二章⑦ 最初の朝
ダンジョンには夜と同様に朝の訪れがない。そうなれば日の光で自然と目を覚ますこともないので単純に十分な睡眠をとったか、もしくは外的要因で目を覚ますことになる。しかしダンジョンには鳥の囀りのような気の利いたものはなく…………近くの通路を歩く怪物の歩く音がその代わりになった。
「ん」
わずかに呻いて春人は目を覚ます。開いた目に映るのは白い布。それで自分がタオルを被って寝たことを思い出して彼はそれをどかす…………途端に明るい空間と草の匂い。それで今の自分の置かれている状況を春人は完全に思い出した。寝て覚めれば全てが夢だったというのが理想だったが現実はそう甘くはない。
「…………あー」
その絶望感もあってか気だるげな声を挙げつつ春人は体を起こす。体の節々が痛い。草の上は固い床よりはましだが、やはり布団で寝る生活に慣れた現代人にとってはあまり快適とは言えなかったようだ。
「ええと」
まだ開ききらない目で春人は周囲を見回す。透と彩花はまだ寝ているようだった。一瞬すぐに起こそうと頭に浮かんだがふと思い立って懐中時計を確認する。寝ると決めてから七時間ほど経過していた。しかし二人があの後どの程度のタイミングで寝たかはわからないし、初日の疲労が大きいことを考えればあえてまだ二人を起こす必要はないだろう。
そして残る天音は春人と同じように身を起こしていた。彼女は通路の一つの方向をじっと見つめている…………固まっているといったほうがいいような雰囲気だった。
「天…………」
春人は声を掛けようとして止める。代わりに透と彩花を起こさないように静かに立ち上がるとゆっくりと天音へと近づく。そしてその肩をポンと叩いた。
「ひっ…………!?」
「わっ!?」
悲鳴と共にびくりとその肩が跳ねて春人も驚く。振り向いた天音の顔は見てわかるくらいに青ざめていた。
「お、驚かせないでよ」
「えと、ごめん」
震える声色に春人は自身の軽率さを謝罪する。少し考えれば驚かせるであろうことは容易に想像できたはずだ。透達からも離れたのだから小さく声を掛ければよかった。
「あー、と…………何を見てたの?」
「…………そんなの答えなくてもわかるでしょ」
少し落ち着いたのか憮然とした表情を浮かべる天音に、春人はちらりと彼女の見ていた方向へ視線をやる。そこには他と変わらぬ通路があるだけで何もいない…………今は。
しかしそこには確かにいたのだろう。このダンジョンをさまよう怪物が。そしてそれは確かに答えるまでもないことだった。
「ちなみにどれくらい前に起きた?」
「三十分くらい前よ…………変な音がして目が覚めたの」
それが何の音かはもはや尋ねる必要もないことだ。つまりはその三十分の間天音は春人が見た態勢のまま固まっていたのだろう。それほどのインパクトのある相手がどんな存在だったのかは気になるが、今尋ねるのはよしておいた方がいいと春人は感じた。
「どれくらい寝れた?」
だから代わりにそう尋ねる。
「それなりには寝たわよ」
「具体的に」
濁す天音に少し強く春人は言葉を返す。先ほどまで青ざめていたせいもあるが、しっかり寝たにしては天音の表情はあまり芳しいように見えない。
「三時間くらい、だと思う」
渋々と言った様子で天音は答えた。
「だったらもう少し寝ていた方がいいよ」
透も彩花も起きるまでにはまだ時間があるだろう。
「…………眠くないわよ」
「いいから寝る!」
首を振る天音を半ば強引に春人は寝かしつけた。
「周囲は僕が警戒しておくから」
「わ、わかったわよ……」
それに気圧されたように天音が目を瞑る。
「…………ちゃんと、見てなさいよ」
「わかってるよ」
小さく呟かれた言葉に、春人はしっかりと返事をした。
◇
朝食は夕食よりもしっかりと取る。今日もダンジョンの探索を行う予定だ。探索の途中で空腹を覚えてもこういった安全地帯でもない限り食事をとるのは危険だろう。新しい場所を見つけるなりこの場所に戻ってこない限り食事はしないつもりだった。
「味気なくても量があればそれなりに満足できるもんだな」
幾分か満足したように透が呟く。
「その代わり今日何か見つからなかったら明日で食料なくなっちゃいますけどね」
普通に考えれば節約するところなのだろうが状況が状況だ。普通の遭難なら一日でも長く生き延びるために節約する意味はあるが、正直この場所で救助を望むのは現実逃避もいいところだ。三日余分に生き延びたところで詰むのは確定なのだから、それよりは短時間でも万全に動けるようにしてその間に生存の道を見つけるしかない。
「見つければいいだけでしょ」
ぶっきらぼうに天音が口を挟む。
「何でもいいから食べるものが見つかれば私が美味しくしてあげるわよ」
けれど幾分か打ち解けたようにそう続けた。
「わ、私も何か頑張ります!」
不意に彩花が声を挙げる。胸の前で両手の拳を握り締めてやる気は充分のようだ。
「まあ、ほどほどにね」
やる気は大切だが過ぎれば空回りになる。
「はい!」
しかしその返事もやはり勢いがいい。恐らく彩花は自分が一番役に立たないと自覚しているだけに役に立とうとやる気を奮い立たせているのだろう…………それが大きなミスに繋がらないように意識しておこうと春人は思う。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
懐中時計で時間を確認して春人は告げる。
しばしの休憩を終えて、再びダンジョンへと四人は足を踏み出した。
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