしたんですのよ……閣下。包み隠さず全てお話くださった御礼に、わたくしの話も聞いてくださいますか?」


 裏も表もないことを示すため、あえて扇子で口元を隠さず笑みを零す。もちろんだ、と頷いてくれた麗しい顔を見返して、私は微笑みを浮かべた。もう笑って語れる過去の話ではあるけれど、あの当時は酷く傷付いたものだと、娘時代の出来事を振り返る。


 学園の卒業パーティの場で、幼い頃からの婚約者に婚約を破棄された。私の元婚約者というのは子爵家の次男だったのだが、学園で知り合った一歳下のとある侯爵家のご令嬢と恋に落ちたのだ。私や両家の親が苦言を呈すればするほどふたりの恋は燃え上がり、とうとう手を付けられなくなって。結局、婚約者は衆目の面前で私を振り、ふたりは『真実の愛』を貫いた。言ってしまえば、それだけの話だ。

 問題は、その後だった。

 私は、幼い頃からその婚約者のことを好いていた。だから破棄は悲しかったし、とても傷付いた。せめて解消にしてほしいと頼んでも、彼は私が侯爵家のご令嬢を虐めていたから、私有責の破棄で慰謝料を請求すると言い出したのだ。

 そんなことはやっていない。お相手のご令嬢とは家の属する派閥が違うため、学園内の最低限の付き合いしかしていない。それでも、彼は頑なに私の言葉を信じることなく、私に破棄以上の断罪を願った。


『おまえのような魔力なしのグズで落ちこぼれで地味な外れ女など、私は最初から嫌だったのだ! それを、爵位を笠に着て良いように扱いやがって——!』


 結局、彼らの言う「罪」が全て冤罪であることは、周囲の同級生たちが証言してくれて証明された。その後の親たちを交えた話し合いの結果、婚約は私の有責ではなく、彼らの有責による破棄となる。問題を起こしたふたりは責任を取って急遽籍を入れ、平民として王都を追放された。その後の彼らは『真実の愛』が嘘だったかのように諍い合い、やがてふたりともどこかへ行ってしまったのだという。


「……私は、すっかり結婚に臆病になってしまって……縁があって、国の外に出ることにしたんです」


 この身は潔白なれども、婚約が破綻した女だという瑕疵は永遠に付いて回る。少なくとも、婚約者を良いように奪われるくらい、手腕に劣る娘だということは知られてしまった。ただでさえ『魔力なし』は王国では非常に珍しく忌避されがち。そこにさらに、貴族の人間として、人心掌握が下手なのは致命的な欠点。そんな娘を嫁に望む家はなくなり、ならばいっそ、噂の届かぬ国外の方が生きやすかろうと、父が留学を勧めてくれたのだ。


(その道中、船の揺れで頭を強打した時に、前世を思い出したのだけれど……これは、閣下には語る必要のない与太話よね)


 遥か大海を半月掛けて航行している道中、私は自分に前世の記憶があるということを初めて思い出した。前世はガラス張りの巨大な塔が立ち並び、鉄の塊が地面を走り空を飛ぶ、機械文明が高度に発展した世界で。私はその世界で三十まで生き、ある日予想外の交通事故で死んだ、なんでもない市井の人間だった。


(その時も、『遅すぎる』って嘆いたものだけれど)


 もっと早く——せめて、婚約破棄を言い渡される事件より前に、前世が分かっていたのなら。自分の、恋に盲目だった生き方を変えられていたのなら。私はもっと違う人生を歩んでいたのだろうと、やはりそう思うのだけれど。

 それでも、あの時に前世をぼんやりとでも思い出したことは幸いだった。留学先で学ぶことに、いちいち目を回さずに済んだのだから。


「でも、全く文化の違う国で、新しい学びを得る生活は、思いの外に楽しくって」


 私が向かった先は、エノルメ大陸の外にある国。このグレンツェント王国よりも社会制度が進んだ、ジェニオ合衆国という大国。魔力持ちの方が少ないかの国の、その首都にある大学という高等教育機関で、私は魔力に頼らない社会制度や法制度を学んだ。それは前世の歴史の授業で学んだ、王侯貴族から民主主義社会への変換点とも言える時代の施策に似ていて、興味深いものだった。

 そして、男女身分問わずあらゆる生徒が学び舎に集まり、自らの理想を喧喧囂囂と議論する生活は、目まぐるしくも鮮やかで。私にとってかの国での生活は、とても楽しい日々だったのだ。気付けば、八年も向こうで暮らしていたほどに。


(それに、何よりも)


 かの国での女性たちは、本人が望めば、髪を短くし、男性のスラックスや乗馬服のパンツを履いて街中を闊歩し、仕事や政に邁進することも出来た。学び舎の教授たちも、半数近くが女性であった。たかだか婚約破棄ひとつで疵がつき、嫁ぎ先と将来に途方に暮れるなんて生き方をしなくても良い。女として生まれてきたことを嘆く必要のない、革新的な国だった。


「学び舎の在籍限界年数を超えてしまったので、仕方なく卒業して、帰国したんですけれど……運良く、陛下に拾っていただけて」

「ああ……即位の頃か。国を変えていくために、先進的な眼差しを持つ方々を国政に迎え入れていたから」

「ええ。わたくしが見てきた、外の世界の政策を、王国に取り入れられないかと」


 帰国して、陛下付きの政策助言者として政の片隅に席を得て、三年。

 自分が見てきた、女性が自分の力で立ち生きていける社会を目指して、陛下に様々な提言をした。もちろん、合衆国の仕組みをそのまま取り入れることは出来ない。だからこの国で採用出来そうな部分を選び、予算を見直し、実用可能な案をいくつも出した。


「でも、上手くいかなかったんです。後ろ盾のない田舎の伯爵家の、しかも当主ですらない女の身。高位貴族男性で固められた中央政治の世界では、わたくしの意見は陛下と側近の方々以外に、見向きもされませんでしたわ」


 男ばかりの政治の場に、女ひとり。私は軽んじられ、疎まれ、蔑まれ、何度歯噛みしたか数え切れない日々だった。それでも食らいついて提言を続けていれば、いつしか付いたあだ名が「行き遅れになった年増令嬢」略して「行遅令嬢(いきおくれいじょう)」。貴族女性として落第もいいところの、屈辱的な二つ名だった。


「既得権益を害されることを良しとしない頭でっかちばかりだからね……兄上も、ゾンダーリング伯爵令嬢の提言の素晴らしさを認めているというのに」

「ありがたいことですわ。こうして、わたくしに素敵なご縁まで結んでくださいましたから」


 中央政治に蔓延る方々を思い浮かべていたのか、疲れた顔になった閣下。けれどもその表情は、私の微笑みできょとんと驚いたものに変わった。作られたものとは違う表情は思いの外幼く見えて、少し、愛らしくさえ見える。


「陛下は、王命という形でわたくしに機会をくださったのです。ヴァイスバルドの領地は新設されたばかりで、更に王都から遠い辺境の地。そこで、閣下と共に、わたくしの提言していた政策を用いて、王都にも並び立てる領地として盛り立てて来い、と」

「なるほど……ヴァイスバルドが発展すれば、その立役者となった君の意見や政策は、国として無視できなくなる……流石は兄上。気は長いけれど、良い案だ。だから僕に白羽の矢が立ったのか」


 この政略結婚の理由についてようやく全て納得がいったのか、閣下が頷いた。その動きに合わせて揺れる優しい色の髪を視界に映してから、私も顎を引いて背中を伸ばす。


「正直に打ち明けて、わたくしはもう、色恋だの情愛だのというものは懲り懲りなのです。わたくしはただ、誰もが人生を好きに選べる街を創りたい……ですから、閣下。わたくしのことは、妻という名目のビジネスパートナーだとでもお思いになって、隣に置いてくださいませ」

「君の人生を捻じ曲げてしまうんじゃないかと思って躊躇していたんだけれど……そういうことなら、うん。一緒に、ヴァイスバルドを押しも押されぬ一大領地目指して発展させよう」


 私が差し出した手のひらを、閣下が握ってくださった。淑女としては有り得ない握手だというのに、彼に躊躇う様子はない。やはり誠実なひとだと感じた認識は、その後に続いた細かい婚姻契約の条件で更に強くなる。

 夫婦として名を連ねるものの、私たちの立場は対等。互いに互いの意見や提案に耳を傾け、都度擦り合わせ実現に向け検討する。第一優先は領地の発展で、実子については自然に任せる。養子を取る場合は、後ろ盾である王家からの親戚を優先する。そういった細々とした条件を確認し、書面にして——私たちの婚約は、無事に整った。


「それでは……改めて、ダガリント嬢。これから、よろしく頼むよ」

「こちらこそ、閣下。いえ、フリードリヒ様。どうぞ末永く、よろしくお願いいたします」


 こうして——『行遅令嬢』と揶揄されていた私、ダガリント・ゾンダーリング伯爵令嬢の、遅すぎる婚約が成立した。二十九歳も残りわずか三ヶ月を切っていた、冬の始めの事だった。


お読みいただきありがとうございます!

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